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2017年2月25日 (土)

マーピラの反乱

Ali_musliyar    吉川弘文館の「世界史年表」などには何故かでていないが、インド独立史において重要な事件である。1921年8月20日から1922年2月25日までに南インド各地に起きた反帝国主義、反地主闘争。マラバル地方の最貧困層が中心となったのでマラバルの反乱ともいわれる。キラーファット運動指導者Ali Muslyar (画像、1864-1922)は警察に追われるが逃れて潜伏し、長期化したため多数のマーピラが虐殺された。(モーピラーの反乱)

何でも知って、何でも考えよう

Abogadoscostadelsol4 「ケペル先生のブログ(日々の話題あれこれ)」 閑静安適の日々を過ごしながら、学ぶことそのものを喜びとしたい。このブログにおいて「何でも知って、何でも考えよう」の精神で、古今東西の知識、ありとあらゆる薀蓄・情報・知識を集めた。17世紀イギリスの詩人ベン・ジョンソンのことばに「多くの事をするのはやさしいが、一事を永続するのはむずかしい」とある。

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   記事の叙述は、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「なぜ」「どのように」を軸に、わかりやすい文章を心がける。:現代的な事柄も取り上げながらも学問的にも、高い品位を保ち、一般教養人が読むに堪え得る内容につとめ、実証主義に立脚した研究をめざす。一日一日の着実な積み重ねで、あらゆる分野でもかなりの地点まで到達することができると信ずる。日頃から、見聞を広げ、多くの文献を渉猟し、知識を蓄えるように心がけたい。

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自然科学室
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芸術・文芸室
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2017年2月24日 (金)

中国関係図書文献目録

Photo_2 中国四千年の歴史は、漢字をはじめ、暦法、漢方薬、官僚制度など、実にさまざまな社会制度、文物、風習を生み出した。そのいくつかは、わが国と密接な関係となり、われわれ日本人の生活のなかにとけ込んでいる。それは単なる一般習俗のような形而下の風習だけではなく、思想や芸術などの形而上においても同じことがいえる。中国思想の根本である儒教や老荘思想が、日本人の道徳観や人生観にどれほど重大な影響を与えてきたかは、はかり知れないし、わが国の文化が中国から影響を受けていることがひじょうに多いのである。

参考
中国書籍総目録 全国総目録1949~1965年 全19巻・補巻1 竹中憲一編 龍渓書舎 1981
中国書籍総目録 全国総目録1981~1983年 不二出版 復刻版 全33巻補巻1  1983
国立国会図書館漢籍目録 国立国会図書館 1987
廣博物志 50巻 董期張編
全唐詩逸 3巻 市川世寧撰 京都 文化元年(1804)
唐土名勝図絵 6巻 岡田尚友 文化3年(1806)
支那地誌略 1 沖正修 敬業堂 1874
支那地誌 蒙古部 参謀本部 1889
支那地誌 満州部 参謀本部 1889
支那文学全書 博文館 1892
東洋西洋教育史 中野礼四郎 博文館 1900
支那書史学 中根粛治 1903(推定)
漢文学講義(少年叢書) 26冊 興文社 1903~1915
宋学概論 小柳司気太 哲学書院 1903
最新中国二十一省地図 嵯峨野彦太郎 1904
古文玖舊書考 4卷 島田翰 民友社 1905
清国行政法 6 臨時台湾旧慣調査会 1905-1914
漢律類纂 張鵬一 奉天・格致学堂 1907
儒教聖典 大江文城編 開発社 1907
春秋倫理思想史 綱島榮一郎 博文館 1907
儒教新議 内田正 浜松・内田正 1909
支那食料植物 ブラスダーレ 川上滝弥訳 台湾総督府殖産局 1911
支那ニ於ケル法典編纂ノ沿革 法律学経済学研究叢書7 浅井虎夫 1911
支那論 内藤虎次郎 文会堂 1914
会稽郡古書雑集 魯迅 1915
辞源 陸爾奎・方毅等編 商務印書館 1915
京師図書館善本簡明書目 賈曾佑 1916
支那古田制の研究 法律学経済学研究叢書17  加藤繁 京都法学会 1916
支那論集 市村瓚次郎 冨山房 1916
東洋画論集成 今関天彭 読画書院 1916
儒家哲学本義 内田正 岩波書店 1917
虎風龍雲 東亜同文書院大旅行誌12  久保田正三編 上海・東亜同文書院 1919
支那伝説集 木下杢太郎 精華書院 1921
阿Q正伝 魯迅 『吶喊』に所収 北新書局 1923
支那の鉄道 鉄道省大臣官房外国鉄道調査課 1923
道教聖典 小柳司気太・飯島忠夫 世界聖典全集刊行会 1923
剪燈新話・剪燈余話・宣和遺事 国訳漢文大成13   塩谷温 国民文庫刊行会 1924
十批判書 郭沫若 1924
倭寇 長谷川正気 東京堂 1924
満蒙における契丹の遺跡について 鳥居龍蔵 東京日日新聞社 1925
東方言語史叢考 新村出 岩波書店 1927
和漢書道会 藤原鶴来 好鳶会 1927
支那古陶金石展観図録 昭和3年11月開催 於大阪美術倶楽部 大阪・山中商会 1928
晏子春秋校注 張純一 1930
支那書道史概説 有ヶ谷静堂 大同館 1930
儒学概論 北村沢吉 関書院 1930
鮮支遊記 藤山雷太 千倉書房 1930
宋元以来俗字譜 中華民国中央研究院歴史語言研究所 1930
東洋哲学史概説 貝尾勝馬 文原堂 1930
最新亜細亜大観 黒龍会編 黒龍会 1931
史学名著解題 現代史学大系15  千代田謙ほか 共立社 1931
支那諸子百家考 児島献吉郎 目黒書店 1931
蒋介石 古荘国雄 上方屋 1931
東洋芸術史講座 全12巻 雄山閣 1931
語法復文複式漢文研究 石原亨 東興社 1932
最新漢文提要 田中健三編 日本文学社 1932
初学者の為の東洋哲学 山根鎮夫 文化書房 1932
宋元名画集 田中一松・秋山光夫・相見香爾編 聚楽社 1932
東洋所学者洋政治哲学(王道の研究) 安岡正篤 玄黄社 1932
日支紛争に関する国際聯盟調査委員会の報告 国際連盟協会 1932
アジア的生産様式」に就いて ソヴェート・マルクス主義東洋学者協会編 早川二郎訳 白揚社 1933
漢代婚喪礼俗考 楊樹達 商務印書館 1933
漢文学講座 全7巻 長澤規矩也編 共立社 1933~1934
古代銘刻彙考 郭沫若 文求堂 1933
古代銘刻彙考 続篇 郭沫若 文求堂 1934
支那古典叢函 支那古典叢函刊行会 1933
儒教道徳の特質と其の学説の変遷 北村沢吉 関書院 1933
日支紛争に関する国際聯盟総会報告書全文 新聞聯合会 1933
満州年鑑 昭和8年版 中溝新一編 大連・満州文化協会 1933
容斎随筆五集総合引得 1894年晥南洪氏重刊本 聶崇岐 1933
還魂記・漢宮秋 国訳漢文大成・文学部10 国民文庫刊行会 1934
寒山詩 岩波文庫 太田悌蔵訳注 岩波書店 1934
史通評 呂史勉 商務印書館 1934
諸子学総論 先秦思想文化史研究序説 原富男 共立社 1934
長恨歌研究 遠藤実夫 建設社 1934
東洋学叢編2 静安学社編 刀江書院 1934
東洋精神の復活 伊福吉部隆 第一出版協会 1934
漢晋学術編年 上下 劉汝霖編著 商務印書館 1935
五経索引 本文・第1巻 森本角蔵編 目黒書店 1935
広西遊記 森岳陽 秋山印刷所 1935
周易引得 上海錦章書局影印十三経注疏本 1935
儒教道徳に於ける君臣思想 手塚良道 藤井書店 1935
儒教の起源 岩波講座東洋思潮11  津田左右吉 岩波書店 1935
明の興亡と西力の東漸 世界文化史大系18  鈴木艮編 新光社 1935
和漢故事成語辞海 松村武雄 有宏社 1935
講孟余話 岩波文庫 吉田松陰著 広瀬豊校訂 岩波書店 1936
支那思想美術思想 緒論 岩波講座東洋思想17  田中豊蔵 岩波書店 1936
支那社会研究 橘樸 日本評論社 1936
中華思想 岩波講座東洋思想17  那波利貞 岩波書店 1936
湯島聖堂復興記念儒道大会誌 福島甲子三 斯文会 1936
鴨緑江 満州弘報協会編 新京・満州国通信社 1937
崔東壁遺書引得 亜東書局 1937
辞海 2冊 舒新城等編 上海中華書局 1937
蒋介石 石丸藤太 春秋社 1937
中華新聞発達史 井東憲 日支問題研究会 1937
中国古代哲学史 陳元徳 上海・中華書局 1937
中国算学史 中国文化史叢書 李人言 台湾商務印書館 1937
中国調査資料 第1輯 支那秘密結社の新情勢 平野書房 1937
東洋精神概観 日文満文 久保田肇 東宛書房 1937
アジア的生産様式論 森谷克己 育生社 1938
シナ思想と日本 岩波新書 津田左右吉 岩波書店 1938
通溝 上・下 満洲国通化省輯安県高句麗遺蹟 池内宏・梅原末治 日満文化協会 1938
満洲地名考 谷光世 新京満洲事情案内所 1938
明の君臣の亡命と其の庇護 小畑利三郎 神乃日本社 1938
漢書疏證 吉川幸次郎 自家本 1939
現代華僑問題 丘漢平著 山崎清三訳 生活社 1939
江浙風物誌 沢村幸夫 東亜研究会 1939
左伝真偽考  支那学翻訳叢書6 カールグレン著 小野忍訳 文求堂書店 1939
禅宗史研究 印度哲学研究9 宇井伯寿 岩波書店 1939
宋金元明詩選 潘徳衡 柳原書店 1939
近世日本に於ける支那語文学史 石崎又造 弘文堂 1940
古銅器形態の考古学的研究 梅原末治 東方文化研究所 1940
現代支那女流作家集 現代支那文学全集 冰心他 東成社 1940
中国文化界人物総鑑 橋川時雄 中華法令編印館 1940
中国土地問題に関する文献解説 神戸商業大学商業研究東亜経済調査部 1940
東邦研究 嘉治隆一 オリオン社 1940
東洋学の成立とその発展 歴史学叢書 青木富太郎編 蛍雪書院 1940
華僑史 成田節男 蛍雪書院 1941
康熙帝伝 ブーヴェ著 後藤末雄訳 生活社 1941
古代支那政治哲学研究 呂振羽著 明石春海訳 人文閣 1941
中国人の生活風景 柯政和 皇国青年教育協会 1941
先秦政治思想史 梁啓超著 重沢俊郎訳 創元社 1941
漢晋木簡精粋 広瀬保吉 清雅堂 1941
印度支那の民族と文化 松本信広 岩波書店 1942
黄土地帯 アンダーソン著 松崎寿和訳 座右宝刊行会 1942
先覚者 岡倉天心 清見陸郎 アトリエ社 1942
支那宗教史 支那地理歴史大系11 白揚社 1942
先秦経済思想史論 穂積文雄 1942
漠北と南海 アジア史における沙漠と海洋 松田寿男 四海書房 1942
漢三国六朝紀年鏡図譜 京都帝国大学文学部考古学資料叢刊1 梅原末治 1943
禅思想史研究 1 鈴木大拙 岩波書店 1943
中国教育十年 趙如珩 大紘書院 1943
中国の社会風景 柯政和 大阪屋号書店 1943
中国歴史理念の根源 根本誠 生活社 1943
東洋学の話 石浜純太郎 創元社 1943
雲岡石仏群 東方文化研究所雲岡石窟調査概報 水野清一 朝日新聞社 1944
支那地史の研究 上 東亜研究叢書 ベイレー・ウイリス著 坂本峻雄訳編 岩波書店 1944
法家思想の研究 木村英一 弘文堂 1944
明末清初日本乞師の研究 石原道博 冨山房 1945
科挙 宮崎市定 秋田屋 1946
先哲の学問 内藤虎次郎 弘文堂書房 1946
中国宗教制度 デ・ホロート著 清水金二郎、荻野目博道共訳 京都・大雅堂 1946 
中国国哲学史 宇野哲人 日月社 1946
中国と西洋文化 矢沢利彦 中村書店 1946
牧谿と梁楷 武者小路実篤 東京座右宝刊行会 1946
漢書律暦志の研究 東方文化研究所研究報告 能田忠亮・薮内清 全国書房 1947
中華思想の根帯と儒学の優位1 原富男 講談社 1947
中国戦後の動態 草野文男 京都・教育出版株式会社 1947
中国哲学概説 高田真治 日月社 1947
中国文化革命 鹿地亘 九州評論社 1947
中国文芸復興 胡適 矢島仁一監訳 始原社 1947
古代の精神 貝塚茂樹 秋田屋 1948
山海経通検 巴黎大学北平漢学研究所 1948
中国先史文化 殷朝成立の前史 古文化叢刊36 澄田正一 京都・大八洲出版社 1948
中国の十年 鹿地亘 時事通信社 1948
中国の小説 松枝茂夫 白日書院 1948
中国族産制度攷 清水盛光 岩波書店 1947
中国的実在観の研究 その学問的立場の反省 木村英一 弘文堂 1948
中共概論 外務省調査局 外務省 1949
詩文精粋 吉田賢蔵、星川清孝 明治書院 1950
そんへえおおへえ 内山完造 岩波書店 1950
中国 上・下 マックネア 沖野亦男訳 大阪・三明社 1950
中国 民族と土地と歴史 オーエン・ラティモア 小川修訳 岩波書店 1950
中国古代政治思想 中江丑吉 岩波書店 1950
中国思想史 吉田賢抗 明治書院 1950
中国思想史 岩波全書 武内義雄 岩波書店 1950
滑稽談 市民文庫 幸田露伴 河出書房 1951
儒教の研究 第1 津田左右吉 岩波書店 1951
禅思想史研究 2 鈴木大拙 岩波書店 1951
中共総覧 時事通信社 1951
中国古代のこころ 市民文庫 貝塚茂樹 河出書房 1951
雲崗石窟 全16巻32冊 水野清一・長廣敏雄 1951-1956
中国浄土教家の研究 小笠原宣秀 平楽寺書店 1951
中国常平倉沿革考 松本洪 食糧庁 1951
照心詩話 漢詩と人間学 安岡正篤 福村書店 1952
儒教の研究 第2 津田左右吉 岩波書店 1952
増補現代中国辞典 中国研究所 1952
中国的考え方 魚返善雄 宝文館 1952
唐詩選通解 小林信明ほか 宝文集 1952
東洋鬼軍敗亡記 呂梁英雄伝続篇 西戎・馬烽 三好一訳 三一書房 1952
古代漢民族思想史 鈴木憲久 泉文堂 1952
学制から見た東洋教育史 佐藤清太 柳原書店 1953
中国古代の思想家たち 上 郭沫若著 野原四郎他訳 岩波書店 1953
中国哲学史 狩野直喜 岩波書店 1953
中国の社会とギルド 上・下 仁井田陞 岩波書店 1953
詩人李白 林庚 上海文芸聯合出版 1954
中国古代思想史 楊栄国 三聯書店 1954
中国古代の心 河出文庫 貝塚茂樹 河出書房 1954
中国の社会と宗教 東洋史学論集2 山崎宏編 不昧堂書店 1954
近世日本儒教運動の系譜 相楽亨 弘文堂 1955
顧炎武伝略 趙儷生 上海新華書店 1955
西周年代考 六国紀年 陳夢家 学習生活 1955
中国古代的水利 紀庸編 上海四連 1955
北アジア史 世界各国史 江上波夫 山川出版社 1956
現代漢語語法縮編 江南書院訳註双書 兪敏著 牛島徳次訳註 江南書院 1956
五年計劃・童工 大芝孝訳註 江南書院 1956
柴栄 韓国磐 上海人民出版社 1956
儒教の研究 第3 津田左右吉 岩波書店 1956
中国の思想問題 胡風事件をめぐって 小竹文夫 大学出版協会 1956
錦の中の仙女 岩波少年文庫 伊藤貴麿訳編 岩波書店 1956
秦漢的方士与儒生 顧頡剛 上海人民出版社 1957
世界史大系8 東アジアⅡ 鈴木俊編 誠文堂新光社 1958
斉民要術 上下 西山武一・熊代幸雄訳 東京大学出版会 1957
泉州宗教石刻 呉文良著 北京・科学出版社 1957
中国語商業会話の基礎文例 奈良一雄・水野鈴彦 国元書房 1957
中国古代の思想家たち 下 郭沫若 岩波書店 1957
中国思想史1巻 古代思想 候外盧 人民出版社 1957
中国思想史2巻 両漢思想 候外盧 人民出版社 1957
中国思想史3巻 魏晋南北朝思想 候外盧 人民出版社 1957
中国新文学運動史 政治と文学の交点 胡適から魯迅 尾坂徳司 法政大学出版局 1957
中国の農業 吉岡金市 東洋経済新報社 1957
麦積山石窟 名取洋之助 岩波書店 1957
羽田博士史学論文集 上・下 羽田亨 京都大学東洋史研究会 1957
李贄年譜 容肇祖編 三聯書店 1957
李白研究 張立徳 香港学林書店 1957
李杜詩選 蘇仲翔選注 上海古典文学出版社 1957
華夷変態 全3冊 東洋文庫 1958
寒山 中国詩人選集5 入矢義高注 岩波書店 1958
古代寓話文学集 中国古典文学全集2 平凡社 1958
世界史大系 東アジアⅠ 三上次男編 誠文堂新光社 1958
現代中国事典  岩崎書店 1959
漢文学概論 長澤規矩也編 法政大学出版局 1959
観堂集林 王国維 中華書局 1959
中華人民共和国組織別人名表 内閣官房 1959
中国学芸大辞典 近藤杢 東京元々社 1959
中国古代地理名著選読 第1輯 候仁之主編 科学出版社 1959
中国古代の論理 大浜晧 東京大学出版会 1959
中国思想史4巻 隋唐北宋 候外盧 人民出版社 1959
中国書法の二大潮流 神田喜一郎 東方文化講座第13輯 1959
テーブル式漢文便覧 小林信明・市木武雄・長谷川節三 評論社 1959
アジア地域総合研究文献目録 1~5 文部省大学学術局編 日本学術振興会 1960-63
永楽大典 明・解縉等輯 中華書局 1960
慧遠研究 研究篇 木村英一編 創文社 1960-63
漢代服飾参考資料 張末元編 人民美術出版社 1960
京都大学人文科学研究所所蔵甲骨文字 貝塚茂樹編 京都大学人文科学研究所 1960
近世日中貿易史的研究 山脇悌二郎 吉川弘文館 1960
中国商品事典 日中貿易実務研究会編 極東書店 1960
中国書道史 藤原楚水 三省堂 1960
中国の印刷術 その歴史的発展と影響 張秀民著 広山秀則訳 京都・関書院 1960
中国体育史 新体育学講座5 逍遥書院 1960
中国の彫刻 石仏・金銅仏 水野清一 日本経済新聞社 1960
李定国紀年 郭影秋編著 中華書局 1960
瀛涯勝覧 鄭和西征見聞録 馬歓 小川博訳注 吉川弘文館 1961
北アジア・中央アジア 図説世界文化史大系9 江上波夫・松田寿男編 角川書店 1961
古代史学序説 古代史講座1 学生社 1961
辞海 中華書局辞海編集所 中華書局 1961
世界教養全集18 黄河の水、史記の世界、敦煌物語、長安の春 平凡社 1961
中国近代化の社会構造 辛亥革命の史的位置 東洋史学論叢6 東京教育大学文学部東洋史学研究室 教育書籍 1961
中国近代工業史の研究 東洋史研究資料叢刊9 波多野善大 東洋史研究会 1961
塩鉄論 中国古典新書 桓寛著 山田勝美訳 明徳出版社 1962
古代国家の構造 上下 古代史講座4・5 学生社 1962
先秦両漢経済史稿 李剣農 北京・中華書局 1962
中国現代文学選集7 柔石、丁玲、艾蕪、蕭紅 平凡社 1962
中国語小辞典 中日ー日中 鐘ヶ江信光編 大学書林 1962
中国古代地理簡史 候仁之主編 科学出版社 1962
中国古代地理考証論文集 童書業 中華書局 1962
中国古代の田制と税法 秦漢経済史研究 平中苓次 京都彙文堂 1962
中国とその影 チボール・メンデ 高橋正訳 弘文堂 1962
中国農業史研究 天野元之助 御茶の水書房 1962
鑑真 安藤更生 美術出版社 1963
元明詩概説 中国詩人選集二集2 吉川幸次郎 岩波書店 1963
孝子説話集の研究 中世篇 二十四孝を中心に 徳田進 井上書房 1963
史林雑標識 顧頡剛 中華書局 1963
中国の思想家 上下 宇野哲人博士米寿記念論集 東京大学中国哲学研究室編 勁草書房 1963
中国の仙人 村山嘉実 平楽寺書店 1963
槐安居楽事 宋元明清の絵画法書法帖碑拓 高島菊次郎 求龍堂 1964
秦漢瓦当 文物 1964
中国関係日本文雑誌論説記事目録1 外事警察報・北京週報・燕塵 近代中国研究センター 1964
中国古小説集 世界文学大系71 吉川幸次郎編 筑摩書房 1964
中国古代の科学 角川新書 藪内清 角川書店 1964
中国浄土教教理史 望月信亨 法蔵館 1964
中国哲学史研究 唯心主義と唯物主義の抗争史 学術選書 重沢俊郎 法律文化社 1964
中国における回教の伝来とその弘通 田坂興道 東洋文庫論叢43  1964
中国の思想 全12巻別巻 松枝茂夫・竹内好監修 経営思潮研究会 1964~1966
中国の哲学 阿部吉雄編 明徳出版社 1964
道教史の研究 大淵忍爾 岡山大学共済会書籍部 1964
東洋への視角と西洋への視角 飯塚浩二 岩波書店 1964
世界帝国の諸問題 古代史講座10  学生社 1964
倭寇  石原道博 吉川弘文館 1964
経典 その心と歴史 潮文社新書 野村耀昌 潮文社 1965
京都大学人文科学研究所漢籍目録 京大人文科学研究所 1965
芸文類聚 欧陽詢等撰 中華書局 1965
光明日報史学専刊索引 光明日報出版社 1965
菜根譚 洪自誠著 吉田豊・神子侃訳 徳間書店 1965
四民月令校注 石声漢 北京・中華書局 1965
太平天国 1~4 東洋文庫 A・F・リンドレー著 増井経夫、今村与志雄訳 平凡社 1964-65
中国からの手紙1 みすず叢書 アンナ・ルイズ・ストロング著 藤村俊郎訳 みすず書房 1965
中国画論の展開 晋唐宋元編 中村茂夫 中山文華堂 1965
中国人物叢書 1~24  人物往来社 1965~67
中国の思想と民俗 滝沢俊亮 校倉書房 1965
中国の印章 羅福頤、王人聡著 安藤更生訳 二玄社 1965
中国農業技術体系の展開 山本秀夫 アジア経済研究所 1965
東洋封建社会のモラル 思想の歴史6 石田一良編 平凡社 1965
オルドロス碑集 モンゴルの民間伝承 東洋文庫59 A・モスタールト著 磯野富士子訳 平凡社 1966
古典漢文の新研究 鈴木修次 三省堂 1966
中国からの手紙2 アンナ・ルイズ・ストロング著 藤村俊郎訳 みすず書房 1966
中国近代産業発展史 中国綿紡織史稿 厳中平著 依田憙家訳 校倉書房 1966
中国哲学史 新編1 馮友蘭著 森下修一訳 林書店 1966
中国の青年運動 続・中国の集団主義 胡耀邦著 小林文男編訳 明治図書 1966
中国の笑話 笑話叢珠笑苑千金 荘司格一・清水永吉・志村良治共訳 筑摩書房 1966
中国の俗信と法思想 増田福太郎 三和書房 1966
中国文明の伝統 香川宏・田川純三・清水幸浩 日本放送出版協会 1966
満鉄2 現代史資料32 伊藤武雄・萩原極・藤井満洲男編 みすず書房 1966
漢魏詩の研究 鈴木修次 大修館書店 1967
古代中国の精神 筑摩叢書91  貝塚茂樹 筑摩書房 1967
古典漢文の基礎 山本哲夫 洛陽社 1967
崑崙の玉 井上靖 オール読物1967年7月号
満鉄 現代史資料33 伊藤武雄・萩原極・藤井満州男編 みすず書房 1967
宋元以来俗字譜 近世文学史研究の会 文化書房博文社 1968
中国思想史 小島祐馬 創文社 1968
説苑 中国古典新書 劉向 高木友之助訳 明徳出版社 1969
古代の復活 名著シリーズ 貝塚茂樹 講談社 1971
中国千夜一夜 女読むべからず 上下 林房雄 河出書房 1967
中国哲学史2 新編 馮友蘭著 森下修一訳 林書店 1967
中国の思想 伝統と現代 NHKブックス 竹内実 日本放送協会 1967
中国文芸論戦 李何林編 大安 1967
中国文芸概説 境武男 秋田大学中央研究室 1967
中国昔話考 村山孚 鷺の森書房 1967
中国古典文学大系 60巻 平凡社 1968
中国経済の基礎構造 大塚恒雄 白桃書房 1967
中国文学史研究 増田渉 岩波書店 1967
京都大学人文科学研究所所蔵甲骨文字索引 貝塚茂樹編 京都大学人文科学研究所 1968
中国古代寓話集 東洋文庫 後藤基巳編訳 平凡社 1968
中国思想論集 西順蔵 筑摩書房 1969
中国の思想家たち 桃源ブックス 野末陳平 桃源社 1968
講座現代中国 全3巻 菅沼正久等編 大修館書店 1969
中国古尺集説 薮田嘉一郎 京都・綜倪藝舎 1969
中国処世訓 戸崎平爾 日本文芸社 1969
中国的思惟の伝統 対立と統一の論理 大浜皓 勁草書房 1969
中国文化の成熟 世界歴史シリーズ15 世界文化社 1969
中国での文学運動の展開資料 1950年代後半から60年代初めの河北省での詩歌運動を中心に 秋吉久紀夫著 中国文学評論社 1969
東洋学文献叢説 神田喜一郎 二玄社 1969
東洋学報総目録 第1巻~50巻 明治42年~昭和43年 東洋文庫 1969
芭蕉と杜甫 太田青丘 法政大学出版局 1969
黄土地帯 アンダーソン著 松崎寿和訳 学生社 1970
康熙帝伝 東洋文庫 ブーヴェ著 後藤末雄訳 平凡社 1970
小島祐馬政論雑筆 内田智雄編 みすず書房 1970
宋元明通俗小説選 中国古典文学大系25  枝松茂夫他訳 平凡社 1970
中国古代政治思想研究 「左伝」研究ノート 歴史学研究叢書 小倉芳彦 青木書店 1970
中国古代喪服の基礎的研究 谷田孝之 風間書房 1970
中国春夢譚 上田学而 日本文芸社 1970
中国の国家と法 東大社会科学研究叢書 針生誠吉 東京大学出版会 1970
中国の建築 竹島卓一 中央公論美術出版 1970
中国の笑話と小咄 武藤禎夫 東京堂出版 1970
民報索引 上・下 小野川秀美編 京都大学人文科学研究所 1970-1972
政治論集 中国文明選11  宮崎市定 朝日新聞社 1971
呉子 中国古典新書 呉起編 松井武男訳 明徳出版社 1971
続海濤集・帰去来 東洋文庫 郭沫若 平凡社 1971
大学・中庸・孟子 世界古典文学全集18  金谷治編 筑摩書房 1971 
中国関係図書目録 和文 1957-1970 近代中国研究会編 東洋文庫 1971
中国教育宝典 上・下 世界教育宝典 加藤常賢編 玉川大学出版部 1971
中国近代国民経済史 上・下 中国近代経済史研究会編訳 雄渾社 1971
中国承認への道 A・ドーク・バーネット 伊藤忠雄・佐藤紀久夫訳 時事通信社 1971
中国・東南アジア 世界の旅 新編1 座右宝刊行会・三友社編 小学館 1971
中国の工業企業管理 菅沼正久 アジア経済研究所 1971
中国の神話 筑摩教養選 貝塚茂樹 筑摩書房 1971
中国人の思想 野末陳平 陳文館 1971
中国文明選 朝日新聞社 1971
中国文明と官僚制 エチアヌ・バラーシュ 村松祐次訳 みすず書房 1971
明末清初政治評論集 中国古典文学大系57  後藤基巳、山井湧編訳 平凡社 1971
アジア新時代の国ぐに 揺れる経済・燃える社会 根岸富二郎編 毎日新聞社 1972
中国科学技術史論集 吉田光邦 日本放送出版協会 1972
中国古代における人間観の展開 板野長八 岩波書店 1972
戦火叢書55 昭和17・18年の支那派遣軍 朝雲新聞社 1972
中国の怪談 潮文社リヴ 中岡俊哉 潮文社 1972
中国の思想 現代教養文庫 村山吉広 社会思想社 1972
中国の故事名言 ツインブックス 駒田信二 ベストセラーズ 1972
中国の鉱物資源 海外資料34  金属鉱物探鉱促進事業団 1972
中国人の戦略 阿部幸夫 芸術生活社 1972
中国人の思考様式 小説の世界から 講談社現代新書 中野美代子 講談社 1972
東洋学文献類目 1970年度 京都大学人文科学研究所 1972
文心雕竜 中国古典新書 劉勰著 戸田浩暁訳注 明徳出版社 1972
明末清初の絵画 川原正二 時の美術社 1972
目で見る世界の旅19 中国 国際情報社 1972
王漁洋 漢詩大系23  青木正児他編 集英社 1973
画論 中国古典新書 古原宏伸 明徳出版社 1973
弘明集研究 上・中・下 牧田諦亮編 京都大学人文科学研究所 1973-75
国共合作 中公新書 波多野善夫 中央公論社 1973
支那学文薮 狩野直喜 みすず書房 1973
全釈漢文大系 全33巻 集英社 1973-1980
中華人民共和国出土文物展覧展品選集 北京・文物出版社 1973
中国象棋 入門と戦術 張秀爾 天元書房 1973
中国人の知恵 乱世に生きる 講談社現代新書 諸橋轍次 講談社 1973
中国に生きる 日中友好に半生を賭ける女の戦い 北崎可代 講談社 1973
中国の隠者 乱世と知識人 岩波新書 富士正晴 岩波書店 1973
中国のことわざ 福島寿英雄 東亜同学会 1973
中国の世界 オーエン・ラチモア 青木繁・江頭数馬編訳 毎日新聞社 1973
中国のふしぎな話 小学生の中国文学全集10  秋山洋子 学燈社 1973
東都事畧 和刻本正史別巻1 長沢規矩也解題 汲古書院 1973
明の赤絵 陶磁大系43 藤岡了一 平凡社 1973
漢唐壁画 外文出版社 1974
中国の科学と文明 全11巻 ジョゼフ・ニーダム著 藪内清ほか訳 思索社 1974~
中国文学史 吉川幸次郎述、黒川洋一編 岩波書店 1974
哲人列伝 日本・東洋篇 勝部真長 第一法規出版 1974
蔵蒙旅日記 寺本婉雅 芙蓉書房 1974
顔氏家訓彙注 周法高選注 京都・中文出版社 1975
三国志入門 立間祥介 日本文芸社 1975
私説聊斎志異 安岡章太郎 朝日新聞社 1975
人物中国志6 辺境編 漠北と南溟 藤本幸三著 毎日新聞社 1975 
中国農学書録 付 中国古農書考 王敏明著 天野元之助校訂 龍渓書舎 1975
正名と狂言 古代中国知識人の言語世界 大室幹雄 せりか書房 1975
中国美術紀行 宮川寅雄 講談社 1975
明末中国仏教の研究 特に智旭を中心に 張聖厳 山喜房仏書林 1975
滑稽 古代中国の異人たち 大室幹男 評論社 1976
中国古代文様史 上下 渡辺素舟 雄山閣 1976
中国主要産業を規定する諸条件 日中経済協会 1976
中国の古代文学 1 神話から楚辞へ 白川静 中央公論社 1976
中国の古代文学 2 史記から陶淵明へ 白川静 中央公論社 1976
漠南書庫中国印譜解題 横田実 二玄社 1976
古代漢字彙編 小林博編 木耳社 1977
中国朝鮮地名別称索引 東京国書刊行会 1977
中国の印刷術 東洋文庫315,316 カーター著 薮内清、石橋正子訳注 平凡社 1977
東洋哲学史 橋本芳契 明玄書房 1977
中国の祝事 都丸十九一、坂田友宏 明玄書房 1978
中国の俗諺 田中清一郎 白水社 1979
元代吏制研究 許凡 労働人事出版社 1984
中国人の日本人観100年史 小島晋治、伊東昭雄、光岡玄 自由国民社 1974
中国式のおかず 波多野須美編 主婦の友社 1975
中国哲学研究 楠本正継 国士舘大学附属図書館 1975
中国と第三世界 新井宝雄 大和出版販売 1975
中国の神話 白川静 中央公論社 1975
中国古代の伝承 貝塚茂樹著作集5 中央公論社 1976
中国詩文選 24冊 筑摩書房 1976
中国浄土教史研究 塚本善隆著作集4 大東出版社 1976
中国の建築と都市 アンドリュー・ボイド 田中淡訳 鹿島出版会 1976
中国の自然と社会 江口旻・玉井健三共著 文化書房博文社 1976
中国の鉱物資源 日本貿易振興会 1976
東洋学の創始者たち 吉川幸次郎編 講談社 1976
論集近代中国と日本 山根幸夫 山川出版社 1976
武内義雄全集 全10巻 角川書店 1977-79
中国古代の社会制度 貝塚茂樹著作集2 中央公論社 1977
中国古代の宗教と文化 殷王朝の祭礼 赤塚忠 角川書店 1977
中国古代の精神 貝塚茂樹著作集6 中央公論社 1977
中国古代の植物学の研究 水上静夫 角川書店 1977
中国古代文学論 詩経の文学性 鈴木修次 角川書店 1977
中国女性史 笠間選書 山川麗 笠間書院 1977
中国土地改革体験記 中公新書 秋山良照 中央公論社 1977
中国農業と大寨 渡辺信夫・川村嘉夫・森久男共編訳 龍渓書舎 1977
中国人の論理学 諸子百家から毛沢東まで 中公新書 加地伸行 中央公論社 1977
中国都城・渤海研究 駒井和愛 雄山閣出版 1977
中国の鉄鋼業 日中経済協会編 日中経済協会 1977
中国の孝道 講談社学術文庫 桑原隲蔵  講談社 1977
民本思想の物語 秋山叢書 田所義行 秋山書店 1977
五代会要 王溥纂 上海古籍 1978
詩的把握 陳正祥 香港商務印書館 1978
秦漢的方士与儒生 顧頡剛 上海古籍出版社 1978
清末上海租界社会 呉圳義 文史哲出版社 1978
中国古代絹織物史研究 下 佐藤武敏 風間書房 1978
中国古代の学術と政治 中国叢書 顧頡剛著 小倉芳彦ほか訳 大修館書店 1978
中国女性史 太平天国から現代まで 平凡社選書 小野和子 平凡社 1978
中国人の生活 文庫クセジュ ミシェル・ジャン 小川特明 白水社 1978
中国水墨画の精髄 芸術叢書 吉村貞二 美術公論社  1978
中国文学と日本文学 鈴木修次 東京書籍 1978
漢書律暦志の研究 能田忠亮・薮内清 臨川書店 1979
現代化中国の旅 社会学者訪中報告 福島直編 東京大学出版会 1979
康熙帝の手紙 中公新書 岡田英弘 中央公論社 1979
中国 世界の国ぐに20   佐藤弘一監修 ポプラ社 1979
中国近代化の幻視 日中関係の新たな視覚 長谷川慶太郎著 ダイヤモンド社 1979
中国古代籍帳研究 概観・録文 池田温 東京大学出版会 1979
中国古代農民反乱の研究 木村正雄 東京大学出版会 1979
中国式・目の体操 本多伝 立風書房 1979
中国宗教における受容・変容・行容 道教を軸として 窪徳忠 山川出版社 1979
中国上代説話の研究 若水俊 JCA出版 1979
中国トロッキスト回想録 中国革命と再発掘 アジア叢書 王凡西著 矢吹晋訳 柘植書房 1979
中国人の生活風景 東方選書 内山完造 東方書店 1979
中国人の発想 岡本隆三 徳間書店 1979
中国人の発想80の知恵 守屋洋 日本文芸社 1979
東洋学論集内容総覧 国書刊行会 1979
明末宗教思想の研究 管東溟の生涯とその思想 荒木見悟 創文社 1979
孟子研究 猪口篤志 笠間書院 1979
王漁洋詩論之研究 黄景進著 台北 古史哲出版社 1980
音容日に遠し 吉川幸次郎 筑摩書房 1980
科挙の話 試験制度と文人官僚 講談社現代新書 村上哲見 講談社 1980
現代化への意欲 西南中国を訪ねて 第四次訪中団 全国農協職員連盟 1980 
元刊雑劇三十種新校 2冊 徐沁君校 中華書局 1980
中国学入門 田所義行 秋山書店 1980
中国古代書籍史 竹帛に書す 銭存訓著 沢谷昭次、宇津木章ほか訳 法政大学出版局 1980
呉子・尉繚子の兵法 守屋洋 産業能率大学出版部 1980
中国古代の民俗 講談社学術文庫 白川静 講談社 1980
中国「人民公社」実態調査ノート 佐藤慎一郎 大湊 1980
中国とソ連 中西治 日本工業社 1980
中国の構図 現代と歴史 吉田光邦 駸々堂 1980
中国の自然と民俗 田中克己 研文出版 1980
現代中国 政治大系の比較分析 ジェームズ・R・タウンゼント 小島朋之訳 慶応通信 1980
中国浄土教史の研究 道端詩良秀 法蔵館 1980
中国人の街づくり 相模選書 郭中端・堀込憲二著 相模書房 1980
中国人物史100話 林 亮 立風書房 1980
中国の布教と迫害 イエズス会士書簡集 東洋文庫 矢沢利彦編訳 平凡社 1980
中国石窟シリーズ 全17巻 平凡社 1980~1990
中国歴史地名大辞典 劉鈞仁著 凌雲書房 1980
霧社事件 台湾高砂族の蜂起 中川浩一・和歌森民男編著 三省堂 1980
アジアを知るために 鶴見良行 筑摩書房 1981
永楽宮壁画 中国外文出版社編 美乃美 1981
王船山詩文集 修羅の夢 東洋文庫393 王船山 高田淳編訳 平凡社 1981
簡論李白与杜甫 燕白 四川人民出版社 1981
鬼神と人間の中国 新潮古代美術館10 樋口隆康、陳舜臣、繭山康彦 新潮社 1981
京都大学人文科学研究所漢籍目録 同朋舎 1981
古典の叡知 学術文庫 諸橋轍次 講談社 1981
三国志の英雄群像 松本一男 徳間書店 1981
宰相型人間の研究 守屋洋 PHP研究所 1981
周漢遺宝 帝室博物館編 国書刊行会 1981
中国古代宗教史研究 制度と思想 池田未利 東海大学出版会 1981
中華人民共和国主要法令集1 中国研究所 1981
中国古代文化の研究 加藤常賢 明徳出版社 1981
中国式性教育 厳仁英編 劉達坤訳 日中出版 1981
中国人の知恵ツボの本 張明澄 久保書店 1981
中国哲学史研究論集 荒木教授退休記念 葦書房 1981
中国鉄道の旅 1 北京ー烏魯木斉線 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 2 北京ー東南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 3 北京ー東北地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 4 北京ー中南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 5 北京ー西南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国の刻石 中西慶爾 木耳社 1981
先秦漢初の財政経済の経緯 原富男 春秋社 1981
先秦諸子百家争鳴時代考 原富男 三信図書 1981
台湾考古民族誌 考古民俗叢書18  国分直一 慶友社 1981
東洋学論叢 飯田利行博士古稀記念 国書刊行会 1981
焚書夜話 大類雅敏 栄光出版社 1981
夢渓筆談 東洋文庫 沈括 平凡社 1981
科学史からみた中国文明 NHKブックス 藪内清 日本放送協会 1982
顔氏家訓 中国古典新書 顔之推著 宇野精一 明徳出版社 1982
雁門集 薩都拉(さつとら)  中国古典文学叢書 上海古籍出版社 1982
胡蝶と荘周 続人生行路の賦 原富男 三信図書 1982
三国志の英雄たち 守屋洋ほか 新人物往来社 1982
大学・中庸・孟子 世界古典文学全集 金谷治編 筑摩書房 1982
中国近代化の史的展望 東亜文化叢書6 東亜文化研究所 霞山会 1982
中国古代説話の思想史的考察 小野沢精一 汲古書院 1982
中国古代的類書 胡道静 中華書局 1982
中国四季の花 中国カラー文庫8 美乃美 1982
中国の寺・日本の寺 東方選書10 鎌田茂雄 東方書店 1982
中国の建築 中国建築科学研究院 末房由美子訳 小学館 1982
中国歴史・文化地理図冊 陳正祥編著 梅村坦訳 原書房 1982
明の陶磁 デイジー・リオン・ゴールドシュミット著 駸々堂出版 1982
キジル石窟 中国石窟 全3巻 平凡社・中国文物出版社編 平凡社 1983-1985
諸葛孔明の世界 加地伸行編 新人物往来社 1983
中国人の生活哲学 東方選書11 丁秀山 東方書店 1983
中国土壌 改良利用・性質・肥沃度・生成分類 中国科学院南京土壌研究所主編 川瀬金次郎・菅野一郎訳 博友社 1983
シンガポール華文小説選 上 東南アジアブックス 陳徳俊編 井村文化事業社 1983
中国古代の城 中国に古代城址を訪ねて 研文選書17  五井直弘 研文出版 1983
中国古代倫理学の発達 加藤常賢 二松学舎大学出版部 1983
中国傷寒論解説 劉渡舟、勝田正泰ほか訳 東洋学術出版社 1983
鉄砂拳(中国拳法・秘伝必殺) 竜清剛 日東書院 1983
科挙 中国の試験地獄 文庫 宮崎市定 中央公論社 1984
好太王碑の研究 王健群 雄渾社 1984
黄土地帯紀行 人類の起源を求めて 賀川光夫 六興出版 1984
古銅器形態の考古学的研究 梅原末治考古図録集13  同朋舎出版 1984
書概 書論集 劉熙戴 高畑常信訳 木耳社 1984
中国古代の商工業と専売制 影山剛 東京大学出版会 1984
中国社会への散歩 十億の隣人はいま 有斐閣選書 中野謙二 有斐閣 1984
中国の近代化と教育 世界新教育運動選書6 石川啓二他 明治図書出版 1984
中国人の宗教儀礼 仏教・道教・民間信仰 大淵忍爾 福武書店 1984
中国生活誌 黄土高原の衣食住 竹内実・羅漾明対談 大修館書店 1984
中国の国際環境と対外政策 中国問題研究所 1984
中国の宗教・思想と科学 牧尾良海博士頌寿記念論集 同刊行会編 国書刊行会 1984
中国古典詩聚花 3 詠史と詠物 市川桃子 尚学図書 1984
中国鉨印源流 補・近代人の篆刻 銭君匋・葉潞淵著 梅舒適訳編 木耳社 1984
中国女性解放の先駆者たち 中国女性史研究会編 日中出版 1984
讖緯思想の総合研究 安居香山編 国書刊行会 1984
中国農業地理 劉世錡著 農山漁村文化協会 1984
鄭義下碑 上・下 書道名蹟基本叢書 藤原楚水監修 三省堂 1984
芭蕉扇 中国歳時記風物記 澤田瑞穂 平河出版社 1984
明末清初 福本雅一 同朋舎 1984
遣唐使 唐代中日文化交流史略 姚嶂剣 陝西人民出版社 1984
中国古代度量衡図集 邱隆ほか編 山田慶児、浅原達郎訳 みすず書房 1985
中国古代のスポーツ 邵文良編著 ベースボール・マガジン社 1985
中国珍奇怪異物語 旺文社文庫 寺尾善雄 旺文社 1985
中国の石油産業 神原達ほか 幸書房 1985
中国の宗族と演劇 華南宗族社会における祭祀組織・儀礼および演劇の相関構造 田仲一成 東京大学出版会 1985
中国神話物語 袁珂著 大学書林 1985
唐伝奇入門 呉志達 赤井益久訳 日中出版 1985
明末農民反乱の研究 佐藤文俊 研文出版 1985
論集東アジアの食事文化 石毛直道編 平凡社 1985
崑崙の秘境探検記 中公新書821  周 正  中央公論社 1986
諸葛孔明の生涯 寺尾善雄 旺文社 1986
銭起詩索引 田部井文雄編 汲古書院 1986
中国五大石窟の旅 紀野一義 佼成出版社 1986
中国詩歌原論 比較詩学の主題に即して 松浦友久 大修館書店 1986
中国人の歴史意識 平凡社選書11 川勝義雄 平凡社 1986
中国聖賢のことば 講談社学術文庫 五十沢二郎 講談社 1986
中国説客列伝 徳間文庫 守屋洋 徳間書店 1986
中国の風水思想 J・J・M・デ・ホロート 第一書房 1986
中国美術史 小杉一雄 南雲堂 1986
纏足物語 岡本隆三 東方書店 1986
道教叢林太清宮志 五十嵐賢隆 国書刊行会 1986
道教研究のすすめ その現状と問題点を考える 秋月観暎編 平河出版社 1986
東洋学発掘 安岡正篤 明徳出版社 1986
満洲1945年 木島三千男編 地久館 1986
明末清初モンゴル法の研究 島田正郎 創文社 1986
羅振玉年譜 羅継祖輯述 羅昌霖校補 文史哲出版社 1986
歴代兵制浅説 王暁衛・劉昭祥 北京・解放軍出版社 1986
女たちのアジア 新書 松井やより 岩波書店 1987
近世日本漢文学史論考 水田紀久 汲古書院 1987
呉子 中国古典兵法書 呉起著 尾崎秀樹訳・解説 教育社 1987
黒旗軍 19世紀中国の農民反乱 陳白塵撰述 佐藤公彦訳 研文出版 1987
古代東アジアの装飾墓 町田章 同朋舎 1987
戦間期日本繊維産業海外進出史の研究 藤井光男 ミネルヴァ書房 1987
禅思想史研究 3 鈴木大拙 岩波書店 1987
中国通俗小説書目 大塚秀高編著 汲古書院 1987
中国の宗教と社会 M・フリードマン著 田村克己ほか訳 弘文堂 1987
道教思想史研究 福永光司 岩波書店 1987
道教と宗教文化 秋月観暎編 平河出版社 1987
道教聖典 小柳司気太訳  心交社 1987
道教と古代日本 福永光司 人文書院 1987
藤堂明保中国語学論集 汲古書院 187
中国式人相学入門 松本一男 PHP:研究所 1987
中国書蹟大観 全7巻 文物出版社 講談社 1987
中国人の酒落と諺 吉田隆 広報社 1987
中国・朝鮮地名異称辞典 国書刊行会 1987
中国鉄道の旅 エリアガイドブック114  南正時 昭文社 1987
中国都城の起源と発展 楊寛 学生社 1987
中国とたたかったチベット人 チベット叢書 ジャムヤン・ノルブ編著 日中出版 1987
中国の朝鮮族  延辺朝鮮族自治州概況 大村益夫訳 むくげの会 1987
麦積山石窟 中国石窟シリーズ 平凡社 1987
木簡手帖 呉恵霖 木耳社 1987
論集中国社会・制度・文化史の諸問題 中国書店 1987
アジアその多様なる世界 第2回「大学と科学」公開シンポジウム組織委員会 朝日出版社 1988
ガラスの道 中公文庫 由水常雄 中央公論社  1988
漢書食貨・地理・溝洫志 東洋文庫488  班固著 永田英正・梅原郁訳注 平凡社 1988
近世日本と東アジア 荒野泰典 東京大学出版会 1988
古代中国 驚異の知恵と技術 佐藤鉄章 徳間書店 1988
「三国志」に学ぶ興亡の原理 守屋洋 パンリサーチインスティテュート 1988
周易 古代中国的世界図式 鳥恩溥著 吉林文史出版社 1988
周原与周文化 陳全方 上海人民出版社 1985
中国漢詩心の旅 全5巻 田川純三著 世界文化社 1988-1990
中国近代思想史 張錫勤編 黒龍江人民出版社 1988
中国古代養生思想の総合的研究 坂出祥伸編 平河出版社 1988
中国人のトポス 洞窟・風水・壺中天 平凡社選書 三浦国雄 平凡社 1988
中国生活事典 白馬出版 1988
中国朝鮮族の教育文化史 李埰畛 鎌田光澄訳 コリア評論社 1988
中国の隠遁思想 中公新書 陶淵明の心の軌跡 小尾郊一著 中央公論社 1988
中国の哲学・宗教・芸術 福永光司 人文書院 1988
中国の工業化と産業技術進歩 研究双書373 丸山伸郎 アジア経済研究所 1988
中国の年中行事 平凡社選書 中村喬 平凡社 1988
道教典籍目録・索引 大淵忍爾・石井昌子編 国書刊行会 1988
霧社緋桜の狂い咲き 虐殺事件生き残りの証言 ピホワリス著 加藤実編訳 教文館 1988
木簡小字典 佐野光一編 雄山閣 1988
巌窟蔵鏡 梁上椿著 田中琢・岡村秀典訳 同朋舎  1989
黄晢暎 武器の影 上・下 高崎宗司ほか訳 岩波書店 1989
故土 蘇叔陽 馬場与志子訳 中国書店 1989
古陶文彙編 高明編 東方書店 1989
商君書索引 鈴木一郎編 風間書房 1989
仙界とポルノグラフィー 中野美代子 青土社 1989
中国近代女子教育史 1865~1945  盧燕貞 文史哲出版社 1989
中国近代化の政治経済学 岡部達味 PHP研究所 1989
中国古代の祭礼と歌謡 東洋文庫500  マーセル・グラネ著 内田智雄訳 平凡社 1989
中国古代の諸民族 李家正文 木耳社 1989
中国人の本音 孔健 大陸書房 1989
中国人のはらわた 蓮根藤 はまの出版 1989
中国石窟雲崗石窟1 雲崗石窟文物保管所 平凡社 1989
中国図書の歴史 庄威著 吉村善太郎訳 京都・臨川書店 1989
中国とソ連 岩波新書 毛里和子 岩波書店 1989
中国の工芸 出光美術館蔵品図録 出光美術館編 平凡社 1989
中国の思想的危機 研文選書44  林毓生著 丸山松幸・陳正醍訳 研文出版 1989
中国の食文化 周達生 創元社 1989
中国犯科帳 波野徹編訳 平河出版社 1989
中国文化のルーツ 上下 郭伯南ほか著 東京美術 1989
中国歴代詩歌選集 福田稔編注 丘書房 1989
木簡の書 宇野雪村著 大庭脩解説 同朋舎 1989
やきもののシルクロード 加藤卓男 中日新聞本社 1989
やきもの文化史 景徳鎮から海のシルクロード 岩波新書 三杉隆敏 岩波書店 1989
読み切り三国志 井波律子 筑摩書房 1989
論集東北アジアの考古学 東北アジア考古学研究会 六興出版 1989
顔氏家訓2 東洋文庫 顔之推著 宇都宮清吉訳注 平凡社 1990
元典章 海王邨古籍叢刊 中国書店 1990
古典文字字典 師村妙石編 東方書店 1990
三国志の英傑 講談社現代新書1030  竹田晃 講談社 1990
中国 民主化運動の歴史 姫田光義著 青木書店 1990
中国古代農業博物誌考 胡道静著 渡部武訳 農山漁村文化協会 1990
中国次の10年 宮崎正弘 天山出版 1990
中国人の知恵 ワニ文庫 松本一男 ベストセラーズ 1990
中国政経用語辞典 愛知大学国際問題研究所編 大修館書店 1990
中国知識人の精神史 上下 フマニタス選書 李羨林 北樹出版 1990
中国と世界経済 上野秀夫 中央経済社 1990
続 中国の年中行事 平凡社選書 中村喬 平凡社 1990
新楽府・秦中吟の研究 近藤春雄 明治書院 1990
馬占山将軍 東洋のナポレオン 立花丈平 徳間書店 1990
夜鳴く鳥 古代中国の医学・呪術・伝説 山田慶児 岩波書店 1990
漢書列伝 中国古典新書続編15  高木友之助・片山兵衛訳注 明徳出版社 1991
映画で語る中国・台湾・香港 戸張東夫著 丸善ライブラリー 1991
元曲釈詞 全4冊 顧学頡・王学奇編著 中国社会科学出版社 1991
香妃考證研究 姜龍昭 1991
中国化学史話 上・下 ポピュラー・サイエンス 曹元宇 裳華房 1991
中国古代の占法 技術と呪術の周辺 坂出祥伸 研文出版 1991
中国女性 家・仕事・性 秋山洋子編訳 東方書店 1991
中国書道の基礎的研究 塚田康信著 東方書店 1991
中国新蚕農書考 「蚕務条陳」と「農学報」 池田憲司 自家本 1991
中国神話の文化人類学的研究 池田末利編 鉄井廣紀著 平河出版社 1991
中国の千年王国 三石善吉 東京大学出版会 1991
中国古代の生活史 林己奈夫 吉川弘文館 1992
中国哲学 講談社学術文庫 宇野哲人 講談社 1992
中国婚姻史 新・中国文化史叢書15  蘇冰 文津出版社 1994
中国古代文化精要 劉洪仁 巴蜀書社 2003
秦漢儒教の研究 齋木哲郎 汲古書院 2004
建安七子集 中国古典文学基本叢書 兪紹初輯校 中華書局 2005
皇朝編年綱目備要 陳均編 中華書局 2006

