無料ブログはココログ

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月31日 (火)

五つ子誕生の日

1

    1976年月のこの日、鹿児島市立病院でNHK政治部記者山下頼充、紀子夫妻に五つ子が誕生。5人は元気に今年で40歳になる。世界には、オーストラリアの九つ子をトップに、メキシコで八つ子、スウェーデン、ベルギー、アメリカの七つ子が知られている。(1月31日)

2017年1月30日 (月)

デュマ・フィスとマリー・デュプレシス

La_dame_aux_camlias_daprs_charles_c     「わたしがはじめて彼女を見かけたのは、一年前、プールスの広場のシュッスという店の入口でした。無蓋の四輪馬車がその店先にとまると、中から白い衣裳をつけた女がおりてきた。わたしは彼女が店に入った瞬間から、出てくるまで、そこに釘づけにされてしまった。彼女はすそ飾りのついたモスリンの衣裳をまとい、すみずみに金糸の刺繍と絹の花飾りをつけたインド織りの四角なショールを肩にかけ、イタリア製の麦わら帽子をかぶり、当時はやりはじめていた太い金鎖の腕輪をはめていました。彼女はふたたび馬車に乗って行ってしまった。彼女の名前はマルグリット・ゴーチェ。」

    デュマ・フィス(1824-1895)の有名な小説「椿姫」のマルグリット・ゴーチェには実在のモデルがあった。いつも胸に椿の花を飾っていたマリー・デュプレシス(1824-1847)、本名アルフォンシーヌ・プレシスである。サン・ジェルマン・ド・クレルフィユで錫かけ屋の娘として生まれた。父からの虐待を逃れて母とパリに来る。だが母も8歳の時に亡くなり、親戚に預けられる。12歳のころからパリの街を徘徊し男を知る。洗濯屋や帽子屋で働いたが、やがて彼女は高級娼婦となった。1846年、エドワード・ベルゴー伯爵と結婚するが、彼女は重い病にかかり、1847年2月3日、わずか23歳という若さで早逝する。遺言は「夜明ける頃に埋葬してほしい。それもどこか人知れぬ遠い場所に大げさな騒ぎなしに埋葬してほしい」だった。

  当時の批評家ジュール・ジャナンの言葉によれば、彼女は娼婦ながらもあたかも貴婦人のような人品をそなえていたという。青年デュマ・フィスのロマンチックな情熱と正義感が、この女性を椿姫という永遠の美しい女性像に創りあげたのであろう。デュマ・フィスとプレシスの墓はパリのモンマルトル墓地にあり、今でも訪ねる人はたえない。

三顧之礼

  日本のことわざに「三度目の正直」があるが、イギリスの諺にも「Third time lucky.」(三度目はうまくゆく)がある。これに関する西洋の故事は知らないが、中国では「三顧の礼」の故事がよく知られている。三顧之礼は人材を厚く迎えるために礼を目上の人が何度も足を運び礼を尽くすことであるが、3度も繰り返すというところは「三度目の正直」の発想と通じるところがある。 孔明の「出師表」の中で「臣を草廬に三顧し」と記されており、ここから、手厚く礼をつくすことを「三顧の礼」というようになったのであるが、戦前の国語の教科書でも取り上げられた故事である。

20130724115241bbc

    諸葛孔明は、戦乱の世を避けて、襄陽の西、隆中山の臥龍岡という丘に草廬を結んで静かに暮らしていた。村人たちは臥龍先生といって尊敬していた。

   白雲いういう去りまた来る

   西窓一片、残月あはし

   浮世をよそなる 静けき住居

   出でては 日ごと 畑を打ち

   入りては 机に 書をひもとく

  劉備玄徳は、新野の県城に駐屯していたが、ある日、学者の徐庶は隆中に住む諸葛孔明という人物こそ「臥龍」(眠れる龍)であるとして劉備に強く推挙した。そこで劉備は礼をあつくし辞をひくくして訪ねていったが、孔明は不在とのことで、会うことはできなかった。 

  建安12年12月、劉備は再び関羽、張飛を連れて会いに行く。朔風凛々として雪が降る。張飛は不平をいいだす。「いかなれば軍をせずして、無益の人を遠く訪ねたまふ。まず新野へ立ち返りて、この大雪をさけたまえ」劉備の曰く「吾かくするは孔明に慇懃の意を知らしめんためなり。汝寒気をいとわば、ここより帰れ」張飛が曰く「吾は死することをも恐れず。なんで寒気をいとうことあらん。ただ益も無きことに心を苦しめたもうを思うやゆえなり」劉備の曰く「汝かならず多言することなかれ」

 だが、この時も会えず、空しく新野に帰る。

 年が改まって、三度孔明を訪ねようやくにしてその目的を果たした。時に孔明27歳、劉備47歳であった。いわゆる「三顧の礼」をつくして、劉備は孔明の出廬を懇請したのである。

   雪降り乱れる 冬のあした

   風なほ冷たき 春のゆうべに

   劉備が三顧の こよなき知遇

   我が身を捨てて 報いんと

   起ちてぞ出でぬる、草のいほり

 (引用の詩は尋常高等小学校国語 6年「孔明」より)

ガンジーは何故ノーベル平和賞を授与されなかったのか?

Mahatmagandhi     インド独立の父マハトマ・ガンジーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた。しかし受賞することなく、1948年1月30日、ヒンドゥー教徒に暗殺された。のちにノーベル財団は次のような理由をあげている。1937年は、彼の運動がインドに限定されていることへの批判があった。1947年は、ガンジーが非暴力主義を捨てるかのような発言をしていた。1948年は、故人に対してノーベル賞を与えるかで議論された。当時は規定で除外されていなかったが、最終的に、故人に賞を与えるのは不適切だという結論となり、以降、ノーベル平和賞は政治的に利用される権威付けの道具となってしまった。(Karamchand Gandhi)

Photo
  「塩の行進」の銅像。1930年、イギリスによる塩の専売制に反対運動を行なった。先頭がガンジー。

チャールズ1世の処刑

King_charles_i_1628_ad   ヘンリー王子がアフガンでタリバンを殺害したことが話題となっている。兄の名がウィリアム、父がチャールズ。映画「英国王のスピーチ」はジョージ6世。英国王の名前は、1000年の歴史でもリチャード、エドワード、ヘンリー、ウィリアム、チャールズ、ジョージ、ジョンなど10種類くらいしかない。1649年のこの日、チャールズ1世が清教徒革命で処刑された。12年後、王政復古によりクロムウェルの墓が暴かれ、遺体の首が刎ねられたのも今日である。チャールズ1世は英国史でも有名な国王の1人で、関ヶ原合戦の年に生まれたので、1600年から1649年と生没年が記憶しやすい。

    王権神授説を信じたイギリス王チャールズ1世は、議会を解散し、以後11年間にわたって議会を開くことなく、専制政治をおこなった。1639年、カルヴァン派(長老派)の強いスコットランドに国教を強制したことから反乱が起こった。1642年国王は北部のヨークに逃れ、ノッティグガムで兵を挙げた。1642年10月、エッジ・ヒルの戦いは勝敗なく終わったが、議会派にオリヴァー・クロムウェルが現れると、鉄騎兵を編成し、1644年7月2日、マーストン・ムーアの戦い、1645年6月、ネーズビーの戦いで国王派は敗れ、第1次内戦は終結した。

   1647年12月、チャールズ1世はスコットランドへ逃亡し、これと軍事同盟を締結して革命軍に対抗し、第2次内乱が始まった。革命軍は国王軍ならびにスコットランド軍を破り、1648年3月再び国王は囚われた。一旦は脱出したものの、1648年11月、国王はワイド島のカリスブルック城に難を避けた。しかるに議会の多数派なる長老派は王との妥協を決議した。ここにおいて、クロムウェルはプライド大佐(?-1658)に命じて長老派議員140名を議会から締め出して、わずか60名の独立議員(ランプ議会という)で1649年1月1日、国王チャールズ1世の特別裁判所設置法案が可決された。反逆罪で裁かれたチャールズ1世は、1月27日に死刑の判決が下され、1月30日ロンドンのセント・ジェームズ宮殿からホワイトホールの門を出て、ホール前につくられた処刑台に登った。最後まで身につけていた宝石と勲章をカンタベリー大司教に渡し、首切り台に身をかがめると、群衆のうめき声のうちに、チャールズ1世の首がころげ落ちた。(Charles,Henrry,William)

 

7341903111t

2017年1月29日 (日)

土葬の話

   米の世論調査によれば、非武装のビンラディンを殺害したことに関して93%の人がこれを支持し、不支持はわずか3%だったそうだ。殺害と拘束とどちらが良かったかについては、殺害派60%、捕獲派33%である。遺体の扱いに関してはデータはないが、ビンラディンを水葬にしたことについてはイスラム関係者から非難の声が上がっている。カイロのアズハルモスクは「宗教上の慣習からいって埋葬して丁重に弔意を示すべきだった」と声明している。米国防総省は水葬した理由については、土葬する土地が手配できず、遺体を引き取る国が見つからなかった、と述べている。死者の弔葬は重要である。とくに敵対関係にあった人物を殺害した場合、遺体をどのように扱ったかによってでさらなる憎悪が生じるとも限らない。イスラム、キリスト教国、中国、韓国では土葬である。土葬は最も一般的であり、死者の国が地下にあるという観念と結びついている。インドでは土葬、火葬、水葬、風葬などの四葬が古くから行われたが、火葬は荼毘と称して、仏教徒によって、仏教文化とともに周辺に広まった。日本も基本的には土葬であったが、戦後、土地の事情などから火葬となっている。ヨーロッパでも火葬が普及している。要するに土葬にしたいものの場所と経費がかかるので、各国とも火葬にするのが一般的である。ただし特別な政治的な要人は別格で、毛沢東、レーニン、金日成、ホーチミンらは土葬されている。1970年代から1990年代にかけて中華圏で活躍した永遠なるアジアの歌姫テレサ・テンが42歳の若さで急死した。あまりの突然の悲しみに世間はおどろき、準国葬の葬儀をしたたけでなく、なんと永遠の姿を残そうとエンバーミングなどの処理が施され、土葬扱いとなった。台湾では、蒋介石、蒋経国、テレサテンの3人だけである。

井上靖の臨終の言葉

Photo
愛用の万年筆「モンブラン・マイスターシュテュック146」(神奈川近代文学館所蔵)

    井上靖は平成3年1月29日、83歳で亡くなった。家族の見守るなか、最後の言葉を残している。「臨終とはこういうことだ。しっかりと見ておきなさい」と。

  明治40年5月6日、北海道石狩国上川郡旭川町(現・旭川市)で生れた。生後、約1年で父の郷里である静岡県伊豆湯ヶ島に移り住む。従って文学記念館は、昭和48年には静岡県沼津に「井上靖文学館」、平成5年に北海道旭川に「井上靖記念館」が開館している。このほか鳥取県に「アジア博物館・井上靖記念館」(米子市大篠津町)が平成5年に開設している。井上靖と鳥取との関わりは、妻ふみと子供たちを日南町に疎開させたからである。井上は歴史小説、現代小説、美術評論など多彩であるが、晩年はシルクロードに関する著作が多く、アジア博物館はその特色を活かしている。

2017年1月28日 (土)

日本難読地名あれこれ

Img_1464510_58854395_0  かつて沖縄北方担当相の島尻安伊子が、北方領土の1つである「歯舞」の漢字を読めなかった。「はぼまい」はそれほど難読地名ではないとおもうのだが・・・。中学校の社会科の教科書にも出ている。義務教育レベルの話か。日本には難読地名は多い。古代、中世の地名が現在も苗字、町名などに残ってる場合がある。畔蒜(千葉県袖ヶ浦市)、枳原(宮城県高千穂) 訓覔(広島県高田郡高宮町) 不入斗(神奈川県横須賀市、千葉県富津市) 挙母(愛知県豊田市) 寒河江(山形県)。「あびる」「げずはら」「くるめき」「いりやまず」「ころも」「さかえ」。千葉県匝瑳市(そうさし)、鹿児島県姶良市(あいらし)、埼玉県加須市(かぞし)、山口県下松市(くだまつし)などもなかなか読めない地名である。

   大分県高島にある海獺碆灯台。「あしかばえ」と読む。千葉県船橋市鈴身町に「行行林」という地名(字名)がある。その読み方はたいへん難しい。「おどろばやし」と読む。淡路島にある弥生時代の遺跡「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」。遺跡名は字(あざ)を使用することがあるので難読名がある。

日本人のルーツは北方から、南方からか?

1299283384203122_4

  3万年前の東アジアは、気候が寒冷化し、年平均気温は今日より7~8度も低かったるそのため海面が下がって日本海が生まれ、そのまわりに陸橋が形成される。この陸橋沿いに大陸から北方系の哺乳動物が南下し、それを追って人びとも南下したようである。気候は1万5千年前から温暖化に向かい、降水量の増加にともなって、ブナやナラ類の落葉広葉樹の森が形成されたという。そして、約1万3千年前、バイカル湖周辺に住んでいた人びとが移動し、一派はサハリンから北海道を南下して本州の日本海側に到着、別の一派は朝鮮半島から幅約7.5キロの陸橋を南下して九州へ入った。彼らの食糧源は、森のナッツ類や山菜、動物やサケ、マスなどの川魚であったろう。
   2010年、沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で2万年前の旧石器時代の人骨が発見されたことは重要である。1万数千年より前の旧石器時代の人骨は10例ほどあるが港川人は約18000年前、 浜北人は14000年前で、今回が最古である。

  地質学でいう第四紀は約1万年前を境に更新世と完新世に分けられる。戦前の考古学界では、更新世には日本列島にはまだ人類は住んでいなかったと考えられていた。ところが昭和24年、群馬県岩宿の関東ローム層の中から打製石器が発見され、それが契機となり、日本にも旧石器文化があると考えられるようになった。考古学の時期区分として、世界的には更新世に属する人類文化を旧石器文化と呼ぶ。ただし、後続する時代については、日本では「新石器時代」ではなく、「縄文時代」「弥生時代」というのが一般である。

  それはさておき、日本人のルーツに関してはまだ解明されない点が多い。日本人を含むモンゴロイドは古モンゴロイドと新モンゴロイドに分けられる。現代日本人には新モンゴロイド的特徴が色濃く認められるが、人類学的見地からは、日本人の基層は南方の古モンゴロイドであったと考えられている。最近のDNAの調査によると、縄文人と東南アジア人とのDNAの塩基配列を比較したところ、両者に共通の起源をもつ可能性が明らかとなった。南西諸島から旧石器時代の人骨が出土することは、考古学上の資料からも、日本人の南方起源が有力となってきたということである。1967年、沖縄県島尻郡志頭村港川の海岸に近い石切り場で人骨が発見された。この人骨は、約1万8000年前から1万7000年前のものと推定される。沖縄県立博物館にある港川人復元像をみると、先ごろ結婚を発表された澤穂希さんによく似ている。澤さんの風貌は旧石器時代の日本人をよく現代に伝えている「なでしこ」そのものである。

PhotoMinatogawajinnfukugenn_r1


ケペル先生の何でも相談室1

Detail_from_a_painting_of_napoleon  世の中、どんなことでもインターネットを使って情報を探すとわかるようになった。だが時には調べてもわからないこともある。レファレンスとは、一言でいうと利用者の要求に応じて情報提供するサービスである。村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」に登場する作家デレク・ハートフィールドは架空の人物であるが、読者から「デレク・ハートフィールドの著作を読みたい」というリクエストに応じて司書が著作を探しては首をかしげるという誤解が後を絶たない。ここでは基礎的なレファレンスの質問事例をあげる。

Q ナポレオンのあの帽子の名前は?

A ビコルヌ(Bicorne)という。その biは2つという意味、corneは角を意味する。18世紀には三方を折り上げた三角帽(トリコルヌ)から派生し、18世紀末になると二角帽(ビコルヌ)が流行する。ナポレオンがよく使用したので一般にナポレオン帽と呼ばれることが多いが、ビコルヌはナポレオン専用の帽子というわけではなく、19世紀前半まで世界で使用されている。

Q 鎌倉時代、臨済宗をひらいた僧に栄西がいますが、この僧の名称はエイサイ、ヨウサイ、どのように読むべきか?

A 栄西を「ヨウサイ」と呼ぶ一説は、懸声に由来するといわれています。また高峰東峻が著した「興禅護国論和解」の写本(両足院蔵)には、「イヤウサイ」と仮名が付されていた。これによって建仁寺では「ヨウサイ」と呼んでいた。ただし、「エイサイ」の読みが間違っているというわけではなく、両方の読みがあるようである。2014年の「栄西と建仁寺」展では「ヨウサイ」と読んでいる。

Q 巣鴨にある「とげぬき地蔵」の縁起とその縁日を知りたい

A とげぬき地蔵の通称で知られる高岩寺は東京都豊島区巣鴨にある曹洞宗の寺院。江戸時代、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承があり、これが「とげぬき地蔵」の由来となった。縁日は、毎年4の付く日、特に1月、5月、9月の24日は例大祭で、普段より多くの人が参詣する。

PhotoQ JISマークは誰が考案したか、氏名が知りたい

A 1949年、日本の工業製品に関する規格や測定法などが定められ、JISに適合している製品にはJISマークが表示されるようになった。この図案は当時通産省工業技術院の職員だった高橋重(たかはし しげ)のデザインが採用された。2005年から新しいJISマークが開始された。このときは公募で水野尚雄のデザインが選ばれた。

Q 酒呑みをトラというのはなぜか

A お酒が入ると暴れてしまうような酒癖の悪い人、酔っ払いのことをトラ、大トラなどと呼ぶことがある。動物に譬えるとしてもなぜトラなのでしょう。室町時代の古辞書「壒嚢鈔」によると中国で古来から酒のことを「竹葉(ちくよう)」という。「竹の葉の露が溜まりまして、それが酒となったのに因みまして、竹葉という」とある。これになぞらえて「ささ」、笹薮に潜むのが、猛々しいトラである。つまり笹からトラが出る様を洒落て作られた言葉なのです。

Q 国産初の輪ゴム、製造者とその目的は?

A 輪ゴムの歴史は、1820年、イギリスのトマス・ハンコックという人が、中南米の先住民族が使用していたのを見て考案した。その後、1845年、ゴム加工業者スティーブン・ペリーによって輪ゴムが製造された。日本には大正時代末期から輪ゴムが使用された。共和護謨合資会社の西島廣蔵(1889-1977)が1923年、自転車のチューブを薄く切り、輪ゴムとして生産したのが国産第一号である。きっかけは日本銀行からお札を束ねるのに何かいい方法はないものかという話があって、考えついたと自著にある。(参考:「私の歩み 西島廣蔵追想録」 1978年刊行)

Q かなてこの「バール」は、何語からきたことばかを知りたい

A L字型に曲がった釘抜き「バール」は商品名で、英語の crowbarが訛った形と考えられる。

Q 俳句の季語「早苗饗」のよみ方と意味を知りたい

A さなぶり。田植えを終って田の神を送る祭り、またその祝宴や休日。夏の季語。

Q 万葉植物のアサガオは現在の何か。異説も知りたい

A 桔梗。山上憶良の歌に「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなえし また藤袴 朝貌(あさがお)の花」と秋の七草を詠んでいるが、最後の「朝貌」は私たちが知っているヒルガオ科のアサガオではない。現在のアサガオは平安時代に中国から渡来したもので、万葉植物の朝貌は、桔梗(ききょう)と考えられる。最古の漢和辞典「新撰字鏡」(901年ころ)で桔梗の説明に「阿佐加保(アサカオ)」とあり、今では桔梗説がほぼ通説となっている。ほかにも、木槿(むくげ)、昼顔(ひるがお)とする説がある。

Q 「レポート作成法 インターネット時代の情報の探し方」(日外アソシエーツ、2003年)の著者「井出翕」の読み方が知りたい。

A いでさかり。

Q 漢字書きの西洋人名で「馬雪浮」の読み方と原綴名を知りたい。

A マッキ―バー Robert Morrison Maclver 1882-1970 アメリカの社会学者

Q 「ただの水は飲むな」はどこの国のことわざか?

A 世界各国にたくさんのことわざがあって、意外と探すのはむずかしい。北村孝一の「外国のことわざ」(アリス館)に「ただの水を飲むな」(88頁)はトルコのことわざとあります。インターネットで探すと「無料の泉の水は飲むな」とあります。

Q 「愛及屋烏」の意味と出典

A 「あいきゅうおくう」読み下すと「愛は屋烏(おくう)におよぶ」。人を愛すると、其の家の屋根のカラスまで好きになるということから、愛するとその相手に関するすべてに愛情が及ぶとするたとえ。痘痕もえくぼ。出典は『尚書大伝』牧誓篇、『説苑』貴徳から。

Q 歌詞に「僕は君のトロイ・ドナヒュー、あなたは僕のサンドラ・ディー」とある曲は?

A バッドリー・ドローン・ボーイの「One last dance」に「I'll be your Troy Donnahue
 If you'll be my Sandra Dee」とある。

Q.中国歌曲「阿里山的姑娘」(または高山青)はいつ頃作られた歌か?

