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2017年1月10日 (火)

トマス・ペイン

Paine   1776年1月10日、トマス・ペインが「コモン・センス」を発行、アメリカ独立の気運を高め、「人間の権利」はフランス革命にも影響を与えた。ペインはイギリスのノーフォーク州セットフォードで生まれた。父はクェーカー教徒で、コルセットの製造業者であった。若いときに船員、教員、税務官吏などをして非常に苦労し、また家庭においても最初の妻とは死別し二度目の妻とはうまくいかず不幸であった。ペインは1774年アメリカへ渡った。1776年に「コモン・センス」をフィラデルフィアで刊行する。その主旨は「政府は人がつくったものであるから、これに反抗しても神を冒瀆するものではない。イギリス政府は不正にみちている。それは君主の世襲制という不合理からきている。それゆえイギリス政府から独立して独自の政府をつくるべきである。植民地は独立する力をもっているし、この機会を逃せば永久に機会は二度しはない」というもの。すでに前年からイギリスとの武力衝突が始まり、アメリカは和解か独立かの決断を迫られていた。ペインは世襲君主制の否定とイギリス本国からの独立を当然の常識(コモンセンス)であると訴え、ワシントンは「多くの人々の心中に強力な変化を引起した」と評価している。その後ペインは南部に従軍しながら「危機(クライシス)」と題するパンフレットを執筆した。それはどれも「いまや魂の試練のときである。」という感動的な一句で始まっている。「コモンセンス」がアメリカ独立戦争(1775-1783)に与えた影響はよく知られているが、彼がフランス革命(1789-1799)にも大きな関わりがあったことは意外に知られていない。1789年7月14日、フランス革命は始まったが、その後の革命が進展するなかで、イギリスの下院議員エドマンド・バークの「フランス革命についての省察」に対して、ペインは1791年から1793年までに「人間の権利」第1部、第2部をロンドンで出版した。それはフランス革命を弁護するにとどまらず、共和主義の諸原則を表明するものである。人間の権利に基づいた統治形態は、西から東に向かって拡大し、代議制は最も優れた統治形態であり、憲法がその統治に必要不可欠であるとした後で、それらをともに備えているのはアメリカ合衆国のみであることを指摘している。その後ペインはジロンド派と行動をともにしたが、ナポレオンの独裁政権が樹立されると、1802年再度アメリカに移住した。だが最後のペインのアメリカでの7年間は失意のうちにニューヨーク市で死んだ。

   ペインの立場は思想的にはデモクラシーと立憲主義とを結合したものであった。それは明らかにアメリカにおける革命の成果にほかならない。デモクラシー革命が、まずアメリカに始まり、次いでその影響のもとにフランスに起こり、やがて全ヨーロッパに波及したものであるとすれば、デモクラシー革命の時代を象徴する思想家として、ペインにまさる人物はないであろう。(参考:阿部斉「トマス・ペイン」『ブリタニカ国際大百科事典』) Thomas Paine,Common Sense 1月10日

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