蝦球物語

   長編三部作。第一部、母子二人ぐらしの貧しい少年蝦球(シアチウ)は家出して浮浪児となり、香港波止場で問屋や密輸団に使われ警察につかまる。のち浮浪収容所に入ったが逃げ出し、スリ仲間にはいって、サンフランシスコ帰りの老人から大金をすりボスにわけまえをもらう。家に立ちよると、その老人が病に倒れている。それこそ、彼が幼いとき出稼ぎにいっていた父親なのであった。第二部、第三部では、ふたたび家をとび出した彼はボスの手下となり、海南島へ船で荷を運ぶ途中でてんぷくし、大陸の岸におよぎつく。ボスは手下をみごろしにし自分だけボートで逃れたが、彼が大陸であった六路軍は立派であった。彼は浮浪仲間とともに八路軍の遊撃隊に投じ、大軍に包囲されたり、苦戦をつづけるうち、戦闘の中でしだいに成長をとげてゆくという物語。黄谷柳(1908-1971)は中国現代作家。南方日報の記者となり、広東、香港に取材する作品をもって戦後文壇に登場、「少年少女」「生命の幼笛」等があり、「蝦球伝」(1948)はその代表作。

古代中国の座位(座席の順序)

Tozaizu1_2    日本座敷の床の間はもともと上座から発展したものである。床の間は南面(北床)または東面(西床)するのがよいとされる。この礼法は「天子は南面する」という古代中国の思想からきている。中国の建物には堂と室があり、これにより異なる。

    堂は南面して建てられているので、普通、北に家長が座り、客人は南に座る。

     室とは部屋のことで、通常は東に門があり、西が上座になる。有名な鴻門の会では、項羽と項伯が東向き(西)に座した。つまり室での席次は、西、北、南、東の順となる。

(参考:岡安勇「中国古代史料に現れた席次と皇帝西面について」 史学雑誌92-9、1983年。吉原英夫「古代中国の座位」 漢文教室148   1984年)

児島高徳

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 「児島高徳」 羽石光志画

    児島高徳(生没年不詳)の実在性には疑問はあるが、備前の人、本姓は三宅、備前守範長の子といわれる。

    後醍醐天皇が隠岐に配流される途中、児島高徳は舟坂山や杉坂で救出しようと企てたが果たせず、せめて自分の覚悟なりともお知らせしたいと美作院庄(岡山県津山市)の宿所に潜入して、庭の桜の大木の皮を削って詩句を書きつけた。

天勾践を空しゅうすることなかれ。時に范蠡なきにしもあらず。

(天よ、どうか後醍醐天皇をお見捨てなきよう。天皇も范蠡のような忠臣がここにおりますことをお信じ下さい)

   翌朝、警護の武士たちが見つけて騒いでいたが、天皇はその意味がお分かりで、快げにお笑いになったという。

    1333年2月24日、児島高徳は、天皇が隠岐を脱出して船上山で旗を揚げると、一族を率いて馳せ参じ、千草忠顕や新田義貞に属して各地に転戦した。正平7年、兵を集めて入洛を企てたが、失敗した。戦いに敗れて剃髪し、志淳と称したというがその後の消息は分からない。

2017年2月23日 (木)

グーテンベルク「ワインと印刷」

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  アメリカの書誌学者ダグラス・C・マクマートリーは「人類の文化史上、重要さの点で活版印刷術の発明に勝る大きな出来事はない」と言い、イギリスの評論家トーマス・カーライルは「近代文明における偉大な3要素は、火薬と印刷と新教徒の宗教である」と言っている。

   長い間いろいろな説があったが、今日では、ドイツの金属職人ヨハネス・グーテンベルク(1399-1468)を印刷術の発明者とするに異議をはさむ者はほとんどいない。グーテンベルクが発明した印刷機は、オリーヴやブドウの搾り機からヒントを得て、木製の平圧式印刷機を作った。金属の活字にインクを付け、紙に押しつける、この技術がブドウ搾り機によく似ている。その実用化は一般に1445年頃とされる。これを企業化させたのは、ヨハン・フスト(1400-1466)とペーター・シェッファ(1430頃-1503)で、彼らはグーテンベルグから未完のまま引き継いだ「グーテンベルグ42行聖書」(1455年刊)を完成させ、「聖詩篇」(1457年刊)、「48行聖書」(1462年刊)、その他数多くの書物を刊行した。(2月23日、Johannes Gutenberg)