A.従来、台湾の高山族の伝統的な民歌と紹介されてきたが、実は映画の主題歌である。映画「阿里山風雲」(1947年)で歌われている。香港からきた映画監督、張徹(1923-2002)が曲をつくり、鄧禹平が作詩した。1970年にはテレサ・テンが歌っている。

スメルジャコフの瞑想

Meditator001   本日はロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの忌日。「カラマーゾフの兄弟」(1879)は神の実在に関する宗教論が絡む長くて難解な小説ではあるが、父親殺しというミステリー要素が含まれるので最近多くの読者がいるという。私の所蔵している版は1953年の米川正夫の訳である。先日、ロシア映画を見たので、ようやく概要がつかめた。ネタばれありの人物紹介にはズバリと書いている。「スメルジャコフ。フョードルが乞食女に生ませた私生児。癲癇病者。カラマーゾフ家の料理番をつとめていたが、私生児の境涯をうらみ、実父を殺して金をうばい、巧みにおのれの犯罪をドミートリイに転嫁する。下劣な奸智にたけた悪魔的人物」とある。この解説が当を得ているのか分からないがスメルジャコフの犯行の動機には謎が多いように思える。イワンから教えられた哲学思想に惑わされたとする説、癲癇説、ドミートリイへの妬み、奇妙な強迫観念など。ドストエフスキーはイワン・クラムスコイの絵画「瞑想する人」(1876)を観賞しスメルジャコフに重ねあわせて、「スメルジャコフもこうした瞑想者の一人であって、やはり同じように自分でも何のためともしらずに、こうした印象を貪るように積み重ねていたに相違ない」と記している。(第3篇第6スメルジャコフ)(Dostoevskii,Ivan Kramskoy,Smerdyakov,Karamazov)1月28日

ピョートル大帝

Photo_4   1724年の晩秋のある日、兵士と水兵を乗せたボートが浅瀬にのりあげるという思いがけない出来事が起こった。救助隊がどうすることもできないのを見ると、ロシア皇帝ピョートル1世(大帝)はなんとみずから腰まで冷たい海に浸りながら、ボートを動かした。ピョートル大帝は身長2メートルを超える巨体で、腕力も人一倍強かった。だがこれがもとで肺炎にかかり、翌年1月28日に死去する。

    ピョートル大帝(1671-1725)は、若い頃、西ヨーロッパを遊歴して西欧化に努めた。また、北方戦争でスウェーデン王カール12世を破り、バルト海進出の初志を貫いた。ぺテルブルクの建設。ネルチンスク条約で清・ロシア間の国境を定めた。その多くの事業はエカテリーナ2世によって受け継がれた。女帝は、1782年ぺテルブルクのデカブリスト広場に、馬にまたがるピョートル大帝記念碑を建てた。この像は、のちにプーシキンの詩にうたわれて以来「青銅の騎士」と呼ばれるようになった。(PyotrⅠ)

2017年1月27日 (金)

世界の海峡

    日本語では海峡は海峡だが、英語ではchannelとさらに短い距離しかないstraitに分かれる。英仏間の海全体はEnglish Channelイギリス海峡であり、最も距離が短い部分だけが、Strait of Doverドーヴァー海峡(フランスではPas de Calaisカレー海峡)と呼ばれている。

   島国日本は海峡で事実上の国境をなしている。対馬海峡、宗谷海峡、根室海峡、野付海峡、択捉海峡、占守海峡、台湾海峡など。ベーリング海峡はアメリカとロシアとの国境をなす。マラッカ海峡はマレーシアとインドネシア、ホルムズ海峡はイランとオマーン、ジブラルタル海峡はスペインとモロッコの国境を隔てている。バシー海峡、スンダ海峡。(Bering,Malacca,Hormuz,Gibraltar)

ライバル物語

 世の中には因縁の関係、よくいえばライバル関係が存在する。

   歴史的にみると、蘇我入鹿と中臣鎌足、最澄と空海、道鏡と和気清麻呂、運慶と快慶、平清盛と源義朝、宮本武蔵と佐々木小次郎、新井白石と雨森芳洲、田沼意知と松平定信、森鴎外と夏目漱石、青木繁と坂本繁二郎、吉田茂と鳩山一郎など。

海外ではダ・ヴィンチとミケランジェロ、ニュートンとフック、ディズレーリとグラッドストン、ワーグナーとヴェルディ、ゴーギャンとゴッホ、トルストイとドストエフスキー、ハイデッガーとヤスパース、アル・カポネとエリオット・ネス、モントゴメリーとロンメル、チャーチルとヒットラー、ハルゼーと山本五十六、毛沢東と蒋介石、トルーマンとマッカーサー、ケネディとフルシチョフ。サミー・ソーサとマーク・マグワイア、ジュディ・ガーランドとディアナ・ダービン、ブリトニー・スピアーズとジェシカ・シンプソン。ボクシングのヘビー級、ジョー・ルイスとマックス・シュメリングは、リング外では生涯をとおして交流を続けた。架空のライバルとしては、星飛雄馬と花形満、シャーロック・ホームズとジェームズ・モリアーティ。明智小五郎と黄金仮面。鉄人28号とバッカス。どんな世界にもライバルはいるもの。黒澤明と木下恵介もライバル。同じ時期に監督デビューし、業界では常に対等に論じられた。「七人の侍」と「二十四の瞳」は同じ頃に撮影されている。しかし没後は片方だけに光りがあたることもある。ライバルは時代を超えても存在する。「ピアノの詩人」ショパンと「超人」ラフマニノフ。ともにピアノ音楽の可能性を極限にまで広めた。(Tolstoi,Dostoevskii)

世界の国からこんにちは

Gnj1107090505002n1   ぜんじろうのやったるでぇ~。コミュニケーションがたいせつです。でも世界には7000もの言語があります。外国人から日本語で「こんにちは」とあいさつされると親しみを感じます。これと同じで、現地語であいさつすれば、グーンと親近感が増します。サウジ人に会ったら、「アッサラーム アライコム」と声をかけてみよう。その返事をするときは「ワレイコムッサラーム」と言います。手話で「こんにちは」はこんな感じ(画像)。

ハロー Hello(英語)

ボンジュール Bonjour(フランス語)

ブエナス タルデス  Buenas Tardes (スペイン語)

グーテン ターク Guten Tag(ドイツ語)

フーデミダハ Goedemiddag(オランダ語)

ボンジョルノ Buon  Giorno(イタリア語)

グダーグ god dag(スウェーデン語)

ズドラーストヴィチェ (ロシア語)

ボア タルヂ(ポルトガル語)

ヤ・サス(ギリシア語)

ドブリーデン Dobry den(チェコ語)

ニイハオ(中国語)

アンニョンハシムニカ(韓国語)

チャオ アウム(ベトナム語)

スラマッシアン(インドネシア語)

サワディー(タイ語)

ミンガラーバー mingelaba(ビルマ語)

マガンダン ハーポン(フィリピン語)

サイン バイノー(モンゴル語)

サラーム アレイコム(ペルシャ語)

アッサラーム アライコム(アラビア語)

メルハバ Merhaba(トルコ語)

シャローム(ヘブライ語)

ナマステ(ヒンディー語)

ジャンボ(スワヒリ語)

アロハ(ハワイ語)

ボーナン・ターゴン Bonan tagon (エスペラント語)

サルウェー(ラテン語)

はいさい(沖縄方言・男)

はいたい(沖縄方言・女)

   ニュージーランドのマオリ族の挨拶は鼻と鼻をあわせる(ホンギhongi)という。命の息吹が宿るとされ、相手と一体になると考えられる。

Maorigreetinghongi

現ロシア連邦の面積は旧ソ連の面積の約76%

  ロシアは日本の面積のおよそ45倍の広さがある。

旧ソ連の面積 22,402,200k㎡

ロシアの面積 17,075,200k㎡

    したがって、現ロシアの面積は旧ソ連の面積の76.2%。生産力は半分以下といわれる。

  野村佑香の「ぐるっと黒海4000キロ」ではウクライナの夫人が「ソ連時代のほうがよかった。みんな仕事があった」と言っていた。

    日本の小学生もむかしは「ソビエト連邦の首都はモスクワ」と覚えればよかったけれど、今の小学生は「アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、エストニア、グルジア、カザフスタン、キルギス、ラトビア、リトアニア、モルドバ、タジキスタン、トルクメニスタン、ウクライナ、ウズベキスタン」と14ヵ国も多く覚えなければならない。

Pic2

中国関係図書文献目録

Photo_2 中国四千年の歴史は、漢字をはじめ、暦法、漢方薬、官僚制度など、実にさまざまな社会制度、文物、風習を生み出した。そのいくつかは、わが国と密接な関係となり、われわれ日本人の生活のなかにとけ込んでいる。それは単なる一般習俗のような形而下の風習だけではなく、思想や芸術などの形而上においても同じことがいえる。中国思想の根本である儒教や老荘思想が、日本人の道徳観や人生観にどれほど重大な影響を与えてきたかは、はかり知れないし、わが国の文化が中国から影響を受けていることがひじょうに多いのである。

