朝日・毎日の全国制覇(大正末期)
関東大震災によって、東京を本拠とする新聞社・国民新聞、時事新報・報知新聞などは大きな打撃を被った。ところが、東京朝日・東京日日は、本社が大阪にあるので、復興もはやかった。東京朝日新聞社は、ただちに編集局を帝国ホテルに置いて発行をつづけた。朝日新聞社は、大正14年、日本ではじめての訪欧飛行を実施し、二機の朝日新聞社機が、中国・シベリアを経由してローマへ飛んだ。大阪毎日新聞は、大正13年1月1日付で、部数100万部突破の社告を出す。大阪朝日新聞も同年1月2日付で100万部突破の社告を出した。朝日・毎日は、このころから名実ともに全国紙としての地位にのし上がった。
昭和2年、数寄屋橋に朝日新聞社が竣工した。のちに、隣に日本劇場が建ち、有楽町は銀座の中心としての地位を確立する。同じころ、大阪には朝日会館が竣工した。展示会場とホールを備え、大阪文化の中心となる。
« 成島柳北「歳旦の口占(こうせん)」 | トップページ | 妻を娶らば陰麗華 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 冨山房と坂本嘉治馬(2019.03.23)
- どんな本を読もうかな?(2018.10.26)
- 戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊(2018.08.13)
- 素敵な本との出会いを求めて(2018.03.18)
- 広沢が借りた本の謎?(2017.06.04)
コメント