キーツとファニー・ブローン

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  コンドッティ通りからスペイン広場はローマの中心地にあり、映画「ローマの休日」で広く世界に知られる観光地となった。イギリスの抒情詩人ジョン・キーツ(1795-1821)はこのスペイン広場近くの家で1821年2月23日に25歳の生涯を閉じた。現在はキーツ・シェリー記念館となって、キーツの髪の毛やシェリーの骨壷があるという。そういえば映画の中でアン王女(オードリー・ヘプバーン)がうわ言で詩の一節を言うのだが、新聞記者ジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)と作者がキーツかシェリーかで言い争うシーンがあ.る。「アスレーザはアクロセラニアンの山の雪のしとねから身を起こし」この詩の作者はジョーが言うとおりシェリーだそうだ。そして、映画「ローマの休日」の二人か結ばれなかったように、キーツとファニーの恋も実らなかった。

   キーツは、ロンドンのムア・ゲイト(モーゲート)85番の貸馬屋の長男として生れた。1814年からロンドンの医学校でまなび、その後、医者をこころざして、免許をとったが、開業せず、詩人になろうと決意した。1818年夏にキーツはハムステッド・ウェントワース・プレースの下宿の近くに住んでいた美しい少女ファニー・ブローンを見初め恋におちる。キーツ22歳、ブローン18歳。しかしキーツは結核を発病した。医者の勧めもあり、ファニーとの結婚を諦め、ハムステッドの下宿を大きな未練を残しながら去り、ローマを療養の地とした。しかし友人ジョーゼフ・セーバンの看病も空しく、かの地で亡くなった。

   ファニーに寄せるうた

          1 

自然という医師よ。わたしの魂から血を抜いておくれ。ああ、わたしの心から詩を取り出し安らかにしておくれ。息づまるほど切ない詩情をわたしのこの満ち溢れる胸から退いてゆくまで、おまえの祭壇にわたしを投げ出しておくれ。主題。主題。大いなる自然よ。主題をおくれ。わたしに夢を見させておくれ。わたしはここに来ておまえがそこに立っているのがわかる。冷たい冬の空のしたに私を連れ出さないでおくれ。

          2

ああ、愛する女よ。わたしの怖れと希望と悦びと息切れのするような耐え難さをすべて宿すひとよ。思えば今夜のあなたの美しさはまるで楽しい微笑を浮かべていることでしょう。うっとりと、胸のいたくなるような、奴隷的な目なざしで、あまい驚きに我を忘れて、見つめれば見つめるほど素晴らしく明るい微笑を浮かべて。

          3

どん欲な目つきで、いま、わたしの目のごちそうを食い荒らすのは誰か。わたしの銀いろの月をいま曇らせるほどしつこく見つめているのは誰か。ああ、せめてその手だけは汚さないでおくれ。どうかどうかその恋の焔を燃やしておくれ。けれどどうかおまえの心のながれを私からそんなに早くそらさないでおくれ。ああ、わたしのために哀れと思ってあなたの高鳴る胸の動悸をとっておいておくれ。

          4

そいつをとっておいておくれ。愛する女よ。わたしのためにたとい音楽がみだらな思いを暖かい空気に混ぜるようとも。踊りの危険な誘惑の環のなかを飛びまわる時にも、あたかも四月の日のように。微笑み冷静でたのしくあっておくれ、美しくしかもつつましい百合の花であっておくれ。そうすればきっと暖かな六月がわたしにもやって来るだろう。

          5

まあ、それは嘘よと、あなたは言うだろう。ファニーよ。あなたの柔らな子を心臓の高鳴る真白い胸において、告白しなさい。なんでもないことだけど。女は海に浮ぶ軽い羽根のように風にゆられ波にゆられて、ふらふらしてはいけないでしょうかと。牧場からとんでくるたんぽぽの頭のように気まぐれに飛んだりしては。

          6

私にもそれはわかる。でもそれは失望です。ファニーよ、わたしのようにあなたを愛しているものにとっては、わたしの心はどこへでもあなたを求めて飛びまわり、あなたが外にぶらりと出かけるとわたしの心はわびしくて落ちつかない。愛。愛だけが厳しい、多くの苦痛をもっている。だから恋しいひとよ、どうか、苦しい嫉妬から私を自由にしておくれ。

          7

ああ、もしあなたが哀れな色褪せた短かい一時間の誇りよりわたしの押さえた魂をほめてくれたら、誰にもわたしの恋の神聖な座を汚させはしない。また荒々しい手で秘跡のパンを裂かせることも許さない。誰にもまたその新しく芽を出したばかりの花に触れさせない。もし触れたら恋人よその失われた休息のうえに、わたしの目を閉じさせておくれ。(出口泰生訳)

2017年2月22日 (水)

ライチと楊貴妃

   ライチとは中国で「茘枝(れいし)」と呼ばれるムクロジ科の果物で、原産地は中国華南地方。漢代から栽培されている果物のなかの珍品で、栄養価が高く美容にもすぐれ、唐代には朝廷への貢ぎ物として知られていた。ある日、玄宗皇帝は楊貴妃に欲しいものはないかと聞くと、楊貴妃は「ライチが食べたい」と答えた。すると、皇帝は早速、使者を遣わして、2000㎞離れた嶺南の地から、ふつう数十日かかるところを7日間で運搬された。このライチ事件は皇帝の寵愛を一身にあつめた楊貴妃の「傾国の美女」のエピソードとして広く伝えられている。おなじNHKの番組でも「ザ・プロファイラー」はライチは華南の産だが、「中国王朝よみがえる伝説」で楊一族の故地・蜀のライチで、「ライチの道」といわれる蜀の物産が都に運ばれるルートがあったと説いている。

マイケル・ケイン

   マイケル・ケインは英国出身でスターとしての派手さはないが、「ハンナとその姉妹」「サイダーハウス・ルール」でアカデミー助演賞を受賞している大ベテラン俳優。本名はモーリス・ジョゼフ・ミクルホワイトというが、テロが頻発するようになり、米国入国審査で長時間待たされるのが嫌で本名をマイケル・ケインに変えたという。

そのマイケル・ケインの1978年のパニック映画「スウォーム」を観る。ハチの大群が人間を襲う恐怖を描く。とてもB級作品とは思えない豪華な出演スターたち。「卒業」のキャサリン・ロス。「荒野の決闘」のヘンリ・フォンダ。「アラモ」のリチャード・ウィドマーク。「奇跡の人」のパティー・デューク・アスティン。「新猿の惑星」のブラッドフォード・ディルマン。「将軍」のリチャード・チェンバレン。「風と共に去りぬ」のオリヴィア・デ・ハヴィランド。「幌馬車」のベン・ジョンソン。「ラブ・バック」のフレッド・マクマレー。「赤い風車」のホセ・ファーラー。「回転木馬」のキャメロン・ミッチェル、「シャンプー」のリー・グラントなどハリウッド黄金時代を飾るスターたちの玉手箱だ。

英単語1000

  「jazznocrazy」という英単語がある。いろいろ大辞典を調べてみたが出てこない。jazz(ジャズ)+crazy(気違い)で、「ジャズの夢中になって」という意味らしい。1935年のスイングジャズバンド・James Kokの楽曲の一つにある。

abortion   妊娠中絶

adrenaline  アドレナリン

apathy     無関心

ambiguous   曖昧な

amniotic fluid   羊水

bad loan  不良債権

budget  予算

bond    債権

bribe    賄賂

conflict   紛争

conservative   保守的な

convex glasses  老眼鏡

counterfeit   贋作

customs  関税

deplorable   嘆かわしい

dick       (けなして)ばか

discarding   廃棄

dodecaphony  十二音技法

deportation  国外追放

ecosytem    生態系

election    選挙

equity     株式

extremist  過激派

government bond 国債

gross     (けなして)でぶの

fiscal deficit  国債

fiscal policy  財務政策

frostebite     霜焼け

gravity         重力

hazard         危険

impatience    せっかち

inaguration    就任

layoff           一時帰休

lawsuit         訴訟

recession     景気後退

sludge         ヘドロ

sneeze        くしゃみ

subsidy       助成金・補助金

swarm          昆虫の群れ

tax cut          減税

tax reform     税制改革

tax rise         増税

thriller          スリラー小説

treaty           条約

kickback       リベート

memorization     暗記

mirage         蜃気楼

monetary policy  金融政策

money laundering  資金洗浄

polyacrylamide   ポリアクリルアミド

press           マスコミ

prickly heat   あせも

registration   登記

ridge            山の背、尾根

annual rings   年輪

古代エジプトの「生類憐れみの令」

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 古代エジプトでは猫もミイラになった(大英博物館)

  人間と最も身近な動物といえば、まず「ネコ」である。2月22日は「猫の日」。野生の猫は、5000年も昔に、最初は穀物をネズミの害から防ぐ目的などで飼い馴らされたらしいが、のちにこまやかな情愛を注がれたペットとしての家猫が現れる。

    大河ドラマ「平清盛」には白河法皇が仏教の教理に従って殺生を禁じているシーンがある。「生類憐れみの令」のような禁令は徳川綱吉が初めてではなかった。古代エジプトにも、猫を殺すと死刑にされるという時代があったそうだ。猫の頭をもった女神バステトBastedがいる。ブバスティスでは猫のミイラが多数出土し、古代エジプトでは猫を家畜化する一方で、神として崇拝するようになったことが明らかになっている。ヘロドトスによれば、「猫が死ねば、家人は悲しみを表明するために眉を剃り落とし、死体をミイラにして手厚く葬る。・・・・火事の際には、真っ先に猫を助けなければならない」と記している。こうした猫崇拝が盛んだったのは紀元前16世紀から紀元前11世紀の新王国時代や紀元前6世紀のときが最盛期で、前525年、ペルシアのカンビュセス2世は最前列に猫を配してエジプトを攻め、矢を放つことができないエジプト軍は滅ぼされてしまったという。(本当の話とは信じ難いが)西洋の諺に「A cat has nine lives.」(猫には九生ある)とある。この起源は古代エジプトで、猫は9つの魂を持ち、9度生まれ変わることができると信じられている。当時流行のライオン狩りなどのスポーツも不信心な行いとしてみられ、バステトの祭りの期間中は禁じられていた。

乃木希典、連隊旗喪失事件

   乃木希典(1849-1912)は、明治9年、前原一誠の乱を鎮定、10年西南戦争には小倉駐屯の熊本鎮台歩兵第14連隊連隊長として熊本に進軍する。2月22日、南関・高瀬を経て向坂(熊本県植木町)で薩軍の村田三介が率いる五番大隊と遭遇する。近代的で優秀な火器を持つ乃木隊が一時優勢だったが、追いついた薩軍の伊東直ニの部隊と合流し、抜刀突撃を受けて敗れ木葉(玉名郡玉東町)に撤退した。向坂の戦いで、旗手の河原林雄太(かはらばやしゆうた)少尉の戦死により、連隊旗は薩軍に奪われた。一説によると、軍隊旗を奪ったのは伊東隊配下の下級指揮官・岩切正九郎が河原林少尉を斬り軍旗を奪い、五番隊の村田三介に渡したという。村田三介は3月12日、山鹿鍋田の戦闘で戦死している。分捕った軍旗はその後、薩軍の桂久武(1830-1878)が谷干城の立て籠もる熊本城に見せたのち、弓で降伏を勧める矢文を射たという。これが日本の戦争で弓が使用された最後だといわれる。

   この旗は桂の判断で、村田三介の夫人の村田佐和子に遺品とともに形見として贈られた。夫人は肌に巻きつけたり、ふとんの中に縫い込んだりして隠して所持していたが、それでも不安なので実家の庭の小さな屋敷神の壷の中に隠していた。

    この軍旗は、薩軍によって熊本城北面の花崗岩に翻され、城兵を嘲弄する種にされた。軍旗を失った乃木はひたすら奪還しようとするが、部下の諌められて取り戻すことができなかった。連隊旗喪失の待罪書を提出し処断を乞うたが許されず、その後、乃木は「死」を願ったという。明治10年9月24日には城山は陥落した。

   歩兵第14連隊に天皇の特旨をもって軍旗が再下賜されたのは、明治11年正月のことであった。その後、鹿児島警察の赤木良彦のもとに奪われた軍旗が村田三介の未亡人が所持しているという折田三之助からの有力情報を入手した。尋問したところ、はじめ佐和子は抵抗したが「子供を殺す」と脅かすと白状した。明治11年1月24日のことであった。村田佐和子のその後の詳しいことは福岡で暮らしたということ以外は判らない。密告者の折田三之助、警察の赤木良彦についてもその後の詳しいことは判らない。

2017年2月21日 (火)

最初の電話帳

Photo_2    1876年グラハム・ベルが電話を発明したわずか2年後の1878年2月21日、アメリカ・コネチカット州ニューへブンで世界初となる電話帳が発行される。

    日本で初めて電話帳が発行されたのは1890年10月のことで、197件の加入者が1枚の紙に印刷された「電話加入者人名録」だった。電話番号1番は東京府庁、2番が逓信省電務局。個人は69名が掲載されており、渋沢栄一、大隈重信、後藤象二郎、岩崎弥太郎、前島密、大倉喜八郎など著名人が登録されていた。(Connecticut,old telephone book)

 

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 日本最初の電話帳「電話加入者人名録」 

 

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 世界最初の電話帳

 

2017年2月20日 (月)

小林多喜二をめぐる女性

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   田口タキ               森熊猛と伊藤ふじ子

  多喜二忌。小林多喜二をめぐる女性といえば、小樽時代の田口タキ(1907-2009)が知られているが、東京でのわずか2年間の地下活動を支えた伊藤ふじ子についてはわからないことが多い。しかし、二人は実際に結婚し、昭和7年夏には母親を郷里から呼び寄せてしばらくいっしょに暮らしていたらしい。

   小林多喜二は高等学校時代から志賀直哉を尊敬していた。死ぬ2年ほど前に、志賀を奈良に訪ねたことがある。志賀は将棋か麻雀でもしよう、と言うと、小林はやれないと答えるので、ふたりはちょうど桜の咲いているあやめが池の遊園地へ子どもづれで散歩にいった。そのとき、小林はみちみち拷問の話をしたという。それまでも二人に文通はあったが、小林が志賀に会ったのはその一度だけだった。それが昭和7年の4月のことである。帰京後、小林は宮本顕治らと地下活動にうつり、文化・文学運動の再建に献身する。そのころ、伊藤ふじ子と結婚し、麻布東町(:現・南麻布1丁目)に住む。ふじ子は、銀座の文戦劇場の女優として何度か舞台に立っていたらしく、左翼運動に関心もあり、多喜二の地下活動を支えていた。伊藤ふじ子は銀座の図案社に勤め、刺繍の勉強をしていたが、10月に勤め先で検挙され、多喜二は隠れ家を飛び出して二人は二度と会うことは無かった。昭和8年1月10日、ふじ子は逮捕されたが、2週間で釈放された。ふじ子は会社を解雇されたが、解雇手当を人づてに多喜二に送り届けた。小林多喜二は昭和8年2月20日、正午すぎ築地警察特高課員により逮捕され、同署で警視庁特高中川、山口、須田の拷問により午後7時45分死亡。多喜二のお通夜、伊藤ふじ子は遺体にとりつき、顔を両手ではさんで泣きながら多喜二に接吻したという。伊藤ふじ子は、その後、森熊猛という政治漫画家と結婚。森熊ふじ子という名で生涯を終えている。

2017年2月19日 (日)

裕次郎と係船柱

Photo_3    波止場にある船を岸壁から離れないようにロープで止める杭を「係船柱(けいせんちゅう)」という。なぜか石原裕次郎が長い足を乗せているポーズがイメージされる。本当に映画のシーンにあるのはか未調査である。「俺は待ってるぜ」のスチール写真では係船柱に腰を掛けている姿が確認できる。英語では船の甲板にあるのをボラード(bollard)といい、波止場にあるのはビット(bitt)という。mooring bittともいう。(本当は逆という説もある)

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本と読書に関する名言・ことわざ・文献集

346385602_b82b599e99   印刷術が広くゆきわたるまで、写本図書の利用は一握りの学者に限られていた。刊本の図書がその数を増すにつれて、書物は万人のためにあり、民主主義の精神にとって重要であることがわかってきた。ここでは、古今東西の本と読書に関する格言・箴言・名言・文献を集めてみる。

有益な書物とは、読者に補足を要求せずにはおかれぬような書物のことである。(ボルテール)

三日、書を読まざれば、語言味わいなし。(世説新語)

単に知るのみならず、その知識に従って行動せよ。(フィヒテ)

どの時代にもそれぞれの課題があり、それを解くことによって人類は進歩する。(ハイネ)

人生の至楽は読書にあり。(永井荷風)

書物はひもとかなければ、一片の木片にすぎない。(イギリスのことわざ)

A closed mind is like a closed book,just a block of wood.

閉じられた本は塊でしかない

A book that is shut is but a block.

すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話をかわすようなものである。(デカルト)

書を読みて栄える者を見たり、書を読みて落ちぶれる者を見ず。(金言童子教)

機知に富みうちとけた言葉は永久に生命を持つ。(ゲーテ)

身体には鍛錬、心には読書。(アディソン)

この世のあらゆる書物もお前に幸福をもたらしはしない。だが書物はひそかにお前自身の中にお前を立ち帰らせる。(ヘッセ)

書物なき部屋は魂なき肉体のごとし。(キケロ)

私の実際的な読書の法則は三つある。
1.一年を経過していない本はどれも読まないこと
2.有名な本のほかは読まないこと
3.好きな本のほかは読まないこと(エマーソン)

私は人生を知ったのは人と接したからではなく、本と接したからである。(アナトール・フランス)

人生は短い。この書物を読めばあの書物は読めないのである。(ラスキン)

人の品格はその読む書物によって判断できる。それはあたかも、人の品格がその交わる友によって判断できるがごときものである。(スマイルズ)

読書百遍、義自(ぎおのずから)見(あら)わる。(魏志)

万巻の書を読み万里の路を行けば自ずと胸中に自然が映し出されるようになる。(董其昌)

読書とは、著者の魂との邂逅である。(亀井勝一郎)

読書は人間としての純粋な時間である。(亀井勝一郎)

インドの全財宝をあげても、読書の楽しみには換え難い。(エドワード・ギボン)

書物は友人と同様、数多くあるべきであり、そしてよく選択すべきである。(フラア)

読書のほんとうの喜びは、なんどもそれを読み返すことにある。(ロレンス)

読書に費やしただけの時間を、考えることに費やせ。(アーノルド・ベネット)

書物は一冊一冊が一つの世界である。(ワーズワース)

用例なき辞書は骸骨である(ヴォルテール)

書物を読むということは、他人が辛苦してなしとげたことを、容易に自分に取り入れて自己改善する最良の方法である。(ソクラテス)

本は知性のさまざまな機能に働きかける(フランシス・ベーコン)

おろかな学者は、おろかな馬鹿者よりも、ずっとおろかである(モリエール)

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   書物に関する文献目録

図書の部
倭板書籍考 幸島宗意撰 1702
官板書籍解題略 杉山精一訳 1847
日本書籍考 林羅山撰 1850
文芸類纂 榊原芳郎 1878
古梓一覧 西村兼文 1882
本朝書籍刊考 黒川真頼 1895
日本訪書誌 楊守敬 1897
国書解題 佐村八郎 1897
日本印書考 中根粛治 1899
明治出版史話 三木佐助 1901
古文旧書考 島田翰 民友社 1905
漢籍解題 桂五十郎 明治書院 1905
近藤正斎全集 近藤守重 1907
日本古刻書史 朝倉亀三 1907
徳川幕府時代書籍考 牧野善兵衛 1912
朝鮮図書解題 朝鮮総督府 1914
江戸物語 和田維四郎 1915
慶長以来書賈集覧 井上和雄編 1916
嵯峨本考 和田維四郎 1916
訪書余禄 和田維四郎 1918
製本術 島屋政一 1918
図書学概論 田中敬 冨山房 1924
典籍叢談 新村出 岡書院 1925
敦煌石室の遺書 石浜純太郎 懐徳堂 1925
書庫之起原 植松安 間宮書店 1927
京阪書籍商史 蒔田稲城 1928
書物装釘の歴史と実際 庄司浅水 1929
思想名著解題 春秋社 1929
本邦書誌学概要 植松安 図書館研究会 1929
書物の敵 庄司浅水  1930
書誌学とは何か 寿岳文章 ぐろりあそさえて 1930
装釘の常識 三村清三郎 岡書院 1930
日本訪書志補 王重民 1930
修訂建武年中行事註解 和田英松 明治書院 1930
中国図書館事業的史的研究 馬宗榮 中華学藝社編 商務印書館 1930
製本術 ブレガー著 赤坂・庄司訳 ブックドム 1931
日本蔵書印考 小野則秋 文友堂 1931
書誌学 小見山寿海 芸艸会 1931
宋元版の話 内藤虎次郎 名古屋市立図書館 1931
正徹本徒然草 川瀬一馬 文学社 1931
善本影譜 長沢・川瀬編 日本書誌学会 1931~35
好書雑載 高木文 井上書店 1932
西洋書誌学要略 橘井清五郎 図書館事業研究会 1932
粘葉考 田中敬 巌松堂 1932
成簣堂善本書目 川瀬・長沢 民友社 1932
成簣堂善本書影七十種 川瀬・長沢 民友社 1932
舊刊影譜 川瀬・長沢 日本書誌学会 1932
嵯峨本図考 川瀬・長沢 一誠堂  1932
漢籍解題1 漢文学講座2 長沢規矩也 共立社 1933
書誌学論考 長沢規矩也 松雲堂書店 1937
書誌学序説 長沢規矩也 吉川弘文館 1960
漢籍分類目録 集部東洋文庫之部 東洋学文献センター連絡協議会 東洋文庫 1967
書林清話 葉徳輝 世界書局 1968
書林掌故 葉徳輝等撰 中山図書公司 1972
書林清話・書林雑話 楊家駱主編 台湾・世界書局 1974
書誌学序説 長沢規矩也 吉川弘文館 1979
江浙蔵書家史略 呉辰伯 中華書局 1982
中国古代蔵書与近代図書館史料 春秋至五四前後 李希泌、張椒華編 中華書局 1982
書籍装幀芸術簡史 邱陵編著 黒龍江人民出版社 1984
目で見る本の歴史 庄司浅水、吉村善太郎 出版ニュース社 1984
造紙の源流 久米康生 雄松堂 1985
書物に関する名句・名言・名文 エンカイリーディオン アリグザーンダー・アイアランド編 タングラム 1986
簡明中国古籍辞典 呉楓編 吉林文史出版社 1987
中国古代図書館事業史概要 来新夏 天津古籍出版社 1987
中国図書和図書館史 謝灼華編 武漢大学出版社 1987
中国蔵書史話 焦樹安著 商務印書館 1997
図書及び図書館史 寺田光孝ほか著 樹村房 1999
図説図書館の歴史 スチュアート・A・P・マレー 原書房 2011

論文の部
写本時代と板本時代とに於ける支那書籍の存亡聚散 市村瓚次郎 史学雑誌第13編1・3号 1902
唐以前の図書 那波利貞 歴史と地理2-2  1918
支那における図書館事業 岡野一郎 支那研究5 1923
書帙の歴史 那波利貞 歴史と地理19-3・4・5 1927
支那書籍小史 1・2・3 長沢規矩也 書誌学1-4・5・6 1933
清代図書館発展史 譚卓垣著 西村捨也訳 図書館研究14(2)~(4) 1941
中国図書館の沿革及び現況 兪爽迷 書香128  1941
国立北京図書館の概況に就いて 法本義弘 支那文化雑攷 1943
毛沢東戸図書館 平和彦 読書春秋4-11 1953
中国図書館の揺籃時代 松見弘道 図書館界6-5  1954
中国の文教政策 内田幸一 日本及び日本人 1954
転期に立つ中国の図書館活動 図書館雑誌51-3  1957
記録の文化史 小倉親雄 図説世界文化史体系別巻 1961
年表図書館物語 矢島玄亮 東北地区大学図書館協議会誌13,14,15  1962-63
図書・図書館の歴史(断章) 中村初雄 早稲田大学図書館紀要4  1963
唐本の値段 餘自録 大庭脩 東洋史研究24-4  1966
洛図洛書の一考察 原田正己 早大・東洋文学研究6  1967
支那における図書館の誕生 長沢規矩也 書誌学11  1968
中国図書館学史序説 加納正巳 静岡女子大研究紀要3  1970
中国における著作意識の発達 石田公道 図書館界21-5~23・4 1970~71
香港の図書館 木村宗吉 日本歴史270  1970
古代中国図書史 木村靖 文化史学26  1971
図書館に就いて 内藤湖南 大阪朝日新聞明治33年11月29・30日 (内藤湖南全集3所収)  1971
北周の麒麟殿と北斉の文林館 山崎宏 鈴木由次郎博士古稀記念東洋学論叢所収 1972
清代の官書局の設置について 大西寛 長沢先生古稀記念図書学論集 1973
書禁と禁書 宮崎市定 アジア史研究2所収 1974
中国に於ける図書館事業史(1) 漢代の図書館事業 宮内美智子 青葉女子短期大学紀要1  1976
中国本ものがたり1~8  劉国鈞著 松見弘道訳 東海地区大学図書館協議会誌22  1977~78
中国の図書館事情 各地の図書館を参観して1 中原ますえ びぶろす29-11  1978
中国における図書分類法 井坂清信 参考書誌研究17  1979
図書館起源小記 黎紅 広西大学学報1979年第3期 1979
秘閣図書の源流について 神田喜一郎 「芸林談叢」所収 1981
洛陽の紙価 小池秋羊 東西交渉1 1982
中国に於ける刻書事業 宮内美智子 青葉女子短期大学紀要7 1982
禁書に関する二三の資料 長崎聖堂文書研究1 大庭脩 史泉40 1970
篠崎小竹旧蔵の「欽定四庫全書拾遺目録」について 大庭脩 近世大阪芸文叢談 1973

アンドレ・ジード忌

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    私は書棚から一冊の本を抜き出して、それを読んだ。そしてその場所に納めた。私はその本を読んだことさえ忘れていた。しかしそれを読んだ後の私は、もはやそれを読む以前の私ではなかった。(アンドレ・ジード)

 

  *  *  *  *  *  *  

 

   アンドレ・ジード(1869-1951)は早くからマラルメ、ヴァレリーと知り合い、象徴派風の作品を書くが、すぐに脱し、生命の歓喜、自由を追求した多くの小説を発表、簡潔明快な文章は美的完成度が高い。1951年2月19日、ジッド死去。

熊本城天守閣炎上の謎

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 熊本城激戦図錦絵(部分)

    天下の三名城の一つにうたわれた熊本城は加藤清正の築城、慶長12年(1607年)以来270年、戦場となることは一度もなかった。ところが日本最後の内戦である西南戦争において、熊本鎮台が薩摩軍の精鋭を迎え撃つ壮絶な攻防戦が明治10年2月22日から繰り広げられた。

   薩摩軍四番大隊長・桐野利秋(1838-1877)は手にした杖のかわりの竹をひと振りし、「熊本城は、これをひと振りすれば一気にも陥ちもす」と豪語した。桐野利秋、池上四郎らは正面軍を指揮して攻撃したが、熊本城の守りは固かった。熊本鎮台司令長官・谷干城(1837-1911)は樺山資紀を参謀として鎮台をよくまとめ、薩軍と交戦し、籠城すること50余日が過ぎても陥落することはなかった。

   この西南戦争熊本城攻防戦での最大の謎は天守閣の炎上であろう。話はさかのぼるが、いよいよ薩摩軍総攻撃の3日前、すなわち明治10年2月19日、午前11時40分、本丸二の天守付近から原因不明の出火により天守閣と本丸御殿一帯は全焼した。出火原因としては①台所からの失火説、②薩軍の放火説、③鎮台自ら火をつけたとする自焼説、がある。食糧として蓄えられていた米1251表が焼け跡から出てこなかったことなどから、③の自焼説が有力である。つまり、熊本鎮台司令長官・谷干城が児玉源太郎(1852-1906)に命じて放火させたともいわれている。現在の天守閣が復元されたのは昭和35年のことであった。平成28年の地震により、熊本城は甚大な被害を受け、その復旧・復元には20年以上の長い年月がかかるといわれている。

世界で最初に運転免許証が発行された国はどこ?

Desire10   1893年8月、フランスのパリ警察条例で、自動車の運転には運転免許証の携帯が義務付けられるようになった。1903年にはイギリスでも自動車運転免許制度が採用されるようになった。わが国の運転免許制度が制定されたのも意外と早く、1907年2月19日である。自動車運転規則「自動車取締規則」が定められた。

2017年2月18日 (土)

地球外生命はいるのか?

