白蛇姫、野溝七生子
大正5年、19歳の野溝七生子は同志社大学英文科専門部予科に入学した。夏ごろ、体調を崩し、比叡山で兄弟三人で療養生活を過ごしていた。そのころ、辻潤は伊藤野枝と別れて、「唯一者とその所有」を翻訳するために、友人の武林無想庵の紹介で訪れた比叡山で野溝七生子と出会った。辻は、わが心の永遠の女性として、彼女にオマージュを捧げている。
ふみにじられた雑草の
最初の花束を
わが観自在白痴菩薩
白蛇姫の御前にささぐ
わがままにして従順なる汝の奴隷 風流外道跪拝
ただしこれは辻の片思いであった。辻潤の永遠の人、野溝七生子(のみぞなおこ)とはどういう女性なのだろうか。
野溝七生子(1897-1987)。明治20年1月20日、父野溝甚四郎、母正尾の二女として、兵庫県姫路市で生まれる。野溝家は代々豊後竹田の在で、中川家に仕えた士族であった。大正12年、震災のために東洋大学が休校となり、実家に帰省。上京後の10月末頃、福岡日日新聞の懸賞小説募集広告を知り、「山梔(くちなし)」を応募し入選する。歌人の鎌田敬と同棲、戦後は東洋大学で文学を講じながら、ホテルに一人暮らす。昭和53年、瀬戸内寂聴「諧調は偽りなり」でのトラブルが話題となった。野溝は辻潤との交際に関する記載が事実でないことに激怒し、瀬戸内は謝罪した。それと前後して病気が進行しホテル滞在ができなくなり、老人専門病院に移った。昭和62年、2月12日、急逝心不全のために仁友病院で死去。90歳。
野溝七生子にとっては辻潤との関係を取り沙汰されることは、迷惑なことであったであろう。しかし、辻にとっても七生子の影響は大きかったようだ。後年の辻の放浪生活はここから始まる。
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