参考
中国書籍総目録 全国総目録1949~1965年 全19巻・補巻1 竹中憲一編 龍渓書舎 1981
中国書籍総目録 全国総目録1981~1983年 不二出版 復刻版 全33巻補巻1  1983
国立国会図書館漢籍目録 国立国会図書館 1987
廣博物志 50巻 董期張編
全唐詩逸 3巻 市川世寧撰 京都 文化元年(1804)
唐土名勝図絵 6巻 岡田尚友 文化3年(1806)
支那地誌略 1 沖正修 敬業堂 1874
支那地誌 蒙古部 参謀本部 1889
支那地誌 満州部 参謀本部 1889
支那文学全書 博文館 1892
東洋西洋教育史 中野礼四郎 博文館 1900
支那書史学 中根粛治 1903(推定)
漢文学講義(少年叢書) 26冊 興文社 1903~1915
宋学概論 小柳司気太 哲学書院 1903
最新中国二十一省地図 嵯峨野彦太郎 1904
古文玖舊書考 4卷 島田翰 民友社 1905
清国行政法 6 臨時台湾旧慣調査会 1905-1914
漢律類纂 張鵬一 奉天・格致学堂 1907
儒教聖典 大江文城編 開発社 1907
春秋倫理思想史 綱島榮一郎 博文館 1907
儒教新議 内田正 浜松・内田正 1909
支那食料植物 ブラスダーレ 川上滝弥訳 台湾総督府殖産局 1911
支那ニ於ケル法典編纂ノ沿革 法律学経済学研究叢書7 浅井虎夫 1911
支那論 内藤虎次郎 文会堂 1914
会稽郡古書雑集 魯迅 1915
辞源 陸爾奎・方毅等編 商務印書館 1915
京師図書館善本簡明書目 賈曾佑 1916
支那古田制の研究 法律学経済学研究叢書17  加藤繁 京都法学会 1916
支那論集 市村瓚次郎 冨山房 1916
東洋画論集成 今関天彭 読画書院 1916
儒家哲学本義 内田正 岩波書店 1917
虎風龍雲 東亜同文書院大旅行誌12  久保田正三編 上海・東亜同文書院 1919
支那伝説集 木下杢太郎 精華書院 1921
阿Q正伝 魯迅 『吶喊』に所収 北新書局 1923
支那の鉄道 鉄道省大臣官房外国鉄道調査課 1923
道教聖典 小柳司気太・飯島忠夫 世界聖典全集刊行会 1923
剪燈新話・剪燈余話・宣和遺事 国訳漢文大成13   塩谷温 国民文庫刊行会 1924
十批判書 郭沫若 1924
倭寇 長谷川正気 東京堂 1924
満蒙における契丹の遺跡について 鳥居龍蔵 東京日日新聞社 1925
東方言語史叢考 新村出 岩波書店 1927
和漢書道会 藤原鶴来 好鳶会 1927
支那古陶金石展観図録 昭和3年11月開催 於大阪美術倶楽部 大阪・山中商会 1928
晏子春秋校注 張純一 1930
支那書道史概説 有ヶ谷静堂 大同館 1930
儒学概論 北村沢吉 関書院 1930
鮮支遊記 藤山雷太 千倉書房 1930
宋元以来俗字譜 中華民国中央研究院歴史語言研究所 1930
東洋哲学史概説 貝尾勝馬 文原堂 1930
最新亜細亜大観 黒龍会編 黒龍会 1931
史学名著解題 現代史学大系15  千代田謙ほか 共立社 1931
支那諸子百家考 児島献吉郎 目黒書店 1931
蒋介石 古荘国雄 上方屋 1931
東洋芸術史講座 全12巻 雄山閣 1931
語法復文複式漢文研究 石原亨 東興社 1932
最新漢文提要 田中健三編 日本文学社 1932
初学者の為の東洋哲学 山根鎮夫 文化書房 1932
宋元名画集 田中一松・秋山光夫・相見香爾編 聚楽社 1932
東洋所学者洋政治哲学(王道の研究) 安岡正篤 玄黄社 1932
日支紛争に関する国際聯盟調査委員会の報告 国際連盟協会 1932
アジア的生産様式」に就いて ソヴェート・マルクス主義東洋学者協会編 早川二郎訳 白揚社 1933
漢代婚喪礼俗考 楊樹達 商務印書館 1933
漢文学講座 全7巻 長澤規矩也編 共立社 1933~1934
古代銘刻彙考 郭沫若 文求堂 1933
古代銘刻彙考 続篇 郭沫若 文求堂 1934
支那古典叢函 支那古典叢函刊行会 1933
儒教道徳の特質と其の学説の変遷 北村沢吉 関書院 1933
日支紛争に関する国際聯盟総会報告書全文 新聞聯合会 1933
満州年鑑 昭和8年版 中溝新一編 大連・満州文化協会 1933
容斎随筆五集総合引得 1894年晥南洪氏重刊本 聶崇岐 1933
還魂記・漢宮秋 国訳漢文大成・文学部10 国民文庫刊行会 1934
寒山詩 岩波文庫 太田悌蔵訳注 岩波書店 1934
史通評 呂史勉 商務印書館 1934
諸子学総論 先秦思想文化史研究序説 原富男 共立社 1934
長恨歌研究 遠藤実夫 建設社 1934
東洋学叢編2 静安学社編 刀江書院 1934
東洋精神の復活 伊福吉部隆 第一出版協会 1934
漢晋学術編年 上下 劉汝霖編著 商務印書館 1935
五経索引 本文・第1巻 森本角蔵編 目黒書店 1935
広西遊記 森岳陽 秋山印刷所 1935
周易引得 上海錦章書局影印十三経注疏本 1935
儒教道徳に於ける君臣思想 手塚良道 藤井書店 1935
儒教の起源 岩波講座東洋思潮11  津田左右吉 岩波書店 1935
明の興亡と西力の東漸 世界文化史大系18  鈴木艮編 新光社 1935
和漢故事成語辞海 松村武雄 有宏社 1935
講孟余話 岩波文庫 吉田松陰著 広瀬豊校訂 岩波書店 1936
支那思想美術思想 緒論 岩波講座東洋思想17  田中豊蔵 岩波書店 1936
支那社会研究 橘樸 日本評論社 1936
中華思想 岩波講座東洋思想17  那波利貞 岩波書店 1936
湯島聖堂復興記念儒道大会誌 福島甲子三 斯文会 1936
鴨緑江 満州弘報協会編 新京・満州国通信社 1937
崔東壁遺書引得 亜東書局 1937
辞海 2冊 舒新城等編 上海中華書局 1937
蒋介石 石丸藤太 春秋社 1937
中華新聞発達史 井東憲 日支問題研究会 1937
中国古代哲学史 陳元徳 上海・中華書局 1937
中国算学史 中国文化史叢書 李人言 台湾商務印書館 1937
中国調査資料 第1輯 支那秘密結社の新情勢 平野書房 1937
東洋精神概観 日文満文 久保田肇 東宛書房 1937
アジア的生産様式論 森谷克己 育生社 1938
シナ思想と日本 岩波新書 津田左右吉 岩波書店 1938
通溝 上・下 満洲国通化省輯安県高句麗遺蹟 池内宏・梅原末治 日満文化協会 1938
満洲地名考 谷光世 新京満洲事情案内所 1938
明の君臣の亡命と其の庇護 小畑利三郎 神乃日本社 1938
漢書疏證 吉川幸次郎 自家本 1939
現代華僑問題 丘漢平著 山崎清三訳 生活社 1939
江浙風物誌 沢村幸夫 東亜研究会 1939
左伝真偽考  支那学翻訳叢書6 カールグレン著 小野忍訳 文求堂書店 1939
禅宗史研究 印度哲学研究9 宇井伯寿 岩波書店 1939
宋金元明詩選 潘徳衡 柳原書店 1939
近世日本に於ける支那語文学史 石崎又造 弘文堂 1940
古銅器形態の考古学的研究 梅原末治 東方文化研究所 1940
現代支那女流作家集 現代支那文学全集 冰心他 東成社 1940
中国文化界人物総鑑 橋川時雄 中華法令編印館 1940
中国土地問題に関する文献解説 神戸商業大学商業研究東亜経済調査部 1940
東邦研究 嘉治隆一 オリオン社 1940
東洋学の成立とその発展 歴史学叢書 青木富太郎編 蛍雪書院 1940
華僑史 成田節男 蛍雪書院 1941
康熙帝伝 ブーヴェ著 後藤末雄訳 生活社 1941
古代支那政治哲学研究 呂振羽著 明石春海訳 人文閣 1941
中国人の生活風景 柯政和 皇国青年教育協会 1941
先秦政治思想史 梁啓超著 重沢俊郎訳 創元社 1941
漢晋木簡精粋 広瀬保吉 清雅堂 1941
印度支那の民族と文化 松本信広 岩波書店 1942
黄土地帯 アンダーソン著 松崎寿和訳 座右宝刊行会 1942
先覚者 岡倉天心 清見陸郎 アトリエ社 1942
支那宗教史 支那地理歴史大系11 白揚社 1942
先秦経済思想史論 穂積文雄 1942
漠北と南海 アジア史における沙漠と海洋 松田寿男 四海書房 1942
漢三国六朝紀年鏡図譜 京都帝国大学文学部考古学資料叢刊1 梅原末治 1943
禅思想史研究 1 鈴木大拙 岩波書店 1943
中国教育十年 趙如珩 大紘書院 1943
中国の社会風景 柯政和 大阪屋号書店 1943
中国歴史理念の根源 根本誠 生活社 1943
東洋学の話 石浜純太郎 創元社 1943
雲岡石仏群 東方文化研究所雲岡石窟調査概報 水野清一 朝日新聞社 1944
支那地史の研究 上 東亜研究叢書 ベイレー・ウイリス著 坂本峻雄訳編 岩波書店 1944
法家思想の研究 木村英一 弘文堂 1944
明末清初日本乞師の研究 石原道博 冨山房 1945
科挙 宮崎市定 秋田屋 1946
先哲の学問 内藤虎次郎 弘文堂書房 1946
中国宗教制度 デ・ホロート著 清水金二郎、荻野目博道共訳 京都・大雅堂 1946 
中国国哲学史 宇野哲人 日月社 1946
中国と西洋文化 矢沢利彦 中村書店 1946
牧谿と梁楷 武者小路実篤 東京座右宝刊行会 1946
漢書律暦志の研究 東方文化研究所研究報告 能田忠亮・薮内清 全国書房 1947
中華思想の根帯と儒学の優位1 原富男 講談社 1947
中国戦後の動態 草野文男 京都・教育出版株式会社 1947
中国哲学概説 高田真治 日月社 1947
中国文化革命 鹿地亘 九州評論社 1947
中国文芸復興 胡適 矢島仁一監訳 始原社 1947
古代の精神 貝塚茂樹 秋田屋 1948
山海経通検 巴黎大学北平漢学研究所 1948
中国先史文化 殷朝成立の前史 古文化叢刊36 澄田正一 京都・大八洲出版社 1948
中国の十年 鹿地亘 時事通信社 1948
中国の小説 松枝茂夫 白日書院 1948
中国族産制度攷 清水盛光 岩波書店 1947
中国的実在観の研究 その学問的立場の反省 木村英一 弘文堂 1948
中共概論 外務省調査局 外務省 1949
詩文精粋 吉田賢蔵、星川清孝 明治書院 1950
そんへえおおへえ 内山完造 岩波書店 1950
中国 上・下 マックネア 沖野亦男訳 大阪・三明社 1950
中国 民族と土地と歴史 オーエン・ラティモア 小川修訳 岩波書店 1950
中国古代政治思想 中江丑吉 岩波書店 1950
中国思想史 吉田賢抗 明治書院 1950
中国思想史 岩波全書 武内義雄 岩波書店 1950
滑稽談 市民文庫 幸田露伴 河出書房 1951
儒教の研究 第1 津田左右吉 岩波書店 1951
禅思想史研究 2 鈴木大拙 岩波書店 1951
中共総覧 時事通信社 1951
中国古代のこころ 市民文庫 貝塚茂樹 河出書房 1951
雲崗石窟 全16巻32冊 水野清一・長廣敏雄 1951-1956
中国浄土教家の研究 小笠原宣秀 平楽寺書店 1951
中国常平倉沿革考 松本洪 食糧庁 1951
照心詩話 漢詩と人間学 安岡正篤 福村書店 1952
儒教の研究 第2 津田左右吉 岩波書店 1952
増補現代中国辞典 中国研究所 1952
中国的考え方 魚返善雄 宝文館 1952
唐詩選通解 小林信明ほか 宝文集 1952
東洋鬼軍敗亡記 呂梁英雄伝続篇 西戎・馬烽 三好一訳 三一書房 1952
古代漢民族思想史 鈴木憲久 泉文堂 1952
学制から見た東洋教育史 佐藤清太 柳原書店 1953
中国古代の思想家たち 上 郭沫若著 野原四郎他訳 岩波書店 1953
中国哲学史 狩野直喜 岩波書店 1953
中国の社会とギルド 上・下 仁井田陞 岩波書店 1953
詩人李白 林庚 上海文芸聯合出版 1954
中国古代思想史 楊栄国 三聯書店 1954
中国古代の心 河出文庫 貝塚茂樹 河出書房 1954
中国の社会と宗教 東洋史学論集2 山崎宏編 不昧堂書店 1954
近世日本儒教運動の系譜 相楽亨 弘文堂 1955
顧炎武伝略 趙儷生 上海新華書店 1955
西周年代考 六国紀年 陳夢家 学習生活 1955
中国古代的水利 紀庸編 上海四連 1955
北アジア史 世界各国史 江上波夫 山川出版社 1956
現代漢語語法縮編 江南書院訳註双書 兪敏著 牛島徳次訳註 江南書院 1956
五年計劃・童工 大芝孝訳註 江南書院 1956
柴栄 韓国磐 上海人民出版社 1956
儒教の研究 第3 津田左右吉 岩波書店 1956
中国の思想問題 胡風事件をめぐって 小竹文夫 大学出版協会 1956
錦の中の仙女 岩波少年文庫 伊藤貴麿訳編 岩波書店 1956
秦漢的方士与儒生 顧頡剛 上海人民出版社 1957
世界史大系8 東アジアⅡ 鈴木俊編 誠文堂新光社 1958
斉民要術 上下 西山武一・熊代幸雄訳 東京大学出版会 1957
泉州宗教石刻 呉文良著 北京・科学出版社 1957
中国語商業会話の基礎文例 奈良一雄・水野鈴彦 国元書房 1957
中国古代の思想家たち 下 郭沫若 岩波書店 1957
中国思想史1巻 古代思想 候外盧 人民出版社 1957
中国思想史2巻 両漢思想 候外盧 人民出版社 1957
中国思想史3巻 魏晋南北朝思想 候外盧 人民出版社 1957
中国新文学運動史 政治と文学の交点 胡適から魯迅 尾坂徳司 法政大学出版局 1957
中国の農業 吉岡金市 東洋経済新報社 1957
麦積山石窟 名取洋之助 岩波書店 1957
羽田博士史学論文集 上・下 羽田亨 京都大学東洋史研究会 1957
李贄年譜 容肇祖編 三聯書店 1957
李白研究 張立徳 香港学林書店 1957
李杜詩選 蘇仲翔選注 上海古典文学出版社 1957
華夷変態 全3冊 東洋文庫 1958
寒山 中国詩人選集5 入矢義高注 岩波書店 1958
古代寓話文学集 中国古典文学全集2 平凡社 1958
世界史大系 東アジアⅠ 三上次男編 誠文堂新光社 1958
現代中国事典  岩崎書店 1959
漢文学概論 長澤規矩也編 法政大学出版局 1959
観堂集林 王国維 中華書局 1959
中華人民共和国組織別人名表 内閣官房 1959
中国学芸大辞典 近藤杢 東京元々社 1959
中国古代地理名著選読 第1輯 候仁之主編 科学出版社 1959
中国古代の論理 大浜晧 東京大学出版会 1959
中国思想史4巻 隋唐北宋 候外盧 人民出版社 1959
中国書法の二大潮流 神田喜一郎 東方文化講座第13輯 1959
テーブル式漢文便覧 小林信明・市木武雄・長谷川節三 評論社 1959
アジア地域総合研究文献目録 1~5 文部省大学学術局編 日本学術振興会 1960-63
永楽大典 明・解縉等輯 中華書局 1960
慧遠研究 研究篇 木村英一編 創文社 1960-63
漢代服飾参考資料 張末元編 人民美術出版社 1960
京都大学人文科学研究所所蔵甲骨文字 貝塚茂樹編 京都大学人文科学研究所 1960
近世日中貿易史的研究 山脇悌二郎 吉川弘文館 1960
中国商品事典 日中貿易実務研究会編 極東書店 1960
中国書道史 藤原楚水 三省堂 1960
中国の印刷術 その歴史的発展と影響 張秀民著 広山秀則訳 京都・関書院 1960
中国体育史 新体育学講座5 逍遥書院 1960
中国の彫刻 石仏・金銅仏 水野清一 日本経済新聞社 1960
李定国紀年 郭影秋編著 中華書局 1960
瀛涯勝覧 鄭和西征見聞録 馬歓 小川博訳注 吉川弘文館 1961
北アジア・中央アジア 図説世界文化史大系9 江上波夫・松田寿男編 角川書店 1961
古代史学序説 古代史講座1 学生社 1961
辞海 中華書局辞海編集所 中華書局 1961
世界教養全集18 黄河の水、史記の世界、敦煌物語、長安の春 平凡社 1961
中国近代化の社会構造 辛亥革命の史的位置 東洋史学論叢6 東京教育大学文学部東洋史学研究室 教育書籍 1961
中国近代工業史の研究 東洋史研究資料叢刊9 波多野善大 東洋史研究会 1961
塩鉄論 中国古典新書 桓寛著 山田勝美訳 明徳出版社 1962
古代国家の構造 上下 古代史講座4・5 学生社 1962
先秦両漢経済史稿 李剣農 北京・中華書局 1962
中国現代文学選集7 柔石、丁玲、艾蕪、蕭紅 平凡社 1962
中国語小辞典 中日ー日中 鐘ヶ江信光編 大学書林 1962
中国古代地理簡史 候仁之主編 科学出版社 1962
中国古代地理考証論文集 童書業 中華書局 1962
中国古代の田制と税法 秦漢経済史研究 平中苓次 京都彙文堂 1962
中国とその影 チボール・メンデ 高橋正訳 弘文堂 1962
中国農業史研究 天野元之助 御茶の水書房 1962
鑑真 安藤更生 美術出版社 1963
元明詩概説 中国詩人選集二集2 吉川幸次郎 岩波書店 1963
孝子説話集の研究 中世篇 二十四孝を中心に 徳田進 井上書房 1963
史林雑標識 顧頡剛 中華書局 1963
中国の思想家 上下 宇野哲人博士米寿記念論集 東京大学中国哲学研究室編 勁草書房 1963
中国の仙人 村山嘉実 平楽寺書店 1963
槐安居楽事 宋元明清の絵画法書法帖碑拓 高島菊次郎 求龍堂 1964
秦漢瓦当 文物 1964
中国関係日本文雑誌論説記事目録1 外事警察報・北京週報・燕塵 近代中国研究センター 1964
中国古小説集 世界文学大系71 吉川幸次郎編 筑摩書房 1964
中国古代の科学 角川新書 藪内清 角川書店 1964
中国浄土教教理史 望月信亨 法蔵館 1964
中国哲学史研究 唯心主義と唯物主義の抗争史 学術選書 重沢俊郎 法律文化社 1964
中国における回教の伝来とその弘通 田坂興道 東洋文庫論叢43  1964
中国の思想 全12巻別巻 松枝茂夫・竹内好監修 経営思潮研究会 1964~1966
中国の哲学 阿部吉雄編 明徳出版社 1964
道教史の研究 大淵忍爾 岡山大学共済会書籍部 1964
東洋への視角と西洋への視角 飯塚浩二 岩波書店 1964
世界帝国の諸問題 古代史講座10  学生社 1964
倭寇  石原道博 吉川弘文館 1964
経典 その心と歴史 潮文社新書 野村耀昌 潮文社 1965
京都大学人文科学研究所漢籍目録 京大人文科学研究所 1965
芸文類聚 欧陽詢等撰 中華書局 1965
光明日報史学専刊索引 光明日報出版社 1965
菜根譚 洪自誠著 吉田豊・神子侃訳 徳間書店 1965
四民月令校注 石声漢 北京・中華書局 1965
太平天国 1~4 東洋文庫 A・F・リンドレー著 増井経夫、今村与志雄訳 平凡社 1964-65
中国からの手紙1 みすず叢書 アンナ・ルイズ・ストロング著 藤村俊郎訳 みすず書房 1965
中国画論の展開 晋唐宋元編 中村茂夫 中山文華堂 1965
中国人物叢書 1~24  人物往来社 1965~67
中国の思想と民俗 滝沢俊亮 校倉書房 1965
中国の印章 羅福頤、王人聡著 安藤更生訳 二玄社 1965
中国農業技術体系の展開 山本秀夫 アジア経済研究所 1965
東洋封建社会のモラル 思想の歴史6 石田一良編 平凡社 1965
オルドロス碑集 モンゴルの民間伝承 東洋文庫59 A・モスタールト著 磯野富士子訳 平凡社 1966
古典漢文の新研究 鈴木修次 三省堂 1966
中国からの手紙2 アンナ・ルイズ・ストロング著 藤村俊郎訳 みすず書房 1966
中国近代産業発展史 中国綿紡織史稿 厳中平著 依田憙家訳 校倉書房 1966
中国哲学史 新編1 馮友蘭著 森下修一訳 林書店 1966
中国の青年運動 続・中国の集団主義 胡耀邦著 小林文男編訳 明治図書 1966
中国の笑話 笑話叢珠笑苑千金 荘司格一・清水永吉・志村良治共訳 筑摩書房 1966
中国の俗信と法思想 増田福太郎 三和書房 1966
中国文明の伝統 香川宏・田川純三・清水幸浩 日本放送出版協会 1966
満鉄2 現代史資料32 伊藤武雄・萩原極・藤井満洲男編 みすず書房 1966
漢魏詩の研究 鈴木修次 大修館書店 1967
古代中国の精神 筑摩叢書91  貝塚茂樹 筑摩書房 1967
古典漢文の基礎 山本哲夫 洛陽社 1967
崑崙の玉 井上靖 オール読物1967年7月号
満鉄 現代史資料33 伊藤武雄・萩原極・藤井満州男編 みすず書房 1967
宋元以来俗字譜 近世文学史研究の会 文化書房博文社 1968
中国思想史 小島祐馬 創文社 1968
説苑 中国古典新書 劉向 高木友之助訳 明徳出版社 1969
古代の復活 名著シリーズ 貝塚茂樹 講談社 1971
中国千夜一夜 女読むべからず 上下 林房雄 河出書房 1967
中国哲学史2 新編 馮友蘭著 森下修一訳 林書店 1967
中国の思想 伝統と現代 NHKブックス 竹内実 日本放送協会 1967
中国文芸論戦 李何林編 大安 1967
中国文芸概説 境武男 秋田大学中央研究室 1967
中国昔話考 村山孚 鷺の森書房 1967
中国古典文学大系 60巻 平凡社 1968
中国経済の基礎構造 大塚恒雄 白桃書房 1967
中国文学史研究 増田渉 岩波書店 1967
京都大学人文科学研究所所蔵甲骨文字索引 貝塚茂樹編 京都大学人文科学研究所 1968
中国古代寓話集 東洋文庫 後藤基巳編訳 平凡社 1968
中国思想論集 西順蔵 筑摩書房 1969
中国の思想家たち 桃源ブックス 野末陳平 桃源社 1968
講座現代中国 全3巻 菅沼正久等編 大修館書店 1969
中国古尺集説 薮田嘉一郎 京都・綜倪藝舎 1969
中国処世訓 戸崎平爾 日本文芸社 1969
中国的思惟の伝統 対立と統一の論理 大浜皓 勁草書房 1969
中国文化の成熟 世界歴史シリーズ15 世界文化社 1969
中国での文学運動の展開資料 1950年代後半から60年代初めの河北省での詩歌運動を中心に 秋吉久紀夫著 中国文学評論社 1969
東洋学文献叢説 神田喜一郎 二玄社 1969
東洋学報総目録 第1巻~50巻 明治42年~昭和43年 東洋文庫 1969
芭蕉と杜甫 太田青丘 法政大学出版局 1969
黄土地帯 アンダーソン著 松崎寿和訳 学生社 1970
康熙帝伝 東洋文庫 ブーヴェ著 後藤末雄訳 平凡社 1970
小島祐馬政論雑筆 内田智雄編 みすず書房 1970
宋元明通俗小説選 中国古典文学大系25  枝松茂夫他訳 平凡社 1970
中国古代政治思想研究 「左伝」研究ノート 歴史学研究叢書 小倉芳彦 青木書店 1970
中国古代喪服の基礎的研究 谷田孝之 風間書房 1970
中国春夢譚 上田学而 日本文芸社 1970
中国の国家と法 東大社会科学研究叢書 針生誠吉 東京大学出版会 1970
中国の建築 竹島卓一 中央公論美術出版 1970
中国の笑話と小咄 武藤禎夫 東京堂出版 1970
民報索引 上・下 小野川秀美編 京都大学人文科学研究所 1970-1972
政治論集 中国文明選11  宮崎市定 朝日新聞社 1971
呉子 中国古典新書 呉起編 松井武男訳 明徳出版社 1971
続海濤集・帰去来 東洋文庫 郭沫若 平凡社 1971
大学・中庸・孟子 世界古典文学全集18  金谷治編 筑摩書房 1971 
中国関係図書目録 和文 1957-1970 近代中国研究会編 東洋文庫 1971
中国教育宝典 上・下 世界教育宝典 加藤常賢編 玉川大学出版部 1971
中国近代国民経済史 上・下 中国近代経済史研究会編訳 雄渾社 1971
中国承認への道 A・ドーク・バーネット 伊藤忠雄・佐藤紀久夫訳 時事通信社 1971
中国・東南アジア 世界の旅 新編1 座右宝刊行会・三友社編 小学館 1971
中国の工業企業管理 菅沼正久 アジア経済研究所 1971
中国の神話 筑摩教養選 貝塚茂樹 筑摩書房 1971
中国人の思想 野末陳平 陳文館 1971
中国文明選 朝日新聞社 1971
中国文明と官僚制 エチアヌ・バラーシュ 村松祐次訳 みすず書房 1971
明末清初政治評論集 中国古典文学大系57  後藤基巳、山井湧編訳 平凡社 1971
アジア新時代の国ぐに 揺れる経済・燃える社会 根岸富二郎編 毎日新聞社 1972
中国科学技術史論集 吉田光邦 日本放送出版協会 1972
中国古代における人間観の展開 板野長八 岩波書店 1972
戦火叢書55 昭和17・18年の支那派遣軍 朝雲新聞社 1972
中国の怪談 潮文社リヴ 中岡俊哉 潮文社 1972
中国の思想 現代教養文庫 村山吉広 社会思想社 1972
中国の故事名言 ツインブックス 駒田信二 ベストセラーズ 1972
中国の鉱物資源 海外資料34  金属鉱物探鉱促進事業団 1972
中国人の戦略 阿部幸夫 芸術生活社 1972
中国人の思考様式 小説の世界から 講談社現代新書 中野美代子 講談社 1972
東洋学文献類目 1970年度 京都大学人文科学研究所 1972
文心雕竜 中国古典新書 劉勰著 戸田浩暁訳注 明徳出版社 1972
明末清初の絵画 川原正二 時の美術社 1972
目で見る世界の旅19 中国 国際情報社 1972
王漁洋 漢詩大系23  青木正児他編 集英社 1973
画論 中国古典新書 古原宏伸 明徳出版社 1973
弘明集研究 上・中・下 牧田諦亮編 京都大学人文科学研究所 1973-75
国共合作 中公新書 波多野善夫 中央公論社 1973
支那学文薮 狩野直喜 みすず書房 1973
全釈漢文大系 全33巻 集英社 1973-1980
中華人民共和国出土文物展覧展品選集 北京・文物出版社 1973
中国象棋 入門と戦術 張秀爾 天元書房 1973
中国人の知恵 乱世に生きる 講談社現代新書 諸橋轍次 講談社 1973
中国に生きる 日中友好に半生を賭ける女の戦い 北崎可代 講談社 1973
中国の隠者 乱世と知識人 岩波新書 富士正晴 岩波書店 1973
中国のことわざ 福島寿英雄 東亜同学会 1973
中国の世界 オーエン・ラチモア 青木繁・江頭数馬編訳 毎日新聞社 1973
中国のふしぎな話 小学生の中国文学全集10  秋山洋子 学燈社 1973
東都事畧 和刻本正史別巻1 長沢規矩也解題 汲古書院 1973
明の赤絵 陶磁大系43 藤岡了一 平凡社 1973
漢唐壁画 外文出版社 1974
中国の科学と文明 全11巻 ジョゼフ・ニーダム著 藪内清ほか訳 思索社 1974~
中国文学史 吉川幸次郎述、黒川洋一編 岩波書店 1974
哲人列伝 日本・東洋篇 勝部真長 第一法規出版 1974
蔵蒙旅日記 寺本婉雅 芙蓉書房 1974
顔氏家訓彙注 周法高選注 京都・中文出版社 1975
三国志入門 立間祥介 日本文芸社 1975
私説聊斎志異 安岡章太郎 朝日新聞社 1975
人物中国志6 辺境編 漠北と南溟 藤本幸三著 毎日新聞社 1975 
中国農学書録 付 中国古農書考 王敏明著 天野元之助校訂 龍渓書舎 1975
正名と狂言 古代中国知識人の言語世界 大室幹雄 せりか書房 1975
中国美術紀行 宮川寅雄 講談社 1975
明末中国仏教の研究 特に智旭を中心に 張聖厳 山喜房仏書林 1975
滑稽 古代中国の異人たち 大室幹男 評論社 1976
中国古代文様史 上下 渡辺素舟 雄山閣 1976
中国主要産業を規定する諸条件 日中経済協会 1976
中国の古代文学 1 神話から楚辞へ 白川静 中央公論社 1976
中国の古代文学 2 史記から陶淵明へ 白川静 中央公論社 1976
漠南書庫中国印譜解題 横田実 二玄社 1976
古代漢字彙編 小林博編 木耳社 1977
中国朝鮮地名別称索引 東京国書刊行会 1977
中国の印刷術 東洋文庫315,316 カーター著 薮内清、石橋正子訳注 平凡社 1977
東洋哲学史 橋本芳契 明玄書房 1977
中国の祝事 都丸十九一、坂田友宏 明玄書房 1978
中国の俗諺 田中清一郎 白水社 1979
元代吏制研究 許凡 労働人事出版社 1984
中国人の日本人観100年史 小島晋治、伊東昭雄、光岡玄 自由国民社 1974
中国式のおかず 波多野須美編 主婦の友社 1975
中国哲学研究 楠本正継 国士舘大学附属図書館 1975
中国と第三世界 新井宝雄 大和出版販売 1975
中国の神話 白川静 中央公論社 1975
中国古代の伝承 貝塚茂樹著作集5 中央公論社 1976
中国詩文選 24冊 筑摩書房 1976
中国浄土教史研究 塚本善隆著作集4 大東出版社 1976
中国の建築と都市 アンドリュー・ボイド 田中淡訳 鹿島出版会 1976
中国の自然と社会 江口旻・玉井健三共著 文化書房博文社 1976
中国の鉱物資源 日本貿易振興会 1976
東洋学の創始者たち 吉川幸次郎編 講談社 1976
論集近代中国と日本 山根幸夫 山川出版社 1976
武内義雄全集 全10巻 角川書店 1977-79
中国古代の社会制度 貝塚茂樹著作集2 中央公論社 1977
中国古代の宗教と文化 殷王朝の祭礼 赤塚忠 角川書店 1977
中国古代の精神 貝塚茂樹著作集6 中央公論社 1977
中国古代の植物学の研究 水上静夫 角川書店 1977
中国古代文学論 詩経の文学性 鈴木修次 角川書店 1977
中国女性史 笠間選書 山川麗 笠間書院 1977
中国土地改革体験記 中公新書 秋山良照 中央公論社 1977
中国農業と大寨 渡辺信夫・川村嘉夫・森久男共編訳 龍渓書舎 1977
中国人の論理学 諸子百家から毛沢東まで 中公新書 加地伸行 中央公論社 1977
中国都城・渤海研究 駒井和愛 雄山閣出版 1977
中国の鉄鋼業 日中経済協会編 日中経済協会 1977
中国の孝道 講談社学術文庫 桑原隲蔵  講談社 1977
民本思想の物語 秋山叢書 田所義行 秋山書店 1977
五代会要 王溥纂 上海古籍 1978
詩的把握 陳正祥 香港商務印書館 1978
秦漢的方士与儒生 顧頡剛 上海古籍出版社 1978
清末上海租界社会 呉圳義 文史哲出版社 1978
中国古代絹織物史研究 下 佐藤武敏 風間書房 1978
中国古代の学術と政治 中国叢書 顧頡剛著 小倉芳彦ほか訳 大修館書店 1978
中国女性史 太平天国から現代まで 平凡社選書 小野和子 平凡社 1978
中国人の生活 文庫クセジュ ミシェル・ジャン 小川特明 白水社 1978
中国水墨画の精髄 芸術叢書 吉村貞二 美術公論社  1978
中国文学と日本文学 鈴木修次 東京書籍 1978
漢書律暦志の研究 能田忠亮・薮内清 臨川書店 1979
現代化中国の旅 社会学者訪中報告 福島直編 東京大学出版会 1979
康熙帝の手紙 中公新書 岡田英弘 中央公論社 1979
中国 世界の国ぐに20   佐藤弘一監修 ポプラ社 1979
中国近代化の幻視 日中関係の新たな視覚 長谷川慶太郎著 ダイヤモンド社 1979
中国古代籍帳研究 概観・録文 池田温 東京大学出版会 1979
中国古代農民反乱の研究 木村正雄 東京大学出版会 1979
中国式・目の体操 本多伝 立風書房 1979
中国宗教における受容・変容・行容 道教を軸として 窪徳忠 山川出版社 1979
中国上代説話の研究 若水俊 JCA出版 1979
中国トロッキスト回想録 中国革命と再発掘 アジア叢書 王凡西著 矢吹晋訳 柘植書房 1979
中国人の生活風景 東方選書 内山完造 東方書店 1979
中国人の発想 岡本隆三 徳間書店 1979
中国人の発想80の知恵 守屋洋 日本文芸社 1979
東洋学論集内容総覧 国書刊行会 1979
明末宗教思想の研究 管東溟の生涯とその思想 荒木見悟 創文社 1979
孟子研究 猪口篤志 笠間書院 1979
王漁洋詩論之研究 黄景進著 台北 古史哲出版社 1980
音容日に遠し 吉川幸次郎 筑摩書房 1980
科挙の話 試験制度と文人官僚 講談社現代新書 村上哲見 講談社 1980
現代化への意欲 西南中国を訪ねて 第四次訪中団 全国農協職員連盟 1980 
元刊雑劇三十種新校 2冊 徐沁君校 中華書局 1980
中国学入門 田所義行 秋山書店 1980
中国古代書籍史 竹帛に書す 銭存訓著 沢谷昭次、宇津木章ほか訳 法政大学出版局 1980
呉子・尉繚子の兵法 守屋洋 産業能率大学出版部 1980
中国古代の民俗 講談社学術文庫 白川静 講談社 1980
中国「人民公社」実態調査ノート 佐藤慎一郎 大湊 1980
中国とソ連 中西治 日本工業社 1980
中国の構図 現代と歴史 吉田光邦 駸々堂 1980
中国の自然と民俗 田中克己 研文出版 1980
現代中国 政治大系の比較分析 ジェームズ・R・タウンゼント 小島朋之訳 慶応通信 1980
中国浄土教史の研究 道端詩良秀 法蔵館 1980
中国人の街づくり 相模選書 郭中端・堀込憲二著 相模書房 1980
中国人物史100話 林 亮 立風書房 1980
中国の布教と迫害 イエズス会士書簡集 東洋文庫 矢沢利彦編訳 平凡社 1980
中国石窟シリーズ 全17巻 平凡社 1980~1990
中国歴史地名大辞典 劉鈞仁著 凌雲書房 1980
霧社事件 台湾高砂族の蜂起 中川浩一・和歌森民男編著 三省堂 1980
アジアを知るために 鶴見良行 筑摩書房 1981
永楽宮壁画 中国外文出版社編 美乃美 1981
王船山詩文集 修羅の夢 東洋文庫393 王船山 高田淳編訳 平凡社 1981
簡論李白与杜甫 燕白 四川人民出版社 1981
鬼神と人間の中国 新潮古代美術館10 樋口隆康、陳舜臣、繭山康彦 新潮社 1981
京都大学人文科学研究所漢籍目録 同朋舎 1981
古典の叡知 学術文庫 諸橋轍次 講談社 1981
三国志の英雄群像 松本一男 徳間書店 1981
宰相型人間の研究 守屋洋 PHP研究所 1981
周漢遺宝 帝室博物館編 国書刊行会 1981
中国古代宗教史研究 制度と思想 池田未利 東海大学出版会 1981
中華人民共和国主要法令集1 中国研究所 1981
中国古代文化の研究 加藤常賢 明徳出版社 1981
中国式性教育 厳仁英編 劉達坤訳 日中出版 1981
中国人の知恵ツボの本 張明澄 久保書店 1981
中国哲学史研究論集 荒木教授退休記念 葦書房 1981
中国鉄道の旅 1 北京ー烏魯木斉線 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 2 北京ー東南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 3 北京ー東北地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 4 北京ー中南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国鉄道の旅 5 北京ー西南地区 中国鉄道出版社編 美之美 1981
中国の刻石 中西慶爾 木耳社 1981
先秦漢初の財政経済の経緯 原富男 春秋社 1981
先秦諸子百家争鳴時代考 原富男 三信図書 1981
台湾考古民族誌 考古民俗叢書18  国分直一 慶友社 1981
東洋学論叢 飯田利行博士古稀記念 国書刊行会 1981
焚書夜話 大類雅敏 栄光出版社 1981
夢渓筆談 東洋文庫 沈括 平凡社 1981
科学史からみた中国文明 NHKブックス 藪内清 日本放送協会 1982
顔氏家訓 中国古典新書 顔之推著 宇野精一 明徳出版社 1982
雁門集 薩都拉(さつとら)  中国古典文学叢書 上海古籍出版社 1982
胡蝶と荘周 続人生行路の賦 原富男 三信図書 1982
三国志の英雄たち 守屋洋ほか 新人物往来社 1982
大学・中庸・孟子 世界古典文学全集 金谷治編 筑摩書房 1982
中国近代化の史的展望 東亜文化叢書6 東亜文化研究所 霞山会 1982
中国古代説話の思想史的考察 小野沢精一 汲古書院 1982
中国古代的類書 胡道静 中華書局 1982
中国四季の花 中国カラー文庫8 美乃美 1982
中国の寺・日本の寺 東方選書10 鎌田茂雄 東方書店 1982
中国の建築 中国建築科学研究院 末房由美子訳 小学館 1982
中国歴史・文化地理図冊 陳正祥編著 梅村坦訳 原書房 1982
明の陶磁 デイジー・リオン・ゴールドシュミット著 駸々堂出版 1982
キジル石窟 中国石窟 全3巻 平凡社・中国文物出版社編 平凡社 1983-1985
諸葛孔明の世界 加地伸行編 新人物往来社 1983
中国人の生活哲学 東方選書11 丁秀山 東方書店 1983
中国土壌 改良利用・性質・肥沃度・生成分類 中国科学院南京土壌研究所主編 川瀬金次郎・菅野一郎訳 博友社 1983
シンガポール華文小説選 上 東南アジアブックス 陳徳俊編 井村文化事業社 1983
中国古代の城 中国に古代城址を訪ねて 研文選書17  五井直弘 研文出版 1983
中国古代倫理学の発達 加藤常賢 二松学舎大学出版部 1983
中国傷寒論解説 劉渡舟、勝田正泰ほか訳 東洋学術出版社 1983
鉄砂拳(中国拳法・秘伝必殺) 竜清剛 日東書院 1983
科挙 中国の試験地獄 文庫 宮崎市定 中央公論社 1984
好太王碑の研究 王健群 雄渾社 1984
黄土地帯紀行 人類の起源を求めて 賀川光夫 六興出版 1984
古銅器形態の考古学的研究 梅原末治考古図録集13  同朋舎出版 1984
書概 書論集 劉熙戴 高畑常信訳 木耳社 1984
中国古代の商工業と専売制 影山剛 東京大学出版会 1984
中国社会への散歩 十億の隣人はいま 有斐閣選書 中野謙二 有斐閣 1984
中国の近代化と教育 世界新教育運動選書6 石川啓二他 明治図書出版 1984
中国人の宗教儀礼 仏教・道教・民間信仰 大淵忍爾 福武書店 1984
中国生活誌 黄土高原の衣食住 竹内実・羅漾明対談 大修館書店 1984
中国の国際環境と対外政策 中国問題研究所 1984
中国の宗教・思想と科学 牧尾良海博士頌寿記念論集 同刊行会編 国書刊行会 1984
中国古典詩聚花 3 詠史と詠物 市川桃子 尚学図書 1984
中国鉨印源流 補・近代人の篆刻 銭君匋・葉潞淵著 梅舒適訳編 木耳社 1984
中国女性解放の先駆者たち 中国女性史研究会編 日中出版 1984
讖緯思想の総合研究 安居香山編 国書刊行会 1984
中国農業地理 劉世錡著 農山漁村文化協会 1984
鄭義下碑 上・下 書道名蹟基本叢書 藤原楚水監修 三省堂 1984
芭蕉扇 中国歳時記風物記 澤田瑞穂 平河出版社 1984
明末清初 福本雅一 同朋舎 1984
遣唐使 唐代中日文化交流史略 姚嶂剣 陝西人民出版社 1984
中国古代度量衡図集 邱隆ほか編 山田慶児、浅原達郎訳 みすず書房 1985
中国古代のスポーツ 邵文良編著 ベースボール・マガジン社 1985
中国珍奇怪異物語 旺文社文庫 寺尾善雄 旺文社 1985
中国の石油産業 神原達ほか 幸書房 1985
中国の宗族と演劇 華南宗族社会における祭祀組織・儀礼および演劇の相関構造 田仲一成 東京大学出版会 1985
中国神話物語 袁珂著 大学書林 1985
唐伝奇入門 呉志達 赤井益久訳 日中出版 1985
明末農民反乱の研究 佐藤文俊 研文出版 1985
論集東アジアの食事文化 石毛直道編 平凡社 1985
崑崙の秘境探検記 中公新書821  周 正  中央公論社 1986
諸葛孔明の生涯 寺尾善雄 旺文社 1986
銭起詩索引 田部井文雄編 汲古書院 1986
中国五大石窟の旅 紀野一義 佼成出版社 1986
中国詩歌原論 比較詩学の主題に即して 松浦友久 大修館書店 1986
中国人の歴史意識 平凡社選書11 川勝義雄 平凡社 1986
中国聖賢のことば 講談社学術文庫 五十沢二郎 講談社 1986
中国説客列伝 徳間文庫 守屋洋 徳間書店 1986
中国の風水思想 J・J・M・デ・ホロート 第一書房 1986
中国美術史 小杉一雄 南雲堂 1986
纏足物語 岡本隆三 東方書店 1986
道教叢林太清宮志 五十嵐賢隆 国書刊行会 1986
道教研究のすすめ その現状と問題点を考える 秋月観暎編 平河出版社 1986
東洋学発掘 安岡正篤 明徳出版社 1986
満洲1945年 木島三千男編 地久館 1986
明末清初モンゴル法の研究 島田正郎 創文社 1986
羅振玉年譜 羅継祖輯述 羅昌霖校補 文史哲出版社 1986
歴代兵制浅説 王暁衛・劉昭祥 北京・解放軍出版社 1986
女たちのアジア 新書 松井やより 岩波書店 1987
近世日本漢文学史論考 水田紀久 汲古書院 1987
呉子 中国古典兵法書 呉起著 尾崎秀樹訳・解説 教育社 1987
黒旗軍 19世紀中国の農民反乱 陳白塵撰述 佐藤公彦訳 研文出版 1987
古代東アジアの装飾墓 町田章 同朋舎 1987
戦間期日本繊維産業海外進出史の研究 藤井光男 ミネルヴァ書房 1987
禅思想史研究 3 鈴木大拙 岩波書店 1987
中国通俗小説書目 大塚秀高編著 汲古書院 1987
中国の宗教と社会 M・フリードマン著 田村克己ほか訳 弘文堂 1987
道教思想史研究 福永光司 岩波書店 1987
道教と宗教文化 秋月観暎編 平河出版社 1987
道教聖典 小柳司気太訳  心交社 1987
道教と古代日本 福永光司 人文書院 1987
藤堂明保中国語学論集 汲古書院 187
中国式人相学入門 松本一男 PHP:研究所 1987
中国書蹟大観 全7巻 文物出版社 講談社 1987
中国人の酒落と諺 吉田隆 広報社 1987
中国鉄道の旅 エリアガイドブック114  南正時 昭文社 1987
中国都城の起源と発展 楊寛 学生社 1987
中国とたたかったチベット人 チベット叢書 ジャムヤン・ノルブ編著 日中出版 1987
中国の朝鮮族  延辺朝鮮族自治州概況 大村益夫訳 むくげの会 1987
麦積山石窟 中国石窟シリーズ 平凡社 1987
木簡手帖 呉恵霖 木耳社 1987
論集中国社会・制度・文化史の諸問題 中国書店 1987
アジアその多様なる世界 第2回「大学と科学」公開シンポジウム組織委員会 朝日出版社 1988
ガラスの道 中公文庫 由水常雄 中央公論社  1988
漢書食貨・地理・溝洫志 東洋文庫488  班固著 永田英正・梅原郁訳注 平凡社 1988
近世日本と東アジア 荒野泰典 東京大学出版会 1988
古代中国 驚異の知恵と技術 佐藤鉄章 徳間書店 1988
「三国志」に学ぶ興亡の原理 守屋洋 パンリサーチインスティテュート 1988
周易 古代中国的世界図式 鳥恩溥著 吉林文史出版社 1988
周原与周文化 陳全方 上海人民出版社 1985
中国漢詩心の旅 全5巻 田川純三著 世界文化社 1988-1990
中国近代思想史 張錫勤編 黒龍江人民出版社 1988
中国古代養生思想の総合的研究 坂出祥伸編 平河出版社 1988
中国人のトポス 洞窟・風水・壺中天 平凡社選書 三浦国雄 平凡社 1988
中国生活事典 白馬出版 1988
中国朝鮮族の教育文化史 李埰畛 鎌田光澄訳 コリア評論社 1988
中国の隠遁思想 中公新書 陶淵明の心の軌跡 小尾郊一著 中央公論社 1988
中国の哲学・宗教・芸術 福永光司 人文書院 1988
中国の工業化と産業技術進歩 研究双書373 丸山伸郎 アジア経済研究所 1988
中国の年中行事 平凡社選書 中村喬 平凡社 1988
道教典籍目録・索引 大淵忍爾・石井昌子編 国書刊行会 1988
霧社緋桜の狂い咲き 虐殺事件生き残りの証言 ピホワリス著 加藤実編訳 教文館 1988
木簡小字典 佐野光一編 雄山閣 1988
巌窟蔵鏡 梁上椿著 田中琢・岡村秀典訳 同朋舎  1989
黄晢暎 武器の影 上・下 高崎宗司ほか訳 岩波書店 1989
故土 蘇叔陽 馬場与志子訳 中国書店 1989
古陶文彙編 高明編 東方書店 1989
商君書索引 鈴木一郎編 風間書房 1989
仙界とポルノグラフィー 中野美代子 青土社 1989
中国近代女子教育史 1865~1945  盧燕貞 文史哲出版社 1989
中国近代化の政治経済学 岡部達味 PHP研究所 1989
中国古代の祭礼と歌謡 東洋文庫500  マーセル・グラネ著 内田智雄訳 平凡社 1989
中国古代の諸民族 李家正文 木耳社 1989
中国人の本音 孔健 大陸書房 1989
中国人のはらわた 蓮根藤 はまの出版 1989
中国石窟雲崗石窟1 雲崗石窟文物保管所 平凡社 1989
中国図書の歴史 庄威著 吉村善太郎訳 京都・臨川書店 1989
中国とソ連 岩波新書 毛里和子 岩波書店 1989
中国の工芸 出光美術館蔵品図録 出光美術館編 平凡社 1989
中国の思想的危機 研文選書44  林毓生著 丸山松幸・陳正醍訳 研文出版 1989
中国の食文化 周達生 創元社 1989
中国犯科帳 波野徹編訳 平河出版社 1989
中国文化のルーツ 上下 郭伯南ほか著 東京美術 1989
中国歴代詩歌選集 福田稔編注 丘書房 1989
木簡の書 宇野雪村著 大庭脩解説 同朋舎 1989
やきもののシルクロード 加藤卓男 中日新聞本社 1989
やきもの文化史 景徳鎮から海のシルクロード 岩波新書 三杉隆敏 岩波書店 1989
読み切り三国志 井波律子 筑摩書房 1989
論集東北アジアの考古学 東北アジア考古学研究会 六興出版 1989
顔氏家訓2 東洋文庫 顔之推著 宇都宮清吉訳注 平凡社 1990
元典章 海王邨古籍叢刊 中国書店 1990
古典文字字典 師村妙石編 東方書店 1990
三国志の英傑 講談社現代新書1030  竹田晃 講談社 1990
中国 民主化運動の歴史 姫田光義著 青木書店 1990
中国古代農業博物誌考 胡道静著 渡部武訳 農山漁村文化協会 1990
中国次の10年 宮崎正弘 天山出版 1990
中国人の知恵 ワニ文庫 松本一男 ベストセラーズ 1990
中国政経用語辞典 愛知大学国際問題研究所編 大修館書店 1990
中国知識人の精神史 上下 フマニタス選書 李羨林 北樹出版 1990
中国と世界経済 上野秀夫 中央経済社 1990
続 中国の年中行事 平凡社選書 中村喬 平凡社 1990
新楽府・秦中吟の研究 近藤春雄 明治書院 1990
馬占山将軍 東洋のナポレオン 立花丈平 徳間書店 1990
夜鳴く鳥 古代中国の医学・呪術・伝説 山田慶児 岩波書店 1990
漢書列伝 中国古典新書続編15  高木友之助・片山兵衛訳注 明徳出版社 1991
映画で語る中国・台湾・香港 戸張東夫著 丸善ライブラリー 1991
元曲釈詞 全4冊 顧学頡・王学奇編著 中国社会科学出版社 1991
香妃考證研究 姜龍昭 1991
中国化学史話 上・下 ポピュラー・サイエンス 曹元宇 裳華房 1991
中国古代の占法 技術と呪術の周辺 坂出祥伸 研文出版 1991
中国女性 家・仕事・性 秋山洋子編訳 東方書店 1991
中国書道の基礎的研究 塚田康信著 東方書店 1991
中国新蚕農書考 「蚕務条陳」と「農学報」 池田憲司 自家本 1991
中国神話の文化人類学的研究 池田末利編 鉄井廣紀著 平河出版社 1991
中国の千年王国 三石善吉 東京大学出版会 1991
中国古代の生活史 林己奈夫 吉川弘文館 1992
中国哲学 講談社学術文庫 宇野哲人 講談社 1992
中国婚姻史 新・中国文化史叢書15  蘇冰 文津出版社 1994
中国古代文化精要 劉洪仁 巴蜀書社 2003
秦漢儒教の研究 齋木哲郎 汲古書院 2004
建安七子集 中国古典文学基本叢書 兪紹初輯校 中華書局 2005
皇朝編年綱目備要 陳均編 中華書局 2006