Photo_3   英科学誌ネイチャーで、土星の衛星の1つ「エンケラドス」に生命が生息できる環境が存在するという研究結果が発表された。またNASAは2013年3月12日キュリオシティーが採取した火星の岩のサンプルを解析した結果、かつて火星には生命に適した環境があったと発表した。2010年から世界11ヵ国の天文台や大学などの機関が地球外知的生命体探査「ドロシー計画」を実施している。

    イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は天の川銀河(当時の全宇宙)の星を観測して、太陽系は銀河系のほぼ中心に位置すると考えた。そして音楽家でもあったハーシェルは太陽系の惑星の配列と音楽理論とを結びつけ、すべての惑星には生命はもちろん文明が存在すると考えていた。1880年頃、イタリアで火星図がつくられた。このとき、直線状の模様「すじ」が描かれ、「すじ」は、イタリア語で「カナリ(canali)」といい、これがフランス語に訳されるとき「canal(運河)」となって伝わった。そして運河のような構造物をつくることができる文明があったとされ、「火星に知的生命がいる」という考えが広まった。そのころH・G・ウェルズが火星人が地球を攻めてくるという「宇宙戦争」(1898)が発表されて、宇宙人というとタコのような生物というイメージができた。

    1781年、ハーシェルは天王星を発見した。1846年にはフランスのユルバン・ルヴェリエ(1811-1877)とイギリスのジョン・クーチ・アダムズ(18119-1892)が海王星を発見した。太陽系のうち最も遠くにある冥王星は2006年に惑星からはずされたが、パーシバル・ローウェルの遺志を受け継いだクライド・トンボー(1906-1997)が1930年2月18日に発見した。(William Herschel,Urbain Verrier,John Couch Adams,Clyde Tombaugh,Mars,Urnus,Neptune,Pluto)

現代社会と情報化

4e781b2ca4aaefce0486765a023e3b37   現在、情報社会の進展によって、インターネットやスマホを毎日利用する人は、およそ8割以上の人が毎日1回以上、ネットを利用している。まさに高度情報社会である。これほど人がテレビなどのように受け身で情報を得るのではなく、自ら必要な情報を求める時代になるとは誰が予測したであろうか。わたしは「情報化社会」とか「情報社会」とか言われ出したのはいつ頃から調べたくなった。情報が新たな行動を起こすための原動力となりうるものとして意識されるようになったのは、1950年代以降のことである。

NPLサーチで「情報社会」をキーワードにして検索すると、初期の文献がヒットする。

1967年 川添登「情報社会と思想の自立」 展望107

1968年 増田米二「情報社会入門:コンピュータは人間社会を変える」

1969年 林雄二郎「情報化社会:ハードな社会からソフトな社会へ」

 林雄二郎の著書は有名で「情報化社会」をわが国で最初に紹介したといわれる。しかし、それ以前からビジネスの世界では「情報収集」が企業の存立にとても重要との認識が広まっていた。それは1960年代の高度成長期であり、有田恭助の「情報の集め方」(カッパ・ビジネス、1964年)は梶山季之の産業スパイ物のブームを背景にベストセラーとなった。書き出しは「人間の一生は、情報収集の連続である。私たちは、この世に生を受けたときから、死に至るまでのあいだ、つねに、外部の情報を集め、それを分析して行動を決める、という仕事を行なっている」。著書は産業スパイが反社会的行為であり、いかに正々堂々と情報を収集するか、その意義を説いている。いまのような情報検索システムが普及する以前は、図書館の目録カードがこの役割を果たしていた。わたしは1970年代に図書館の整理業務にたずさわり、目録の編成に心血をそそいだ。しかし、書名目録、分類目録は機能したが、主題から検索できる件名目録は充分な成果をあげることができなかった。件名目録は日本図書館協会より刊行された基本件名標目表にある統制語によって構成される。つまり今のネット検索のように何でも思いつくワードで検索できるのではなく、限定されたワードしかヒットしない。利用者も件名目録の特性を十分に理解する人はなく、件名目録が十分に活用した図書館はほとんどなかった。現在このBSHが現場でどれくらい活用されているかしる由もないが、おそらく自然消滅のような状態になっていのだろう。しかし図書館における検索機能が何らかの形で現代の情報検索機能に反映されているものと思っている。

2017年2月17日 (金)

戦争の世界史・早わかり年表

300px131_bataille_de_malazgirt  現職のアメリカ大統領として初めて、オバマ大統領が広島を訪れた。17分に及ぶスピーチは人類と戦争の歴史から語られ始められた。「どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭、衰退しました。人々は支配され、解放されました。それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。広島と長崎で残忍な終わりをみた世界戦争は、裕福で力のある国によって戦われました」

   そして今も世界と日本が、激しく変革している。数千年以上の太古の昔から今日まで、人類の歴史は戦争の繰り返しの歴史といえる。戦争は何故起こるのか。最近の考古学的知見によると、世界のどこでも旧石器時代の男子の死者のおよそ15%は殺人によって死亡している。これは人類の顕著な特徴であり、食糧や雌をめぐる争いはどの動物にもあるが、このような激しい戦いはみとめられない。人類が道具を使うことにより、武器による先制攻撃が優位となること、確実に勝てるという合理的行動が戦闘をひきおこすのである。こうして戦争はいつの時代も絶えることなく繰り返される。戦争の原因も民族・宗教にイデオロギーが加わって、世界各地でテロが発生した。集団的自衛権を容認する安保法制が成立し、日本も紛争にまきこまれるようになった。2016年7月、ダッカでISに日本人7人が殺害された。

前25世紀、ラガシュの王エアンナトゥムがウンマの軍を破る

前1674年、ヒクソスのエジプト侵入(前1674~前1567)

前1620年、ヒッタイト・フルリ戦争(前1620~前1325)

前1457年、エジプト王国のトトメス3世はメギドの戦でカデシュ王率いるカナン連合軍(カデシュ、メギド、ミタンニ)を破る

前1350年、ヒッタイト王シュピルリウマ1世がミタンニ王トゥシュラクを滅ぼす

前1274年、エジプト王国のラムセス2世はカデシュの戦でヒッタイト王ムワタリに敗れる

前1200年、トロヤ戦争起こる。アカイア人の遠征軍と小アジアのトロイアの戦い

前1070年、殷の紂王は牧野の戦で、周の武王に敗れ、700年に及ぶ殷王朝は滅び、周王朝が成立する

前736年、スパルタがメッセニアを破る(メッセニア戦争)

前632年、晋の文公が城濮の戦で楚の成王を破る

前609年、ユダ王国のヨシヤがメギドの戦でエジプトのネコ2世に敗れる

前605年、ネコ2世はカルケミッシュの戦で新バビロニアのネブカドネザルに敗れる

前575年、晋が鄢陵の戦で楚を破る

前484年、呉王夫差が艾陵の戦で斉を破る

前490年、ダリウス1世 マラトンの戦でミルティアデス率いるギリシア軍に敗れる

前480年、ギリシアのスパルタ王レオニダスはテルモピュライの戦でペルシア軍を迎え撃ち、その南下を防いたが部隊は全滅する

前480年、ギリシアのテミストクレスはサラミスの海戦でペルシアの大軍を破り、クセルクセス1世は退却する

前406年、アテネがアルギスサイの戦でスパルタに勝利した

前405年、スパルタがアイゴスポタモイの海戦でアテネに勝利した

前404年、アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終わる

前394年、アテネ人コノン指揮のペルシア軍はクニドスの海戦でスパルタ(ラケダイモーン)を破る

前390年、ローマ軍クイントゥス・スルピキウスがイタリアに侵入したブレンヌス率いるガリア人セノネス族とアッリアの戦で敗れる

前371年、スパルタを中心とするペロポネソス同盟軍がレウクトラの戦でテーバイを中心とするボィオティア同盟軍に敗れる

前362年、アテネ・スパルタ連合軍がマンティネイアの戦でテーベのエパミノンダスの軍に敗れる

前343年、秦は馬陵の戦で斉の孫臏の策により大敗する。

前338年、ギリシャがカイロネイアの戦でマケドニアのフィリッポス2世の軍に敗れる

前333年、ペルシア軍がイッソスの戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前334年、ペルシア軍がグラニコス川の戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前331年、ペルシア軍がガウガメラの戦でアレクサンドロス3世に敗れる

前326年、アレクサンドロス3世はインドのパンジャブ地方まで侵攻したが、ヒュダスぺス河畔の戦で苦戦し、やむなく東方遠征をやめる。

前305年、シリア王セレウコス1世、マウリア朝チャンドラグプタに敗れる

前260年、秦の昭王が長平の戦で趙を破る

前241年、ローマ軍がアエガテスの海戦でカルタゴを破る

前220年、メディア総督モロンはアポロニアの戦でセレウコス朝のアンティオコス3世に敗れる

前216年、ローマ軍がカンネーの戦でカルタゴのハンニバルに敗れる

前202年、カルタゴのハンニバルがザマの戦でローマのスキピオに敗れる

前202年、項羽、垓下の戦で劉邦に敗れ自殺

前85年、ローマのスッラがオルコメノスの戦でポントス王ミトリダテス6世を破る

前48年 ポンペイウス、ファルサルスの戦でカエサルに敗れる

前45年、ポンペイウス派の残党がムンダの戦でカエサルに敗れる

前42年、カエサルを暗殺したブルトゥスがフィリッピの戦でアントニウスに敗れる

前31年、アントニウス、アクティウムの海戦でオクタヴィアヌスに敗れる

前23年、劉秀、昆陽の戦で王莽を破り、漢室再興を果たす

後9年、ローマ帝国がトイトブルクの戦でゲルマンに大敗する

49年、ベトナムのチュン姉妹は後漢の侵略に抵抗し、処刑される

66年、ユダヤ民族のシモン・バル・ギオラが反乱を起こす。

74年、ユダヤ民族の最後の拠点マサダがローマ軍により陥落し、ユダヤ戦争が終わる

191年、董卓と袁紹が虎牢関で激突。董卓の部下呂布が盤下で董卓を殺す。

200年、曹操、官渡の戦で袁紹を破る。

208年、曹操、劉備・孫権と赤壁に戦に敗れる。

211年、曹操が渭水の戦で馬超・韓遂らを破る。

222年、劉備率いる蜀漢軍が夷陵の戦で呉の陸遜軍に敗れる。

234年、蜀諸葛亮が五丈原の戦で魏司馬懿と対戦したが、蜀漢による第五次北伐が失敗する。

260年、ローマ軍はエデッサの戦でササン朝ペルシアのシャープール1世に敗れ、ウァレリアヌス皇帝は捕虜となる。

280年、晋軍、呉に侵攻。大勝して呉滅ぶ。石頭城の戦い。

312年、ローマ皇帝正帝マクセンティウスがローマ郊外のミルウィウス橋の戦(サクサ・ルブラの戦)で副帝コンスタンティヌス1世に敗れる

313年、東のローマ皇帝マクシミヌス・ダイアがツィラッルムの戦でリキニウスに敗れる

363年 ローマ皇帝ユリアヌスが、ササン朝の首都クテシフォンの城壁まで進撃するが、城を落せず撤退する

376年、ローマ皇帝ヴァレンスが、アドリアノーブルの戦で西ゴートに敗れ、戦死。

383年、前秦の符堅が淝水の戦で晋の謝石・謝玄に敗れる

451年、フン族の王アッティラ、カタラウヌムの戦で西ローマ軍のアエティウスに敗れる

486年、クロヴィス率いるフランク族がソワソンの戦で西ローマを破る

627年、ササン朝ペルシアのコスロー2世はニネヴェの戦でへラクリウス率いる東ローマ軍に敗れる

642年 ヤズデギルド3世 ニハーヴァンド(ネハーヴァンド)の戦でアラブ軍に敗れる

663年、日本軍は白村江の戦で唐軍に敗れ、百済滅ぶ

722年、ペラヨがコバドンガの戦でイスラム軍に勝利する。

732年、サラセン軍、ツール・ポワチエの戦でフランク王国カール・マルテルに敗れる

751年、唐の高仙芝、イスラム軍とタラス河畔に戦う。サラセン軍に捕らわれ、製紙法を伝う

756年、唐の玄宗は潼関の戦で安禄山に敗れる

811年、東ローマ皇帝ニケフォロス1世はブリスカの戦でブルガリアに敗れ、戦死した。

849年、ナポリ・アマルフィ・ガエータなどの艦隊がオスティア沖でイスラム艦隊を破る。

955年、ハンガリーのマジャール軍がレヒフェルトの戦で東フランク王国オットー1世に敗れる

1057年、スコットランド王マクベスはランファナンの戦でマルカム3世に敗れ死没する

1063年、イタリアの中世都市国家ピサがパレルモ沖の海戦でイスラーム艦隊に大勝する

1066年、イングランド王ハロルド2世がへースティングズの戦でノルマンディー公ウィリアム1世に敗れる

1071年、ロマノス4世ディオゲネス マンジケルトの戦でセルジューク朝に敗れる

1107年、高麗の尹瓘が女真を討ち9城を築くが(尹瓘九城の役)、翌年に撤退する。

1176年 神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がレニャーノフの戦でロンバルディア同盟軍に敗れる

1187年、ギード・リュジニャン率いるエルサレム王国の十字軍がヒッティーンの戦でサラーフ・アッディーンに敗れる

1201年、チンギス・カンはコイテンの戦でジャムカを破る

1214年、仏王フィリップ2世が、ブーヴィーヌの戦で神聖ローマ帝国、英国連合軍に勝利する

1219年、モンゴル軍はホラズムに侵攻し、翌年にはサマルカンドを攻略する

1223年、モンゴル軍はカルカ川の会戦でロシア軍を破る

1241年、シュレージェン公ハインリヒ2世はリーグニッツ(ワールシュタット)の戦でバトゥが率いるモンゴル軍と戦い、大敗し、戦死した。

1260年、フィレンツェがモンタベルティの戦いでシエーナ軍に敗れる。

1260年、モンゴル軍のフレグはアイン・ジャールートの戦でマムルーク朝のバイバルスに敗れる。

1268~1274年、モンゴル軍は襄樊の戦で南宋を滅ぼす。

1274年、モンゴル軍、日本に遠征するが失敗(文永の役)

1278年、モンゴル軍、ポーランド・ドイツ連合軍を破る

1279年、厓山の戦い、南宋が滅ぶ

1281年、モンゴル軍、日本に遠征するが失敗(弘安の役)

1284年、ピサがメロリアの海戦でジェノバに大敗。

1288年、ドカン率いるモンゴル軍は白藤江の戦いで陳国峻率いるベトナム軍に敗れ、モンゴルのベトナム侵攻は失敗におわる。

1298年、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世はゲルハイムの戦で長子アドルフを殺す

1302年、フランス王フィリップ4世はクルトレー(コルトレイク、金拍車)の戦でフランドル市民軍に敗れる

1314年、エドワード2世率いるイングランド軍がバノックバーンの戦でロバート1世のスコットランド軍に敗れる

1337年、英仏の百年戦争がおこる

1346年 フランス王フィリップ6世、クレシーの戦でエドワード3世に敗れる

1356年、フランス王ジャン2世はポアティエの戦でイギリス王エドワード黒太子に敗れる

1363年、明の朱元璋は鄱陽湖の戦で元の陳友諒を破る

1369~70年 エドワード3世、フランス王シャルル5世に敗れて獲得した領土の大部分を失う

1380年、タタール軍はクリコヴォの戦でモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイに敗れる。

1380年、ジェノバがキオッジャの海戦でヴェネツィアに完敗する。

1388年、ハプスブルク家アルブレヒト3世、ネーフェルトの戦いでスイス自由連邦に敗れる

1389年、オスマン帝国のムラト1世がコソボの戦でセルビアを破る

1396年、ハンガリー王ジギスムント率いるヨーロッパ諸国軍がニコポリスの戦でバヤズィト1世率いるオスマン帝国軍に大敗する

1402年、バヤズィト1世率いるオスマン帝国がアンカラの戦でティムールに敗れる。バヤズィト1世は捕虜になり、翌年自害する

1410年、ポーランド・リトアニア連合軍がグルンヴァルトの戦でドイツ騎士団を破る

1415年、フランス軍がアジャンクールの戦いでヘンリー5世率いるイングランド軍に敗れる。

1419年、ボヘミアのフス戦争(~1434)。フス派の勝利。

1429年、イングランドのジョン・タルボットはパテーの戦でジャンヌとリッシュモン元帥の軍に敗れ、捕虜となる。百年戦争の仏軍の初めての勝利であった

1444年、オスマン帝国のムラト2世はヴァルナの戦でハンガリー王国を破る

1450年、イングランド軍はフェルミニーの戦でフランスに大敗する。

1453年、イングランド軍はカスティヨンの戦でフランスに敗れる

1453年、東ローマ帝国コンスタンティノス11世 メフメト2世のオスマントルコ軍に攻められコンスタンティノープル陥落

1455年、ヨーク公リチャードはサマセット公エドムンド率いるランカスター派をセント・オールバーンズの戦で破る。30年にもわたるバラ戦争(~1485年)の最初の戦い。

1460年、バラ戦争、ウエイクフィールドの戦い。

1477年、ブルゴーニュ公シャルル(豪肝公)がナンシーの戦いで戦死

1485年、ヨーク派のリチャード3世はボズワースの戦でランカスター派のヘンリー7世に敗れる

1503年、フランスはチョリニョーラの戦、ガレラノの戦でスペインに敗れる

1507年、ポルトガルのインド総督アルブケルケ、ペルシャ湾口の香辛料集散地ホルムズ島を占領した。

1509年、フランシスコ・デ・アルメイダ率いるポルトガル海軍がディウ沖海戦でイスラム教徒のマムルーク朝、クジャラート・スルタン朝及びカリカットの領主ザモリンの連合海軍を破る

1514年、サファヴィ朝ペルシャ軍イスマーイール1世がチャルディラーンの戦でオスマン帝国セリム1世に敗れる。

1515年、仏王フランソワ1世がミラノのスイス傭兵軍とマリニャーノで戦う。

1519年、スペインのコルテスがタバスコの戦でインディオに勝利し、メキシコを征服した。

1521年、独帝カール5世と仏王フランソワ1世との間にイタリア戦争始まる。

1524年、フランケンハウゼンの戦で農民軍が諸侯軍に敗れて壊滅し、ドイツ農民戦争が終結する

1526年、インドのロディ朝がパーニーパットの戦でムガール帝国のバーブルに敗れる

1526年、オスマン帝国がモハーチの戦でハンガリー王国を破る

1529年、スイスの宗教戦争、第一次カッペル戦争

1531年、第二次カッペル戦争でチューリヒのカトリック軍が勝利する。

1531年、スコットランド王ジェームズ4世が2万の軍勢を率いて国境を侵攻するが、英国軍にフロッドンの戦で大敗し、ジェームズ4世は戦死する

1531年、チューリヒの宗教改革の指導者ツヴィングリがカベルの戦で戦死

1538年、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇連合軍はプレヴェザの海戦でオスマン帝国と対戦するが、連語国側は統制がとれずに敗れる。

1546年、シュマルカルデン戦争がはじまる。

1547年、プロテスタント軍がミュールベルクの戦で神聖ローマ軍に敗れる

1558年、リヴォニア戦争(~1583)。

1562年、ユグノー戦争

1571年、オスマントルコ海軍がレパントの海戦でスペイン国王フェリペ2世に敗れる

1587年、スペイン王フェリペ2世の無敵艦隊(アルマダ)がプリマス沖、カレー沖の海戦でイギリス艦隊に敗れる

1593年、オスマントルコ帝国ムラート3世の宰相ハサン・パシャは、シサクの戦でクロアチア軍に敗れる

1593年、ハプスブルク家とトルコの十五年戦争(~1606)。

1593年、小早川隆景らが李如松率いる明軍を碧蹄館の戦いで破る

1618年、三十年戦争

1619年、ヌルハチ率いる後金(のちの清)がサルフの戦で明を破る

1620年、白山の戦。

1631年、神聖ローマ帝国がブライテンフェルトの戦でグスタフ2世アドルフ率いるスウェーデンに敗れる。

1632年、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン率いる神聖ローマ帝国がリュッツェンの戦でグスタフ・アドレス2世(スウェーデン)の軍に敗れる。

1632 年、ロシアがスモレンスクの戦でポーランドの軍に敗れる。

1640年、ポルトガルの貴族ブラガンサ公ジョアンらがリスボンのスペイン王宮を襲撃、ポルトガル王政復古戦争が始る。

1641年、清のホンタイジが松山・錦州の戦で明を滅ぼす

1644年、チャールズ1世がマーストンムーアの戦でクロムウェル率いる議会軍に敗れる。

1645年、イギリス、ルーパート王子軍がネーズビーの戦でクロムウェルの議会軍に敗れる。

1653年、ポートランドの海戦(第一次蘭英戦争)

1659年、ロシア大公アレクセイ3世がコノトプの戦でウクライナ・コサック軍に敗れる。

1672年、フランス・オランダ戦争始まる。

1675年、デンマーク・スウェーデンでスコーネ戦争始まる(~1679年)。

1685年、清の康熙帝はロシアが東方に進出して黒竜江流域にきずいたアルバジン城を奪回した。

1688年、フランスのルイ14世が神聖ローマ帝国領のファルツ公家の継承問題に介入してファルツ戦争(~1697年)が始まる。

1697年、オスマン帝国がゼンタの戦でオーストリア軍に大敗する。

1700年、スウェーデンがナルヴァの戦でロシアに勝利する。

1701年、スペイン継承戦争始まる。

1709年、スウェーデンのカール12世、ポルタヴァの戦でロシアに敗れる。

1712年、スウェーデンがガーデブッシュの戦でデンマークに敗れる。

1714年、ロシアのピョートル1世がハンゴ沖海戦でスウェーデンを破る。

1721年、スウェーデンとロシア・デンマークを中心に行われた大北方戦争(1700-1721)が終る。ニスタット条約を締結。

1722年から1725年までラル神父戦争。アメリカ東部植民地とインディアンの戦い。セバスチャン・ラルがノリッジウォックの戦いで戦死。

1733年、ポーランド継承戦争始まる。

1740年、オーストラリアのマリア・テレジアが即位し、オーストラリア継承戦争始まる。

1741年、マリア・テレジアがモルヴィッツの戦でフリードリヒ2世のプロシアに敗れる。

1745年、フランスがフォントノワの戦で英蘭墺連合軍に勝利する

1756年、ヨーロッパで七年戦争始まる。

1757年、プロイセンのフリードリヒ2世がロスバッハの戦、ロイテンの戦でオーストリアを破る。

1757年、フランス勢力と組んだベンガル太守のシラージュ・ウッダウラはプラッシーの戦でロバート・クライブ率いるイギリス軍に敗れる。

1759年、プロイセン軍がクネルスドルフの戦でロシア・オーストリア連合軍に敗れる。

1764年、イギリス東インド会社がインドのブクサールの戦でムガル帝国を破る。

1775年、アメリカ独立戦争始まる。

1777年、英軍バーゴイン将軍がサラトガの戦で米植民地軍に敗れる。

1781年、チャールズ・コンーウォリス率いるイギリス軍はヨークタウンの戦でジョージ・ワシントン率いる独立軍に攻囲され敗れる。

1781年、インドのポルト・ノヴァでマイソール王国はイギリス軍に敗れる。(第二次マイソール戦争の1つ)。

1789年、フランス革命起こる。

1793年、フランス軍はナポレオン率いる革命軍にツーロン要塞の攻撃で敗れる。

1796年、オーストリア軍がカスティリオーネの戦でナポレオン軍に敗れる。

1798年、オスマン帝国がピラミッドの戦でナポレオン軍に敗れる。

1800年、オーストリア軍がアルプスを越えて侵攻したナポレオン軍にマレンゴの戦で敗れる。

1805年、オーストリア・ロシア連合軍がアウステルリッツの三帝会戦でナポレオンに敗れる。

1805年、ナポレオン、トラファルガルの海戦でイギリスのネルソンに敗れる。

1806年、プロシア軍がイエナ・アウエルシュタットの戦でフランス軍に敗れる。

1809年、ナポレオン、ワグラムの戦でオーストリア軍に大勝する。

1812年、モスクワに遠征したナポレオンがクトゥーゾフ将軍のロシア軍とボロジノの戦で交戦。10万人の犠牲を出したが勝敗は決せず。

1813年、ナポレオン軍がライプチヒの戦でプロイセン・オーストリア・ロシア連合軍に敗れる。

1814年、アメリカ軍はブラーデンスバーグの戦でイギリス軍に敗れ、ワシントンのホワイトハウスなどの建物が焼失した。

1815年、ナポレオン、ワーテルローの戦でイギリス・プロシア連合軍に敗れる。

1815年、米英戦争ニューオーリンズの戦でイギリス軍はアンドリュー・ジャクソン率いる5千人の兵に敗れる。

1819年、シモン・ボリバルの独立革命軍はボヤカの戦(コロンビアのボゴタ近郊)でスペイン軍に勝利する。

1821年、スペイン軍がカラボボの戦でシモン・ボリバル率いる反乱軍に敗れ、ベネズエラの独立が決定した。

1824年、スペイン軍がアヤクーチョの戦でスクレ将軍率いるペルー解放軍に敗れる。

1827年、英仏露3国艦隊がナヴァリノの海戦でトルコ艦隊を破る

1839年、バーラクサイ朝アフガニスタン首長国がイギリスを討つ(第一次アフガン戦争(~1842年)

1840年、アヘン戦争(~1842年)

1848年、サルディニア王カルロ・アルベルトがクストッツァー・ノヴァラの戦でオーストリアに敗れる。これにより、イタリアの統一運動は一時中絶した。

1854年、クリミア戦争でロシアのセヴァストーポリ要塞を目指す英仏軍がアルマでロシアと交戦する。

1855年、セヴァストーポリ要塞が英仏軍の攻撃によって陥落する。

1856年、アロー号戦争(~1860年)

1860年、ガリバルディ率いるイタリア義勇軍はヴォルトルノ河畔の戦でナポリ軍を破り南イタリアを制圧する。

1861年、アメリカの南北戦争、北軍はブル・ランの戦で南軍に敗れる。

1862年、メキシコがプエフラの戦でフランスに勝利する。(フランス・メキシコ戦争1862-1867)

1863年、南北戦争、ゲッティスバーグの戦で南軍の衰勢が決定した。

1866年、イタリア海軍がリッサの海戦でオーストリア海軍に敗れる。

1866年、オーストリア帝国はチェコのケーニヒグーレツの戦(サドワの戦)でプロシアに敗れる。

1868年、アメリカ軍のカスター中佐が率いる第7騎兵隊がシャイアン族インディアンを虐殺する(ウォシタ川の戦)。

1870年、モルトケ率いるドイツ軍がグラヴロットの戦でバーゼル率いるフランス軍を破る

1870年、フランスのナポレオン3世はセダンの戦でプロイセン軍に敗れる。

1873年、アチェ-戦争、オランダがスマトラのアチェー王国征服(1904年)

1876年、アメリカ陸軍とインディアンがモンタナ州のリトルビックホーンで戦い、カスター将軍の本隊が全滅した。

1877年、露土戦争(~1878)

1885年、ビルマ王ティーボーは英緬戦争でイギリス軍に敗れ、コウバウン朝は滅亡し、イギリス領インド帝国に併合される。

1894年、日清戦争(~1895年)

1896年、イタリアのエチオピア侵攻軍がアドワの戦で大敗する。

1898年、米西戦争。7月アメリカ軍がキューバのサン・ファン・ヒルの戦いでスペイン軍を撃破する。

1899年、南ア、ボーア戦争(~1902年)。

1904年、日露戦争(~1905年)

1905年、ロシアのバルチック艦隊が日本海海戦で日本の連合艦隊に敗れる。

1911年、イタリア・トルコ戦争。イタリア敗北。

1912年、バルカン戦争(~1913年)。

1914年、ロシアがタンネンベルクでドイツに大敗。

1914年、ベルギーを突破し、北仏に進軍したドイツ軍(モルトケ)は、マルヌの戦でフランス軍(ジョッフル)に敗れる。

1914年、ロシア軍がタンネンベルクの戦でドイツ軍に包囲、殲滅される。

1915年、オスマン帝国はガリポリの戦で連合軍に勝利する。

1916年、ヴェルダンの戦、フランスは守り切った。

1916年、ソンムの戦。第一次世界大戦における最大の戦争であるが、英仏連合軍とドイツ軍がフランスのソンムで激突したが、両軍目立った戦果をあげることがなかった。

1917年、ロシア革命。

1920年、ポーランド・ソ連戦争。ポーランドの旧版図回復。

1935年、イタリア、エチオピア侵略。

1936年、スペイン内戦始まる。

1937年、日中戦争始まる。

1939年、満蒙国境線めぐりノモンハン事件。

1940年、フランス軍はダンケルクの戦でドイツに敗れ、降伏する。

1941年、太平洋戦争始まる。

1942年、ドイツの戦車軍団ロンメルは北アフリカのエル・アラメインの戦で英軍モントゴメリーに敗れる。

1942年、ドイツ軍はソ連とのスターリングラードの戦で消耗し、これによってドイツの後退が始まる。

1943年、ドイツ軍はクルスクの戦でソ連軍に大敗。

1944年、日本はレイテ沖海戦で米軍に大敗し、事実上壊滅。

1944年、連合軍、ノルマンディー上陸作戦に成功する。

1946年、フランス・インドシナ戦争(~1954年)

