デュマ・フィスとマリー・デュプレシス
「わたしがはじめて彼女を見かけたのは、一年前、プールスの広場のシュッスという店の入口でした。無蓋の四輪馬車がその店先にとまると、中から白い衣裳をつけた女がおりてきた。わたしは彼女が店に入った瞬間から、出てくるまで、そこに釘づけにされてしまった。彼女はすそ飾りのついたモスリンの衣裳をまとい、すみずみに金糸の刺繍と絹の花飾りをつけたインド織りの四角なショールを肩にかけ、イタリア製の麦わら帽子をかぶり、当時はやりはじめていた太い金鎖の腕輪をはめていました。彼女はふたたび馬車に乗って行ってしまった。彼女の名前はマルグリット・ゴーチェ。」
デュマ・フィス(1824-1895)の有名な小説「椿姫」のマルグリット・ゴーチェには実在のモデルがあった。いつも胸に椿の花を飾っていたマリー・デュプレシス(1824-1847)、本名アルフォンシーヌ・プレシスである。サン・ジェルマン・ド・クレルフィユで錫かけ屋の娘として生まれた。父からの虐待を逃れて母とパリに来る。だが母も8歳の時に亡くなり、親戚に預けられる。12歳のころからパリの街を徘徊し男を知る。洗濯屋や帽子屋で働いたが、やがて彼女は高級娼婦となった。1846年、エドワード・ベルゴー伯爵と結婚するが、彼女は重い病にかかり、1847年2月3日、わずか23歳という若さで早逝する。遺言は「夜明ける頃に埋葬してほしい。それもどこか人知れぬ遠い場所に大げさな騒ぎなしに埋葬してほしい」だった。
当時の批評家ジュール・ジャナンの言葉によれば、彼女は娼婦ながらもあたかも貴婦人のような人品をそなえていたという。青年デュマ・フィスのロマンチックな情熱と正義感が、この女性を椿姫という永遠の美しい女性像に創りあげたのであろう。デュマ・フィスとプレシスの墓はパリのモンマルトル墓地にあり、今でも訪ねる人はたえない。
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グレタガルボの「椿姫」、儚げで美しい。
投稿: | 2015年2月 2日 (月) 21時36分