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2017年1月12日 (木)

絵島生島事件

Photo_10    三宅島は東京から南南西175km伊豆諸島のほぼ中央で、大島、八丈島についで三番目に大きい島である。事代主命が渡島し、付近の島々を治めたという伝説があり、12の延喜式内社があることから宮家島といったのが島名の起源という。また8世紀に多治比直人三宅麿が流されたことによるとの説もある。源為朝の居住跡、竹内式部の墓などもある。江戸時代は流刑地で「絵島事件」の生島新五郎は正徳4年(1714)から寛保2年(1742)まで28年間、この島に流された。

    生島新五郎(1671-1743)は、寛文11年、大坂に生まれ、貞亨元年に野田蔵之丞の名で木挽町の芝居小屋・山村座の舞台に立つ。元禄4年、生島新五郎と改名。徳川家継の時、正徳4年1月12日、大奥御年寄の絵島(1681-1741)が寛永寺、増上寺へ参詣した帰途、当時人気絶頂の歌舞伎役者・生島新五郎の山村座に立ち寄ったことが露見し、大奥の門限に遅れ、いわゆる「絵島事件」にまで発展した。かくて絵島は1714年3月5日、信濃高遠(現・長野県伊那市)へ、生島は三宅島へ流され、そのほか処罰者は大奥・御用商人・歌舞伎界に及んで1500人にものぼった。28年間、囲屋敷幽閉の末、病に倒れた絵島は生島の名を呼びつづけて、その生涯を終わった。寛保2年2月、生島は徳川吉宗により赦免され、江戸に戻ったが翌年、小網町で没した。

   舟橋聖一の新聞小説「絵島生島」(東京新聞昭和28年9月~29年11月)を原作に淡島千景、市川海老蔵主演で「絵島生島」(大庭秀雄監督、昭和30年)が映画化されている。

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