1950年、朝鮮戦争が始まる(~1953年)

1954年、アルジェリア戦争始まる。

1954年、フランスはディエンビエンフーの戦でベトナム軍に敗れ撤退する。

1959年、チベットで反中国暴動。

1963年、インドネシア、マレーシア戦争(~1966年)

1967年、ビアフラ戦争(~1970年)。

1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終了。

1982年、アルゼンチンはフォークランド紛争でイギリスに敗れる。

1991年、第一次湾岸戦争。

1991年、スロヴェニア独立戦争。

1994年、ルワンダで内戦始まる。50万人が殺される。

2001年、アメリカのアフガニスタン侵攻。

2003年、第二次湾岸戦争。

Lunphanan

「チ」事項索引インデックス

500_13380787    「チンダル現象」閉め切った雨戸のすきまから入る日の光や、映写機からスクリーンへ送られる光が、ひとすじの明るい通路を示していることがある。その中には、無数のほこりのきらめきが見られる。光の通路が見えるのは、空間にうかぶ無数の微粒子によって散乱された光が目にはいるためで、真空中では見られない。このように、空気中・液体中にういている微粒子に光のたば(光束)があたって、その通路のかがやいて見える現象をチンダル現象といい、イギリスの物理学者ジョン・ティンダルが1850年頃に発見した。▽「チーター世代」アフリカの次代を担う⒛~30歳代の若者たちの総称。欧米に留学し、ビジネスなどの経験を積んでアフリカに戻ってくる。チーターのようなスピードという意味からきている。▽「チャコ戦争」1932年から35年まで、グラン・チャコの国境紛争によってボリビアとパラグアイ両国間に起こった戦争。▽「チェサピーク湾」バージニア州とメリーランド州に入くんだ大西洋岸の溺れ谷で、複雑な海岸線をもちカキ養殖地として有名。▽「茶湯銭(ちゃとうせん)」宋代の茶代、弁当代の意味で、一種の職務手当。▽「智異山(ちいさん)」小白山脈の南部に位置する標高1915mの名山。李成桂が1377年倭寇を破ったことでも知られる。 ▽「チョウノスケソウ」バラ科の高山植物で名は発見者の須川長之助にちなむ。▽「チューリップ時代」オスマン帝国の1718年から1730年までを指す。チューリップ栽培が流行したことからこのように呼ばれる。▽「チョゴリ」裾の短い朝鮮の婦人用上着。▽「チョンガー(総角)」独身男の卑称。▽「チョモランマ」エヴェレストのチベット語名。▽「知恩院」法然の死後、その往生の地に営まれた廟に始まる。▽「値嘉島」古代、肥前国の五島と平戸島の称。古来、朝鮮・中国航路の要地に当り、遣唐使関係の記録にも多くみえる。▽「ちはやぶる(千早振る)」とは「勢いの鋭い」「あらあらしい」の意味で、和歌では「神」にかかる枕詞。▽「チンポー族」中国雲南省に分布するチベット系の少数民族。カチン族。▽「チャクリー改革」タイのラーマ5世による教育などの近代化政策。▽「チャンキロ遺跡」ペルーの砂漠にある紀元前300年頃の遺跡。▽「チョンピ一揆」1378年フィレンツェで起こった毛織物業者による反乱。(ちちちち)

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陳朝
陳独秀
チンポー族
チンボラソ山(エクアドル)

春一番

Photo   関東では17日、春一番が吹いたと発表された。「春一番」という語は気象予報官の創作ではないらしい。だれが言い出したかわからないが、口から口に語り伝えられたらしい。平凡社の世界大百科事典によると、民俗学者の宮本常一が長崎県の郷ノ浦を訪れて語を採集し、壱岐で用いられている語として『俳句歳時記』(1959)で紹介したとある。これをきっかけに、「春一番」は新聞などで使われるようになった。

 「春一番」 英語では、the firtst spring gale、映画「七年目の浮気」でマリリン・モンローのドレスがまくれ上がるのは、「春一番」ではなくて、地下鉄の通気口から吹き上げる風だが、巨大モニュメントでは自然の風のように見える。

ビデオテープ整理

Img_1  1980年代から録画しているビデオテープが山のようにある。本当に保存するものだけを選ぶ。整理していると意外な掘り出し物を発見する。「きけわだつみの声」同名映画は伊豆肇(1950年版)と織田裕二版(1995年)の2作品あるが、後者を観る。詰め込みすぎの感はあるが、なかなか捨てられない。とくにこれぞ名作は「レナードの朝」(1990)。セイヤー医師(ロビン・ウィリアムズ)はある病院に赴任する。ここには1920年代に流行した嗜眠性脳膜炎の患者が多くいた。その中のひとりレナード(ロバート・デ・ニーロ)にドーパという物質を投与したところ効果が現れてきた。やがてレナードはポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)という娘に恋をする。ひとでで外出をしたいと思うようになるが医師たちは反対する。このことが切っ掛けで問題がおきる・・・・。

  よく映画ばかり見ていると馬鹿になるといいますが、「みる」ことと「思考」とはいったいどういう関係なのであろうか。いうまでもなく、われわれが眼という感覚器官をもっていて、映像をとおして対象と関わり合いが生ずるのである。主体としてのわれわれと客体としての対象が分裂し対立しているがために、関わり合うことが可能になる。したがって「みる」とはわれわれが対象との間につくりあげられた「イメージ」をひきだすことにある。

愛は霧のかなたに(シガ二―・ウィーバー)、葵、赤い疑惑、あこがれ、アサシン、足ながおじさん、明日に向かって撃て、雨の朝巴里に死す、雨のしのび逢い、アラモ、アンタッチャブル、アンの青春、アンネの日記、いつか見た青い空、いつも二人で、いとこ同志、イワン雷帝、美しき諍い女、海と毒薬、駅STATION、江戸悪太郎、エンド・オブ・エイジ、OK牧場の決斗、織田信長、男はつらいよ、男なら夢をみろ、オペラハット、オールイン、会議は踊る、帰らざる河、風の谷のナウシカ、家族(児玉清)、寒椿、きけわだつみの声、北の国から、昨日・今日・明日、宮廷女官チャングム、靴みがき、グッド・ウィル・ハンティング、グランド・ショウ、クリームヒルトの復讐、刑事ジョン・ブック、激突、決闘巌流島、原爆の子、恋多き女、恋と花火と観覧車、国民の創生、高校教師(アラン・ドロン)、高校生ブルース、荒野の七人、ゴースト・ニューヨークの幻、コレクター、最後のストライク(岸谷五朗)、ザ・ガードマン、錆びたナイフ、三人妻への手紙、幸福の黄色いハンカチ、細雪、JFK、ジェーン・エア、潮風のいたずら、潮風のサラ、始皇帝暗殺、シコふんじゃった、シザーハンズ、シーホーク、島の女、ジャイアンツ、シャレード、写楽、シュリ、上意討ち、ショウほど素敵な商売はない、尻銜え孫一、シルミド、白いドレスの女、次郎長富士、ジングル・オール・ザ・ウェイ、新高校生ブルース、スター・ウォーズ、世界の中心で愛を叫ぶ、新選組血風録、シンデレラ・リバティー、推定無罪、スペース・バンパイア、スリーピーホロウ、銭形平次、先生でいたい、それからの武蔵、頭上の敵機、007私を愛したスパイ、戦艦大和(1958年新東宝)、千と千尋の神隠し、総会屋錦城、大草原の小さな家、大地に産声が聞こえる、大菩薩峠、ダウンタウン物語、ダニーケイの牛乳屋、地下水道、乳の虎(桂枝雀)、父の鎮魂歌、チップス先生さようなら、ちゅらさん、血槍富士、綴方教室、冷たい月を抱く女、デランシー・ストリート、逃亡者、遠い路、徳川家康、突撃隊、トミードーシ―物語、友へチング、豊臣秀吉、七月四日に生れて、波の数だけ抱きしめて(中山美穂)、偽牧師、野菊の如き君なりき、ノッティング・ヒルの恋人、のど自慢、灰とダイヤモンド、ハウルの動く城、薄桜記、白線流し、橋、八月のクリスマス、バック・トゥ・ザ・フューチャー、初恋のきた道、初春狸御殿、ハムレット(L・オリヴィエ)、バラの素顔、ハリウッドの悪夢、ハリーポッターと賢者の石、春の日は過ぎゆく、ピクニック、羊たちの沈黙、ピノキオ、病院へ行こう、ファンシイ・ダンス、ふしぎの国のアリス、プラトーン、ふられ上手、平原児、北京の思い出、ベストフレンズ・ウェディング、ベーブルース物語、ペーパームーン、ベン・ハー、ブルーマックス、放浪記、星空のむこうの国(有森也実)、慕情、ボージェスト、ポセイドンアドベンチャー、ボディガード、炎の人、ホームアローン、ホワイトクリスマス、香港迷宮行(南野陽子)、マスカレード甘い罠、真昼の決闘、壬生義士伝、メインテーマ、めぐり逢い、モダンタイムス、屋根の上のヴァイオリン弾き、雪之丞変化、陽暉楼、ヨーク軍曹、甦える熱球、四大文明、ライトスタッフ、ライフ・イズ・ビューティフル、ラジオデイズ、ラブストーリー、竜馬がゆく、レイダース失われたアーク、レナードの朝、ロープ、若い季節、若草物語、我が道を往く。

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「頭上の敵機」(1949年)当時のグレゴリー・ペックの煙草の広告

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「星空のむこうの国」(1986年)小劇場ながら若者の心をつかみヒットを記録した

「ピクニック」(1955年)流れ者のハル、長女マッジ、次女ミリー、田舎町でおこる人間模様。

 ポーランド映画「灰とダイヤモンド」(1958年)

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「島の女」(1957年)ソフィア・ローレンの野性的な魅力が発揮されている

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「デランシー・ストリート」(1988年)30歳独身のエイミー・アーヴィング。お見合い相手は誠実なピクルス屋の主人。地味ながら恋愛映画の名作。

ルムンバの遺書

Lumumbacapuradotropasmobutu1960   コンゴという国名は2つあるので紛らわしい。ベルギーの植民地だったコンゴ民主共和国(旧ザイール)とフランスの植民地だったコンゴ共和国。1960年のコンゴ動乱というのはベルギー領コンゴのことである。初代首相パトリス・ルムンバは民族主義的な社会主義国家を目指した。その直後のベルギーの侵攻によってコンゴ動乱が起こると国際連合に保護を求めたが、アメリカを背後にしたカサヴブとモブツ大佐らのクーデターで失脚して1961年、処刑された。「わが妻よ、わたしのことで泣かないでほしい。わたしは、苦悩多き我々の国家がおのれの自由と独立をまもりぬけることを知っている。コンゴ万歳!アフリカ万歳!」と遺書に書き残している。(1月17日、2月17日)

安吾と競輪

11391   坂口安吾は1955年2月17日、高知に「安吾新日本風土記」の取材に行った直後に脳出血でこの世を去っている。まだ48歳だった。静岡県伊東に競輪場ができると安吾は夢中になった。あるとき1着、2着が写真判定となった。だが発表された着順に不服の安吾は判定写真のすり替えによる不正を沼津地裁に訴えたが、結局、判定は覆らなかった。

2017年2月16日 (木)

天気図記念日

Weather_map002   1883年のこの日、東京気象台が日本初の天気図を作成。ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピング(1844-1922)の指導のもと、7色刷りの天気図が作成された。(2月16日)

 

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 Erwin Knipping

2017年2月15日 (水)

ショート知識

公明党のコウメイとは、公明正大ではなく諸葛孔明からきている。▽「笑点」テーマソング作曲者は「上を向いて歩こう」の中村八大。▽鹿児島県の菱刈鉱山は国内唯一の金の採掘鉱床。

食中毒で死んだお釈迦さま

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  イエス・キリストは十字架磔刑の壮絶な死であったが、釈迦はどのようにして亡くなったのだろうか。前483年(前383年説もある)、80歳の老齢となって首都ラージャグリハを出て、自分の生まれ故郷のほうに向かって最後の旅に出た。途中、鍛治工チュンダの供養したキノコの料理を食べて激しい下痢をおこした。まもなく、クシーナガラ(現ビハール州カシア)の沙羅双樹の下で安らかに没したといわれる。涅槃絵は3月15日に行われる。(2月15日)

西行出家をめぐる謎

   西行忌。1190年のこの日、河内国の弘川寺(大阪府南河内郡河南町)で、73歳の生涯を閉じた。2月15日は釈迦入滅の日でもあり、この前後に亡くなることは仏教の修業をする者にとっては憧れであった。西行、俗名を佐藤義清(1118-1190)という。鳥羽上皇に北面の武士と仕えたので、平清盛と面識があったと考えられるが資料としては残っていない。西行と頼朝とは面識があったことは証明されている。西行が出家隠遁したのは、保延6年、23歳のときで、動機については古来諸説ある。①友人が急死し、無情を感じたという説②待賢門院璋子に失恋したという説③崇徳天皇への同情。

①の無常観説は、明日を約束して別れた同僚が、次の日家を訪ねてみたら死亡していたという。そして、家に帰ってみたところ、4歳になる娘が喜んでむかえてくれた。かわいいと思ったが「この思いが煩悩だ」と悟り、娘を縁の下へ蹴落とし、自ら髻を切って出家したという。②の失恋説は、女性と一夜を共にしたが別れぎわに「これきりですよ」と言われ、身分違いを痛感、世俗の秩序から離れようと出家したという。③の説は、保延6年は崇徳天皇の帝位失墜の前年であり、皇位交替をめぐる宮廷内部の情勢に義憤を感じたという。

2017年2月14日 (火)

ローマの理容師マリオ

Photo   いまBSプレミアムで「ローマの休日」(1953)をやっている。バレンタインデーにふさわしい永遠の恋愛映画。映画に登場するローマの理容師マリオ・デラーニ。字幕だとわからないが、吹き替え版ではよく「なんてま、ステキな御髪なんでしょね!」とオカマっぽくなっている。演じているのはイタリアの俳優パオロ・カルリーニ(1922-1979)。18歳で「Addio giovinezza」(1940)でデビューし、57歳で亡くなるまで多数の作品に出演している。だがやはり「ローマの休日」のマリオが印象に残る。当時は意外に若くてまだ31歳だった。サンタンジェロのダンスパーティーにアン王女を誘う。常に櫛を持参し、少しでも乱れると気になるらしい。30歳以上で「ローマの休日」を見たことない人は少ないが、パオロ・カルリーニの名前を知る人は少ない。(Paolo Carlini)

「ハ」事項索引インデックス

20090701_hailuoto    「貝多羅葉」貝多羅ともいう。かつて南アジアや東南アジアで広く使われたシュロやヤシの樹木の葉を利用した文書の材料。▽「パサロヴィッツ条約」1718年オスマントルコがオーストリア、ベネチアとの間に締結した条約。▽「バシーの虐殺」1562年に起こったユグノー教徒を多数殺傷した事件。▽「バシリク古墳群」ロシア南シベリア。スキタイ人の遺物が発見される。▽「ハガイ」イスラエルの預言者。前6世紀バビロニア捕囚から帰還後、荒廃したエルサレム神殿を再建すべきことをすすめた。▽「パイロットファーム」1956年北海道の根釧台地で機械を導入し近代経営の形態をとる先駆的な実験農場。▽「ハイアット」1870年セルロイドを発明。 ▽「半仙戯(はんせんぎ)」ブランコのことで、半分、仙人になった気分になるからとか。▽「牌符」元の駅伝制(ジャムチ)で使用された通行証。▽「ハイメ1世」イベリア半島東部のアンゴラ連合王国の王ハイメ1世は13世紀イスラム支配下の地域を征服してレコンキスタの大躍進を果たして征服王と呼ばれた。▽「バージェス頁岩」約5億500万年前の海棲動物群を化石として閉じ込めた、そのころ海底崖であったところの堆積層。発見者チャールズ・ウォルコットにちなんで命名された。▽「ハナミズキ」アメリカ原産で、大正初年に渡来し、庭などに植栽された。アメリカヤマボウシという。4月から5月、白・淡桃色の四枚の大きな花びらがあざやかである。▽「ハジチ」かつて琉球列島で女性の指から手の甲、ひじにかけて施された入れ墨。「針突」と表記する。成女儀礼、本土にさらわれないための魔除けの願いが込められている。▽「バンジュール」ガンビア共和国の首都。▽「バイオーム」生物群系。ある気候条件の地域で、それぞれの条件下での安定した極相の状態になっている動植物の集り(群集)をいう。気温と降水量が主な環境要因。バイオ(bio=生物)とオーム(ome=全体)という2つの言葉をつないだもの。▽「バージェス動物化石群」1910年にアメリカの古生物学者チャールズ・ウォルコットがカナダ南部のロッキー山脈でバージェス頁岩を発見。化石の中にはピカイアやアノマロカリスも含まれる。(はははは)

ハアバイ(群島) トンガ王国
バアルべク(レバノン)
バイアグラ
ハイアット
バイアブランカ(アルゼンチン)
梅雨
バイオーム
バイカル湖
バイキング
バイクスピーチ(山)アメリカ・コロラド州
牌符(パイザ)
背水の陣
貝多羅葉(ばいたらよう)
ハイチ
灰の水曜日
バイブル
ハイメ1世
バイヨンヌ(フランス南西部)
ハイルオト(島) フィンランド北西部(画像)
ハイレ・セラシエ1世
パイロットファーム
バウハウス
パウロ
ハオルシア・オブツーサ
馬鹿
ハガイ書
葉隠
博多どんたく
ハギア・ソフィア(イスタンブール)
ハギオス・デメトリオス聖堂
パキスタン
萩原朔太郎
パーキンソン病
パグウォッシュ会議
パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)
パクス・ロマーナ(ローマの平和)
白村江の戦い
バグダッド
バクテリア
ハクビシン(白鼻心)
箱根
パサルガダエ
パサロヴィッツ条約

バージェス頁岩
ハジチ
バージェス動物化石群
バージニア(州)
バシーの虐殺
ハシバミ
パシフィック・メイル汽船会社
バジリカータ(イタリア南部)
バジリク古墳群
バセドウ病
バーゼル(スイス)
パタヴィア
パチャカマック神
パチンコ
バッキンガム宮殿
パッサロヴィッツ条約
ハード・ボイルド
ハトロン紙
ハナミズキ
バーナム効果
花より団子
バビロン捕囚
ハピントン陰謀事件
バベルの塔
パホイホイ溶岩
歯舞諸島
バーミヤン
ハメーンリンナ(フィンランド)
バラ
ハラッパ
バラモン教
パリ
バリウム
バリスカン造山運動
バリ島(インドネシア)
バルタザール
ハリファックス(カナダ)
ハルシュタット文化
ハレー彗星
パレンバン
ハロウィーン
バロック
漢江(はんこう)
パン
パンアメリカン航空
バン・アレン帯
版画
樊噲(はんかい)
ハンガリー
パンジャブ
バンジュール
バンギ
半規管
ハングル
ハンゲショウ
万古焼
犯罪
ハンザ同盟
半紙
パンジー
阪神タイガース
パンセ
パンダ
半田鏝
番茶
パンチャタントラ
蕃鎮
半仙戯
パンテオン
半島
パントテン酸
半導体
バンドン(インドネシア)
ハンニバル
パンノキ
万里の長城
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 パンノキ 

「セ」事項索引インデックス

200pxsaishi_gyokuza_yumei   「世尊寺流」藤原行成を祖とする書道の代表的流派。▽「セーシェル諸島」インド洋西部にあるマヘ島など約30の島群。▽「セイタカアワダチソウ」北米原産の帰化植物で、土手や荒地に群落を作る。▽「洗心洞」大塩平八郎の私塾。▽「雪隠参り」東日本を中心に出産後3日目に生児が産婆に抱かれて厠神に参る風習。▽「盛阿弥」桃山時代の漆工。▽「聖エカテリニ修道院」エジプト・シナイ山の麓にある6世紀に建立された世界最古の修道院。▽「石鼓文(せつこぶん)」中国陝西省宝鶏県で初唐に10個発見された轄碣の一種に刻まれた文字。戦国初期(前5世紀頃)、秦でつくられたと考えられ、現在北京の故宮博物院にある。夏目漱石「こころ」の装丁に使われた石鼓文の拓本が、岩波書店漱石全集のデザインとなる。▽「セルバ」アマゾン川の中流域に発達する熱帯雨林。(せせせせ)

世阿弥
盛阿弥(せいあみ)
西安事件
西安碑林
西域都護
征夷大将軍
聖エカテリニ修道院
製塩
聖王ルイ9世
西夏
生活綴方教育
誓願寺(京都)
青岸渡寺(和歌山)
青函連絡船
征韓論
政教社
清教徒
聖教要録
成蹊学園
靖康の変(1127年)
聖山事件
製紙業
清酒
聖書
政商
星条旗
清少納言
性信仰
聖遷(ヒジュラ)
聖ソフィア寺院
政体書
征台の役
セイタカアワダチソウ
贅沢は敵だ
清談
生長の家
青鞜
青銅器
西南戦争
セイファート銀河
聖フランチェスコ
聖ベネディクトゥス
聖明王
政友会
清凉寺(京都)
セイロン
聖ワシリー聖堂
清和天皇
ゼウス
世界(雑誌)
世界恐慌
世界史
関ヶ原の戦い
潟湖(せきこ)
関所
関孝和
赤壁の戦い
石炭
赤道
赤眉の乱
畝杭(せぐい)
セザンヌ
セーシェル諸島
セシル・ローズ
世俗主義(セキュラリズム)
世俗浅深秘抄
世尊寺流
瀬田橋
セダン(フランス)
節会(せちえ)
セッカ (ウグイス科)
摂関政治
石鼓文
雪舟
摂政
摂津
絶対主義
せっちん参り
節分
絶滅危惧種
瀬戸内海
銭座
セーヌ河
セネカ・フォールズ
セネガル
セパタクロー
ゼパニヤ書
セブ島(フィリピン)
セプトゥアギンタ(七十人約ギリシア聖書)
セポイの反乱
狭き門
セマンティックス(意味論)
セルバ
セルフネグレクト(自己放棄)
ゼロット運動
澶淵の盟
前九年の役
千光寺(岐阜県)
善光寺(長野県)
戦国大名
千字文
禅宗
扇状地
洗心洞
仙台四郎
ゼンダ城の虜(アントニー・ホープの小説)
センチメンタル・ジャーニー
善通寺(香川県)
先土器文化
千利休
千姫
前方後円墳
センマイ語
全面講和論
千里眼
川柳
洗礼
賤民
善隣国宝記

バレンタインデー

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 皇帝クラウディウス・ゴチクスの命令で首を刎ねられる聖バレンタイン

    2月14日はバレンタインデー。ローマ帝国では、2月13日から15日まで豊穣と結婚の祭りルペルカリアが盛大に行われ、とくに2月14日はユノ(JUNO)の祭日である。むかしローマ皇帝クラウディウスが帝位についてほどなく、ゴート族を撃退し、「ゴティクス」という添名がついた。皇帝はより軍隊を強くするため、兵士たちが愛する妻がいると勇敢に戦えないとして、結婚を禁じた。ところが、司教のウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたため、捕らえられ処刑された。あえてユナの祭日を処刑の日に選んで2月14日としたという。西暦269年のことである。311年、コンスタンチヌス大帝のキリスト教寛容令が出されてから、殉教者の聖バレンタインの人気がでた。いつしか聖バレンタインデーの記念日とされるようになり、愛する人に贈物をする風習が始まった。日本では1958年頃より流行し、女性から男性にチョコレートを贈る習慣になっている。

2017年2月13日 (月)

毎晩シネマで1万本

   映画の製作本数の正確な統計データはないが、およそ世界で1年間に1万本以上の映画がつくられている。そのなかで日本で劇場公開される映画は1割ほどで、2015年は1136 本の映画が公開されている。現存する最古の日本映画「紅葉狩」(1899)からジェイク・ギレンホール主演の「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」(2016)まで何でも観ちゃうぞ! ▽「西部戦線異状なし」(1978年CBS)リチャード・トーマス、アーネスト・ボーグナイン。第一次世界大戦中、ドイツの小さな町の学校では戦争の話でもちきりだった。先生は生徒たちの愛国の精神を説き、それにのせられたポールら6人が出征志願する。しかし、現実の戦場はなまやさしいものではなかった・・・・。1930年の映画をリメイクしたエリッヒ・マリア・レマルク原作のドラマ化。主役のリチャード・トーマスは「去年の夏」「朝やけの空」など青春スターだった。▽「日本のいちばん長い日」(1967)原作は大宅壮一。阿南惟幾に三船敏郎、米内光政に山村聡。今年夏にも同名の映画が公開される。原作は半藤一利。阿南に役所広司、米内に柄本明、昭和天皇に本木雅弘、鈴木貫太郎に山崎努。ほか松坂桃季、堤真一らオール男優スターの超大作らしい。▽「陽だまりの彼女」(2013)上野樹里、松本潤。真緒は猫だった…。▽「ナイルの宝石」(1985)マイケル・ダグラス、キャスリーン・ターナー。▽「スフィンクス」(1981)レスリー・アン・ダウン、フランク・ランジェラ、モーリス・ロネ▽「大いなる西部」(1958)グレゴリー・ペック、チャールトン・ヘストン、パール・アイヴス、チャールズ・ビッグフォード▽「富士に立つ影」(1942)阪東妻三郎。幕府は富士の裾野に築城を命じた。牛車合戦はベン・ハーのチャリオット・レースのようで圧巻の迫力がある。▽「滅びのモノクローム」(2003)国仲涼子が若くて可愛い。▽「紙屋悦子の青春」(2004)原田知世、永瀬正敏。▽「薄化粧」(1985)別子銅山の社宅で起きた妻子惨殺事件の犯人の逃亡生活を描く。逃走中に関わった4人の女たち、なかでも藤真利子の官能的な濡れ場がよい。▽「影なき男」(1934)ウィリアム・パウエル、マーナ・ロイ、モーリン・オサリバン。▽「初雪の恋」宮崎あおい、イ・ジュンギ。▽「ポーリンの冒険」(1947)連続活劇の女王パール・ホワイトの伝記。ベティ・ハットンが演じるミュージカル映画。▽「女子ーズ」(2014)山本美月、藤井美菜、桐谷美玲、高畑充希、有村架純。怪人カメムシゲルゲが臭くて戦隊から「うんこ、うんこ」と連呼される▽「ぼっちゃん」(2012)水澤伸吾。▽「学校」(1993)山田洋次監督。西田敏行、田中邦衛、裕木奈江。▽「私の愛した女」(1983)伊藤かずえ、小野寺昭。▽「ホットロード」能年玲奈。▽「江ノ島プリズム」(2013)福士蒼汰、本田翼。▽「ドグラ・マグラ」(1988)夢野久作の小説の映画化。松田洋治、桂枝雀。▽「もらとりあむタマ子」(2013)前田敦子、康すおん。▽「100回泣くこと」(2013)桐谷美玲。▽「love letter」(1995) 中山美穂、豊川悦司、酒井美紀。

Marawilson「マチルダ」(1996)マーラ・ウィルソンも28歳になった。▽「グエムル 漢口の怪物」(2006)韓国初のモンスター・ムービー。ソン・ガンホ、ぺ・ドゥナ。怪物に咥えられ連れ去れる少女にコ・アソン。▽「レ・ミゼラブル」(1998)リーアム・ニーソン、ユア・サーマン。▽「ぼくたちの家族」(2013)妻夫木聡、原田美枝子▽「悪い奴ほどよく眠る」(1960)三船敏郎。▽「ハウスメイド」(2010)チョン・ドヨン、イ・ジョンジェ。▽「ジェレミー」(1973)ロビー・ベンソン、グリニス・オコナ―。▽「卒業」(1967)ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス。▽「スーパーマン」(1978)クリストファー・リーヴ、マーロン・ブランド―。▽「海炭市叙景」(2010)熊切和嘉監督 谷村美月。▽「洟をたらした神」(1978)神山征二郎監督 樫山文枝。▽「海のふた」(2015)豊島圭介監督 菊池亜希子。▽「グッド・ストライプス」(2015)菊池亜希子。▽「神様はバリにいる」(2015)堤真一、尾野真千子。▽「一粒の麦」(1958)吉村公三郎監督 菅原謙二。▽「豆大福ものがたり」(2013)菊池亜希子。▽「あの空の果てに星はまたたく」(1962)丘さとみ、水木襄。