孔子及び論語関係文献目録

Photo_2  1690年2月7日、孔子を祭る湯島聖堂が完成した。孔子の学問を儒学として薦めたのは江戸時代になってからだが、すでに江戸初期にもその気運はあった。加藤清正は戦国の武将の例にもれず、本などあまり読まなかったが、教養派の前田利家の影響から読書するようになった。清正が、江戸と熊本を往来する船の中で、「論語」を読みながら朱点ほほどこしているのを見ていた飼い猿が、清正が厠へ行った間に主人の真似をして「論語」の上に縦横に朱の線を走らせてしまった。戻ってきた清正はこれを見てニッコリ笑い、「おぉ、そちも聖人の教えを知りたいか」と言って、猿の頭を撫でたという。この逸話によって、清正が平生「論語」に親しんでいたことがよくわかる。清正ならずとも心ある部将はみな論語を愛読した。大内義隆、徳川家康など。明治以後は渋沢栄一、下村湖人、武者小路実篤など。第一生命の創始者・矢野恒太にも『ポケット論語』の著書がある。講談社をつくった野間清治にも、事業運営の柱に「論語」を据えたことは、あまねく知られている。最近では野球の野村克也が『野村の実践論語』の著書を刊行している。明治以降、「孔子及び論語」に関する文献は何点くらい出版されたのであろう。国立国会図書館で検索すると14028件がヒットする。

  論語関係文献
図書の部
論語微 10巻 荻生徂徠
論語古義 10巻 伊藤仁斎撰 1712
論語 全4巻 朱熹 学習館 1870
論語集説 全6巻 安井息軒 1872
孔子 世界歴史譚第2篇 吉国藤吉 博文館 1899
論語新証 于省吾 1900
和論語 本社出版部 仏教図書出版 1900
孔門之徳育 亘理章三郎 開発社 1901
論語纂註 米良東嶠(倉子痩) 村上書店 1901
論語訓釈 斎藤清之丞 金華堂 1903
論語補註 山本章夫 山本読書室 1903
論語講義 上下 花輪時之輔講述 深井鑑一郎編 誠之堂 1903
孔門之徳育  1巻 亘理章三郎 開発社 1901
論語補註 2冊 和本 山本章夫註 京都・山本読書室 1903
孔夫子伝 蜷川龍夫 文明堂 1904
孔子研究 蟹江義丸 金港堂 1905
論語講義 根本通明 早稲田大学出版部 1906
孔子 西脇玉峰 内外出版協会 1909
論語経典余師 渓世尊講 宮崎璋蔵校訂 日吉丸書房 1909
論語講義 近藤元粋 篠田栗夫共著 大日本商業学会 1909
論語古義 佐藤正範 六盟館 1909
論語集説 漢文大系1 安井息軒 服部宇之吉校 冨山房 1909
論語講話 大江文城 東洋大学出版部 1909
孔子伝 遠藤隆吉 丙午出版社 1910
孔子 白川次郎 東亜堂 1910
孔子之聖訓 二條基弘 東久世通禧 名著学会出版部 1910
荻生徂徠論語辨 祥雲碓悟校 1910
論語弁 荻生徂徠 祥雲碓悟校 天書閣 1910
論語講義 一戸隆太郎 大成社 1910
論語国字解 一名経伝余師 渓世尊講 深井鑑一郎校 宝文館 1910
論語詳解 川岸華岳 郁文舎 1910
論語示蒙句解 漢籍国字解全書1 中村惕斎 早稲田大学出版部 1912
論語書目 中村久四郎編 孔子祭典会 1913
論語源流 林泰輔 自筆稿本 1915
孔子及び孔子教 服部宇之吉 明治出版社 1917
論語講義 漢文註釈全書1 三島毅(中洲) 明治出版社 1917
論語鈔 成簣堂叢書10  上村観光解題 1917
論語講義 細川潤次郎 南摩鋼紀共著 吉川弘文館 1919
孔子と其思想及教義 鈴木周作 弘道館 1922
渋沢子爵活論語 安達大寿計編 宣伝社 1922
現代に活かした論語講座 西川光二郎 丙午出版社 1924
孔子聖教之攻究 景仰子、柿本寸鉄 人文社 1924
孔子聖蹟志 馬場春吉 大東文化協会 1924
孔子研究 改版 蟹江義丸 京文社 1927
国訳論語 斯文会編 龍門社 1928
孔子鑑賞 大月隆仗 敬文館 1929
論語明解 江口天峰 至玄社 1929
孔子 小学児童学習の友 高橋喜藤治 郁文書院 1930
論語講本(集註) 島田欽一校訂 有精堂 1930
論語鈔 村上龍英 広文堂 1930
論語詳解 沢田総清 健文社 1930
孔子全集 全2冊 藤原正纂訳 岩波書店 1931
論語善本書影 大阪府立図書館編 京都・貴重書影本刊行会 1931
論語詳解 簡野道明 健文社 1931
論語證解 上中下 漢籍国字解全書28,29,30 早稲田大学出版部 1933
論語私感 武者小路実篤 岩波書店 1933
孔子 室伏高信 日本評論社 1934
孔子解説 学庸篇 北村佳逸 立命館出版部 1934
論語講義 岡田正三 第一書房 1934
論語心解 西川光二郎 自動道話社 1934
論語の解釈 村田慎三 白帝社 1934
論語詳解 前島成 大修館 1934
論語全解 島田鈞一 有精堂 1934
孔子及孔子教 住谷天来 新生堂 1935
論語評釈 大江文城 関書院 1935
論語講義 安井小太郎 大東文化協会 1935
論語古伝 10巻 仁井田好古撰 南紀徳川史刊行会 1935
論語大学中庸 漢籍を語る叢書2 田中貢太郎 大東出版会 1935
論語新解 国語漢文研究会編 明治書院 1935
孔子 社会科学の建設者・人と学説叢書 田崎仁義 三省堂 1936
孔子の生涯 諸橋轍次 章華社 1936
仁の研究 山口察常 岩波書店 1936
精講 論語百講 松田金重編 三省堂 1936
論語講座 全6巻 高田真治・諸橋轍次・山口察常編 春陽堂 1936-37
孔子伝 岡村利平 春陽堂 1937
孔子伝 (附)弟子列伝・集語 岩波文庫 藤原正訳注 岩波書店 1937
孔子とをしえ 加藤虎之亮 国民精神文化研究所 1937
孔子の思想・伝記及年譜 論語講座研究篇 春陽堂 1937
孔子の人格と教訓 塩谷温 開隆堂書房 1937
論語・孔子 室伏高信全集8 青年書房 1937
孔子 大教育家文庫1 和辻哲郎 岩波書店 1938
全釈論語 幸田露伴 双葉書房 1938
大学論語解義 四書研究 岩部撓・深谷賢太郎 啓文社 1938
論語精解 重野篤二郎 白帝社 1938
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1939
論語私見 上下 山本憲永弼 松村末吉家 1939
新講論語読本 西川光二郎 春陽堂書店 1939
論語読本(興亜国民) 上下 論語 東洋思想文庫 東洋思想文庫刊行会 第一出版協会 1939
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1939
論語と教養 谷口廻瀾 谷口廻瀾先生還暦記念刊行会 1940
孔子 武者小路実篤 講談社 1941
孔子と其の生涯 田中貢太郎 東海出版社 1941
孔子廟参拝記 菟田茂丸 平凡社 1941
算標論語集註 瀧川亀太郎 金港堂書籍 1941(1913)
論語と支那の実生活 後藤朝太郎 高陽書院 1941
論語詳解 最新研究 徳本正俊 芳文堂 1941
孔子・人とその哲学 室伏高信 潮文閣 1942
孔子の新研究 大月隆仗 新民書房 1942
孔子 和辻哲郎 植村書店 1948
論語総説 藤塚鄰 弘文堂 1949
論語十二回講話 西川光二郎 1942
論語と孔子の思想 津田左右吉 岩波書店 1946
論語抄 幸田露伴 中央公論社 1947
孔子とその弟子 下村湖人 西荻書店 1950
論語集註 簡野道明 明治書院 1950
孔子 岩波新書 貝塚茂樹 岩波書店 1951
孔子 室伏高信 潮文閣 1951
孔子廟堂碑 展大法帳1 虞世南 春潮社 1951
論語物語 角川文庫 下村湖人 角川書店 1951
論語私感 三笠文庫 武者小路実篤 1951
論語私感 新潮文庫 武者小路実篤 1951
孔子 偉人物語文庫 小田嶽夫 偕成社 1952
孔子と老子 諸橋轍次 不昧堂書店 1952
論語に学ぶ 赤木三良 池田書店 1952
論語新解 簡野道明 明治書院 1952
全訳論語精解 重野篤二郎 桜井書店 1953
論語新釈 宇野哲人 弘道館 1953
論語全解 島田鈞一 有精堂 1953
孔子 角川文庫 和辻哲郎 角川書店 1955
孔子 武者小路実篤全集11  新潮社 1955
孔子 三一新書 尾崎辰之助 三一書店 1957
論語百選 現代人のために 三省堂百科シリーズ 新垣淑明 三省堂 1957
論語の言葉 現代に生きる言葉? 堀秀彦 実業之日本社 1957
論語と現状 岩越元一郎 明徳出版社 1957
論語新釈 学生社新書 魚返善雄訳 学生社 1957
論語集注 上下 影璜川呉氏仿宋刊本 書物文物流通会 1959
孔子 その人とその伝説 H・G・クリール著 田島道治訳 岩波書店 1961
顔淵・孔子 中勘助全集10 角川書店 1962
孔子 和辻哲郎全集6 和辻哲郎 岩波書店 1962
仁の古義の研究 竹内照夫 明治書院 1964
論語集註(標註) 渡辺末吉 武蔵野書院 1964
論語のことば 中国の知恵1 吉田賢抗 黎明書房 1965
論語知言 東条一堂 原田種成校訂 書籍文物流通会 1965
論語と人間孔子 山田統 明治書院 1965
孔子・孟子 世界の名著3 貝塚茂樹編 中央公論社 1966
仁の研究 下斗米晟 大東文化大学東洋文化研究所 1966
孔子と老子 ヤスパース選集22  田中元訳 理想社 1967
孔子名言集 世界名言集6 伊藤貴麿 ポプラ社 1967
孔子孟子老子荘子 世界の大思想Ⅱ‐1  本田済、松代尚江、木村英一ほか訳 河出書房 1968
論語私感想 現代教養文庫 武者小路実篤 1968
孔子 センチュリーブックス人と思想2 内野熊一郎、西村文夫、鈴木壮一 清水書院 1969
孔子伝 如是我聞 諸橋轍次 大法輪閣 1969
孔子と論語 東洋学叢書 木村英一 創文社 1971
論語源流 林泰輔 汲古書院 1971
論語古義 日本の名著13  伊藤仁斎著 貝塚茂樹訳 中央公論社 1972
論語抄 足利本 中田祝夫編 勉誠社 1972
論語之研究 武内義雄 岩波書店 1972
聖人の虚像と実像 論語 現代人のための中国思想叢書1 駒田信二 新人物往来社 1973
論語講義と長寿法 村田直彌 明治書院 1973
論語の講義 諸橋轍次 大修館書店 1973
孔子批判 中国通信社東方書店編 東方書店 1974
論語三十講 斯文会編 大修館書店 1974
論語入門 ダルマ・ブックス 阿部幸夫 日本文芸社 1974
論語の新研究 宮崎市定 岩波書店 1974
孔子伝 銭穆 池田篤紀訳 アジア問題研究会 1975
論語発掘 通釈への疑問と解明 合山究 明治書院 1975
論語講義 渋沢栄一 二松学舎大学出版部 1975
論語私見 民主主義時代の論語 小沢俊雄 岡谷 中央印刷 1975
論語大東急記念文庫講座講演録 石井千秋等講述 大東急記念文庫 1975
論語について 講談社学術文庫 吉川幸次郎 講談社 1976
修訂・論語年譜 林泰輔編 麓保孝修訂 国書刊行会 1976
論語講義 全7巻 講談社学術文庫 渋沢栄一 講談社 1977
論語精義 上・下 和刻本近世漢籍叢刊思想三編 1・2 朱熹撰 佐藤仁著 中文出版社 1977
論語新釈 新装版 魚返善雄訳 学生社 1978
孔子 人類の知的遺産4 金谷治 講談社 1980
論語新釈 講談社学術文庫451 宇野哲人訳 講談社 1980
朝の論語 安岡正篤述 明徳出版社 1981
論語墨書 名筆による名言鑑賞 広論社出版局編 広論社 1981
論語私感 内田智雄 創文社 1981
論語新探 論語とその時代 趙紀彬著 高橋均訳 大修館書店 1981
よみがえる論語 色部義明 徳間書店 1981
論語八方破れ TOKUMA BOOKS 竹村健一 徳間書店 1982
孔子新伝 「論語」の新しい読み方 林復生 新潮社 1983
孔子のことば 現代語訳の「論語」 林復生 グラフ社 1983
論語に学ぶ部課長学 仁田敏男 日本経営団体連盟弘報部 1983
孔子 時を越えて新しく 中国の人と思想1 加地伸行 集英社 1984
論語のこころ 加藤富一 近代文芸社 1984
論語と孔子 人間関係論のエッセンス「論語」の新しい読み方 鈴木修次 PHP研究所 1984
孔子 伝記世界の偉人2 中央コミックス 永井道雄・手塚治虫監修 中央公論社 1985
孔子廟堂碑・他 書道基本名品集2 虞世南 雄山閣出版 1985
「論語」その裏おもて 旺文社文庫 駒田信二 旺文社 1985
論語と算盤 渋沢栄一述 梶山彬編 国書刊行会 1985
「論語」&老子入門 徳間文庫 野末陳平 徳間書店 1985
論語の世界 加地伸行編 新人物往来社 1985
孔子と失われた十支族 鹿島辨 新国民社 1986
孔子の復活 孔子をめぐる虚構と真実 李家正文 冨山房 1986
孔子の末裔 孔徳懋口述、柯蘭筆記 和田武司訳 筑摩書房 1986
論語との対話 金子知太郎 竹井出版 1987
論語の活学 安岡正篤 プレジデント社 1987
論語抄の国語学的研究・索引篇 坂詰力治編 武蔵野書院 1987
孔子の経営学 孔健 PHP研究所 1988
論語総説 藤塚鄰  国書刊行会 1988
論語と禅 半頭大雅 山田邦男 春秋社 1988
孔子 井上靖 新潮社 1989
孔子 日本人にとって「論語」とは何か 歴史と人間学シリーズ 山本七平、渡辺昇一、谷沢永一、小室直樹 プレジデント社 1989
論語は問いかける 孔子との対話 ハーバート・.フィンガレット著 山本和人訳 平凡社 1989
「論語」その裏おもて 徳間文庫 駒田信二 徳間書店 1989
論語の講義 新装版 諸橋轍次 大修館書店 1989
孔子 講談社学術文庫 金谷治 講談社 1990
孔子と教育 俵木浩太郎 みすず書房 1990
わが祖・孔子と「論語」のこころ 孔健 日本文芸社 1990
孔子 集英社文庫 加地伸行 集英社 1991
孔子画伝 加地伸行 集英社 1991
孔子伝 中公文庫 白川静 中央公論社 1991
孔子・孟子に関する文献目録 瀬尾邦男編 白帝社 1992
真説人間孔子 孔祥林 河出書房新社 1994
論語 石川忠久監修 サン・エデュケーショナル 2000
論語 吉田公平 たちばな出版  2000
論語紀行 坂田新 日本放送出版協会 2000
宋明の論語 松川健二 汲古書院 2000
男の論語2 童門冬二 PHP研究所 2000
論語234 吹野安、石本道明 明徳出版社  2000
人生は論語に窮まる 谷沢永一、渡辺昇一 PHP研究所 2000
孔子「論語」に関する文献目録 単行本篇 瀬尾邦雄 明治書院 2000
江戸古学派における「論語」注釈史の研究 金培懿 博士論文 2000
論語 現代五訳 宮崎市定 岩波書店 2000
論語の新しい読み方 宮崎市定 岩波書店 2000
孔子百科辞典 上海辞書出版社 2010
さまよえる孔子、よみがえる論語 朝日選書 竹内実 朝日新聞出版 2011
孔子学院伝播研究 劉程、安然 中国社会科学出版社 2012
孔子の倫理哲学論 道徳論を中心として 浅井茂紀 International Philosoply Institute
孔子論語 佐久協 NHK出版 2012
孔子 世界史リブレット人 高木智見 山川出版社 2013
論語集注 1~4 東洋文庫 朱熹 土田健次郎訳注 平凡社 2013
全訳論語 山田史生 東京堂出版 2014
近代における「論語」の訓読に関する研究 石川洋子 新典社 2015
孔子と魯迅 片山智行 筑摩書房 2015
日本古代「論語義疏」受容史の研究 髙田宗平 塙書房 2015
論語与近代日本 劉萍 中国青年出版社 2015

