幕末期江戸の変化と新徴組
嘉永6年6月、ペリーが浦賀に来航、こうして幕末の政争がひきおこされるのである。開国による経済的諸変化により、物価は高騰し、中下層農民や都市下層民に著しい動揺と混乱を与えた。慶応2年5月、米などの安売りを要求して穀屋、酒屋、質屋などの富裕な商人を打ち壊しの動きがあり、市中の混乱は次第に激しくなる。幕府浪的士組の清河八郎の横死後、浪士組は新徴組として再組織された。文久3年4月のことである。屯所は江戸の本所に設置され、高橋泥舟、山岡鉄太郎が幹部であった。元治元年には勤王色を一掃して庄内藩主・酒井忠篤の預かりとなる。幹部は中村又太郎ほか14名。戊辰戦争では新徴隊として各地に転戦するが、明治元年9月下旬、庄内藩の降伏で解散。幕末の女剣士・中澤琴(1839-1927)は兄・中澤良之助とともに上洛し、のち新徴組に加わる。目鼻立ちの整った美人といわれる。
結成時の隊士。取締・俣野一郎右衛門。幹部は根岸友山、山田官司、徳永大和、武田元記、大館謙三郎、黒田桃珉、常見一郎、斎藤源十郎、青木慎吉、山本仙之助、高橋亘など。隊士は芳賀忠治、森土鉞四郎、村上常右衛門、金子正言、西恭助、宇都宮左衛門、大内志津馬、須永宗司、黒井卓一郎、大村達尾、金子竜之助、藤林鬼一郎、管野正助、林茂助ほか。なお、新徴隊になってからの幹部は中村又四郎、中村錦三郎、白井為右衛門、仁科五郎、渡辺平作、玉城織衛、天野静一郎、稲田隼之助、長屋源平、中沢貞之助、黒井卓一郎、満岡元司、本多源三郎、水野倭一郎、荻野良造、大島学ら。
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