▽「サンクタム」(2011)アリスター・グリアソン監督。▽「バンド・ワゴン」(1953)ビンセント・ミネリ監督 フレッド・アステア シド・チャリシ―。▽「トリコロールに燃えて」(2004)シャーリーズ・セロン、ペネロペ・クルス、スチュアート・ダウンゼント。▽「スタンド・バイ・ミー」(1986)ロブ・ライナー監督 ウィル・ウィートン、リバー・フェニックス、コリ―・フェルドマン。▽「合衆国最後の日」(1977)バート・ランカスター、リチャード・ウィドマーク。▽「スカイフォール」(2012)ダニエル・クレーグ007が好きになってきた。▽「ハミングバード」(2013)ジェイソン・ステイサム。▽「存在の耐えられない軽さ」(1988)ダニエル・デイ・ルイス、ジュリエット・ビノシュ。▽「ツイン・ピークス 劇場版」(1992) カイル・マクラクラン。▽「ストックホルムでワルツを」(2013)スウェーデンのジャズ歌手モニカ・ゼタールンドの伝記映画。▽「江南ブルース」(2015) イ・ミンホ、キム・レウォン。

   「金融腐蝕列島」(1997)役所広司、椎名桔平▽「暁の挑戦」(1971)幻の映画といわれる川崎市の誕生期を描いた実録もの。中村錦之助、渡哲也、若林豪、財津一郎など出演。大正14年に実際に起こった鶴見騒擾事件をもとにフィクションを加えている。

世界大戦で2度も敗れた国

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 トラキア人の墳墓

    1940年11月20日、ハンガリーは日独伊三国同盟に加盟した。ドイツ・オーストリアの他に、第一次、第二次世界大戦、2度ともに敗れた国はハンガリーとブルガリアである。ハンガリーは1914年に始まった第一次世界大戦にやぶれ、オーストリア・ハンガリー二重帝国は崩壊。ハンガリーは国土の3分の2を失った。1930年代になると領土の回復を求める運動が高まり、ナチス・ドイツに近づき、三国同盟に加わり、参戦するが、途中で停戦しようとしたため、1941年にドイツに占領され、1945年2月13日にソ連軍により解放される。 

   ヨーロッパのバルカン半島北東部に位置するブルガリアは、古来より東西を結ぶ交通の要地にあり、紀元前はトラキアと呼ばれていた。7世紀後半、タタール系のブルガリア民族が侵入、681年にブルガリア王国が成立。1018年東ローマ帝国領となり、1186年独立したが、1396年トルコに征服された。1908年ブルガリア王国として正式に独立を宣言した。第一次大戦では同盟国側に参戦し敗戦。1919年に連合国と講和条約(ヌイイ条約)を締結、多額の賠償金の支払いは小国ブリガリアにとって大きな負担となった。

第二次大戦では枢軸国に立ったが、国内では反ナチの祖国戦線が結成され、1944年親独政権は倒され、1947年ブルガリア人民共和国が成立した。

苗字制定記念日

Habe  江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、明治3年9月19日、「平民苗字許可令」により平民も苗字を持つことが許された。しかし、苗字を附けたら税金を課せられるという噂が広まり、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。明治8年2月13日「平民苗字必称義務令」を出し、国民が姓を名乗ることが義務づけられた。いきなり苗字を考え出して名乗るわけだから、おもしろい苗字も数多くできた。富山県射水市の新湊にはめずらしい苗字が多く残っている。「釣」「網」「魚」「波」「海老」「米」「菓子」「酢」「飴」「風呂」「桶」「地蔵」「牛」「菊」などがある。

    「名字由来net」が便利だ。たとえば「剛力」と入力し検索すると、読み「ごうりき」、全国順位42871位、全国人数およそ60人。静岡県発祥の高力氏と関連する説もあると解説。難読稀姓調べによい。「中二病でも恋したい」のヒロイン小鳥遊六花。「小鳥遊」は難読稀姓の典型例だが、「たかなし」と読む。信濃国の高梨盛光が、長男に高梨、次男に鳥梨、三男に小鳥遊、四男に仁科の姓を与えたことからと解説する。小鳥が遊ぶ→天敵(鷹)がいない→たかなし。映画監督の神代辰巳の「くましろ」は珍しい。「四月一日」は「わたぬき」と読む。四月一日に綿入れの着物から綿を抜くから。

2017年2月12日 (日)

もうすぐバレンタインデー

Photo   バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は日本だけとよくいわれる。広辞苑にはバレンタインデーにチョコレートを贈ることは「1958年頃より流布」したとある。しかしバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は日本特有のものではなく、1868年イギリスのチョコレート会社キャドバリー社がギフト用チョコレートボックスを製造し世界に広まったらしい。日本では神戸モロゾフ社が英字新聞「ザ・ジャパン・アドバタイザー」(1936年2月12日)の広告を出した。1958年2月には新宿の伊勢丹でメリーチョコレートが日本で初めてのバレンタインデーのチョコレートを販売した。

Bill3  1960年からは森永製菓がバレンタインデーの宣伝を大々的にするようになり、1970年代には女性が男性に愛情の告白としてチョコレートを贈ることが浸透した。だがギフト商品はチョコレートだけにこだわらず、ハンカチ・ネクタイなどの小物、ウィスキー・シャンパンなどお酒、香水などギフトとして喜ばれる。

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(St.Valentine's day,chocolate)

催眠術ブーム(昭和50年)

   催眠術ブームに便乗、「異常性格や神経症的体質、苦悩を解消」とビラで宣伝し、若い女性などの患者を集めて3年間に1400人から1億円近くの治療費を騙しとった催眠カウンセラー北野正治が1975年のこの日、逮捕された。北野はインチキ療法を行い、性交、わいせつ行為を繰り返していた。さらに驚くべきことに40年後も北野は2015年スーパーテクニック催眠と称してウェブサイト上で何でも治せると誇大広告していた。特定商取引法違反で逮捕されている。(2月12日)

ブラジャーの日

Mary_phelps_jacobs  ブラジャーは1889年にフランスのエルミニー・カドルが発明し、1913年2月12日、アメリカのメアリー・フェルプス・ジェイコブ(1891-1970)によって発明、特許をとったとされる。これを記念して「ブラジャーの日」が制定されている。

   日本には大正末期に登場し、大正15年に「乳房バンド」の広告が掲載された。昭和4年には「乳房バンド」のほかに「乳バンド」「乳房ホールダー」「胸美帯」「乳おさえ」などの名で広告や通信販売欄に掲載されているから、日本でも製造が始まったと見られる。このほか、松岡錠一もこのころブラジャーを生産した(「日本洋装下着の歴史」)。これらは薬局、小間物店、デパートで売られていた。日本でブラジャーという用語が登場するのは1930年代である。しかし一般に普及するには至らず、広く使用されるのは1950年代以降である。日活映画「憎いあンちくしょう」(1962)で浅丘ルリ子の下着姿が話題となった。

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(横田尚美「1920年代の日本女性洋装下着」『ドレスタディ』vol33)Mary Phelps Jacobs,Hermine Cadille,brassiere

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(左上)1920年代のスリップ(右上)1920年代のブラジャー(右中)1920年代のパンティ、下の2点は1920年代のコルセット

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 主婦の友 昭和4年7月号の乳バンドの広告

2017年2月11日 (土)

これがグリコのモデル、カタロン選手のゴールの雄姿だ!?

Img_990766_29111259_0     「一粒300メートル」ランニングの男性が両手と片足をあげてゴールインのポーズをしている「グリコ」のキャラメル。年とって歯が悪くて食べられないが子供の頃よく食べた。大正11年のこの日の発売であるから90年以上の歴史がある。(画像は昭和30年頃のグリコ)

Photo_7    通説によるとモデルは極東オリンピック(現アジア大会)のマラソンで優勝したフィリピンのカタロン選手であるといわれる。新聞の写真を見ると、たしかに両手を大きく広げてグリコのポーズをしている。初代マークは女学生から「顔が怖い」と不評だったことから数年で変更され、カタロンは2代目だった。その後、モデルが外国人というのもどうもまずいらしく、江崎グリコ70年史では、カタロン選手のほか谷三三五、金栗四三などの名前もあげて複数説をとるようになった。その後のカタロン選手の詳細がわからない。(「おもしろ雑学552」刑部澄徹編著) 2月11日

デカルトとクリスティナ女王

   ルネ・デカルト(1596-1650)はスウェーデンのクリスティナ女王(1626-1689)の熱心な招聘を受けた。デカルトの親友シャニュ(1601-1662)がストックホルム駐在のフランス大使で女王にデカルトを売り込んだのだ。その19歳の若い女王はデカルトの「愛についての書簡」を読んで感動した。デカルトは寒い国に行くことは気がすすまなかった。しかし強引な女王は軍艦までよこして招聘につとめたのでさすがのデカルトも無碍に断われなくなった。1649年9月オランダを出発し、10月、ストックホルムに着いた。厳冬早朝の講義は、ひ弱で、朝寝の習慣を持っていたデカルトにとって身にこたえるものであった。1650年2月2日、デカルトは病気になった。風邪から肺炎にかかって2月11日早朝、あっけなく54歳の生涯を終えることになる。

2017年2月10日 (金)

クロエ・モレッツを知っていますか?

Photo_6   クロエ・モレッツ。いま世界中でいちばん人気がある若手の女優。1997年2月10日、ジョージア州アトランタ生れ。身長163㎝。20歳。父は医者で母は看護士。兄が4人いて、その中の一人トレヴァー・デューク・モレッツが演劇学校に合格した時に、母や兄と共にニューヨークに移る。7歳のとき映画「悪魔の棲む家」に少女チェルシー役で出演。最初は少女モデルをしていたが、2010年の「キック・アス」で演じたヒット・ガール役が評判を呼び、一躍注目の少女スターとなった。最新作「フィフス・ウエイブ」が公開される。正式名はクロエ・グレース・モレッツだが、最近はミドルネームのグレースを外した名前でクレジットされる。米国の映画サイトTCカレンダー「2015年世界で最も美しい顔」で7位に選出されている。Chole Grace Moretz,Hit Girl

2017年2月 9日 (木)

神に頼るな。自力で突破せよ!

  大津波に襲われ転覆した豪華客船からの決死の脱出劇を描く「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)。「神に祈って頼るな。自力で苦難を突破せよ」と説くスコット牧師に率いられ生残った9人が自らの手で運命を切り拓く。サミュエル・スマイルズいわく「天は自ら助くる者を助く」(自助論)。この格言は聖書には見当たらず、ラテン語以来の古いことわざで、英語での初出は1475年頃となっている。またイソップには次のような話が見える。嵐で船が難破し乗客がみな海に投げ出された。その中の一人の金持ちのアテナイ人がいて、彼は何もせずにしきりに女神アテナに祈っていました。そこでそばにいた人は「アテナの助けを受けて、あなたも手を動かしなさい」といった。

平均寿命と健康寿命

  日本は世界でも指折りの長寿国家である。生まれたばかりの赤ちゃんが平均して何年生きられるかを計算したものが平均寿命。戦争直後の1947年の平均寿命が男が50歳、女が53歳だった。現在は男が80歳で、女が86歳。だが「健康寿命」という言葉を知っていますか?健康寿命とは平均寿命と違い、人が介護などに頼らず、日常的に自立した健康な生活ができる期間のことを指す。厚生省の調査によれば、健康寿命は男が70.42歳で、女が73.62歳である。つまり、男が仕事や趣味・旅行・スポーツを健康でこなせるのは平均で70歳までということで、晩年の10年は、不健康な状態にあるといわれる。

  ネットで「最近の物故者」をよくみるが、現在は1930年代に生まれた人が圧倒的に多い。永六輔(1933年生れ)や田部井淳子(1939年生れ)、平幹二朗(1933年生まれ)も先ごろご逝去された。いずれ遠からず1940年代生まれの人たちが亡くなる番が回ってくる。あと数年して、団塊の世代の人が亡くなるころになると、新聞の物故者欄がとても賑やかになるだろう。

バレーボールの歴史

634_1   バレーボールは1895年2月9日、アメリカでウィリアム・G・モーガン(1870-1942)が考案した。最初はミントネットと呼んでいた。1908年、アメリカに留学していた大森兵蔵(1876-1913)が日本に最初にバスケット・ボールとともに紹介した。1913年F・Hブラウンが東京・神田のYMCAで公開したのをきっかけに広まったといわれている。バレーボールが考案された当初、集まった選手たちが2チームに分かれてボールを打ち合い、落としたほうの失点という単純なルールだった。日本へ伝わったときもルールは明確に決まっていたわけではなく、1チーム12人であったり9人であったり規定はなかった。(Volleybaii,Mintonette,William Morgan)

忘れられた漫画家

Img_0005     本日は「漫画の日」(手塚治虫の命日にちなむ)。子供のころ漫画は大好きだった。私は赤塚不二夫の「おそ松くん」が週刊少年サンデーに初登場したときからのリアルタイムに読んでいた。だが創刊初期のサンデーの人気漫画は何といっても寺田ヒロオ(1931-1992)の「スポーツマン金太郎」であった。この野球マンガの驚くべきことは、本当の野球選手が実名で登場することであった。テレビが各家庭になかったので、子どもたちはマンガで野球選手の名前を覚えた。これが正統派のマンガであって、赤塚のギャグマンガは子ども心にもすこし稚拙なものと感じていた。しかし、毎回読みきりであり、話の展開が早く、回を重ねるうちにチビ太、イヤミのキャラクターに惹かれていった。そしてサンデーで一番楽しみにするようになった。そのころ正統派漫画家の超人気者は関谷ひさし(1928-2008)だった。「ジャジャ馬くん」「ストップ、にいちゃん」そしてサンデーには「翔けろ天馬」を連載していた。赤塚不二夫の「おそ松くん」と同じ昭和37年のことである。関谷ひさしも同年の2008年2月25日に亡くなっている。いま水木しげるが評価されているが、関谷ひさしの作品も復活してほしい。(2月9日)

2017年2月 8日 (水)

ゴルフの起源

   ゴルフ人口は一時よりは減ったと言われていますが、いまでもゴルフの関する話題は尽きない。女性の正会員を認めない五輪会場のゴルフ場が問題となっている。また10日から始まるトランプ大統領と安倍首相の会談はフロリダのゴルフ場で親睦を深めるという。

   ゴルフの起源については、様々な説があってはっきりしないが主に3つの説がある。第1は、紀元80年、ローマ帝国のユリウス・アグリコラ将軍がスコットランドを征服していたとき、羽毛をつめた革製のボールを木杖で打つパガニカという球戯を行い、3世紀にわたるローマ軍の長期占領中に土着してゴルフになったという説。第2のオランダを起源とするものは、オランダの球戯、ヘットコルフェンというホッケーに似たゲームが変化してスコットランドにわたったという説。第3はスコットランドの羊飼いの牧童たちが羊を追いながら石を転がして遊んだという説。いずれにしても14世紀中ころから、現在の方法に近いゴルフが行われた。1457年のスコットランド。国王ジェームス2世は、ゴルフは武技・弓術の妨げになるという理由で議会に命じ、12歳から50歳の国民にゴルフ禁止令を布告させた公文書が残っている。

漱石が見つめた近代

  姜尚中がゆく、漱石が見つめた近代。ハルピン駅構内には今も伊藤博文暗殺事件の現場が残っている。△が安重根が狙撃した場所。□が伊藤博文がいた場所。番組で姜は「この距離は僅か2~3mぐらいでしょうけど、これが歴史を大きく変えて何か日本と韓国との距離を示しているような気がします」と語っている。映像でみると伊藤と安重根との距離は、2~3mではなく、4~5mくらいのようにみえる。近年、伊藤公暗殺の真犯人はロシア特務機関という説も出ている。漱石は小説「門」で次のように書いている。

   「時に伊藤さんも飛んだ事になりましたね」と云い出した。宗助は五六日前、伊藤公暗殺の号外を見たとき、御米の働いている台所へ出て来て、「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と云って、手に持った号外を御米のエプロンの上に乗せたなり書斎へ這入ったが、その語気からいうと、寧ろ落ち付いたものであった。「貴方大変だって云う癖に、些とも大変らしい声じゃなくってよ」と御米が後から冗談半分にわざわざ注意した位である。その後日毎の新聞に、伊藤公の事が五六段ずつ出ない事はないが、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分からない程、暗殺事件に就ては平気に見えた。

思い違い、勘違い大全集

Photo_3 人の名前や言葉を、間違って覚えてしまうことがある。思い違いで、何十年もずっと思い込んでいることがあるから可笑しい。長嶋茂雄引退の名スピーチ「巨人軍は永久に不滅です」。多くの人は「永遠に」とすり替えて記憶している。寺山修司が勘違いして書いたため、「永遠に」のほうが広まってしまった。▽「ランゲルハンス島」とは島の名ではなく、膵臓に散在する細胞の1つ。村上春樹のエッセーに「ランゲルハンス島の午後」という一編がある。生物の教科書に出てくるこの名に魅かれ、空想上の理想郷のような感じがしてくる。▽「蚤の市」ノミのことを英語でfleaという。発音は「フリー」だが、freeと勘違いしている人がいる。▽大島紬の産地は奄美大島(鹿児島県)。あんこ椿の伊豆大島と間違える。▽京都の東寺に伝えられた古文書、東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)。「ゆりぶんしょ」と読み間違い。▽「康範詩集」川内康範の詩集ではない。宋の汪晫の詩集。▽「さよなら」などのヒット曲で知られるオフコース。バンド名は草野球チームに由来するらしい。ところが「off course」と「f」が2つあるので、「もちろん」の意味ではなく「道を外れる」ということ。小田和正が建築から音楽の道に進んだことを含んでいるらしい。▽「マスクメロン」マスクとは「仮面」の意味ではなく、麝香のようないい香りがするという意味。

   漢字の誤読もよくある。御用達を「ゴヨウタツ」、順風満帆を「ジュンプウマンポ」、キキイッパツを「危機一発」と、大人になっても思い込んでいる人がいる。正しくは「ゴヨウタシ」、「ジュンプウマンパン」、「危機一髪」。▽乳幼児の病気「川崎病」をずっと神奈川県川崎市の公害病の一種と思い込んでいたが、実は発見者の川崎富作にちなんだ病名である。▽「おばけのQ太郎」における名脇役ラーメン大好き「小池さん」のモデルはアップダウンクイズの司会者小池清だと思い込んでいた。正しくはアニメイターの鈴木伸一である。

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    小池清            鈴木伸一

Photo_3  中居正広は元AKBの河西智美を「かわにし」と呼んでいた。正しくは「かさいともみ」。▽和歌山県の有田みかん。「ありだ」と濁って発音するのが正しい。▽「焼け木杭に火がつく」を「焼けぼっ栗に火がつく」と思っている人がいる。▽青森県五所川原の十三湖(じゅうさんこ)。民謡「十三の砂山」は「とさのすなやま」。中世都市遺跡「十三湊遺跡」は「とさみなといせき」。▽インディラ・ガンディーはマハトマ・ガンディーの娘ではなく、ネルーの娘。▽俳優の筒井道隆を小説家、筒井康隆の息子だと思っている人がいるが、名前が似ているだけで親戚でも何でもない。▽「板垣死すとも自由は死なず」岐阜の板垣遭難事件は有名であるが、このとき板垣は死なず、本当に亡くなったのは事件から37年のちのことである。▽京都市左京区一乗寺にある金福寺。「きんぷくじ」ではなく、「こんぷくじ」が正しい。▽アメリカ合衆国の国歌を「星条旗よ永遠なれ」だと思っている人がいる。スーザの曲は国の公式行進曲。アメリカの国歌はジョン・スタッフォード・スミス作曲の「星条旗」。▽シェリーの詩「西風に寄せる歌」。有名な一節「冬来たりなば春遠からじ」と訳した人を上田敏と思っている人がいる。本当は木村毅(きむらたけし)である。▽向田邦子のエッセイ「眠る盃」。タイトルは「荒城の月」の「めぐる盃かげさして」の一節を「眠る盃」と誤って覚えた少女時代の回想。▽木村拓哉はクイズ番組で「シザーサラダ」と回答。正しくは「シーザー・サラダ」Caesar salad。シザーサラダだと「ハサミ入りサラダ」という意味になる。ロメイン・レタス、クルトン、パルメザンチーズをオリーヴオイル、ニンニク、レモン、アンチョビーのドレッシングで和えたサラダ。古代ローマのシーザーとは無関係。メキシコのティワナにあるシーザーズという名前のレストランで考案されたから。▽ブランデ―のナポレオン。特定銘柄の酒ではなく、熟成年を指す記号。▽「少年老い易く学成り難し」朱熹の作ではなく、日本の室町時代の禅僧・観中中諦の作である。

チビ太の大好物おでん

987676d80a25febea25705cf62d6dd18_2 誰にでも好物はある。ドラえもんの好物といえばドラ焼きであるが、ドラミちゃんの好物はメロンパン。ラーメン大好き小池さん。バガボンパパの好物レバニラ炒め。キン肉マンは牛丼。ハクション大魔王はハンバーグ。刑事コロンボの好物はチリコンカーン。逸ノ城はモンゴルの肉まん(jマットンボーズ)。全米オープンテニスから凱旋帰国した錦織圭「ノドグロが食べたい」。若尾文子の好物はモンブランと大福餅。

  オバマ大統領が6歳の時、鎌倉を訪れ抹茶アイスクリームを食べた。2014年、大統領を招いた宮中晩餐会においても、抹茶アイスが供された。伍代夏子の実家は渋谷区代々木八幡の魚屋。「家が近所だったこともあり、いつも島倉千代子がお魚を買いに来てくださった。よくタコを買っていました」と語る。誰にでも好物がある。ベートーヴェンはアイスクリーム。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。 正岡子規も夏目漱石も甘いものが大好きだった。大隈重信はメロンの味に感激して自宅の温室でメロンを栽培した。「メロンを食べると125歳まで生きられる」と常々豪語していたが、83歳で歿した。

著名人の大好物を集める。

1129小沢昭一 蕎麦
忽那汐里 納豆
西郷隆盛 ウナギ
斎藤茂吉 ウナギ
獅子文六 お汁粉
東海林さだお ラーメン
関根勤   カレーライス
醍醐天皇 わらび餅
佐々木希 ラーメン
高浜虚子 おでん
谷原章介 納豆
手塚治虫 チョコレート
徳川家定 スイーツ(芋、カステラ)
徳川家康 鯛の天ぷら、ニンニク
徳川慶喜 豚肉
夏目漱石 羊羹、もなか、カステラ
南原清隆 うどん
西内まりあ カリカリ梅
林家三平  かきもち茶漬け
正岡子規 ココア
向田邦子 水羊羹
森鴎外   まんじゅう茶漬け
淀川長治 ウナギ
マザー・テレサ チョコレート
マリリン・モンロー ラムチョップ
ザッケローニ ピアディーナ

亜麻色の髪の乙女

   歌手の青山ミチが急逝肺炎で死去した。まだ67歳だった。パンチのある歌声で60年代はじめ人気があった。ヴィレッジ・シンガーズや島谷ひとみの歌で知られる「亜麻色の髪の乙女」(橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲)。もとは青山ミチが「風吹く丘で」(1966年)というタイトルで発売される予定であったが、彼女が覚醒剤所持で逮捕されたため、お蔵入りとなった幻の名曲である。

最初にアメリカ大陸を発見したのは誰れか?

Leiferikssonfacts   アメリカ大陸の最初の発見者はだれですかって?確かなことはだれにもわかりましえ~ん!。1492年、コロンブスが日本の黄金やインドの香辛料をめざして航海したが、上陸したのは西インド諸島の島々だった。1524年になってジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノがニューファンドランドからフロリダ沿岸を探検した最初のヨーロッパ人といわれています。むしろそれよりはるか以前、先史時代、1万5000年ないし2万5000年前に東北アジアからさまよい出たインディアンの祖先たちが、陸橋を渡ってアラスカへ入り、北アメリカに住み着いたと考えられている。それから長い年月が流れ、ヨーロッパ人として初めてアメリカに足を踏み入れたのはおそらくバイキングのノルウェー人だろう。レイフ・エリクソン(970-1020)は997年グリーンランドを経て、海を渡ってヘルランドと名付けた地にやってきた。ここはカナダのバフィン島であったとみられる。そして西暦1000年ごろ、35人の乗組員とともにアメリカ大陸に上陸しています。その場所がどこか未だに謎です。一説ではニューファンドランド島ではないかということです。今日、エリクソンが新大陸の最初の発見者であることは確実です。

最初の郵便マークは「T」だった!?

Ishikawa_hitomi_06    本日は「〒マークの日」。明治20年2月8日、逓信省は郵便マークを制定した。逓信省の頭一文字、片かな「テ」を図案化したものといわれる。「逓」とは「つたえる」という意味。「次々と横に渡していく。リレーする」という意味がある。唐代駅伝の制度は都長安を中心に整備されたが、郵による官文書の逓送が行われた。「長安を出で逓に乗じて行く」と白居易の詩にもある。明の洪武帝は官物の輸送を担当した役所「逓運所」を設置している。日本では江戸時代、飛脚制度が整備され、江戸・大坂間は「定六」といわれて6日間が通例で急行が4日間であった。逓信省の語源は明らかでないが、郵便・電信・船舶管理・灯台業務を処理する機関であることから、駅逓+電信から逓信となったのか、本来から逓信という漢語が使用されていたのか定かではない。しかしながら、「逓」という字は戦前は小学生でも読めただろうが、現在では大人でも読めない人がいるだろう。〒マークは最初は甲乙丙丁の「丁」だったという。ところが外国では郵便料金不足の表示「T」と紛らわしいとわかり、14日に「〒」に変更したといわれる。

2017年2月 7日 (火)

ガタピシ

  ガタピシとは、立て付けの悪い引き戸を開け閉めするときの音を表現した言葉。もとは仏教語で自分と他者とを区別するという意味の「我他彼此」からきている。

外国地名の漢字表記

Leaning_tower_of_pisa   近代、外国の地名は漢字を当てて取り入れる努力がなされたが、漢字による外国地名表記には日中間で少し違いがあることがある。村上春樹の「ノルウェイの森」の中国訳は「挪威的森林」である。明治の日本ではノルウェーは「諾威」もしくは「能留英」だった。

「米墨戦争」とは、どことどこの間の戦争かわかりますか?「米」はアメリカ(亜米利加)、「墨」はメキシコ(墨西哥)。これは日本だけで通じることで、中国語でアメリカは美国。「比薩斜塔」 外国地名ですが読めますか?例えば、ピサは日本語では「比察」であるが、中国語では「比薩」、パールハーバーは日本語では「真珠湾」であるが、中国語では「珍珠湾」である。サンフランシスコは「桑方西斯哥」と宛てられたが(略して「桑港」)、現代の中文では「三藩」と表記される。ロシアは俄羅斯、ドイツは徳意志、イタリアは意大利、イギリスは英国、フランスは法国、ベルギーは比利時、トルコは土耳其。

愛撒倫   アイスランド

愛蘭土   アイルランド

亜細亜   アジア

雅典     アテネ

亜得亜   アドリア

阿富汗   アフガニスタン

亜弗利加  アフリカ

亜馬孫   アマゾン

安特堤   アムステルダム

美国(亜米利加) アメリカ

阿拉斯加  アラスカ

亜刺比亜  アラビア

阿里蘇那  アリゾナ

阿爾及   アルジェリア

亜爾然丁  アルゼンチン

亜力伯   アルプス

諳喀刺   アンゴラ

安土府   アントワープ

英国(英吉利)   イギリス

以色列   イスラエル

伊太利   イタリア

伊拉克   イラク

伊朗(伊蘭) イラン

英倫     イングランド

英釐安納  インディアナ

印度     インド

維納     ウイーン

月即別    ウズベク

浦塩斯徳   ウラジオストク

得撫      ウルップ

多島海     エーゲかい

厄瓜多     エクアドル

埃及       エジプト

以丁堡      エディンバラ

伊聶謝      エニセイ

奥克蘭      オークランド

濠太利亜    オーストラリア

墺太利亜    オーストリア

倭塔瓦      オタワ

牛津       オックスフォード

阿海阿      オハイオ

鄂哥都加     オホーツク

阿曼        オーマン

和蘭陀       オランダ

改羅        カイロ

裏海        カスピ海

加奈陀       カナダ

加布爾       カブール

堪察加       カムチャッカ

喀麦隆       カメルーン

加拉架       カラカス

樺太        カラフト

加利福尼     カリフォルニア

加爾各搭     カルカッタ

恒河        ガンジス

広東        カントン

柬蒲塞(東埔寨) カンボジア

基隆        キールン

銀名        ギニア

古巴        キューバ

希臘        ギリシア

瓜姆        グアム

科威都       クウェート

臥児狼徳     グリーンランド

剣橋        ケンブリッジ

臥亜        ゴア

高加索       コーカサス

金門        ゴールデンゲート

戈壁        ゴビ

哥木哈牙     コペンハーゲン

哥倫比亜     コロンビア

考老母       コロンボ

公額        コンゴ

西貢        サイゴン

塞班        サイパン

桜府        サクラメント

撒哈拉       サハラ

桑港         サンフランシスコ

舎路         シアトル

市俄古       シカゴ

津巴布韋     ジンバブエ

瑞士        スイス

在得         チャド

智利         チリ

細々里       シシリー

雪特尼       シドニー

日巴拉大      ジブラルタル

西伯利亜(西比利里)シベリア

牙買加        ジャマイカ

爪哇         ジャワ

寿府         ジュネーブ

叙利里        シリア

新嘉坡、新加坡(星港) シンガポール

瑞西         スイス

瑞典         スウェーデン

蘇丹         スーダン

蘇士         スエズ

蘇格蘭        スコットランド

士篤恒        ストックホルム

西班牙        スペイン

蘇門答刺      スマトラ

錫蘭         セイロン

塞納         セーヌ

塞丙牙        セネガル

聖路易        セントルイス

泰国          タイ

達斯馬尼       タスマニア

怠武林        ダブリン

西蔵          チベット  

丹麦(丁抹)     デンマーク

徳意志        ドイツ

土耳古(土耳其) トルコ

尼亜加拉      ナイアガラ

諾威         ノルウェー

海地         ハイチ

巴基斯坦      パキスタン

巴奈馬        パナマ

百慕大        バミューダ諸島

巴拉圭        パラグアイ

巴勒斯坦       パレスチナ

布哇          ハワイ

洪牙利        ハンガリー

孟加拉国      バングラデシュ

比薩         ピサ

菲律賓       フィリピン

伯剌西爾      ブラジル

法国            フランス

希伯来       ヘブライ

秘露         ペルー

白耳義        ベルギー

波蘭         ポーランド 

波爾多        ボルドー

葡萄牙        ポルトガル

浡泥         ボルネオ

香港         ホンコン

洪都拉斯      ホンジュラス

孟買         ボンベイ

澳門         マカオ   

麻斉崙       マゼラン

馬徳里       マドリード

馬尼刺       マニラ

満刺加       マラッカ

馬耳塞       マルセイユ

馬爾太       マルタ

馬来         マレー

馬来西亜      マレーシア

漫識特       マンチェスター

密執安       ミシガン

密士失比     ミシシッピ 

米蘇利      ミズリー

未蘭        ミラノ

墨西哥      メキシコ

黙加        メッカ

女留保論     メルボルン

莫三鼻給     モザンビク

莫斯科      モスクワ  

摩納哥      モナコ

摩洛哥      モロッコ

莫臥児      モンゴル

門土里留     モントリオール

欧羅巴      ヨーロッパ

礼陰        ライン

羅宇        ラオス

拉巴拉他     ラプラタ

蘭貢        ラングーン

里斯本       リスボン

里味陂       リバプール

利比亜       リビア

利比利亜      リベリア

利馬         リマ

里昴         リヨン

羅馬尼亜      ルーマニア

盧森堡        ルクセンブルク

呂宋         ルソン

黎巴嫩        レバノン

羅馬          ローマ

洛杉磯 (羅府)    ロサンゼルス

俄羅斯        ロシア

路照          ロッテルダム

倫敦          ロンドン

華盛頓        ワシントン

日本民族のルーツはモンゴル!?