論文の部
泰西人の孔子を評するを評す 井上哲次郎 東学芸4  1882
孔子ノ教ハ支那国ニ如何ナル影響ヲ与ヘンヤ 赤座好義 東学芸3-46  1885
孔子の学術を汎論す 柳沢保恵 輔仁会雑23,24,28  1893~94
孔子之道と徂徠学 加藤弘之 東哲1-6  1894
孔子以後の学派 藤田豊八 東哲1-8,11,12   1894,95
孔孟の道 内藤耻叟  東哲1-3  1894
孔夫子追遠記念祭典の意義 塩谷温 斯文4-6  1922
孔夫子伝 服部宇之吉 斯文7-2  1922
孔夫子の偉大なる点に就いて 手塚良道 斯文4-5  1922
孔夫子略伝 服部宇之吉 斯文4-5  1922
周公孔子之道 今井彦三郎 朝鮮教育6-12  朝鮮教育会 1922
文廟の従祀及び清代尊孔御書匾額について 中山久四郎 斯文4-5  1922
予の孔子観 桑原隲蔵 斯文4-5   1922
余の観たる孔夫子 渋沢栄一 斯文4-5  1922
孔夫子の政治観 島田三郎 斯文5-4  1923
孔子とソクラテス 吉田熊次 斯文5-5  1923
大聖孔子 牧野謙次郎 斯文5-5  1923
孔子の知天命 服部宇之吉 斯文9-9  1927
孔夫子と集大成 児島献吉郎 斯文9-5  1927
孔夫子の道 小野錬太郎 斯文9-12  1927
支那史上の偉人 孔子と孔明 桑原隲蔵 東洋史説苑 1927
孔子の敬天思想 青木晦蔵 東洋文化54  1928
孔子祭典に就て 阪谷芳男 斯文10-1  1928
孔子の徳業 小柳司気太 斯文10-2  1928
孔夫子と現代支那 塩谷温 斯文10-6  1928
孔夫子の政教 赤池濃  斯文10-11  1928
孔孟紀年 新城新蔵 高瀬還暦記念支那学論叢 1928
孔子の聖徳に就いて 今村完道 斯文11-11  1929
孔子の大義名分説に就いて 宇野哲人 斯文10-6  1929
孔老の思想 常盤大定 丁酉倫理会倫理講演集326  1929
正しく観たる孔夫子の聖徳 中山久四郎 斯文11-8  1929
孔子の道 飯島忠夫 斯文12-9  1930
孔子の仁と儒者の学 遠藤隆吉 哲学雑誌46-535  1931
史記の孔子伝大要 岡崎文夫 歴史と地理27-1   1931
孔子教について 荻原拡 斯文14-7  1932
支那思想史上に於ける孔子の地位 高田真治 哲学雑誌47-539  1932
満州の孔子廟建築 村田治郎 満州学報1 1932
孔子教のフランス進出 後藤末雄 丁酉倫理会講演集373  1933
孔子と老子 加藤一夫 東洋哲学38-1   1931
孔子の軍事観 岡村利平 大東文化9 1935
論語より観たる孔夫子の教導法 合田万吉 斯文17-7  1935
孔子教に於ける実行の価値 飯島忠夫 斯文4-5  1936
孔子以前の仁字とその意義 山口察常 斯文18-8  1936
孔門伝授の心法 成田衡夫 服部古稀記念論文集 1936
孔子とイエス 大塚繁樹 媛大紀要1-4  1953
詩書と孔子の天及び天命の思想 米田登 文と思6  1953
孔子および孟子の兵戦思想 内田智雄 同志社法学26  1954
孔子学団 宇都宮清吉 東洋学報(京都)25  1954
天下周遊の構造 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報5  1954
孔子の管仲譚 華夷論の一端として 高田真治 東洋研究6  1963
孔子の仁の思想について 馮友蘭著 高橋均訳 漢文教室64  1963
貝塚茂樹著「孔子」についての往復書簡 西谷啓治、貝塚茂樹 図書24  1951
孔子に於ける仁思想成立の過程 石黒俊逸 支那学研究8  1951
尚書孔子伝の態度 加賀栄治 学芸3-1  1951
人間孔子 谷川徹三 斯文4  1951
孔子死生の説 那智佐典 東洋学研究7  1938
孔孟以後の儒教 秋月胤継 斯文20-6  1938
東洋史上に於ける孔子の位置 宮崎市定 東洋史研究4-2  1938
論語に現われたる孔子の人間観 西村侃三 斯文21-11,12  1939
孔子的自我の展開 牧尾良海 哲学雑誌55-639,642  1940
孔子の仁 平田栄(講演)  斯文22-1  1940
孔子の学的精神とその展開 田所義行 漢学雑9-3,10-1  1941-42
孔子より孟子に至る自己観の展開に就いて 赤塚忠(講演) 斯文24-12  1942
孔子の思索生活  1,2 田所義行 漢学雑11-2,3;12-1,2   1943~44
孔子の教学 佐藤匡玄  建大研月報38  1944
孔学総論 谷本富 東学芸4-73  1945
孔子について 貝塚茂樹 世界10  1946
人間孔子 林語堂 実藤恵秀訳 新中国1-3  1946
マルクス孔子に会う 郭沫若 実藤恵秀訳 中国文学95  1946
孔子と子産 貝塚茂樹 東光1   1947
孔子の学問精神 原佑 叙説4  1950
孔子の人間観 板野長八 学士院紀要8-1  1950
春秋著者説話の原形 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 叙説5  1950
孔子の精神に関して所感を陳ぶ 元良勇次郎 東洋哲学2-10  1895
孔子の誕生会に就て 日下寛 東洋哲学2-9  1895
孔夫子誕生祭に就き 関根正直 東洋哲学4-2  1896
孔子誕生に就きて 重野安繹 東洋哲学3-1  1896
孔子の精神 日下寛 東洋哲学4-2  1897
孔子の降誕に就きて  島田重礼 東洋哲学4-1  1897
孔子の学説 松村正一 東洋哲学8-9~12 1901
孔子の教育及宗教 穂積秀範 龍谷史壇10  1902
孔夫子と儒教 島田三郎 東洋哲学 9-1,2  1902
孔子の所謂君子に就きて 蟹江義丸 東洋哲学10-1  1903
孔子教の趣旨 星野恒 東洋哲学11-1   1904
孔夫子研究を評す 中島徳蔵 丁酉倫理会講演集33,34  1905
孔子ノ人格ニ就テ 井上哲次郎 太陽13-10  1907
孔聖の修養 山田準 東洋哲学15-6  1908
孔夫子の運命観 大島順三郎 東洋哲学17-6,8・18-3 1910~11
孔子に対する社会的信仰の矛盾 村上専精 丁酉倫理会講演集101  1911
孔子の倫理説に就て 松村正一 東洋哲学18-5   1911
支那に於ける孔夫子の尊崇 服部宇之吉 東亜研究1-1  1911
孔夫子の政治上に於ける教訓 深作安文 東亜研究3-6  1913
孔子教 及川生 慶義学208,209  1914
孔子 井上哲次郎 斯文20-6  1938
孔子伝より見たる論語の解釈 岡村利平 大東文化16  1937
孔子と老子 諸橋轍次 斯文33-4  1937
遭難 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報6  1955
文学としての孔子世家 バートン・ワトソン 中文教2  1955
孔子の思想について 吉川秀一 阪学大紀4  1956
孔孟の命について 金谷治 日中会報8  1956
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報7  1956
孔子の陳蔡厄考 田中佩刀 静岡女子大紀要4  1957
「孔子の道」の解釈をめぐる二三の疑義 近藤康信 東支学報3 1957
孔教私観 長谷川如是閑 斯文22  1958
孔子と易 高田真治(講演)  大東漢学1  1958
孔子と墨子 山室三良 九中会報5  1959
陳蔡の間 孔子説話の思想史的研究 渡辺卓 梨大学研報9  1959
孔門の十哲に就いて 山本徳一 漢学研究1  1936
聖人の虚像と実像(孔丘) 丸山松幸 人物中国志2 1974
官吏養成を目的とした孔子学園の教育 高峰文義 福岡大学人文論叢10-3  1978-1979
論語にみる孔子の人間評価基準 その識別に関する一考察 仙田美智子 近畿大学女子短期大学研究紀要16  1986

  このように古来より孔子及び論語に関する文献は膨大な量にのぼる。若い読書子に一冊を奨めるとすれば、高木智見「孔子」(世界史リブレット)である。100頁たらずの冊子であるが、比較的本を求めやすい。また最新の出土資料をもとに論語のテキストを検討している。孔子の中心思想である「仁」についてしぼって論述している。論語と孔子の関係書は多いがほとんどが現代的な解釈を各自が自由に論じているが、本書は春秋という時代状況を可能な限り考察し、孔子の思想について論述している点を評価したい。

幕末期江戸の変化と新徴組

   嘉永6年6月、ペリーが浦賀に来航、こうして幕末の政争がひきおこされるのである。開国による経済的諸変化により、物価は高騰し、中下層農民や都市下層民に著しい動揺と混乱を与えた。慶応2年5月、米などの安売りを要求して穀屋、酒屋、質屋などの富裕な商人を打ち壊しの動きがあり、市中の混乱は次第に激しくなる。幕府浪的士組の清河八郎の横死後、浪士組は新徴組として再組織された。文久3年4月のことである。屯所は江戸の本所に設置され、高橋泥舟、山岡鉄太郎が幹部であった。元治元年には勤王色を一掃して庄内藩主・酒井忠篤の預かりとなる。幹部は中村又太郎ほか14名。戊辰戦争では新徴隊として各地に転戦するが、明治元年9月下旬、庄内藩の降伏で解散。幕末の女剣士・中澤琴(1839-1927)は兄・中澤良之助とともに上洛し、のち新徴組に加わる。目鼻立ちの整った美人といわれる。

   結成時の隊士。取締・俣野一郎右衛門。幹部は根岸友山、山田官司、徳永大和、武田元記、大館謙三郎、黒田桃珉、常見一郎、斎藤源十郎、青木慎吉、山本仙之助、高橋亘など。隊士は芳賀忠治、森土鉞四郎、村上常右衛門、金子正言、西恭助、宇都宮左衛門、大内志津馬、須永宗司、黒井卓一郎、大村達尾、金子竜之助、藤林鬼一郎、管野正助、林茂助ほか。なお、新徴隊になってからの幹部は中村又四郎、中村錦三郎、白井為右衛門、仁科五郎、渡辺平作、玉城織衛、天野静一郎、稲田隼之助、長屋源平、中沢貞之助、黒井卓一郎、満岡元司、本多源三郎、水野倭一郎、荻野良造、大島学ら。

ポリティカル・コレクトネス

 トランプ米大統領に抗議するイベントで乱闘騒ぎを起こした俳優シャイア・ラブーフが逮捕された。マドンナ、ガガ、エマ・ワトソン、ミア・ファローなど反トランプのハリウッドセレブは多い。しかし俳優であり監督であるクリント・イーストウッドは数少ないトランプ支持者だといわれる。その理由は近年メディアの言葉狩りに関することかららしい。

   クリント・イーストウッド主演・監督の「ハートブレイク・リッジ」(1986)を観る。古参軍曹が若い兵士を鍛えなおす戦争映画だが、根底にあるアメリカ人のスピリットは古き西部劇のスタイルを完成したもので爽快な作品である。劇中、ちょっと下品で卑猥な言葉が多く使われており、人間味がでていてよいがなぜだろう。おそらくこの頃からアメリカではポリティカル・コレクトネスという風潮が起きてきた。わかりやすくいえば偏った用語や差別的なことばを追放し、中立的な表現を使おうとする運動のこと。例えば、クリスマスのとき、「メリー・クリスマス」といわず「ハッピー・ホリデー」、クリスマスツリーを「ホリデーツリー」という。かつてアメリカに禁酒法があったようにかなり極端に走るお国柄である。だがなにごとも行き過ぎはよくない。差別批判が怖くてうかつに物を言えない社会になっていった。クリント・イーストウッドはポリティカル・コレクトネスを強制する風潮について映画で警鐘しているように思える。 political correctness

実朝暗殺の謎

Photo   源実朝の右大臣拝賀式は承久元年(1219年)1月27日、鶴岡八幡宮で行われた。早咲きの梅の花を見て、「出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春をわするな」と詠んだ。辞世の歌のような悲しいひびきがある。その儀式の夜、日暮れから降りはじめた雪はしんしんと積もった。実朝が雪の石段を下りたところ、頼家の遺児の公暁は突イチョウの木の陰から突然おどり出して、将軍実朝を殺し、太刀持ちの源仲章も斬り伏せた。公暁は実朝暗殺のあと、三浦義村を頼ったが、義村に裏切られ、長尾定景に謀殺されてしまった。将軍実朝は30歳に満たない若い命を散らし、公暁も死に、ここに源氏の嫡流は絶えてしまったのである。

   鶴岡八幡宮の石段わきには「公暁の隠れ銀杏」といわれるイチョウの大木がある。高さ約30m、周囲6.8m、樹齢800年以上ともいわれている。ところが2010年3月夜の強風のため、この大木が倒れてしまった。樹齢800年であれば、公暁が隠れたイチョウの木はこれ以前の木かもしれない。それにしても「公暁の隠れ銀杏」の話は江戸時代以降に見られることで、慈円の「愚管抄」などの鎌倉時代の文献には、イチョウのことは一つも書かれていない。このことから史実ではなさそうだ。

    この実朝暗殺が、公暁一人の計画でなかったことはほぼ推察できる。しかし、これが北条義時の陰謀であるのか、あるいは三浦義村が暗殺計画の黒幕であるのか(永井路子の小説『炎環』)、さまざまな憶測は可能であるが、その真相はいまだに歴史上の謎につつまれている。

2017年1月26日 (木)

あれっ?人の名前が出ない・・・

Obraindreams570  ある人物を思い浮かべたとき、その人の容姿、趣味、職業、人柄、口癖まで思い出せるのに、名前が思い出せないということがある。この心理現象を「ベイカー・ベイカー・パラドクス」という。由来は、「その人の職業がパン屋」というところまで思い出せるのに、ベイカーという名前が思い出せないというジョークから。名前のど忘れはアルツハイマー病のような病気ではなく、原因はヒトの脳の記憶の仕組みにある。記憶はすべて均等に他の概念と結び付いているのではなく、名前は特に記憶しにくいと考えられる。英語では、on the tip of the tongue (のど元まで出かかって思い出せない) という表現もある。(baker baker paradox)

「ア」 事項索引インデックス

Alticamelus  「ア」で始まる語句・用語、主要な人名・地名を掲げる。

  「アーウー」1978年11月に大平正芳が首相になった。牛のようにもっさりした風体に、「アー」とか、「ウー」とやたら間延びした口調で演説したことから、この年の流行語になった。▽「アーケアンサス」白亜紀に生息した被子植物の一種。学名は「最初の花」を意味しており、花はモクレンに似ている。▽「噫呼無情」ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」黒岩涙香訳。▽「アーガイル」菱形格子柄(の靴下)。▽「アーホテッブ」エジプトの女王。?‐紀元前1546)。▽「アイダ」小惑星ディディモスを周回する小さな衛星ディディムーンの小惑星に宇宙船を衝突させて、その軌道を変更することができるのか。このミッションをNASAはアイダ(AIDA)と呼んでいる。Asteroid Impact & Deflection Assessmentの略称。▽「アイゼナハ」ドイツ中部の年。1869年ドイツ社会民主労働者党(アイゼナハ党)を結成した地。作曲家バッハの生地。▽「アイソザイム」同一個体内で、同一の触媒反応を行うが、化学構造が異なる酵素の総称。イソ酵素。▽「アイメリア」Eimeria脊椎動物の消化管上皮細胞に寄生する原生動物。▽「アイバク」インドの奴隷王朝初代のスルタン。在位1206年ー1204年。▽「アイルランガ王」11世紀インドネシア、ジャワ島に繁栄してクディリ王国の君主。▽「アインハルト」カール大帝の秘書。710-840。その著「カール大帝伝」は中世伝記文学として価値がある。▽「アウスピキウム(鳥占)」ローマの政務官や将軍は、民会の開催や戦闘の開始といった公的な活動を行なうとき、それらが神々の意にかなうか否か占いで確かめた。占いには鳥がよく用いられたので、この占いをアウスビキウム、アウグル(鳥占官)という。▽「アウタルキー」経済的自給自足。国民経済の自立を目指して、原料の自給化、外国依存の廃止をはかる政策。Autarkieは1930年代のドイツで使われたが、もとはギリシャ語の「自給」の意。▽「アウディエンシア」audiencia スペイン・カスティーリャ王にあった高等司法裁判所。▽「アウフヘーベン」Aufheben(独語)「止揚」などと訳されているが、普通はただ「やめる」という意味。ヘーゲルが弁証法的発展を示す特殊なことばとして使用した。▽「アオザイ」ベトナムの女性用民族衣装。「アオ」とは「上着」、「ザイ」とは「長い」を意味する。▽「赤潮」プランクトンが大量に発生することによって、海水の色が変わる現象。▽「アカンソル」鉤頭虫類。口と消化管のない腸寄生虫。中間宿主中に二つの異なった幼生形がある(アカンソル=鉤幼虫からアカンテラとなる)。最終宿主は脊椎動物。▽「飽咋之宇斯能神」伊耶那岐神が禊を祓い、投げ捨てた冠から生れた神。▽「木通」アケビ科の蔓性落葉低木。4月頃淡紅紫色の花をつける。果実は長楕円形で、果皮は紫色を帯び、果肉とともに食用、木部は薬用となる。▽平凡社の世界大百科事典33(1972年版)の総索引を見ると、「ア」は「阿」「ああ革命は近づけり」「ああ玉杯に花うけて」「ああそはかの人か」「嗚呼忠臣楠之墓」の順に項目が並んでいる。▽「アア溶岩」玄武岩質溶岩の表面がガサガサで棘々しい状態になったもの。「アア」はハワイ語。▽「アビダルマ」仏教の教説の解釈・注釈書。▽「阿毘曇心論」東晋の慧遠の漢訳。▽「アエピカメルス」(画像)中新世後期から鮮新世後期にかけての約2000万年前~200万年前に生息していたラクダ科の一種。背が高く、木の高い部分の葉を食べた。▽「アキテーヌ盆地」フランス南西部にあるアキテーヌ地方は大西洋に面した温暖な気候でボルドーワインの産地ボルドーがある。

275pxaskia   「アスキア墳墓」マリ共和国ガオ地方にあるソンガイ王国盛時のアスキア・ムハマンド1世の墓。▽「ああ言えば上祐」オウム真理教上祐史浩は学生時代の英語のディベートで鍛えただけあって、立て板に水のごとく喋りまくった。この詭弁について、日刊ゲンダイの二木啓孝が命名したことばで、一言いうと倍以上の言葉が返ってくるという意味に使われた。1995年の流行語。▽「アルティメット」フリスビーを用いた競技の一種。▽「アイコン」書類やフォルダーに相当するプログラムを、その内容を象徴したデザインの絵文字で表したもの。▽「アタラクシア(Ataraxie)」心の平静不動なる状態のこと。▽「穴熊」将棋用語で、香車の位置に王将が入り、金将・銀将で守りを固めるもの。▽「アポトーシス」細胞の自然死。▽「アルハンガイ」モンゴルの行政区(県)。逸ノ城の出身地。▽「アヌンチャタ」アンデルセンの即興詩人に登場するオペラ歌手。▽「アエノコト」石川県奥能登で古くから行なわれている新嘗の祭礼。▽「アンチョビーanchovy」いわし類の小魚。▽「アベノミクス」安倍晋三政権の経済政策。地域格差が拡大。▽「アサバスカ湖」カナダのほぼ中央に位置し、国内8番目に大きい湖。▽「藍大島」藍染めの大島紬。大島紬は鹿児島県奄美大島で生産される高級の紬で、泥染めが特徴である。▽「アステロイド ベルト」太陽系の中で火星と木星の間にある小惑星の軌道が集中している領域のこと。▽「アタワルパ」インカ帝国の実質的な最後の皇帝。▽「阿里山」台湾嘉義県。▽「アルデバラン」おうし座で最も明るい恒星で、占星術では、富と幸福の前兆となる幸運の星といわれる。▽「アレンの法則」寒い地方にすむ動物は、暖かい地方に住むものに比べて、耳、鼻面、尾などの突出した部分が小さくなる傾向にある。▽「アンチョビー」片口イワシをオリーヴオイルで漬けたもの。▽「アバロウニ」 abalone アワビ。▽「アスターポヴォ」ロシアの文豪トルストイが没した駅名。▽「アイオワ州」アメリカ合衆国中西部に位置する「アメリカのハートランド(中心地)」と呼ばれる州。「アンゴラ兎」トルコのアンゴラ地方産の兎のことで、純白の長い毛を持ち、高級毛織物の原料となるので、飼育が流行したが、たくさん飼い過ぎて失敗する者が多かった。

あ (大槻あかね著、こどものとも絵本)
あああああ(石崎虚空の詩集)
アアア・ア・ア(松島節の小説)
あああ あああ ああ渚のシンドバット(ピンク・レディー)
あ~あぁ やんなっちゃった(牧伸二)
ああ青森(平川幸夫の歌謡曲)
嗚呼硫黄島(安藤富治著)
ああいう(「あのような」の意)
ああ言えば上祐
亜愛一郎の転倒(泡坂妻夫の小説)
アーウー
アーヴィング,ジョン(「ガープの世界」の小説家)
アーヴィング,ワシントン(「スケッチ・ブック」の作家)
ああ上野駅(井沢八郎の歌謡曲)
嗟内田喜作中尉(須永弘編著)
アアウセルラ・アペピ(古代エジプト王)
嗚呼、おんなたち猥歌(神代辰巳監督の映画)
アーカイブ(公文書館)
アーガイル
アーガイル・ローバトソン瞳孔
ああ革命は近づけり(築比地仲助の作詞「革命歌」)
アーカディン(オーソン・ウェルズの映画)
アーカンソー(アメリカの州)
アーキオプタリスク(始祖鳥)
アーキテクチャー(建築物)
アーキペラゴ(多島海)
アーキペンコ,アレクサンダー(彫刻家)
嗚呼玉杯に花うけて(佐藤紅緑)
アークェット,パトリシア(女優)
アークェット,ロザンナ(女優)
アーク灯
アークライト,リチャード(発明家)
アーケアンサス(古代の花)
アーケイド
ああ結婚(ヴィットリオ・デシーカ監督の映画)
アーケロン
アーサー王物語
ああしやごしや
ああ人生に涙あり(ドラマ「水戸黄門」主題歌)
アース
アアソウカイ(キョウチクトウ科の多肉植物)
ああそはかの人か(歌劇「椿姫」のアリア)
アーチ
アーチヴォルト(建築開口部の拱部)
アーチェリー
アーチスト
嗚呼忠臣楠子之墓(湊川神社)
アーツ・アンド・クラフツ運動
アーティ・チョーク
アードウルフ
アートタイプ
アードバーク(ツチブタ)
アートマン
アーニー・パイル
あーのねおっさん(高勢実乗)
アーノルド,マシュー(歴史家)
アーバン
アーバン・インスティテュート(民間の政策研究機関)
アーバン・クライシス
アアフメス(古代の数学者)
アーベルカンブ,ヘンドリック
アーヘン(ドイツの都市)
アーヘン大聖堂
アーホテップ
アーマダバード(インドの都市)
ああ みずいろの雨(八神純子の歌謡曲)
アーミッシュ
噫無情(ユゴー作「レ・ミゼラブル」、黒岩涙香訳)
アーメン
アーモンド
アアヤバータ(インドの数学者)
ああ、大和にしあらましかば(薄田泣菫)
アア溶岩
アアラ島
アーリア人
アーリマン(ゾロアスター教の悪神)
アール・グレイ
アール・ヌーヴォー
アアルスメール(オランダの都市)
アールデマ,ヴェルナ
ああ 私の恋は(松田聖子「青い珊瑚礁」)
アーンドラ王朝
安威(あい) 茨木市の地名
AI(あい) 女性ミュージシャン
アイ(能)
アイアイ(マダガスカル島にすむ夜行性のサル)
相合傘
アイアトン,ヘンリー(清教徒革命期の軍人)
アイアム野田(タレント、鬼ヶ島)
アイアン(ゴルフのクラブ)
アイアンクロス(ベゴニア)
アイアンズ,ジェレミー(俳優)
アイアンノブ(オーストラリアの鉱山町)
アイアンロー
阿育王
愛上男(あいうえお)
愛内里菜(ミュージシャン)
アイヴァンホー(スコットの小説)
アイウン(西サハラ)
アイエコール(抗悪性腫瘍薬)
アイエルツ
合縁奇縁(あいえんきえん)
秋穂(あいお)
相生(あいおい)
愛多き者は則ち法立たず(韓非子)
藍大島(あいおおしま)
アイオリス人
アイオワ州
アイオン島(ロシア・チュクチ半島)
アイガー(スイス)
アイガー・サンクション(トレヴェアンの小説)
合鍵
アイカメラ
アイカラー
相川恵里(歌手)
愛川欣也(俳優)
合気術
アイギナ島(ギリシャ)
アイキャッチャー
IQ アイ・キュー(知能指数)
間狂言(あいきょうげん)
アイク兄弟(画家)
匕首伝説(ドイツ)
愛琿条約
aiko(ミュージシャン)
愛国社(板垣退助)
愛国心(パトリティズム)
合言葉
アイコニクス
アイコン
アイコンタクト
挨拶
アイザックス症候群
相沢事件(相沢三郎)
相沢忠洋
艾山(あいざん) 中国山東省
愛して愛して愛しちゃったのよ(田代美代子&和田弘とマヒナ・スターズ)
アイシャドー
哀愁(映画)
愛傷歌(森昌子)
阿井渉介(小説家)
アイ・ジョージ(歌手)
アイソレーショニズム(国内問題優先主義)
アイシンギョロ
アイシング
アイシングルム(後金)
相生千恵子(女優)
相生由太郎(実業家)
相川佳予子(服飾研究家)
相川梨絵(アナウンサー)
相川七瀬(ミュージシャン)
あいざき進也
相沢事件
会沢正志斎
会津小鉄
会津塗
会津磐梯山は宝の山よ(会津盆踊唄)
会津八一
会津屋八右衛門
アイシンギョロ(愛新覚羅)
愛洲移香斎
アイスキューブ
アイスキュロス
アイスクリーム
アイスランド
愛すれど心さびしく(映画)
アイゼナハ(ドイツ)
アイセル湖(オランダ)
愛染かつら(映画)
アイゼンカンツラー(鉄血宰相)
アイゼンハウアー,ドワイト
愛染明王
アイゼンメンゲル症候群
アイソザイム
アイソポス
アイソレイト・フォーカス
アイソン彗星
アイソスタシー
アイソトープ(同位元素)
愛想もこそも尽き果てる
アイダ(AIDA)
アイーダ
相対済し令
開いた口へ牡丹餅
愛他主義(道徳の基礎は愛にあるとする説)
アイダホ州
愛知県
愛知大学
愛知万博
愛知用水
愛着慈悲心(あいぢゃくじひしん)
アイディア
愛弟通信
アイテム(品目)
アイデンティティ(自我同一性)
愛別離苦(あいべつりく)
愛と死(武者小路実篤の小説)
愛と死をみつめて(映画)
愛と追憶の日々(映画)
愛と認識との出発
アイドマの法則
アイドル(Idol 偶像)
アイナメ(魚)
愛のあいさつ(エドワード・エルガー作曲)
愛の一家(ザッパーの小説)
愛の学校(アミーチス「クオレ」)
愛の詩集(室井犀星の詩集)
間(あい)ノ岳(山梨県・静岡県)
相ノ谷古墳群
アイバク,クトゥブッディーン
アイパグゴル川(艾不蓋河) 中国内蒙古自治区
アイバンク
アイビー(韓国のミュージシャン)
逢びき(デビッド・リーンの映画)
アイヒマン
アイフェル丘陵(ドイツの地名)
相武紗季(女優)
相棒(水谷豊主演のドラマ)
アイヌ
アイヌキンオサムシ
アイネアス
曖昧模糊(あいまいもこ)
靉光(あいみつ)
藍美代子(歌手)
アイメリア
アイユーブ朝
愛欲之海(あいよくのうみ)
姶良(あいら)カルデラ(鹿児島県)
アイリス
アイリッシュ・ウイスキー
アイリッシュ海(イギリス)
アイルランガ王
アイルランド
アイルワースのモナリザ
アイロニー
アイロン
アイワゾーフスキー,イワン
アインシュタイン,アルベール(物理学者)
アイントホーフェンの法則
アインハルト
アヴァターラ
アヴァール人
アヴァンギャルド
アヴィケンナ(哲学者)
アヴィニョンの幽囚
アヴェスタ(ゾロアスター教の経典)
アヴェロエス(哲学者)
アヴェロンの野生児
アヴォガドロ,アメディオ(物理学者)
奥義抄(あうぎせう)
アウグスティヌス(神学者)
アウグストゥス(ローマ皇帝)
アウグスブルク(ドイツ)
鶯宿梅(あうしゅくばい)
アウステルリッツの戦い
アウストラル諸島
アウストラロピテクス
アウスピキウム(鳥占)
アウタルキー(自給自足経済)
アウディエンシア
アウトサイダー
アウトバーン
アウトリーチ・サービス
会うは別れの始め
アウフヘーベン
アウラングゼブ帝
アヴリル,ジャンヌ
阿吽(あうん)
アウン・サン・スー・チー
アエタ族(フィリピンに住む部族)
アエティウス
あえて寸を進まずして尺を退く(老子)
アエノコト
アエピカメルス
アエミリアヌス(小スキピオ) カルタゴの破壊者
和(あ)え物
アエリア・カピトリナ
亜鉛
青い山脈(石坂洋次郎の小説)
蒼い時(山口百恵)
青い鳥(メーテルリンクの戯曲)
青色申告書
アオカビ
青木ヶ原樹海
青木昆陽
青木湖(長野県)
青木繁
青木周蔵
青木文蔵
アオザイ
青島海岸(宮崎県)
青写真
青野季吉
青田買い
青髭
アオミドロ
青森県
青山京子
青山孝
亜音層
赤穴宗右衛門(「雨月物語」菊花の約)
アカイア人
赤い靴(アンデルセンの童話)
赤いハンカチ(石原裕次郎の歌謡曲)
赤紙召集
アカシアの雨がやむとき(西田佐知子の歌謡曲)
赤いスイートピー(松田聖子の歌謡曲)
赤木圭一郎
赤城山
赤く咲くのはけしの花(藤圭子)
赤毛のアン
赤潮
明石海峡大橋
明石覚一
明石原人
明石縮(ちぢみ)
明石家さんま
赤染衛門
赤線
アカディール事件
赤銅鈴之助
赤根武人(奇兵隊初代総督)
赤の広場
赤旗
アカバ(ヨルダン)
赤羽(東京都北区の地名)
赤福
赤堀又次郎
ア・カペラ
アガメムノン
明るい表通りで
阿寒湖
アカンソル
亜漢文
飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)
穐田定樹
秋田城
秋月の乱
秋でもないのに(本田路津子の歌謡曲)
アギナルド
アキノ,コラソン
アキノ,ベニグノ
アキュラス訳
アキレウス
アキレス腱
アキンボー
アクィナス、トマス
アクセス権
アクセント
阿骨打(アクダ)
芥川賞
芥川龍之介
アクチュエータ
悪徳商法
アクバル(ムガール帝国の皇帝)
握斧
悪魔の詩
アクラ(ガーナの首都)
アグラ(インドの都市)
胡坐
アグリッパ
アグリッピナ
アクリルアミド
アグレマン
アグロバクテリウム
アクロバット
アクロポリス
アグン火山(インドネシア)
明智光秀
アゲハ蝶(ポルノグラフィティ)
アケビ
上げ米の制
あげまん
アケメネス朝
朱楽菅江(あけらかんこう)
アコイメタイ派
赤穂義士
吾郷寅之進
アゴラ
アコンカグア山

浅井長政
麻丘めぐみ
朝丘雪路
浅丘ルリ子
あさ香社
アサギマダラ
浅草
朝倉義景
アサド
字(あざな)
浅沼稲次郎
浅間山
浅野長矩
アサバスカ湖
旭川
朝日新聞
朝日訴訟
Asahidainipponbeer_1937 アサヒビール
アサリ
アザレア
アサンソール(インド)
アジア
アジア的生産様式
アシアナ航空(韓国の航空会社)
足洗(千葉県旭市の地名)
足尾銅山
足利尊氏
足利義政
足利義満
芦川いづみ
アジサイ
アジスアベバ(エチオピア)
足摺岬 
芦田伸介
朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり
あしたのジョー(ちばてつやの漫画)
芦田均
芦ノ湖
アシモフ,アイザック
芦屋
アジャニー,イザベル(女優)
アジャパー
アジャンター窟院
アシュモレアン博物館
アジュール文化
アショカ王
飛鳥時代
アスコルビン酸
アスターナ
アスターポヴォ
アステカ文化
アステロイド ベルト(小惑星帯)
アストラハン(ロシア)
明日に向かって撃て
アスファルト
アスペルガー症候群
東歌
アスワンダム
アスワン・ハイ・ダム
アスンシオン(パラグアイの首都)
校倉造
アゼス貨幣(古代ギリシャの貨幣)
アセチルグルコサミン
アセチレンガス
アセンション島
アゼルバイジャン
アセロラ
阿蘇一揆(1877年)
麻生太郎
アゾフ海
アゾレス海
アタカマ砂漠(チリ)
アタックNo.1(浦野千賀子の漫画)
アタマジラミ
アタナシウス
アダム(旧約聖書世で最初の人)
アダムズ・オニス条約
アダムとイヴの遺産
アタラクシア
新しい女(青鞜)
新しい貧困
あたりき車力車引き
あたり前田のクラッカー(藤田まこと)
アタワルパ
アチェー戦争
阿直岐(あちき)
アチソンライン
アッカド
アッケルマン条約(1826年)
暑さ寒さも彼岸まで
アッサム
アッシジ(イタリア)
あっしにはかかわりのねぇことで(木枯し紋次郎)
アッシャー家の末裔(ポーの小説)
安土城
あっせん収賄罪
アッティラ
アットゥシ織
あっと驚くタメゴロー(ハナ肇)
アッピア街道
アップダイク
アップルコンピューター
渥美清
アディアフォラ論争
当て字
アテナ(ゼウスの娘で、オリンポス十二神の1人)
アデニン
アテネ
阿弖流為(あてるい)
アトウォーター係数
アトピー性皮膚炎
阿堵物(金銭のこと)
アドラー,アルフレッド
アトランタ
アトリエ洗濯船
アドレナリン
アナウワカリ美術館(メキシコ) ディエゴ・リベラ博物館
アナクロニズム(時代錯誤)
アナーキスト(無政府主義者)
アナバシス
アナベラ
アナポリス(メリーランド州の都)
アナルセックス(肛門性交)
アナロギア・エンティス
アニソドンテア(アオイ科)
アニミズム
アヌンチャタ
アネモネ
穴太積(あのうづみ)
アノマロカリス
アノミア(失名辞)
アバ Abba(大司教に用いる敬称)
アバカ
アバター
痘痕も靨(あばたもえくぼ)
アバダン
アパッチ
アパトサウルス
アパートの鍵貸します(映画)
アパルトヘイト
アバロウニ
アビガイル
アビシニアン
アビダルマ(阿毘達磨)
阿毘曇心論
アフォリズム(警句)
アフガニスタン・イスラーム共和国
アブガル物語
阿武隈川(福島県および宮城県を流れる一級河川)
アプシス(キリスト教聖堂の半円形の所)
阿仏尼
アプト式線路
あぶみ骨
アブラハム(イスラエル国民の父で傑出した信仰の人)
アフリカ
アプレゲール
アプローチ
アベノミクス
アペリティフ(食前酒)
アベル派
アベルキウス碑文
アボカド
アポトーシス
アボミナブル・スノーマン(雪男)
アボリジニ
アポリネール,ギョーム
アポロ11号
アヌイ,ジャン
姉崎正治
アネロイド気圧計
あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ子の歌謡曲)
網走番外地(高倉健)
アフラ・マズダ(ゾロアスター教の善神)
アフロディテ(オリュンポス十二神の1人)
安部公房
阿部次郎
安倍晋三
阿部知二
安倍なつみ
阿倍仲麻呂
阿倍比羅夫
アベノミクス
阿部寛
アヘン戦争
アボリジニ
アポリネール,ギョーム
アポロン(オリンポス十二神の1人)
亜麻色の髪の乙女(ドビュッシー)
アマガエル
甘粕事件
甘樫の丘
天城越え(石川さゆりの歌謡曲)
天草四郎
天知茂
天地真理
あまちゃん(2013年放送のNHK連続テレビ小説)
アマチュア
アマテラス
アマルダ戦争
天野貞祐
阿弥陀堂
アミタール面接
アミノ酸
アムステルダム
アムネスティ・インターナショナル
アムネマチン山脈(青海省)
安室奈美恵
雨に唄えば(映画)
アメニティ(生活の快適さ・住みよさなどの意味)
天の御柱(あめのみはしら)
アメリカ
アメリカ横断鉄道
アメリカン・グラフティー
アメリカンフットボール
アメンへテプ3世
アメンへテプ4世
厦門(アモイ)
アモーレ
綾瀬はるか
アユイ,バランタン
アユタヤ(王国)
アーユルベーダ
アラー
新井白石
新井声風
新井春美
荒尾(熊本県)
新垣結衣
荒木久美子(ジュリアナ東京)
アラキドン酸
荒木又右衛門
荒木道子
アラゴン,ルイ
嵐が丘(エミリー・ブロンテの小説)
嵐寛寿郎
アラスカ(アメリカの州)
荒畑寒村
アラバマ(アメリカの州)
アラビア
アラビア海
アラビアン・ナイト
アラブ
アラファト
アラフラ海
アラベスク模様
アラミス(エチオピアのアウストラロピテクス化石発見場所)
アラミド繊維
アラム人
アララギ
アララート
アラルコン
アラン諸島(アイルランド)
アラン・ドロン
阿里山(ありさん)
有島生馬
有島一郎
有島武郎
有栖川宮熾仁親王
アリスタルコス
アリストテレス
アリストファネス
有田・クレーギー会談
孔(ありな) ラ行変格活用
有馬稲子
有馬皇子
有馬温泉
有村架純
有吉佐和子
在原業平
有松絞り
アリューシャン列島
ある愛の詩(映画)
アルヴィナ,アニセー
アルカイダ
アルカイック・スマイル
アル・カーミル
アルキトラヴ(列柱の上に乗る水平の無装飾の梁部)
アルキメデス
アルクイン
アルクトゥルス
アルコール・ハラスメント
アルストロメリア・アウランティアカ Alstromeria auratiaca
アルチンボルド(画家)
アルザス・ロレーヌ
アルジェ
アルジェリア戦争
アルジャントゥーユ(フランス)
アルゼンチン
アルタイ語系
アルタミラ(スペインの旧石器時代遺跡)
アルタン・ハン
アルティメット
アルディピテクス・ラミダス
アルデバラン
アルテミア
アルテミシオンの海戦(紀元前480年)
アルトドルファー,アルブレヒト(画家)
アルドリッチ,ロバート
アルヌール,フランソワ
アルバ公
アルバ公爵夫人(ゴヤによる肖像画)
アルバニア
アルハンガイ
アルハンブラ宮殿
或る日突然(トワ・エ・モワ)
アルファベット
アルブケルケ
アルプス
アルフレッド大王
アルペジオ
アルベラの戦い
アルマアタ宣言
アルメイダ
アルメニア
アルルの女(ジョルジュ・ビゼー作曲)
アルレッティ
アールト,アルヴァ(建築家)
アレキサンドリア(エジプト)
アレキサンドリア派文献学
アレクサンドロス大王
アレッポ(シリア)
アレフ
アレルギー
アレン,ウデン
アレンの法則
アロー号事件
アロン(モーゼの兄)
阿波
泡宇宙
淡路恵子
淡路島
淡島千景
アワビ
あわれな辻音楽師(グリルバルツァーの小説)
哀れなハインリヒ(ハルトマン・フォン・アウエの詩)

アンアン
アンカラ
アンガライオン(古代ペルシアの駅伝制)
アンガラ楯状地
アンガラランド
アンカレッジ
安閑天皇
暗記
アンギラ
アンキロサウルス
アンクケペルウラ・メリィワァエンラー(スメンクカラー)
アングラ・マインユ
アングル,ジャン・オーギュスト・ドミニク
アングロ・サクソン
アンコウ
暗号
安康天皇
暗黒星雲
アンゴラ兎
アンゴラの戦い
安西郷子
安西冬衛
アンジェラ・アキ
安史の乱
鞍山製鉄所
アンシャン・レジーム
安重根(アンジュングン)
アンスリウム
安政五ヵ国条約
安政の大獄
アンソール,ジェームズ(画家)
安息日(Sabbath)
アンダーソン,ヨハン
アンダーヒル,イーヴリン(イギリスの宗教家)
アンダマン島(インドネシア)
アンチョビー
安珍・清姫(娘道成寺)
アンティグア・バーブーダ
アンティノミニズム(反律法主義)
アンティーブ(フランス)
アンティフォーナ(交誦)
アンデス
アンデスの秘密(アン・ノーラン・クラークの児童文学)
アンデルセン,ハンス・クリスチャン
安直戦争
アントウェルペン(ベルギー)
安藤昌益
安藤太郎(禁酒運動家)
安藤信睦
安藤広重
アントニオーニ,ミケランジェロ
アンドレス,ウルスラ
アントネッリ,ラウラ
アントネロ・ダ・メッシーナ(画家)
アンドラ
アンドラ・ラ・ベリャ
アンドレア・デル・サルト(画家)
アントレライト
アンドロジナス(両性具有)
アンドロポフ,ユーリ・ウラジーミロヴィチ(ソ連の政治家)
アンドロメダ銀河
アンナ・カレーニナ(トルストイの小説)
あんなに可愛い瞳を、私どうしても汚してはいけないと思ったわ(二十四の瞳)
安和の変
安南都護府
安寧天皇
アンネの日記
アンパサンド(&)
アンパンマン(やなせたかし)
アンピール様式(19世紀初めヨーロッパで流行した建築・家具・装飾などの様式)
アンフォラ(2つの把手がある壷)
アンブラー,エリック
アン・ブリン(ヘンリ8世の第2の妃)
アンベルス(アントワープ)
アンペールの右ねじの法則
アンボイナ虐殺事件
安保闘争
アンマン
アンモナイト
安楽死(ユーサネイジア Euthanasia)
暗夜行路(志賀直哉の小説)
アンリオ,エミール(フランスの批評家)
アンリ三世とその宮廷(デュマの戯曲)
アンリ4世(フランス国王)
安禄山
アンワリー(イランの詩人)
アンワル,ハイリル(インドネシアの革命詩人)
アンワル・イブラヒム(マレーシアの元副首相)
アンワンティボ(樹上滋養で生活するリス科の動物)
Photo