Img_64816_10401509_0   日本人の幼児には臀部、腰部など皮膚に青色の斑点がみられる。これを蒙古斑と命名したのは、明治お雇い外国人として東京大学に招かれた医学者エルヴィン・フォン・ベルツ(1849-1913)である。蒙古斑は日本人には95%以上の割合で見られるが、中国人(漢民族)、韓国人には少ない。アジアでもタイ人などは「トゥック・ムック」(インクのケツという意)といって蒙古斑がでる子が半数近くいるらしい。ベルツは日本人の形質をみるうち、日本人はいろいろな民族が混血している新人種であると考えた。日本人混血説である。「日本人の体質」(邦訳なし)を著し、①アイヌ型②満洲・朝鮮型③マレー・モンゴル型の3種であるとした。このような日本民族の形成と起原に関しては戦前の皇国史観のなかではタブーであったが、戦後すぐに、江上波夫の騎馬民族説などの新説が現れた。日本人の支配者層をなす天皇家の祖先は、アジア大陸北方の騎馬民族が朝鮮半島に進出し、そこから九州を経て、大和にはいり、日本を統一したというのである。ソ連のピョートル・グズミッチ・コズロフが発見した北蒙古ノイン・ウラから紀元前後の匈奴の王・貴族の古墳が多数発見された。もちろんこの時代の匈奴(丁零、夫餘)はモンゴル人ではない。通常モンゴル人は7世紀からといわれる。ノイン・ウラの民族はアーリア系であると考えられる。だが日本人のルーツといえる文化をもっている。かつて仁徳・応神陵など前方後円墳は日本独自といわれたが、現在では韓国の全羅道地域でも前方後円墳が確認されている。ノイン・ウラからも多数の前方後円墳が発掘されている。(参考;江上波夫「国家の成立と騎馬民族」季刊東アジアの古代文化6、1975年、梅原末治「北蒙古ノイン・ウラの遺物」) 

Xiongnu
 天皇家の祖先が紀元前後いたと思われる故地

( keyword;Mongolian spot,Erwin von Balz,Noin-Ula,Kozlv )

新島襄の名前の由来

Photo     新島襄は天保14年1月14日、江戸の上州安中藩屋敷で、下級藩士の新島民治の長男として生まれた。新島襄という名前は、アメリカから帰国して後に改名した名前で、幼名は「七五三太(しめた)」という。通説では、女子が4人続いた後の初の男子誕生に喜び「しめた」と言った話が伝わるが、誕生日がしめ飾りを外す日だったから「しめた」と名付けられたのである。元服の後、名を「敬幹(けいかん)」とする。アメリカ時代は「ジョセフ・ニイシマ」または「ジョセフ・ハーディー・ニイシマ」と名乗った。帰国後はジョセフに「約瑟」という漢字をあて、「新島約瑟」と名乗ったが、約瑟という漢字が難しいため、新島襄と改名した。ジョー(Joe)「襄」はジョセフ(約瑟)を縮めたものという。一時は「譲」の漢字を使用して「新島譲」としたが松山高吉の助言を受けて「襄」の漢字を使用するようになり、戸籍を群馬県から京都府へ移す時に「新島襄」とした。

韓国人の姓の話

   「プレミア12」準決勝の日韓戦の9回、四番の李大浩(イ・デホ)が2点タイムリーを放ち逆転勝利した。キム・インシク監督は「強者が弱者に負けることもある」と語った。監督の名前は漢字で「金寅植」と書く。韓国で一番多い姓は金(キム)で5人に1人いる。ほかに李(リ)、朴(パク)、崔(チェ)、鄭(チョン)、姜(カン)、趙(チョ)、尹(ユン)、張(チャン)、林(イム)、呉(オ)、権(クォン)、申(シン)、宋(ソン)、孫(ソン)、朱(チュ)、韓(ハン)、白(ぺク)、梁(ヤン)、劉(ユ)、許(ホ)、柳(リュ)、沈(シム)、高(コ)、呂(ヨ)、文(ムン)など現在約280種類の姓が存在する。韓国でいちばん有名な映画監督「許秦豪」。「八月のクリスマス」のホ・ジノ監督。

安(アン) 安重根(アンジュングン)

金(キム) 金泳三(チョンヨンサム)

朴(パク) 朴正熙(パクチョンヒ)

白(ナム)   白南準(ナムジュンパイク)

盧(ノ)   盧泰愚(ノテウ)

全(チョン) 全斗煥(チョンドファン)

李(イ)   李明博(イミョンパク) 李外秀(イウェス) 李光洙(イグアンス)

尹(ユン)  尹東柱(ユンドンジュ)

250pxan_junggeun   ソウルは片仮名なのに、プサンはなぜ「釜山」なのか。チェ・ジウは片仮名なのに、朴正熙(パク・チョンヒ)やイ・ミョンパクはなぜ「李明博」なのか。なにごとも「ケンチャナヨ(大丈夫、気にしない)」の国柄なので、ルールはないのかもしれない。調べるとソウルは「首爾」と漢字表記があるそうだ。もちろんチェ・ジウは「崔智友」と書く。伊藤博文をハルビン駅構内で襲撃して殺害した暗殺者、安重根は日本では一般に「あんじゅうこん」と呼んでいる。朝鮮語読みだと「アン・ジュングン」である。

 あれこれと考えたが、およそ新聞では次のようにきまりになっているらしい。

地名は漢字で書くことを原則としている。

  釜山

ただし、当てはめる漢字がないときは、現地音を片仮名で書く。

  ソウル

人名は漢字で書くことを原則としている。

  李明博

ただし、当てはめる漢字がないときは、現地音を片仮名で書く

  キム・ヨンジャ

韓流スターも現地音を片仮名で書く

  ペ・ヨンジュン

(これはあくまで、推測です。)

珈琲とバッハ

Bachandcoffee    コーヒーはもともとイスラム世界にあるもので、イスタンブールには早くからコーヒー店があった。ロンドンでは1654年に開業したクイーンズ・レイン・コーヒー・ハウスが古く、17世紀中頃には新聞や雑誌を読んだりする、情報収集の場としても広がっていた。ただし女性が出入りすることはなく、男性客のみが対象であった。17世紀の終わりには、2000軒ものコーヒーハウスがロンドンにあった。J・S・バッハ(1685-1750)が住むライプツィヒにもコーヒーハウスが8軒あり大繁盛している。もちろんドイツでも「女性はコーヒーを飲むべきではない」とされていた。このような風潮に反発する女性の声を代弁したのが詩人のピカンダーで、「おしゃべりをやめて、お静かに」(1732)という、コーヒー好きの娘リースヒェンと、なんとかコーヒーを止めさせようとする父親シュレンドリアンの様子をコミカルに風刺した。バッハは1734年にこの詩に曲をつけ、「コーヒーカンタータ」をつくった。バッハも遺品からコーヒー・カップやポットがあり、コーヒーを好んでいたらしい。「1000回のキスより愛おしく、マスカテル・ワインより甘美だ」と言っている。(Bach,Cofee Cantata,Schweight still,plaudert nicht)

敦盛は生きていた?

Atsumori   1184年のこの日、一ノ谷の合戦があった。源義経率いる部隊は、鵯越をこえて、背後からの奇襲で平氏軍を破った。この戦いでは多くの平氏の公達が死亡した。薩摩守忠度、平通盛らは戦死した。もっとも有名な話は敦盛の最期であろう。

  平敦盛は「平家物語」では一ノ谷合戦で源氏方の熊谷次郎直実との一騎打ちの末に討たれたことになっている。だが歌舞伎「一谷嫩軍記」では敦盛は実は後白河法皇のご落胤で、義経の命をうけて熊谷直実が救出するというストーリーである。一見、荒唐無稽な話のようだが、広島県の永江の里(庄原地方)には古くから「敦盛さん」という民謡が伝わり、それによると敦盛は討ち取られたのではなく、庄原に逃れて生涯を終えたという。熊谷次郎の一子の小次郎が身代わりとなって、許婚の玉織姫と共に逃れたという話も絶対に有り得ないとまでいえない。敦盛の「青葉の笛」も正式には「小枝」(さえだ)といい、鳥羽院から祖父忠盛が賜ったものであった。熊谷次郎が我が子を失ってまでも守らなければならなかった高貴な人というのは天皇家の血をひいているからであろうか。のちに熊谷直実は出家して法然の弟子となって蓮生坊と名のったという。(2月7日)

 

2017年2月 6日 (月)

字形類似の漢字

    漢字には多くの種類があり、字形がよく似ている字がある。「焉馬(えんば)の誤り」という言葉がある。「焉」と「馬」とは字形が似ていて間違いやすいことから文字の誤りのことを意味する。

巳 シ み

已 イ すでに・やむ

己 キ・コ おのれ

 これらの文字は、とくに蛇と糸すじの象形で字形が似ているので紛れやすい。「土」と「士」、「未」と「末」、一画の長さでまったく異なった意味の文字になる。むかし新聞などで「天皇陛下」を「天皇陸下」を誤字したことがあった。

    とかく漢字には紛らわしいものが多い。「微」と「徴」。「紛失」の「紛」と「粉」。「宣」と「宜」。「壁」と「璧」。「樋」と「桶」。「冒」と「昌」。「欧」と「殴」。「萩」と「荻」。「刺(し、名刺)」と「剌(らつ、溌剌)」。「貪」と「貧」も似ているが、「貧」は、分+貝、貧しいという意味。「貪」は、今+貝、むさぼるという意味で、まったくの別字である。「弊」と「幣」。「弊」は、破れてボロボロになる、つかれる。「弊害」。一方、「幣」は神に供える絹、客への贈り物、宝物、おかねといった尊いものを表す字。「貨幣」。

    杮落しの「杮」と「柿」。崇徳天皇の「崇」と「祟(たたり)」。[鳥(とり)」と烏(からす)」。「己(き)」と「已(やむ)」「巳(み)」、「戊(ぼ)」「戌(いぬ)」「伐(ばつ)」「戍(じゅ)」「戎(えびす)」「戉(まさかり)」が紛らわしい。紛らわしい漢字の覚え方として、「瓜にツメあり、爪にツメなし。牛にツノあり、午にツノなし」という歌がある。

     「僕」「撲」「樸」も紛らわしい漢字の1つ。これらはみな「ボク」と読む同音異字。僕は「しもべ」という意味で熟語には「家僕」がある。撲は「うつ」という意味で熟語は「撲滅」がある。樸は「切り出したままの材木」という意味で「朴」と同じで「樸訥」(飾り気がなく、口べた)という熟語がある。

 「嬴」「贏」「蠃」「羸」「臝」という漢字もある。「嬴(エイ)」は秦の姓。「贏(エイ)」は儲ける、勝つの意味。「蠃」は螺(ラ)の本字。「羸(ルイ)」は痩せるの意味。「臝(ラ)」は虎、豹のたぐい。このほかに、「驘」は騾の異体字もある。

佐久間艦長の遺書

   福井県若狭町にある佐久間記念交流会館には海軍軍人、佐久間勉大尉の日記や遺品が展示されている。明治43年4月15日、佐久間大尉を艦長とする第6号潜水艇は山口県新湊沖で事故が発生。遭難の翌朝、引き揚げられた第六潜水艇には、乗組の佐久間大尉以下14名全員すでに殉職していた。潜水母艦「豊橋」に安置された艦長のポケットに発見された一冊の手帳には、沈没の原因、処置、その他が細かく記され、これが佐久間艦長の遺書として、後世にまでながく伝えられることとなった。

記憶術の元祖ウィンケルマン

   17世紀のドイツ人のウィンケルマン(1620-1699)は、数字をアルファベットに置き換えて記憶する方法を発見した。彼はこの方法をギリシャ語で記憶術という意味の「ニモニックス」と名付けた。その後、これを改良してイギリス人のリチャード・グレー(1696-1771)は「記憶の技術」(1730年)という本を出版した。 Johana Just Winkelman  mnemonic

2017年2月 5日 (日)

グレタ・ガルボ結婚!?

   無声映画時代の代表的美人女優グレタ・ガルボは85歳で死去するまで生涯独身だったことはよく知られている。だが昭和史全記録(毎日新聞社)の1934年1月15日付の記事には「ガルボ結婚」とある。お相手は「クリスチナ女王」の監督ルーベン・マムリーアンでアリゾナ州ウィリアムで極秘結婚とのこと。誤報であったが、新聞記事索引にはガルボの結婚報道はいつまでも残っている。

東西遺言考

Img_1551403_41671993_0     神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(カール5世の父)は姿の美しいのが自慢で、つねに優雅にふるまうことを念願とした。祖先の一人が、火急の場合に便器にまたがったまま国務をとったのを最大の恥として、最もなれた従僕にも、便所にある姿を見せようとせず、隠れて尿をする癖があった。最後には、医者にもその陰部をみせまいとして、自分が死んだら股引をはかせてくれと、遺言を残したという。

   これと対照的なのは「東海道五十三次」でしられる浮世絵画家、安藤広重の遺言。「我死なば焼くなうめるな野に捨てて飢ゑたる犬の腹をこやせよ」と。

咫(あた)は女性器の割れ目の長さ

    咫(あた)は中国周代で長さの単位で、周の尺で八寸、つまり約18センチ。日本でも古事記や日本書紀に「咫」がでてくる。三種の神器のひとつである鏡の大きさが「八咫」、猿田彦の鼻の長さが「七咫」とある。「咫」は古代日本でも長さの単位だが中国よりたいぶん狭い。辞書の説明では親指と中指とを開いた長さ、と上品に書かれているが、その起源は女性器の割れ目の長さである。日本女性の割れ目の平均的な長さは約7~8センチだが、その割れ目の長さこそが一咫の長さで、古代の長さの単位だった。古代では性行することをアタワスというが、その言葉は咫=性器からきている。参考:北嶋廣敏「オトコによく効く雑学365」。

「人生劇場」と三州横須賀村

Photo_5     尾崎士郎(1898-1964)は、明治31年2月5日、愛知県幡豆郡横須賀町上横須賀(現・西尾市)に、父嘉三郎、母よねの三男として生まれた。尾崎家は家号を辰巳家と号し、代々綿実買問屋を営んでいたが、かたわら明治半ば迄煙草製造にも手をそめていた。士郎が誕生の頃より、家運は傾いてきたものの、嘉三郎は明治20年より上横須賀郵便局長を兼業、まだまだ地元の名士だった。

    尾崎士郎といえば「人生劇場」である。「都新聞」文芸部長上泉秀信の依頼で同紙に連載した、尾崎士郎の自伝的長編小説「人生劇場」は、「青春篇」(昭和8年)「愛慾篇」(昭和9年)「残侠篇」(昭和11年)「風雲篇」(昭和14年)「遠征篇(後の離愁篇)」(昭和18年)「夢現篇」(昭和22年)「望郷篇」(昭和26年)「蕩子篇」(昭和34年)と戦後に至るまで諸紙誌に書き継がれた。物語は青成瓢吉が三州横須賀村から上京し、早稲田大学に入学。飛車角、吉良常などが絡みながら、人生いかにいきるべきかを求めて彷徨するという青春小説。尾崎家は、大正5年、父嘉三郎死亡した。生前相場に手を出し失敗、郵便局長の職は長兄重郎が継いだ。その長男も大正7年ピストル自殺した。郵便局の公金横領を苦にというのがその表向きの理由であった。ともかく一家は没落した。

   尾崎士郎の出身地である愛知県幡豆町横須賀町というのは、戦後吉良町上横須賀に住居表示が変更されている。「忠臣蔵」で知られる吉良上野介の所領であった横須賀村である。「人生劇場」の書き出しも次のように書かれている。

                                  *

   三州吉良港。一口にそう言われているが、吉良上野の本拠は三州横須賀村である。後年、伊勢の荒神山で、勇ましい喧嘩があって、それが今は、はなやかな伝説になった。そのときの若い博徒が、此処から一里ほどさきにある吉田港から船をだしたというので、港の方だけが有名になっているが、しかし吉良という地名が現在何処にも残っているわけではない。その、吉良上野の所領であった横須賀村一円で「忠臣蔵」が長いあいだ禁制になっていたことは天下周知の事実である。これは一面。吉良上野が彼の所領においては仁徳の高い政治家であったということの反証にもなるが同時に他の一面から言えば一世をあげて嘲罵の的となった主君の不人気が彼の所領の人民を四面楚歌におとしいれたこともたしかであろう。まったく「あいつは吉良だ!」ということになると旅に出てさえ肩身の狭い思いをしなければならなかった時代があるのだ。しかし、そうなれば、こっちの方にも(忠臣蔵なんて高々芝居じゃねえか)、という気持ちがわいてくる。(うそかほんとかわかるものか、あんなものを一々真にうけてさわいでいるろくでなしどもから難癖をつけられているうちのおとのさまの方がお気の毒だ)三州横須賀は肩をそびやかしたものである。相手にしないならしなくてもいい。そのかわり日本中の芝居小屋で「忠臣蔵」がどんなに繁盛しようとも、この村だけへは一足だって踏み入れたら承知しねぇぞ!平原の中にぽつねんと一つ、置きわすれられた村である。

2017年2月 4日 (土)

若き日の夢

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  歌をまくらに 空を仰ぎて

  声高らかに 君とうたいし

  今はただひとりして

  さすらい歩めば

  若き日の夢

  昭和13年にコロンビアレコードから発売された中野忠晴、二葉あき子の「若き日の夢」の一番の歌詞である。ワルツ風の旋律だが原曲は「When I grow too old to dream?」(夢見る頃を過ぎても)でシグマンド・ロングバードの曲にオスカー・ハマースタイン二世が詩をつけた。「夢見る頃を過ぎても」はジャズの名曲としてナット・キング・コール、ドリス・デイ、ルビー・マラー、リンダ・ロンシュタットなとがカバーしている。初出はタドリ―・マーフィ監督の映画「The Night is Young」(1935年、邦題「春の宵」)。ラモン・ナヴァロ、イヴリン・レイ主演。劇中曲であるが誰が創唱したのかは不明。同年にはグレース・フィールド(1898-1979)がレコーディングしている。

銀箔は貼られてなかった銀閣寺

Photo_4    2月4日は「銀閣寺の日」。だが、これには歴史的に考えると多少問題がある。銀閣寺とは俗称であり、足利義政の死後は、その遺命により禅寺とし、彼の法号に因んで慈照寺と名づけられた。義政生前は「東山殿」と呼ばれ、つまり2日4日は、工事の着工記念日であり、このときはまだ観音殿つまり銀閣は完成していない。応仁の乱の直後の財政難の時代であり、工事はなかなか進まなかったようである。一年有半の歳月を費やして、竣工したのは翌年の文明15年(1483)6月27日である。実際に観音殿(銀閣)が完成するのは、さらに6年後の1489年である。

  造営が竣工した日、義政は長谷御所から浄土寺山荘に移った。「女中連れの賑やかな移転であった。山荘の落成を祝賀して貴戚権門が多数参集した。冠蓋織るが如くであった」と横川景三は書いている。義政の満足想うべきである。しかしまだ住居部分の山荘が落成しただけで、実は全体の構想の二分ばかりにすぎなかった。延徳元年(1489年)に、ようやく観音殿(銀閣)が上棟された。銀閣は2層からなり、第一層心空殿は正面4間・側面約3間で和様書院造風の構造。第ニ層潮音閣は3間四方、禅宗様仏風で、堂中に観音像を安置する。東山殿の建物は10箇所と伝えられる。そのうちでも特に念を入れて造ったのは持仏堂である。仏間には阿弥陀三尊像を安置し、その名を東求堂と名づけた。またこの堂内に小書院の「同仁斎」がある。この部屋は書斎で、書画奇玩を鑑賞するに最適の設備が施された。しかもその大きさは僅かに四畳半敷である。後世この小室を茶室の祖と称する。東求堂に対して「西指庵」があった。ここも義政が造営に力を入れたところである。亀泉集証は文明17年4月9日始めてここに入り、「実に天下の奇観なり」と讃えている。

  また俗に銀閣と称されている観音殿がある。これまで銀箔が貼られていたのではないかという言い伝えもあったが、このほど奈良文化財研究所のエックス線による分析で、銀閣は創建当時から一度も銀箔が施されていなかったことが科学的に証明された。創建時、2階の外壁は漆黒が塗られていた。では、なぜ銀閣寺と呼ばれたのであろうか。ひとつは、北山の金閣寺に対する呼び方として銀閣寺が定着したとする説。二つ目には、池の反射光が漆塗の外壁に映って銀色に輝いて見えたからという説がある。本堂・東求堂の南面に庭園が広がり、庭の主要部には錦鏡池がある。また庭の西北隅、即ち本堂の南面に不思議な砂盛りがある。これを銀沙灘(ぎんさだん)と呼ぶ。とにかく銀閣寺は応仁の乱のため銀箔が貼られることはなかった。

清盛、死因の謎

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  1181年閏2月4日、平清盛は熱病に倒れて世を去った。(玉葉集) 享年64歳。平家物語巻6「入道相国、やまひつき給ひし日よりして、水をだにのどへも入給はず。身の内のあつき事、火をたくが如し」とある。

   医師の阿部麻鳥は清盛の病を「瘧」と見立てている。「瘧」(ぎゃく、おこり)という病は、今日でいうマラリアである。東南アジアの伝染病がなぜ感染したのか謎であるが、当時、福原で日宋貿易をしていたので積荷から感染したと考えられないこともない。しかし清盛1人だけというのも不可解である。高熱を発症したことから、腸チフス、髄膜炎、脳出血による視床下部・中脳圧迫、猩紅熱などが考えられる。

2017年2月 3日 (金)

忘れられた人気作家ウォルター・エドモンズ

Walterd_edmonds175pixels     ウォルター・D・エドモンズ(1903-1998)は20世紀のアメリカの小説家。もっぱらニューヨークの歴史を題材にした作品が多い。上部ニューヨーク州モーホーク渓谷の水上生活を描いた「ローム・ホール」(1920)「大きな納屋」(1930)「エリー湖」(1933)等の作品で知られる。ヘンリー・フォンダ主演で「運河のそよ風」(1935)や「モホークの太鼓」(1936)など映画化された。Walter Dumaux Edmonds

北米自然観察図鑑

Photo グレーシャー国立公園

   年間およそ200万人の観光客が訪れる北西部モンタナ州グレーシャー国立公園。しかし初期の森の探検家たちからは、その樹木が船舶材に使えるかどうかという目でしか見られなかった。今日、国立公園として保護されている北米の山々は森林浴として人間をはじめ動物にはかり知れない恩恵を与えているといわれる。とくに自然とふれあうことは人間にとって精神に及ぼす影響もあるが、森林の写真を見るだけでも脳の心地よさの領域に血液があつまり、リラックス効果があるといわれる。かつて大森林地帯には、たくさんの動物が住んでいた。ビーバーやアライグマは森の人気者である。ビーバーはよい毛皮がとれるので人間のあくことない、欲望の犠牲となったが、今日ではラッコ、オットセイなどともに国の自然保護の下に生きのびられるようになった。オポッサムという奇妙な動物がいる。彼らが繁栄した原因の1つは、他の動物に襲われると死んだまねをすること、食べてもまずいこと、この2つが組み合わさって捕食者に食べにくいという印象を与えたという。

Photo_2 ビーバー

Photo  アライグマPhoto_4 オポッサム

金富良(コンプラ)醤油瓶

    日本でいつ頃から醤油が食されるようになったかと言うと、醤油のルーツ「醤」(ししびしお)のたぐいが、縄文時代末頃からあったといわれ、縄文時代の遺跡からは、熟鮨(魚醤)の原型と思われるものが出土している。本格的に醤(ひしお)が作られるようになったのは、中国や朝鮮半島から製法が伝えられた大和朝廷時代の頃である。奈良時代に醤(ひしお)が生産されるが、これは調味料というよりは、そのまま、おかずとして「なめもの」の一種として食されていた。調味料として醤油が文献に現れるようになるのは室町時代である。

Photo     江戸時代1650年頃から、欧州に向けて長崎の出島からオランダ商人らによって醤油を波佐見焼の瓶に詰め、金富良(コンプラ)醤油の名で輸出されていた。宮廷や王室専用の調味料として貴重品に扱われ、フランスのルイ14世が宮廷料理に、肉料理の隠し味に醤油が用いられた。ディドロの「百科全書」(1772)にも醤油が記述されている。コンプラ醤油は底径7㎝、高さ15㎝、540mlで、JAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤ)と書かれている。オランダ人の耳には「しょうゆ」の音が、ソヤとかゾヤ(ZOYA)と聞こえたらしく、現在のオランダ・ハーグ文書館に残された日蘭貿易記録にも、醤油のことが記録されている。日本の醤油はオランダばかりでなく、幕末の頃、長崎に寄港していたロシアの船によって母国に持ち帰られていたらしく、明治39年、トルストイを訪問した徳富蘆花が、机の上に金富良醤油瓶に花が差してあるのを見た。トルストイがいつもこの瓶を一輪差しとして愛用していたことを知って、蘆花はいたく感激したものである。(Tolstoi,Diderot)

なぜ世界地図の上は北なのか?