「シ」事項索引インデックス

Sharecropfam_2

   「シェア・クロッパー」分益小作農民。南北戦争後のアメリカ南部において、苛酷な小作条件と前借り制度によって隷属的な立場に置かれた小作人。▽「シオニズム」イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動を興そうとするユダヤ人の近代的運動。▽「ジャポニウム」日本人が発見した初の新元素113番。▽「ジギタリス」薬用植物であることは古くから民間伝承で知られていたが、1776年イギリスの植物学者ウィリアム・ウィザリングが強心剤としての薬効を発見し、以来、うつ血性心不全の特効薬となる。▽「湿舌(しつぜつ)」湿った暖かい気流が東シナ海方面から日本列島に向かって舌のような形で流れ込む現象。梅雨期に多く発生し、大雨をもたらす。▽「ジャンタル・マルタン天文台」ムガール帝国のジャイ・シング2世が1728年にインドのジャイプルに作った天文観測機施設。▽「ジビエ」狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣である。主にフランス料理での用語。▽「品川巻き」のりを巻いた小型のせんべい。▽「ジャヤワルマン7世」12世紀カンボジアクメール王朝の王。アンコール・トムを建設。▽「シャーテンフロイデ」(ドイツ語、schadenfreude)他人の不幸を知った時に生じる喜び。▽「樹木男症候群」手や足に木の皮のようなイボが生じる皮膚病の一種。ツリーマン症候群。▽「シグロ・デ・オロ siglo de oro」15世紀から17世紀にかけてのスペインの美術・音楽・文学隆盛の黄金時代。(しししし)

Siglodeoro


詩(ポエトリ)

シアウ島(サンギヘ諸島、インドネシア)
ジアスターゼ
ジアゾ反応
指圧療法
シアトル
シアニン
シアヌーク
シーア派
西安(シーアン)事件
ジークフリート
紫衣事件
椎茸
ジイド
椎名麟三
シヴァ神
シウダー・ボリーバル(ベネズエラ)
紫雲山(香川県高松市)
シェア・クロッパー
自衛隊
GHQ
シェークスピア
ジェズイット教団
ジェノバ
ジェファーソン
ジェームズ1世
ジェームズ2世
慈円
ジェンナー
シオニズム(zionism)
シカゴ
シカせんべい
地方三役
志賀直哉
史記
私擬憲法
直参
ジギタリス
式亭三馬
食封
色目人
シク教徒
シグロ・デ・オロ
始皇帝
四庫全書
自墾地系荘園
シーザー
鹿ケ谷の変
資治通鑑
死者の書
時宗
地震
静岡
Sistrum0_2シストルム(古代エジプトの楽器)
ジズヤ
氏姓制度
支石墓
自然
自然主義
自然法思想
四川暴動
氏族社会
シソーラス
下地中分
七月革命
七年戦争
自治
シチリア王国
市町村
失業
ジッグラト(聖塔)
執権
湿舌
四天王寺
地頭
シドニー
品川巻き
シナトラ,フランク
信濃川
士農工商
司馬光
司馬江漢
司馬遷
ジビエ料理
鮪川層
渋沢栄一
渋川春海
ジブラルタル
紙幣
シベリア
司法
シーボルト
資本
資本主義
資本論
島崎藤村
島原の乱
ジム・クロウ制度
シーメンス事件
下仁田ネギ
下関事件
シモン・ボリバル
ジャイナ教
シャイレーンドラ朝
釈迦
社会
社会主義
社会主義市場経済
ジャカルタ
ジャコバン派
写実主義
シャー・ジャハーン帝
ジャーギール制
ジャズ
シャニダール
ジャポニウム
ジャポニズム
シャーマン法
ジャムチ(元の駅伝制度)
ジャヤワルマン7世
ジャワ原人
上海
ジャンタル・マルタン天文台
ジャンヌ・ダルク

周恩来
衆議院
宗教改革
十字軍
重商主義
囚人ジレンマ
柔然
自由党
十二表法
儒家
儒学
儒教
朱子学
授時暦
シュードラ
シュードモナス(細菌類)
シュトレーゼマン
シューベルト
ジュネーブ
シュメール人
樹木男症候群
ジュラ紀
シュリーマン
シュリーヴィジャヤ王国
シュレーゲルアオガエル
春秋戦国時代
書院造
蒋介石
城下町
承久の変
商業
城子崖
正倉院
浄土教
聖徳太子
常平倉
障壁画
情報化社会
聖武天皇
縄文時代
条約
生類憐みの令
昭和天皇

植民地主義
食糧生産革命
諸子百家
シーラカンス
白樺派
シラス台地
シルクロード
ジルバブ(インドネシアの女性用スカーフ)
ジロンド派


辛亥革命
シンガサリ王国
シンガポール
進化論
新疆
神曲
シンコ・デ・マヨ
シンコペーション
人口
人工リーフ
人種
真珠湾
ジンジャー・エール
ジンジャントロプス・ボイセイ
紳士は金髪がお好き
神聖ローマ帝国
新石器時代
心タンポナーデ
新バビロニア
ジンバブエ
シンハラ語
清仏戦争
人文主義(ユマニスム)
神武天皇
新約聖書
新羅
親鸞
神話

23年後には氷河期がやってくる

 英国ノーサンブリア大学のバレンティーナ・ザーコバ教授の英国研究チームによると、太陽の活動は2030年代に現在の60%にまで減少し、世界は氷河期(マウンダー極小期)になるという。世界人口80億人のうち約20 億人が飢餓と病気で死亡する危険性がある。とくに日本のように食糧自給率が低い国ではいまから対策を講じないといけない。よく言われる地球温暖化は間違いである。二酸化炭素を代表とする炭素の循環は全地球的な空間スケールで起こり、数千万年から数十億年の時間スケールの現象である。地球に数億年単位で交互にやってくる温暖期と寒冷期は炭素の循環システムと関係がある。しかし地球の温暖化は小規模なもので、むしろ地球規模でみると寒冷化にすすむと考えられる。

悪女たちの知られざる真実

    女は古来、浮薄で、浅はかで、愚かで、思慮に欠け、気まぐれとされる。こう書けば女性からクレームが殺到するかもしれない。しかし世界史に登場する女性は悪女が多い。ルクレツィア・ボルジア、メアリ・スチュワート、カトリーヌ・ド・メディチ、ベアトリーチェ・チェンチ、則天武后、西太后、イメルダ・マルコス、称徳天皇、日野富子、淀君などなど。そのなかでも奢侈にふけって王室費を乱費したため、国民の反感をかい、断頭台の露と消えたマリ・アントワネットは最も広く知られているだろう。ランブイエ、サン・クルー、ベルサイユ、フォンテーヌ・ブロー、サンジェルマン、マルリー、バンセンヌとお城や宮殿の数も半端じゃない。ファッション、食事などまるで病気のように宮廷内に贅沢が蔓延した。賭博の負けも凄まじかった。ポリニャック伯爵夫人をはじめ取り巻きたちに賭け金を次々に巻き上げられ、50万リーブルもの借金を作った。ルイ16世は「自分自身を滑稽に見せるためにフランスの女がこれほど多くの金を浪費したことは、かってなかった」と嘆いていた。

   NHK「中国王朝よみがえる伝説・西太后」 女優の戸田恵梨香が紫禁城を訪れる。西太后は清朝末期の咸豊帝の后で同治帝の生母。1898年、光緒帝が変法派による改革を推進するや、これを嫌い、保守派と結んで光緒帝を幽閉し、寵后の珍后も殺された。光緒帝の急死については、近年、帝の遺髪から致死量を超える砒素が検出されたことから、西太后の毒殺説がほぼ裏付けられた。また前日、光緒帝が伊藤博文と面会してることから、国際的な謀略説も指摘されている。他方、「男子居外、女子居内」(礼記)という伝統がある中国において、48年間という中国史上最も長く政権にあった女性であるということから、纏足の廃止、鉄道・軍備などの近代化など西太合を有能な政治家として肯定的な評価をする傾向もある。

東洋文庫

   NHK「探検バクモン」で東洋文庫が紹介される。1917年岩崎久彌がモリソンの蔵書を購入。1924年東洋文庫を設立。現在、蔵書は約100万。マルコ・ポーロの「東方見聞録」。歌川広重「名所江戸百景」初摺。中濱万次郎「難船人帰朝記事」。勝海舟所蔵の「高麗史」。ドチリナ・キリシタン。世界で最も大きい本、ドバイのムハマンドの伝記、5m×4m、1.5トン。世界で最も小さい本、四季の草花。番組としては興味をそそられるが、なんでもかんでも稀覯本探し、お宝探しは愛書家としては心が萎えてくる。

ゴードン将軍とマフディー

431pxcggordon  エジプト(ムハンマド・アリー朝)の支配下におかれたスーダンでは、ムハンマド・アフマド(1844-1885)がジハードをくりひろげた。これを一般的には「マフディーの乱」(1881-1898)というが、明らかに自由を求める抵抗運動であり「マフディー運動」あるいは「マフディー戦争」というべきであろう。19世紀スーダンにおけるイスラム原理主義によるマフディー運動の正統性を世界史で学習する意義は今日の中東情勢を考えるうえで重要性を持っている。近年、大学入試問題でも「マフデーの乱」あるいは「マハディーの乱」は出題頻度が高いらしい。

   マフディーは船大工の子として生まれ、1881年アバ島でマフディー(救世主)であることを宣言し、重税に苦しむ貧農や牧畜民、あるいは地元商人などを組織して反乱を起こし、イギリスの命令によってエジプト提督が送り込んだ軍を完全に撃破した。イギリスの威信を傷つけられたために、ヴィクトリア女王を初めとして本国の世論は怒り狂った。1884年1月、グラッドストーンは事態を掌握するため戦闘的なゴードン将軍(1833-1885)を現地ハルトゥームへ送ることになった。チャールズ・ジョージ・ゴードン(画像)は1863年の太平天国の鎮圧に活躍し、常勝軍の指揮者として知られ「チャイニーズ・ゴードン」と呼ばれるようになった英雄である。

   ゴードンはハルトゥームに着くや、スーダンから出るナイルの航路を守るために軍隊を要求してきた。グラッドストーンはためらった。彼は植民地主義的介入になることを恐れ、マフディーへの攻撃は「自由を求める人民に敵対する戦争」になるだろうと下院に警告した。だが、結局グラッドストーンは折れ、1884年10月に、ウルズリー卿の指導下カイロからナイル川をさかのぼるべく準備を整えた1万人の救援部隊に30万ポンドの資金が交付された。

   しかし到着は遅すぎた。部隊が川を160kmさかのぼるのに3ヶ月を要し、先発隊がハルトゥームに到着したとき、町は2日前にマフディーに攻略されたとのニュースが待っていたのである。ゴードンは1月26日にすでに殺されており、切り落とされた彼の首はマフディーが持ち去っていたのである。太平天国鎮圧の英雄「ゴードン死す」の知らせはイギリスを震撼させた。国民のなかで異常なまでの興奮の波がわき起こり、グラッドストーンはさんざん非難された。ダウニング街を埋めた群集はもはや彼をGOM(グランド・オールドマン:大御所)とは呼ばす、MOG(マーダラー・オブ・ゴードン:ゴードンを殺した男)とやじった。ヴィクトリア女王は救援隊の派遣が遅れたことを非難する電報をグラッドストーンに送りつけたが、首相に対する女王の立腹が係官にもわかるよう、電報に暗号を使うなと命じたほどである。アフマドは1885年に死んだが、その権威による教団国家は維持された。フランスのアフリカ横断政策を恐れるイギリスは、再度制圧に乗りだし、1898年、キッチナー将軍率いるイギリス軍はマフディー軍を破り、スーダンを支配下におさめた。1899年からスーダンはエジプトとイギリスによる共同統治に置かれた。

   映画「カーツーム」(1966年)ではゴードン将軍をチャールトン・ヘストン、ムハンマド・アフマドをローレンス・オリビエが演じている。豪華スター出演のわりには、あまり評判はよくない。昔、TVで見たように思うのだが筋に記憶がない。おそらく歴史的背景を理解していなかったからだろう。機会があれば見たい作品である。(Charles George Gordon,Algeria,In Amenas)

ウガンダ解放記念日

Photo   ウガンダといえばウガンダ・トラを思い出す。芸名は、容貌がアミン大統領に似ていたからで、それ以外にウガンダとの接点はない。赤道直下の国ウガンダは1962年10月9日、イギリスから独立した。1971年、軍司令官アミンがクーデターで政権を掌握。独裁下で反対派30万人が虐殺される。1979年にアミン大統領が失脚し、内戦が続く。1986年1月26日、国民抵抗運動が首都を制圧し、ムセベニが大統領に就任した。この日を記念し解放記念日としている。1996年に初めて直接選挙制による大統領選が実施された。同年には反政府勢力「神の抵抗軍(LRA)」はダル南東の町アボケで、寄宿学校を襲撃し女生徒139人を誘拐した。そのうち17人の少女は幹部の愛人となり、他122人は生き埋めされた。LRAは80年代後半から現在まで推定約2万人の子供たちを拉致している。(10月9日,Uganda,Aboke)

帝銀事件と三菱銀行人質事件

Yohgisha    帝銀事件と三菱銀行人質事件。東京と大阪に起こった2つの事件は51年の隔たりはあるがともに1月26日に発生している。1948年、帝国銀行椎名町支店で行員12名が毒殺され、現金・小切手18万1千円が強奪された。警察は毒物の専門的知識を持つ者の犯行として、犯人像を旧関東軍の細菌兵器研究部隊(731部隊)関係者とみていた。ところが事件から7ヵ月後、突如、捜査方針が転換した、8月22日、テンペラ画家平沢貞通が逮捕された。物的証拠がなく、毒物の入手経路も判明しないまま、昭和30年に平沢の死刑が確定した。しかし、死刑は執行されず、平沢は昭和62年95歳で獄死した。
    昭和54年1月26日、三菱銀行北畠支店で強盗事件が発生した。犯人梅川昭美は猟銃で警官と行員4人を殺害し、客らを人質に42時間籠城、28日に梅川は射殺された。

2017年1月25日 (水)

江戸川区と江東区は間違いやすい

  稀勢の里が横綱に昇進。昼のNHKニュースで田子ノ浦部屋の所在が江東区と誤って表示されていた。江戸川区と江東区とは字面が似ているのでよく間違えやすい。荒川は東京の東低地帯、北区・足立区・荒川区・墨田区・葛飾区・台東区を流下し、江東区と江戸川区の区境で東京湾に注いでいる。田子ノ浦部屋は江戸川区東小岩にある。築地市場の移転先、豊洲市場は江東区にある。

スカゲラク海峡

  デンマークのユトランド半島とノルウェーのカスンジナビア半島との間にある海峡。東側はカルデガット海峡を経由してバルト海に繋がっている。デンマーク側は浅く、海底砂堆が形成されているが、ノルウェー側は深く船底状をなしている。Skagerrak

「東風吹かば」の歌は偽作!?

Pn2008072401000656___ci0003   本日は「左遷の日」といわれる。901年のこの日、右大臣の菅原道真が九州の大宰府に左遷された。「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠み、この日、都を旅立った。そして道真は無念の思いを抱きながら、2年後に亡くなった。のちに道真は「学問の神様」として神格化され、全国各地に天満宮がつくられた。毎月25日は天神さんの日として縁日が開かれる。そのうち新年最初の1月25日は初天神として参拝客で賑わう。

  道真の詩文には偽作と思われるものが数多くある。もっとも有名な「東風吹かば」の歌には2種ある。初出は「こちふかばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわするな」(拾遺和歌集巻第14雑春)もう一つは「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」(宝物集)。一般に「春な忘れそ」のほうが人口に膾炙していると思われる。歌は道真が宇多法皇に別れ際に詠んだとされるが、いずれにしても道真の死後から100年から180年も経って世に現れた歌である。漢学者の道真の真作であるとは考えにくいが、仮託が許される文学風土なので、この歌にケチをつける人は誰もいない。(1月25日)

日本最低気温の日

  1902年のこの日、北海道の旭川市で、日本の最低気温の公式記録氷点下41℃を記録した。世界一はロシア・サハ共和国オイミャコンで氷点下53℃を観測している。(1月25日)

法然忌

5ivq4flw1pkog0

    1212年1月25日、浄土宗の開祖、法然上人は京都東山大谷で没した。もとは陰暦1月18日より25日まで法会が行われた。今は4月25日の京都知恩院の大法会が有名である。京都鹿ケ谷にある法然院はこじんまりとした庭であるが、苔むした茅葺屋根の山門、白砂壇、周りの紅葉、奥の方の杉苔が風情をさそう。近くに西田幾太郎の歌碑や谷崎潤一郎の墓などがある。

    法然は長承2年4月7日、美作国久米の押領使・漆間時国と母・秦氏君との子として生れる。

Img_1706969_44395918_0 Img_1804204_63061668_9
    西田幾太郎歌碑           谷崎潤一郎夫妻の墓

永遠のチャンピオン

Photo
 事故現場・大曲カーブには現在も「カーブ先 合流注意!」の標識がある

  大場政夫は昭和48年1月25日の朝、いつものように愛車の白いスポーツカーで帝拳ジムに向った。だがジムに現れることは2度となかった。時速100キロのスピードの車は新宿区新小川町3丁目の首都高速5号大曲カーブを曲がり切れず、中央分離帯を乗り越え反対車線に出たところで、大型トラックと正面衝突。大場は世界フライ級チャンピオンのまま帰らぬ人となった。パワー、スピード、センス、勇気、すべてを持ちあわせた天才ボクサーだった。

カノッサの屈辱、どっちが勝ち?

Img_1537168_27540274_0
   教皇グレゴリウス7世(在位1073-1085)に廃位と破門を宣告された神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世(在位1056-1106)は、王妃、王子と数名の従者を伴い、1076年の暮れ、教皇に謝罪するため、ひそかにブルグンド王国にむかって旅立った。それは異常な寒波がおそった冬だった。国王の一行はブルグンド王国の首都ブザンソンで、護衛の一隊をととのえて、アルプスを越え、おりからグレゴリウスの滞在するカノッサ城外に到着した。

   ところが、グレゴリウスはなかなかハインリヒに会おうとしなかった。しかしトスカナ女伯マティルダの仲介により、ハインリヒは、三重の城門の第二門のなかに入ることを許された。1月25日から27日までの3日間、かれはただひとり、無帽、はだしで、わずかに粗毛の修道衣をまとったまま、雪の上に立ちつづけ、やっと城門をといてもらうことができた。これがカノッサの屈辱とよばれる事件である。ところがカノッサ事件は、これで終わらなかった。

    その後、諸侯を武力で制圧したハインリヒ4世が教皇に軍を差し向け、1084年、ローマを包囲した。グレゴリウス7世は、なんとか追っ手を逃れて脱出したが、翌年、二度とローマに戻ることなく亡くなった。その後も、皇帝と教皇の争は、1122年にウォルムス協約が成立するまで、30年以後も続くものの、ハインリヒとグレゴリウスの闘争は、ハインリヒが勝利をおさめたのである。だが東京大学教授・堀米庸三は次のようにみている。「カノッサ事件は、しばしばいわれるようにハインリヒのグレゴリウスに対する外交的勝利であったのだろうか。短期的な見通しに立てばそういえないこともない。だが、いってみればこれは楯の一面にすぎない。カノッサがたとえ一つの演戯にすぎなかったにせよ、そのような方便に訴えざるをえなかったところにハインリヒの精神的敗北がある。これはハインリッヒが結局、法王をドイツ国内の問題に関し裁定者として認めたことを意味し、1075年12月8日の法王側の要求に屈服したとみるほかないのである」と。(「岩波講座世界歴史10」1970)

    歴史事件を皮相的にみるのでなく、多元的、複眼的にみることは必要だ。あなはカノッサ事件をどうみるでしょうか。

姫路城と池田輝政

O0640048011754471069

    元弘3年(1333年)、赤松則村(あかまつのりむら)が一時陣城を置き、正平元年(1346年)、赤松貞範(あかまつさだのり)が城郭を築いた。天正8年(1560年)、羽柴秀吉が修築、中国地方経略の居城として三層の天主を建てた。慶長5年(1600年)、池田輝政が入り、慶長13年頃まで大改築した。その後、豊臣秀頼の未亡人千姫と婚した本多忠刻(ほんだただとき)が父とともに入城、千姫のために西の丸を経営した。以後、親藩、譜代の10万石ないし15万石程度の要人が入り、明治維新に至った。

   城は山陽道に沿い播磨平野の中央にあり、高さ45メートルの丘を中心に渦巻状に2巻き、時計と反対の方向に巻いている縄張になっている丘上に本丸・二の丸・三の丸・西の丸をおいて内曲輪とし、その周囲の平地に中曲輪・外曲輪がある。内曲輪はほぼ円形の平面をなしており、堅固な石垣をめぐらしている。中曲輪はおおむね石垣と水濠、外曲輪は土塁と水濠で囲んでいる。天守は本丸の中央にあり、大天主のほかに三つの小天主を多門で連結した連結式天守閣で、五層六重穴倉一重で白壁総塗籠造(ぬりごめづくり)。初層の東側、二層の南・北側に軒唐破風(のきからはふう)をつけ、その下に出窓風な張出しを設けたこと、四、五層に軒唐破風を設けたことなどが特徴である。櫓は40棟、渡櫓18棟、多門40棟、長局8棟で、櫓の主なものには片仮名の「イロハ」で、門の主なものには平仮名の「いろは」で名付けられていた。内曲輪は大体保存され、中・外曲輪は破壊されて市街になった。

   池田輝政の法要が増位山随願寺で行われる。輝政は慶長18年1月25日、姫路城で急死する。享年50歳。豊臣秀吉の呪いとも噂される。

2017年1月24日 (火)

「ホ」事項索引インデックス

Img_1479727_24961277_4    「ホイットニー美術館」1931年ニューヨークに設立された近代・現代美術作品を中心とする美術館。とくにエドワード・ホッパーの作品で有名。▽「ボガズキョイ」トルコのアナトリア高原にあるヒッタイト王国の首都の遺跡。▽「包丁」BC4世紀ころ魏の恵王に仕えた料理人。その牛のさばき方が見事であったと「荘子」に見える。▽「ボコ・ハラム」ナイジェリアのサラフィー・ジハート主義組織。▽「ボーマン嚢」腎臓の糸球体を囲む膜。名称はイギリスの内科医ウィリアム・ボーマンにちなむ。▽「ボリシェヴィキ」1903年、レーニンが率いたロシア社会民主労働党の多数派。▽「ホペイロ」プロサッカー選手の用具や身の回りのものを管理・ケア・準備する人、仕事のこと。ポルトガル語で「用具係」の意味。(ほほほ)