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   目的の場所にどの経路で行けば最短で行けるか、また安く行けるか、すばやくネットで検索できる。またGPS(汎地域測位システム)で自分が立っている位置がわかる。地理をめぐる情報は便利になった。だが地図や地理の知識は国際化の時代にもかかわらず意外と乏しい。たとえば北海道の県庁所在地は札幌は常識だが、アメリカで最も面積が大きいアラスカ州の州都はアンカレッジではなくジュノーであることを知っいる日本人は少ない。地理的位置、文化、風俗、習慣などまだまだ海外の知識は不足している。

  地理学習も地図の正確な理解があって正しく読み取ることができる。だが曲面である地球上の経緯線を平面である地図面の上に移すことは不可能であるから完全な投影法というものは一つもない。どの投影法もなんらかの特長を備えている反面に、欠点もあることを承知しておかなければならない。また現在、地図の上は例外なく北である。かつてイスラム圏では宗教上の理由から上が南になっている地図も存在した。14世紀ごろからポルトラノという海図が作られ航海が盛んに行われるようになると、地図の上が北というのが定着した。これはほとんどの国が北半球にあることや、磁石や北極星で地図の方位を対比する際に北が上のほうが便利だからである。南極が上になっている世界地図を「逆さ地図」という。

( keyword;Juneau,Portlano,Global Positining System )

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節分の豆撒き

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  浅草寺節分会

  本日は節分。夜になって、「鬼は外、福は内」などと唱えながら豆を内外に投げ、鬼を追って戸口をとざす。節分の豆まきの習俗は何時ごろかわからない。陰陽道の影響があり、室町期に中国の風俗を採り入れたものと考えられている。江戸時代に民間に盛行し、社寺でも厄除神事として定着した。現代でも節分の豆撒きの風習は消えたわけではない。ただし入口に「立春大吉」のお札を貼ったりする風習は都会では見られなくなった。(2月3日)

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入口に貼られた「立春大吉」のお札(昭和30年頃)

喜望峰発見

Bartolomeu_dias    喜望峰はアフリカ最南端ではない。最南端はアガラス岬だが、歴史的理由で喜望峰の方が有名である。ポルトガルのバルトロメウ・ディアス(画像)が1488年のこの日、ヨーロッパ人で初めて喜望峰に到達した。

   ポルトガル国王ジョアン2世の命を受け、ディアスがリスボンから出航したのが前年8月のことである。ディアスを乗せた2隻のカラベル船は暴風に流されて陸地から離れ、13日間の漂流ののち、フレッシュ湾にたどり着いた。嵐のなか、知らず知らずのうちに喜望峰を回っていたのである。ディアスはさらに北東進するが、グレート・フィッシュ川の河口で、引き返すことをよぎなくされた。悪天候と食糧不足で、乗組員たちの忍耐はもはや限界に達していた。帰途、往路に気づかなかった大陸南端に立ち寄り、遭遇した嵐にちなんで「大嵐の岬」と命名し、12月に帰国した。同岬は、のちにインド航路発見の願を込めて、ジョアン2世により「喜望峰」と改名された。バスコ・ダ・ガマが喜望峰を通過し、インド南西岸のカリカットに到着したのは、それから9年後の1497年11月22日のことである。(2月3日)

福沢家の墓所

Img_138502_5164274_15   1901年のこの日、福沢諭吉は66歳で死去した。福沢諭吉の兄は三之助といい、文政9年生まれで、諭吉よりは8歳の年長である。諭吉に長崎で蘭学を学ぶことをすすめたのは三之助といわれている。長生きすれば兄の三之助も歴史に名を残すひとかどの人物になっていたであろうが、惜しいことに31歳で亡くなっている。三之助の墓を探したがわからなかった。

   福沢諭吉といえば中津藩の下級武士である。中津藩は、豊前国中津地方を領有した譜代の中藩である。三之助は、おそらく初めは中津で葬られたであろう。福沢家の墓はもともと中津にあったが、明治3年に諭吉は母お順を東京に迎え、福沢家の墓を麻布の龍源寺に仮りの菩提寺とした。その後、明治29年になって白金大崎の本願寺に移し、それが常光寺の墓である。明治34年に亡くなった諭吉も常光寺に土葬で埋められた。それから76年後に福沢家の墓を1つにまとめようとして墓を掘り返したところ、お棺のなかから屍蝋化した諭吉の遺体が仰向けになった状態ででてきた。福沢家の意向で遺体は解剖もされずにすぐ火葬に付された。現在、福沢諭吉、お錦夫妻は善福寺(港区)に静かに眠っている。(2月3日)

ラストタンゴ・イン・パリ

Photo_8   パリの街を舞台にした映画は数限りなくある。「巴里の屋根の下」「巴里祭」「巴里のアメリカ人」「おしゃれ泥棒」「シャレード」。だがどれもパリの魅力を前面に出した観客に媚びたところがあり、現代人の悲しみを描いた作品は少ない。ベルナルド・ベルドリッチ監督の「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)は性の根底にある現代人の孤独を鋭くえぐったパリを舞台にした数少ない秀作である。最初この映画の主演は、ジャン・ルイ・トランティニァンとドミニク・サンダが予定されていた。マーロン・ブランドが「自分にやらせてほしい」と名乗りをあげてきた。サンダは妊娠のため降板し、20歳の無名の女優マリア・シュナイダーが抜擢された。シュナイダーは「栗色のマッドレー」「花のようなエレ」に端役で出演したことがある程度だった。しかし彼女の父が往年の二枚目俳優ダニエル・ジュランであることはあまり知られていない。当時ジュランは女優のダニエル・ドロルムと結婚していた。シュナイダーの母はルーマニア人女性で、私生児だった。だが幼いころから芸能界への憧れは強かった。どんな役でも体当たりする覚悟はあった。マーロン・ブランドはシュナイダーに初めて出会ったとき次のように語った。「これから随分いろんなことをしなくちゃならない。だから、できるだけ僕をじっと見つめてほしい」と。シュナイダーの演技は監督の期待以上のものだった。その後俳優のマルク・ポレルと噂されたが別れたらしい。ポレルは34歳で亡くなっているし、シュナイダーの結婚歴は聞かない。マリア・シュナイダーは2011年2月3日、パリで亡くなった。世界的スターでありながら薄幸な匂いがする。まるで「ラストタンゴ・イン・パリ」のために生まれたような人生だった。

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 「危険なめぐりあい」のマリア・シュナイダー

2017年2月 2日 (木)

「エ」 事項索引インデックス

M1905021907    「エ」で始まる語句・用語、主要な人名・地名を収録する。▽「エセン」15世紀中頃の蒙古オイラート部の族長▽「エニシダ」欧州中南部原産で、マメ科の半常緑(時に落葉)性低木。黄色い蝶形花を5~6月に開く。▽「エッサイの樹」ダヴィデ王の父エッサイの家系。▽「エピファニー」1月6日。イエスの誕生を祝うためら3人の賢者が贈り物を持ってきやってきた日を記念する祭。▽「エッジワース・カイパーベルト」海王星軌道の外にある小惑星や氷・ちりなどが密集した領域。▽「エコーロケーション」イルカは超音波で反射してきた音で、獲物をさがしたり、仲間とコミュニケーションしたりする。▽「エルニーニョ現象」南米ペルー沖の近海で、毎年12月ごろ貿易風が弱まることで付近の暖流が移動して水温が高まる現象。(ええええ)

エア湖(オーストラリア)
エアコン
エアーズ・ロック(ウルル) オーストラリア
エアポート
エイ(魚鱏)永遠回帰(ニーチェの思想の基本概念のひとつ)
映画
栄華物語
永享の乱
永業田
英国式庭園
エイサー(沖縄の伝統芸能)
衛氏朝鮮
エイズ
エイゼンシュテイン,セルゲイ(映画監督)
栄西
頴尊
永仁の徳政令
頴原退蔵(国文学者)
永平寺
英雄崇拝論(カーライルの講演集)
永楽通宝
永楽帝(明成祖)
エイリアン
AKB48(エーケービー)
エープリルフール
エヴァンゲリオン
エヴァンス,アーサー(考古学)
エウダイモニア(幸福)
エウリピデス
ええじゃないか
慧遠(えおん、東晋の名僧)
エカテリナ2世
江川宇礼雄(俳優)
江川卓(野球)
江川担庵

易経
エキストラ
江木欣欣
易姓革命
江木俊夫(アイドル)
駅馬車(ジョン・フォード監督の映画)
江藤淳(文芸評論家)
エクアドル
エクスキューズ(言い訳、弁解)
エクスプロイテーション映画
エクソシスト
江口渙(小説家)
江口章子(えぐちあやこ)詩人
江口夜詩(詩人)
エグバード
笑窪(えくぼ)
エーゲ海の真珠(ポール・モーリア)
エーゲ文明
エゴイズム
エコノミスト
エコーロケーション
江差追分
エジソン,トーマス
エジプト
エジプトの神々
エジプトはナイルの賜物
絵島
懐奘
恵心僧都
恵信尼(えしんに、親鸞の妻)
SOS(エスオーエス)
SF(エスエフ)
エスカルゴ
エスキモー
エステベス,エミリオ(俳優)
エスプリ(フランス語で精神、知性、才気の意味)
エズラ(古代ユダヤの律法学者)
エセン
江田三郎
エタノール
江田船山古墳出土の太刀銘
枝豆
エチオピア
越後
越前蟹
エチュード(練習曲)
エディンバラ(イギリス)
エデン(ヤハウェが最初の人アダムとエバのために設けた楽園)
エッサイの樹
エッジワース・カイパーベルト
エデンの園
エデンの東(スタインベックの小説)
エッフェル塔
エーデルワイス
干支(えと)
江戸
江戸川乱歩
江戸城
江戸幕府
江戸町奉行
江藤淳
江藤新平
江戸屋猫八
エトワール凱旋門
淮南子
エネルギー
エノコログサ
榎本其角(俳人)
榎本喜八(野球)
榎本健一(俳優)
榎本武揚
榎本多津(女流文人)
海老(エビ)
エピクロス
海老沢亮(えびさわあきら 牧師)
ABCD包囲陣
海老名弾正
海老原博幸(ボクシング)
エピファニー
エフェソス(古代ギリシャのイオニア植民都市)
恵方詣(えほうまいり)
烏帽子(えぼし)
エホバ(旧約聖書の神の固有の名ヤハウェのこと)
エボラ出血熱
絵本
絵巻物
江間章子(えましょうこ)詩人
江見水蔭
恵美押勝
エムス電報事件
エムデン・マイヤーホフ・パルナス経路
エメラルド
江守徹(俳優)
エラスムス
エリアーデ,ミルチヤ(ルーマニアの宗教改革家)
エリオット,ジョージ(小説家)
エリオット,トーマス・スターンズ(詩人)
エリコ(ヨルダン)
エリザベス1世
撰銭令
江利チエミ
エリツィン
襟巻
エリュトゥラー航海記
エルケンチョ(アルゼンチンの角笛)
エルチチョン(メキシコ)
エルトゥールル号海難事故(1890年)
エル・ドラード(黄金郷)
エルカーノ,フアン・セバスティアン
エルニーニョ現象
エルバ島
エルベの誓い
エレジー(悲歌)
エレミヤ(ユダの預言者)
エロア資金
エローラ

延安革命
演歌
塩課
円覚寺
えんがちょ
延喜格式
延喜・天暦の治
延喜の荘園整理令
円空
円珍
縁起かつぎ
園芸
演劇
エンゲル係数
エンゲルス
遠交近攻
エンジェル
延寿祭(えんじゅさい)
援蒋ルート
猿人
袁世凱
厭世主義
エンゼルフィッシュ
遠足
エンタシス
円地文子
円珍
円爾弁円
円仁
豌豆(えんどう)
遠藤周作
エントロピー
縁日
役小角(えんのおづの)
えんぶり(八戸の田植踊)
閻魔
エンマ帳
エンメリヒ,アンナ・カタリーナ(ドイツの禁欲的修道女)
園遊会(マンスフィールドの小説)
エンリケ航海王子
延暦寺

韓国のクレメンタイン

   日本では西堀栄三郎の作詞「雪山讃歌」(1927)として知られるアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」は韓国でもよく知られている歌である。

 ネサランア ネサランア

 ナエサラン クレメンタイン

 ヌルグンエビ ホンジャトゴ

 ヨンヨン アジョ カッヌニャ

   この曲が朝鮮半島にいつ伝わったのか不明である。終戦前にはすでに知られた歌で、ジョン・フォードの映画「荒野の決闘」(1946年公開)でないことは確かである。日本植民地時代にラジオで広まった歌であろう。アメリカの歌は水死した娘を愛しむ内容だが、韓国では親と子との別れの歌で、「老いた父親一人残して、どこに行ってしまったの」という歌詞はアメリカのもと歌に近い。そのため韓国ドラマ「春のワルツ」でもイメージ・ソングとして何度も曲が流れた。チャン・ヒョク主演のドラマ「ありがとうございます」第4話「子守唄がききたい」にも使われている。韓国人にとっては親子の悲しい別れの調べとして心にひびく子守唄のようなやさしい曲である。日本人にはむかしのアニメ「珍犬ハックル」が調子っぱずれで、「オーマイ、ダーリン、オーマイ、ダーリン」と歌う。詩は1884年のパーシー・モンローズの作。原曲はスペインの曲で、コールドラッシュ時にメキシコ人鉱夫の間に広まり、それに様々な英語の詩がつけられたらしい。

自然環境の変化と世界史

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    ギルバート・ホワイト(1720-1793)の「セルボーンの博物誌」は古典的名著である。セルボーンという場所はイギリスのハンプシャー州の寒村。1789年、フランス革命と同じ年に刊行されている。「1783年の夏は、驚くべき異常な夏で、恐ろしい現象があいついで起こった」とある。この恐ろしい現象は実は日本とも深く関係している。浅間山は1783年5月9日から8月5日にかけて活動が活発化し、6月25日には大噴火が起こった。この時の噴煙は成層圏にまで達し、その後数年にわたって、そこに滞留したため、世界的な気候の寒冷化をもたらした。気温の低下は平均で、セ氏1.5度に達したと推定される。浅間山の噴火によって日本では天明の大飢饉が全国に及ぶ。津軽藩では、1783年9月から翌年6月までの餓死者は、男女合計81702人といわれる。菅江真澄は旅日記「楚堵賀浜風(そとがはまかぜ)」の天明五年八月の項に、草むらに山と積まれた餓死者の白骨を目にし、飢饉の惨状を記録している。浅間山大噴火の影響は海外にも及んだ。噴火の直後から小麦の不作がフランスを襲った。小麦価格の高騰がみられるような社会不安がフランス革命の動因となったと考えられる。気候変動が世界史を動かすことがある。

愛欲の十字架

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  跡を絶たない痴漢行為や盗撮などハレンチ事件が毎日のように新聞社会面をにぎわしている世の中。「木魚の割れ目でおもいだす」 聖職者、教師、医師、裁判官、警察官でも、心の情動にかられて、欲情行動をおこすことはあるだろう。賢者といわれたダビデ王も入浴するバテシバを見て、過ちを犯かしたことがある。人類の教師といわれるアリストテレスでさえ、こんな痴話が伝わる。マケドニア王フィリッポスは王子アレクサンドロスの教育ために、アリストテレスを招聘した。若い王子は学問よりも美少女フィリスに溺れていたため、アリストテレスは2人の仲を遠ざけた。そのことで恨んだフィリスはこの哲学者に復讐しようとして一計を案ずる。彼女は裸足でアリストテレスの窓の下を歩き、わざとその艶かしい素足を見せる。すると、たちまちは老哲学者は彼女の虜になり愛を告白したので、フィリスは、その気になったふりをして、翌朝自分を馬乗りさせて庭を歩くように指導する。フィリスに知らされて王子が庭をのぞくと、だらしなく美女を背中に乗せて悦にいっている哲学者の姿を目の当たりにして、王子は学問の限界を悟ったというのである。西欧艶笑小話の一つであるが、考えさせられるものがある。

檸檬の話

31w723dd8il__sy344_bo1204203200_   中国漢字圏ではカタカナのような元の発音に近い音で表記する記号がないので、いろいろな外来語はすべて漢字を充てている。日本でも明治になって西洋の新しい文物が移入されると、当初は漢字表記していた。瓦斯(ガス)、珈琲(コーヒー)、煙草(タバコ)、手巾(ハンカチ)、頁(ページ)、燐寸(マッチ)、果酒(ワイン)などなど。レモンは明治4年ころイタリア人が熱海に梅とレモンを日本にもたらしたとされている。

  ある調査で「読めるけど、書けない漢字」のランキングは、1位は薔薇(ばら)、2位は檸檬(れもん)、3位は葡萄(ぶどう)である。日本人は「レモン」が入って来たとき、中国語の「檸檬(ねいもう)」を借用した。中国の古辞書には宋代にすでに「黎朦」として現れており、中国語にとって外来語である「レモン」に充てた漢字かどうかは分からない。おそらく「レモン」という外来語より古くからあったという説のほうが有力である。「檸檬」と書くようになったのは、清代のことで、「n」と「l」とが交替する広東もしくは福建方言の地からである。

Img_3   テレビ情報誌「ザテレビジョン」の表紙はなぜか有名人がレモンを手に持って写っている。1982雑誌年の創刊号で薬師丸ひろ子(当時18歳)をいい表情にするためレモンを持たせた。当時はレモンを持つお決まりはなく、以後約4年間は誰もレモンを持っていなかった。ところが、177号で荻野目洋子が「私もレモンを持ちたい」とレモンを持つ表紙が復活した。以後、レモンを持つことが定番となった。

Fa14861c01ae4b83b54228246fe8b4b2菠夢 パイナップル

香蕉 バナナ

香木瓜 パパイヤ

芒果  マンゴ

橘子  みかん

甜瓜  メロン

荔枝  ライチ

萃果  りんご

西紅柿 トマト

巻心菜 キャベツ

黄瓜   キュウリ

可口可楽 コカ・コーラ

漢堡   ハンバーガー

三明治  サンドイッチ

14060027728g_view2_141224164026比薩   ピザ

蔬菜   野菜

草苺   イチゴ

葡萄酒  ワイン

蛋     たまご

可可   ココア

奇異果  キウイ

グアダルーペ・イダルゴ条約

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   スペインの支配を受けていたテキサス、カリフォルアなど米大陸西部は、1821年、メキシコに併合されたが、その後、東部からの開拓民の流入が始まり、米墨戦争(1846-1848)に発展した。1848年2月2日、アメリカの特命使節ニコラス・トリストとメキシコのルイス・G・クエバス、ベルナルド・コウト、ミゲル・アトリスタインの3名が全権としてイダルゴ市(現在のグスタボ・A・マデロ)で調印され、5月に正式に成立。アメリカに譲渡されたのは、テキサス、コロラド、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミングの一部、およびカリフォルニア、ネバダ、ユタの全域である。1853年、ガズデン購入によりアリゾナとニューメキシコの一部が譲渡された。(Theaty of Guadalupe Hidalgo)

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赤:メキシコ割譲地
橙:ガズデン購入によりアメリカへ

神聖ローマ帝国のイタリア政策の功罪

   962年のこの日、東フランク王国ザクセン朝のオットー1世はローマ教皇ヨハネス12世より戴冠された。神聖ローマ帝国の誕生である(ただし「神聖ローマ帝国」という名称そのものは15世紀のもの)。ドイツではザクセン朝、シュタウフェル朝と10世紀から11世紀までドイツ皇帝のイタリア介入は続いた。かつてのアウグストゥスやトラヤヌス、あるいはカール大帝の偉業を夢見て、神聖ローマ皇帝の関心はつねにイタリアに向けられた。世界史での評価は概ね「皇帝のイタリア介入は後年の皇帝対教皇の対立を生み、歴代のドイツ皇帝がイタリア経営に精力を注いで国内統治をおろそかにしたため、ドイツの領邦分裂につながった」としている。しかし一方で、ドイツのイタリア政策に好意的な評価もある。「イタリアを抑え、教皇を意のままに利用することが、ドイツ諸侯統御のために必要であった」との解釈も出されているから歴史の評価は難しいものだ。(2月2日)

えり子とともに

61rzqet7fal__sl500_     「雪の降る街を」は、1949年10月から52年4月までNHKラジオで放送されていた「えり子とともに」の冬の場面の挿入歌として作られた曲である。大学教授とその娘えり子が、戦後のすさんだ世相の中で、いたわり合い励まし合って、母のない家庭を守っていく話だが、主演のえり子役、劇団民芸の阿里道子の美しい声に人気が沸騰し、2年半のロングランとなった。音楽は初め、当時新進の芥川也寸志が担当したが、続編からは中田喜直に代わった。番組も終わり近くになった52年初めのある日、作者の内村直也が音楽担当の中田にいった。「今日は台本が足りなくなってね、歌を一本入れさせてもらうよ」。ビテオ編集の現在ではあまりないことだが、生放送のときはこういうことがしばしばあったのだ。30分番組で予定して書いた台本が27分で終わってしまうので、そのつじつまを合わせようとしたわけである。内村が15分ほどですらすらと書いた詩に、中田がその場でパッと曲をつけ、ドラマの中で文学座の南美江と阿里道子のふたりが歌った。放送すると、あちらこちらから反響があって、評判がいいので「ラジオ歌謡」で取り上げられた。当時フランスから帰ってきたシャンソン歌手、高英男の歌で1953年2月2日から1週間放送され、全国的に広まったのである。

 

 

 

 

 

2017年2月 1日 (水)

アイヌ人のルーツは縄文人か?

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              悪魔払い(ウニエンテ)の儀式

   アイヌ語は、大きくは北海道方言、樺太方言、千島方言とに分かれる。北海道の多くの地名や、トナカイ、ラッコ、オットセイ、シシャモなどの単語など、知らないうちに日本語になったアイヌ語も多い。アイヌ語は文字のない言語で、表記はローマ字やカタカナが使われる。文法面では、否定辞が動詞の前にくる以外は、日本語とほとんど語順が同じで、学びやすい言語の一つである。

 アッシ(着物)

 イコロ(お金)

 イトウ(神にささげる祭具)

 イヨマンテ(熊送り)

 ウタリ(仲間)

 カムイ(神)

 カムイワッカー(酒)

 キムンカムイ(ヒグマ)

 ク(弓)

 コタン(村)

 チセ(家)

 チャランケ(なんくせ)

 ヌブリ(山)

 ノンノ(花)

 ハボ(母)

 ピリカ(美しい)

 ベツ(川)

 ミナ(父)

 メノコ(女)

 ユーカラ(詩曲)

 ワッカー(水)

ヒッパロスの風

 ギリシアの商人ヒッパロスは西暦79年、アラビア人からインド洋の季節風の変化の知識を手に入れ、紅海とインド洋を結ぶ航路を開拓した。この発見により東と西とのあいだで、盛大な貿易が発展したのである。エリュトラ―航海記には「ヒッパロスの風」と書かれている。

 「ヒ」事項索引インデックス  「ピンポンダッシュ」見知らぬ家の玄関先にある呼び鈴(チャイム)を鳴らして逃げるいたずら。▽ラオスの首都「ビエンチャン」は「ビャクダンの都」の意味。▽「ビアリッツの密約」1865年にプロイセン首相ビスマルクとフランス皇帝ナポレオン3世との間に結ばれた密約。▽「ビオン」前2世紀末のギリシアの牧歌詩人。「アドニス哀悼歌」 ▽「ビオ・サヴァールの法則」定常電流のまわりに発生する磁場を微分形式で表した法則▽「人返し令」1843年、江戸に流入した人々の帰村を強制するとともに、農民の離村を禁止した。 ▽「ピラトの妻」ゲルトルート・フォン・ルフォールはドイツのカトリック文学の女性の作家で代表作は「断頭台の最後の女」「ベロニカのハンカチ」「海の裁き」「無実の罪の子ら」など。 ▽「ピボット」バスケットボールのステップ方法の1つ。片足を軸足にしてコートの同じ場所で接地し、軸足ではないほうの足は自由に動かすことができる。このステップ方法をピボットという。(ひひひ)


日明埠頭(小倉港)
ヒアシンス
ピアス
ビアスト朝(ポーランド)
ピアソン(数理統計学)
ビア樽ポルカ
ピアチュンツァ(イタリア北部)
ピアッツィ
ピアディーナ
ピアトラネアムツ(ルーマニア)
ピアニシモ
ビアフォ(氷河)
ビアフラ(ナイジェリア)
ピアリ
ピアリッツの密約
ヒアルロン酸
ビアレッジオ(イタリア中部トスカナ州の都市)
p53遺伝子
ヒヴァ・ハン国
比叡山
冷え症
ピエタ
稗田阿礼
ビエゾ電気
日吉大社(大津市)
ピエモンテ(イタリア北部の州名)
ピェリチカ岩塩鉱(ポーランド)
ビエルフォン城(フランス)
ヒエログリフ
ヒエロニムス
ビエンチャン
ビオ・サバールの法則
ビオリア(アメリカ合衆国イリノイ州)
ビオレ・ル・デュック
ビオン
菱垣廻船
東インド会社
東ゴート王国
東嶋徳左衛門(ひがしじま とくざえもん)
東山文化
東ローマ帝国
ピカソ
ヒカリゴケ
ピカリング凝固
引札
飛脚
比企能員
ヒクソス
樋口一葉
ビクトリア女王
ピグマリオン
ひげ
飛行機
彦根
ピサの斜塔
ピサロ
ビザンツ帝国
菱川師宣
ピタゴラス音律
ピック病
ヒッタイト帝国
ヒッパロスの風
ヒッポクラテス
悲田院
人返しの法
ヒトラー
ビートルズ
ピナトゥボ山
ピナ・メニケリ
ピノキオ
日野富子
檜原村
ピボット
ヒマラヤ
ヒマワリ
卑弥呼
百年戦争
白蓮教徒の乱
百科全書
ヒュースケン
ピューリタン
平等院鳳凰堂
ピョートル大帝
ビョルケ密約
ヒラー山
ピラトの妻(ルフォールの小説)
ピラミッド
ビルマ(ミャンマー)
広島
琵琶湖
貧窮問答歌
ヒンディー語
ヒンデンブルク
ヒンドゥー教
ピンポンダッシュ

ああ思い違い一行ネタ集

Img786472e4zik3zj_4 デング熱をテング(天狗)熱と思い違い。デングはスペイン語で「引きつり、こわばり、硬直」の意味。▽唱歌「故郷」♪うさぎおひしかのやま~。「ウサギ美味し」と思い違い。▽磁器「有田焼」は「ありた」、「有田みかん」は濁って「ありだ」。▽小説家の万城目学は「まきめ」、作曲家の万城目正は「まんじょうめ」。▽はんにゃ金田(かなだ)。▽叶姉妹を本当の姉妹と思っていた。▽ピアスは和製英語なのでそのままでは欧米人に通じない。▽関西学院と関西大学、かんせいがくいん・かんさいだいがく。▽FNNニュースで内田嶺衣奈アナウンサーが龍虎が亡くなったニュースの際、「訃報(ふほう)」を「けいほう」と誤読した。「訃」が「罫線」の「罫(けい)」に似ているためか。▽むかしNHKの女子アナウンサーが「団塊の世代」を「男根の世代」と、トホホの誤読。▽宅配便の箱に「天地無用」と書かれている。上下逆さまになってもかまわないと誤解する人が多いが、実際は「上下逆さまにしてはいけない」ということ。▽フリーマーケットのフリーは free(自由)ではなく、蚤を意味するflea(フりー)である。▽テレビを見て娘が「こばやしあさひ」って言うので誰かと思ったらマイトガイ小林旭。▽「天才バガボン」の歌に「♪西から昇ったお陽様が東へ沈む」とある。この歌に影響されていまだに太陽が西から昇ると思い込んでいる中年がいる。▽誤読例。「凡例」を「ぼんれい」(正しくは「はんれい」)。「根抵当権」を「こんていとうけん」(正しくは「ねていとうけん」)。「世迷い言」を「よまよいごと」(正しくは「よまいごと」)。「諸刃の剣」を「もろはのけん」(正しくは「もろはのつるぎ」)。「依存心」を「いぞんしん」(正しくは「いそんしん」)。▽ネット選挙という新語。政党や候補者がインターネットを使って選挙運動できるようになったことだが、ネットで投票できると誤解する人が多い。▽NHK新BS日本のうた、会場は座間市。ところで座間市は沖縄県ではなく、神奈川県にある。▽米ワシントン州。東部ではなく、西海岸最北部にある。▽出汁は「でじる」ではなく、「だし」と読む。

まるっきり違う意味がある英単語集

D0212756_11233319   マーブル・チョコレートmarble chocolateというお菓子がある。マーブルとは「大理石」という意味もあるが、まるっきり別の意味で「おはじき」がある。ここでは「おはじきのようなチョコレート」という意味だろう。

   まるっきり違う意味がある英単語で、有名なのはブルー blue。「青い」という意味と「憂うつな」「悲しい」という意味がある。▽ネイルnailも「爪」の意味だが、「釘」もある。▽レイプrapeは「強姦」という意味のほか、「菜の花」もある。▽「陣痛」のことをレイバーlaberというが、「労働」を意味するレイバーとまったく同じ単語。もともとラテン語のtoil(苦役、苦痛)から来ている。▽アンカーanchorは、もともと「錨」のことで、「どっしりと安定した頼りの綱」という意味で、リレーの最後に走る人を表わすようになった。

age    年齢 時代

bank   銀行 堤

bat     野球のバット こうもり

baw    お辞儀する 舳先 弓

case   箱 場合

corn   トウモロコシ、足指の魚の目

die     死ぬ サイコロ

fame   名声、売春宿

figure  数字、フィギュア

field    野原 分野

gay     同性愛者、陽気な

vessel   容器 船

plane    飛行機 平面

saw      のこぎり ことわざ

school   学校 魚などの群れ

sound    音  海峡

spring    春  泉

star     星  人気者

staff    職員 つえ

staple  主要産物 ホッチキスの針 繊維

story   物語 建物の階

sty     豚小屋、ものもらい

swallow   飲み込む つばめ

tear     涙 引き裂く

toast   トースト 乾杯

trunk   大かばん (鉄道の)本線

well     上手に 井戸

wire     針金 電報

テレビ放送記念日

Tv41

   1953年2月1日、NHKが日本初のテレビ放送を行った。当日は、東京千代田区内幸町の放送会館第1スタジオから菊五郎劇団の「道行初音旅」や映画などが放送された。当時の受信契約数は868、受信機18万円、受信料は月額200円だった。1962年にはTV受信契約が1000万台を突破し放送も全日になった。

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