ボーア戦争
ポー川(イタリア)
ポアンカレ予想
ホアンホアン(パンダ)
保育所
ホイッグ党
ホイットニー(綿繰り機)
ホイットニー美術館
ホイットマン
ボイル・シャルルの法則
ボーイング767
防衛
貿易風
法家
望厦条約
封建社会
膀胱
北条氏康
北条時宗
北条早雲
仿製鏡
暴走族
房総半島
法治国家
放置自転車
放送
奉直戦争
包丁(ほうてい)
奉天事件
法の精神
法律
法隆寺
暴力団
ボウリング
方臘の乱
募役法
ホーエンツォレルン家
ボガズキョイ
ボーキサイト
ボギー台車
ホーキンス家
牧畜
ポケットベル
母原病
冒頓単于
捕鯨
保甲法
保護司
ボゴタ
ボコ・ハラム
菩薩信仰
ポシェット
ボシュエ
戊戌の政変
保守党(英)
ボース,チャンドラ
ポスター
ポストモダン
ボストン茶会事件
ポズナニ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
ホスロー1世
ポセイドン・アドベンチャー
ホセ・リサール
ポタラ宮殿
ほだれ祭り
ホー・チ・ミン
渤海国
北海道
ボッカチオ
ホッキ貝(北寄貝)
北極海
法顕
ポツダム会談
ボッティチェリ
ホッブズ
北方領土問題
ポーツマス条約
ボツワナ
ボデコン
ポートアイランド
ボードレール
ボニファティウス8世
ホネカー
保馬法
ポピュラー音楽
募兵制
ホペイロ
ホーボー
ポポロ事件
ボーマン嚢
ホームステッド法
ホメイニ
ホメロス
ホラズム王朝
ホラティウス
ポーランド
ホラント州
ポリアクリルアミド
ポリアリレート
ポリオウイルス
ボリシェヴィキ
ポリス
ポリティカル・コレクトネス
ボリバル
ボリビア
ポリビオス
ポリネシア
ポルカ
ホルシュタイン
ポルダー
ホルテンシウス法
ボールドウィン
ポルトガル
ホルバイン
ボールペン
ボルボックス
ポル・ポト
ホルムズ海峡
ホルンフェルス
ボロニャ大学
ボローニャ中央駅爆破事件
ボロブドゥール
ホーン(角笛)
本阿弥光悦
盆アンガマ(八重山)
本因坊
香港
ホンジュラス
梵字
ボン宣言
本草学
本草綱目
ホンタイジ
本地垂迹
ポンディシェリ
ポンテ・ヴェキオ
ボンヌ図法
本能寺の変
ポンピドゥー
ポンペイ
ボンベイ
ポンペイウス
ボンホルムスガッテト海峡

ローマ皇帝カリグラ

Originalheadofcaligula   第3代ローマ皇帝カリグラは悪名高い狂人である。カリグラとは、正式の名前ではない。本名はガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマーニクス、という。初代皇帝アウグストゥスの娘ユーリアと、アウグストゥスの右腕といわれた将軍アグリッパとの間に生まれたアグリッピーナを母に持ち、これもローマの名家の出であるゲルマニクスを父として、西暦12年8月31日に生まれ、41年1月24日に没した。

   カリグラという愛称も、「小さな軍靴」という意味だ。ローマ軍団の兵士たちは、「カリガ」と呼ぶ。25歳で即位した直後のカリグラ帝は民衆に愛され、高貴で穏健な君主だった。ところが10ヵ月のちに、重い病に罹り、回復したのちは人が変わったように暴君となった。西暦41年、近衛隊の者によって暗殺されたらしい。カリグラだけでなく、妻も幼い娘も殺されたという。 Caligula

フリードリヒ大王生誕日

2011817102134641  フリードリヒ2世は1712年1月24日、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と王妃ゾフィー・ドロテーアの子として生まれた。ドイツは近世になっても中央集権が完成せず、オーストリア大公が皇帝として選出されて、ハプスブルク家が支配していた。しかし、18世紀になると、プロシアのホーエンツォルレン家が強力になり、ブルボン・ハプスブルク家に対立していく。プロシアのフリードリヒ大王(1740-86)とオーストラリアのマリア・テレジア(1740-80)は即位の年も同じで40年もの間、宿敵のライバルとなる。

    オーストラリア継承戦争(1740-1748)は、オーストリア皇帝が男子がなくて没したため、相続権を主張するバヴァリア侯、ハプスブルク家の打倒をめざすフランス、亜麻工業の中心地であるシレジアの領有を望むプロシアは同盟を結んで、オーストリアに侵入した。フランスと植民地を争っていたイギリスと、プロシアの強大を恐れるロシアは、共にマリア・テレジアを助け、8年にわたる大戦となったが、アーヘン条約(1748)によって、列国はマリア・テレジアの帝位継承を認め、プロシアはシレジアを得た。8年後、マリア・テレジアはシレジアを回復しようと、国力を養い、ロシア・フランス・スウェーデンを誘って、反プロシア同盟をつくった。これに対して、プロシアはイギリスと同盟を結んだ。いわゆる七年戦争(1756-63)は、プロシアが機先を制してザクセンに侵入、プラーグの戦でオーストラリア軍を破り、またプロイセンに侵入したロシア、フランス、スウェーデン、オーストラリア軍をロスバッハの戦、ロイテンの戦などで撃破した。その後、イギリスではピットが失脚したため、イギリスの援助を失ったプロシアは苦境に陥った。しかしロシアではピョートル3世(在位1761-62)が即位して、突然プロシアと和睦し、次いでイギリス・フランスも和を講じたため、マリア・テレジアもフベルツスブルク条約を結んで(1763)、ついにプロシアのシレジア領有が確認され、戦争は終結した。

   オーストラリアのハプスブルク家は、ドイツ皇帝としの勢力は失っていったが、一方その領地であるオーストラリアでは、漸次支配力をつよめ、18世紀後半マリア・テレジアとその子ヨーゼフ2世(在位1780-90)のときに、専制主義を確立した。しかしその支配地には異民族が多くて、封建的要素を多分に残したまま衰退していった。(FriedrichⅡ) 参考:「フリードリヒ大王 祖国と寛容」世界史リブレット人 屋敷二郎著 山川出版社 2016

2017年1月23日 (月)

青森歩兵第五連隊八甲田遭難始末記

Img545c77e8n1gh4c

    日本陸軍は対ロシア戦に備えて、雪中行軍の訓練を計画した。ところは厳寒積雪の季節に青森から田茂木野、田代、増沢、三本木と八甲田山を縦走する。明治35年1月23日6時、青森歩兵第五連隊215人(神成文吉、山口鋠)は出発する。だが途中、吹雪のため進退を決するべく作戦会議が開かれた。悪天候を見れば退却は明らかであったが、大隊長の決断で前進が決まった。こうして猛吹雪で道を迷って彷徨、25日には199人が凍死した。この大惨事は準備不足と天候の急変が原因であるが、加えて指揮官の無謀な判断が多大な犠牲を強いる結果となった。同じ時期、反対側の三本木から青森へ進んだ弘前歩兵第31連隊(福島泰蔵)は11日間にわたる全行程を踏破し、無事に青森に帰還している。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」は二隊を対比し、自然との闘いを迫真の筆致で描いている。

明朝の大地震「華県大地震」

  明の国力は洪武帝・永楽帝の時代を頂点として、次第に下り坂となる。国内では、永楽帝以後、幼少や病弱の天子が続き、しかも天子が極端に尊ばれたため、側近の宦官が政治を掌握した。対外的には北方のアルタン・ハーン(1507-1581)率いる右翼モンゴルによる侵攻、南方では倭寇による侵入が激しくなり、いわゆる北慮南倭が猛威わふるい、国事多難の時期であった。第12代皇帝、嘉靖帝(1507-1566)は道教に熱中し、方士王金の丹薬で急死した。また明実録によると、1556年1月23日(旧暦12月12日)には陝西省華県で中国史上最大の大地震(マグニチュード8)が発生し、83万人の死者がでている。余震は1年以上続く。

「大坂」と「大阪」

   「大坂」はいつ頃から「大阪」になったのか。江戸期より「大坂」「大阪」は混用されていた。浜松歌国(1776-1827)の「摂陽落穂集」に「坂は土に返るので忌み嫌いコザト扁とした」とある。すでに「大坂」は不吉な文字として江戸時代のころから「大阪」とも書くようになっていた。坂が阪になったのは、明治元年5月に城代廃止後、大坂裁判所を置き、大阪府が設置されてからである。しかしなお公文書でも「大阪」「大坂」が混用されていた。明治元年1月23日の大久保利通の「大坂遷都建言書」はそれ以前のものであるが、明治5年設置の「大坂鎮台」なども「大坂」が用いられていた。「大阪」と統一されるようになったのは明治10年前後のことである。昭和になってからの刊行物を見ると、古川重春の「錦城復興記」(昭和6年刊)は、江戸時代の事績はすべて坂を用い、明治以降の事項にはすべて阪を使っている。

北原怜子・蟻の街のマリア

Img_0026 Img_0002_4
 北原怜子

    ゼノ神父の勧めで、東京・隅田川畔の下町で、昭和25年から昭和33年まで移り住み、子どもたちに献身的な奉仕活動をした北原怜子の短い生涯を描いた映画「蟻の街のマリア」(五所平之助監督)。北原は「蟻の街のマリア」と呼ばれたが、昭和33年のこの日、過労のため28歳の若さで早世した。

    バタ屋集落の会長(佐野周二)、参謀格の「先生」(南原宏治)、怜子に心を寄せる青年(若き日の美輪明宏)など見所の多い映画だが、なんといっても北原怜子の千之赫子(宝塚歌劇出身だそうだ)の適役であろう。劇中の挿話としてフィリピンのモンテンルパの収容者たちが怜子の行為に感動して、手紙を寄せるなど死に直面した人が希望を持つこと、「救い」のテーマをキリスト教的にわかりやすく知らしめた映画はこの作品をおいて他に知らない。(1月23日)

2017年1月22日 (日)

東京タラレバ娘

  かつて女性はクリスマスケーキに例えられた。25をすぎると売れ残るから。今公言するとセクハラと叱られるだろう。しかし晩婚化の現在では適齢期は30歳前後に引き下げられた。現在放送中のドラマ「東京タラレバ娘」も30歳過ぎの女性三人が嘆きながら居酒屋で毎晩クダを巻く幸せさがしの物語。原作のコミックであまり美人に描かれていないが、ドラマは吉高由里子、大島優子、榮倉奈々とチャーミングな女優をそろえている。このパターンのドラマでは山田太一の「想い出づくり。」(1981)が思い出される。ラスト近くになって、田中裕子が理想の男性、パイロット役の根津甚八と知り合う。歳月は流れた。

ウィルキンス棚氷

   南極大陸の南極半島西部に「ウィルキンス棚氷」と呼ばれる約1万3000平方キロメートルに及ぶ巨大な棚氷がある。1990年代から温暖化で大規模な崩壊が進んでいる。ジョージ・ヒューバート・ウィルキンス(1888~1958)はオーストラリアの飛行探検家で、1920年~21年、イギリス南極遠征隊に参加した。1929年、南極上空飛行中に初めて巨大な棚氷があることを確認したことからこの呼称の由来となった。 Hubert Wilkins

魂の画家・戸嶋靖昌

   スペインのグラナダの清貧な生活の中で、人間の魂を描き続けた知られざる日本人画家がいた。戸嶋靖昌(1934-2006)。栃木県出身の洋画家。武蔵野美術大卒。三島由紀夫の自決を機にスペインに渡った。スペインでの画家生活は妻・日子からの仕送りで支えられていた。死後、稲城市に戸嶋靖昌記念館が開館。「孤高のリアリズム」展が開催されている。

ジャズが流れる部屋

Armstrongandholiday_neworleans1947_

   本日は「ジャズの日」。1月22日が何故か?JAZZの「JA」がJanuaryの先頭2文字であり、「ZZ」が「22」に似ていることからという。

    ジャズといえば中高年の男性というイメージがある。ジョン・コルトレーンだ、ソニー・ロリンズだ、マイルス・デイビスだと、ジャズとなるとうるさいのが友達にいる。ところが最近、「女子ジャズ」という言葉が生まれ、いま若い女性にジャズがうけているというオジサンたちにちょっと嬉しいようなニュース。ジャズにもいろいろあるので、女子ジャズがどんな傾向なのかは知らない。1910年代にニューオーリンズで生まれたジャズも、1930年代ではスイングジャズとしてダンス音楽として広まり、戦後1950年代からジャズは世界中の音楽して多様化してきた。ヨーロッパ映画のヌーヴェル・ヴァーグにもジャズが取り入れられ、日本も1960年代の映画・ドラマの音楽にもモダンジャズがバックに流れた。戦後の洋楽はジャズが中心だったといってよい。ケペルの趣味は、懐古的でサッチモやベニー・グッドマン、トミー・ドーシー、グレン・ミラーといったビッグバンドのスイングジャズが好みだ。もっとも自分ひとりで聞くにはいいが、BGMとしてはうるさ過ぎるので、女子ジャズといわれるものが心地よさそうだ。(New Orleans)

You'd be so nice to come home to   Helen Merrill  1956

Lallaby of Birdland  Sarah Vaughan  1954

2017年1月21日 (土)

アイ・ハブ・ア・ペン

  ピコ太郎のPPAP。

I have a pen.

I have a apple.

   正しくは an apple だが、ここがおかしみといったところか。むかし坂田利夫や荒井注は This is a penだった。

流氷シーズン

   日本周辺にあるのにあまり知られていないロシアの地名「シャンタルスキー諸島」。オホーツク海西部にある日本から約1000㎞離れている。しかし日本とは関係が深い。流氷は、シャンタルスキー湾付近で毎年11月ころ生まれ、11月中旬頃になると東カラフト海流の北西の季節風におし流されて、オホーツク海に流れ込み、淡水が凍って流氷となる。北海道では1月中旬から3月下旬にかけての数ヶ月間流氷をみることができる。

「ろ」ファースト・ネームから引く人名一覧

Robertfranciskennedy    ロバート・ケネディ(1925-1968)ジョン・F・ケネディの実弟。1963年に兄が暗殺された後、ニューヨーク州の上院議員選に出馬して勝利したが、1968年ロサンゼルスでの選挙集会で暗殺される。

ロアルド・アムンセン
ロアルド・ダール
ロイ・シャイダー
ロイ・ロジャース
ロイド・ブリッジス
ローガン・ラーマン
ロザ・モタ
ロザナ・アークェット
ロザムンド・クァン
ロザリオ・ドースン
ロザリンド・ラッセル
ロザンナ・アークェッド
ロージー・オドネル
ロージー・ハンティントン・ホワイトリー
ロージー・ペレス
ロジェ・マルタン・デュ・ガール
ロジャー・コーマン
ロジャー・ムーア
ローズ・マッゴーワン
ローズマリー・クルーニー
ローズマリー・サトクリフ
ロック・ハドソン
ロッサナ・ポデスタ
ロッサノ・プラッツィ
ロッド・スタイガー
ロッド・テイラー
ロディ・マクドウォール
ロドリゴ・サントロ
ロドリゴ・ドゥテルテ
ローナ・ミトラ
ロナルド・アーサー・ビッグズ
ロナルド・コールマン
ロバート・ウォーカー
ロバート・ウォルポール
ロバート・エズラ・パーク
ロバート・エドウィン・ピアリー
ロバート・オーウェン
ロバート・オッペンハイマー
ロバート・オルトマン
ロバート・カーライル
ロバート・キャパ
ロバート・クライヴ
ロバート・サウジー
ロバート・ショー
ロバート・ショーン・レナード
ロバート・スコット
ロバート・スタック
ロバート・ゼメキス
ロバート・ダウニー・ジュニア
ロバート・テーラー
ロバート・デニーロ
ロバート・デュバル
ロバート・レコード
ロバート・パティスン
ロバート・ピアリー
ロバート・ピール
ロバート・フィルマー
ロバート・フランシス・ケネディ
ロバート・ベーデン・パウエル
ロバート・ボイル
ロバート・ボーン
ロバート・マクナマラ
ロバート・ミッチャム
ロバート・モンゴメリー
ロバート・ライアン
ロバート・ロドリゲス
ロバート・ワイズ
ロバート・ワーグナー
ロバート・ルイス・バルフォア・スティーヴンソン
ロバート・レッドフォード
ロビン・ウィリアムズ
ロビン・ライト
ロブ・ライナー
ロブ・ロウ
ロベール・オッセン
ロベール・カブリエ・ド・ラ・サール
ロベール・シューマン
ロベルト・シューマン
ロベルト・デ・ノビリ
ロベルト・ベニーニ
ロベルト・ムージル
ロマーヌ・ボーランジェ
ロマン・デュリス
ロマン・ポランスキー
ロマン・ロマノヴィッチ・ローゼン
ロミー・シュナイダー
ローラ・インガルス・ワイルダー
ローラ・サン・ジャコモ
ローラ・ダーン
ローラ・リニー
ローランド・エメリッヒ
ロリ・シンガー
ロリ・ペティ
ロリータ・ダビドビッチ
ロレイン・ブラッコ
ロレッタ・ヤング
ローレン・バコール
ローレン・ホリー
ローレンス・オリビエ
ローレンス・ハーベイ
ローレンス・フィッシュバーン
ローレンス・ロバート・クライン
ロレンツォ・ギベルティ
ロレンツォ・ダ・ポンテ
ロレンツォ・デ・メディチ
ローワン・アトキンソン
ロン・チャニー
ロン・パールマン
ロン・ハワード

ルイ16世の処刑

Marie_antoinette_execution  

    世界史には非業の死をとげた人物が登場する。1793年のこの日、フランス国王ルイ16世は断頭台で公開処刑された。同年10月16日、マリー・アントワネット王妃も処刑された。クレオパトラ、楊貴妃も非業の死である。ササン朝ペルシアの最後の王ヤズデギルド3世は戦いに破れ、逃走中に総督の裏切りによって殺害された。屈原は泪羅江に入水自殺し、ソクラテスは毒杯を飲んで自ら死を選んだ。キリストの死は宗教性の強いものであるが、十字架刑によって処刑されたことは史実とみなされている。わが国では関ヶ原の戦に敗れた石田三成や西南戦争で敗れた西郷隆盛など非業の死とみなされる。大塔宮護良親王は足利直義によって惨殺された。太田道灌は扇谷家の上杉定正に招かれ風呂場で殺害された。平賀源内は破傷風とも餓死ともいわれる。頼三樹三郎、橋本左内、吉田松陰は獄舎で斬首。井伊直弼は雪の桜田門に散った。田中河内介、小栗忠順も非業の死といえる。チャールス1世、ルイ16世、ロシアのニコライ2世は皇后や1男4女とともに銃殺された。現代史においてもムッソリーニは愛人とともにパルチザンによって殺害され、遺体は逆さ吊りされた。ルーマニアのチャウシェスク、イラクのサッダーム・フセインなどの処刑も非業の死といえる。アルカイダのビン・ラディンの殺害や、生け捕り後裁判にもかけられることなく殺害されたリビアのカダフィー大佐など記憶に生々しいが、日本のメディアではもう取り上げられることも無く歴史に埋没していく。人類史とは古代から現代に至るまで余りに残酷であり、殺人という罪を繰返す歴史といえる。(Marie Antoinette,1月21日)

薩長同盟の締結日について

20070705_286420    江戸幕府に反抗をするため薩摩藩と長州藩との間で結ばれた慶応2年の軍事同盟を「薩長同盟」というが、その日は1月の21日説と22日説とがある。京都二本松の薩摩藩邸で、西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、島津伊勢、桂久武、吉井友実、奈良原繁、木戸孝允、坂本龍馬が同席した。龍馬の「坂本龍馬手帳摘要」の22日付には、「木圭(桂)、小(小松)、西(西郷)、三氏と会う」と記載されている。だが龍馬と同行して寺田屋で待機していた三吉慎蔵の日記には「21日、桂小五郎、西郷との談判約決の次第」と記されており、薩長同盟の期日の決定を欠き定説はないが、一般に21日が有力である。(1月21日)

レーニン・デー

Nikolailenin2225    ロシアの革命家、ソビエト連邦の建国者ウラジーミル・イリイッチ・レーニン(1870-1924)は、1924年1月21日に53歳で他界した。死因は、その精力的な仕事からくる過労といわれているが、1918年8月30日、モスクワの工場労働者に演説中、左翼エスエルの35歳女性党員ファーニャ・カプランから2発の銃弾を受けた際の後遺症も死を早めたともいわれる。1922年5月26日、レーニンは第1回目の発作に見舞われた。10月2日、彼は再びオフィスの仕事に向かいはじめたが、断続的に、しかも短時間しか続けられなかった。12月16日、第2回目の発作が起こり、右の腕と脚が麻痺状態に陥った。1924年1月21日午後6時50分、モスクワ近郊のゴルキで亡くなくなった。遺体はモスクワのレーニン廟に現在も保存されている。

    ところで、レーニンという名はペンネーム(偽名)である。本名はウラジーミル・イリイッチ・ウリヤノフ。1901年末、「N・レーニン」という変名を初めて使ったがその由来には諸説がある。①シベリアの大河レナ川に因んで、「レナ川の人」という意味②レナという級友の名前③N・レーニンという変名のNはニコライの略。(Vladimir Iliich Lenin)

2017年1月20日 (金)

アメリカ大統領の漢字表記

 ドナルド・トランプが第45代米大統領に就任する。いよいよ米国益を最優先とする「米国第一主義」アイソレイショニズムがはじまる。

 約翰・費茲傑拉爾徳・肯尼迪

22997002013  これって何と読むの?アメリカ合衆国第35代大統領、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディである。中国語での西洋人の人名表記は、とにかく似ている音の漢字を宛てるが、それなりに漢字の持つ意味も考慮している。華盛頓はワシントン、亜当斯はアダムス、林肯はリンカン、柯立芝はクーリッジ、羅斯福はルーズヴェルト、杜魯門はトルーマン、街艾森豪威尓はアイゼンハワー、肯尼迪はケネディ、尼克松はニクソン、卡特はカーター、里根はレーガン、克林頓はクリントン、布什はブッシュ、奥巴馬(台湾と香港は欧巴馬)はオバマ、特朗普はトランプ。

バブルへGo!

10439045_1    わたしの世代、石井明美のヒット曲「チャチャチャ」や「ランバダ」をいまでもよく聞く。やはりバブルの頃が懐かしいのだろう。ランバダのヒット曲で知られるカオマのヴォーカル、ロアラ・ブラスが死去したという。ランバダはブラジルの港町ベレンで生まれたダンス音楽。男女の身体を密着させたセクシーな踊りを特徴とする。カオマが1989年に「ランバダ」を発売し、大ヒットした。日本でも石井明美が1990年カバーしヒットした。しかしこの曲は、ボリビアを代表するフォルクローレグループであるロス・カルロスのオリジナル曲で、カオマは盗作してヒットした。「チャチャチャ」はそれより4年前1986年のヒット曲である。つまりバブル時代(1986年12月から1991年2月)と重なる。街を歩く女性はワンレン・ボディコン、真っ赤な口紅、肩パッドスーツ、太い眉。風俗が強烈だった。

ティファニーで朝食を

2013_0507photo1    1993年のこの日、永遠の妖精オードリー・ヘプバーンが死去した。ヘプバーンの代表作は「ティファニーで朝食を」である。トルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」の初版が出たのは1958年の秋だった。それから3年後にオードリー・ヘプバーンで映画化され、主題曲「ムーン・リヴァー」と共に世界的に知られるようになったので小説よりも映画のイメージが強いことは否めない事実である。しかし原作のホリー・ゴライトリーという女性を読者の想像力に委ねるために、最近刊行された村上春樹の新訳では、本のカヴァーには映画のシーンなどを使っていないような配慮もされている。滝口直太郎の訳と一部分を比較してみただけの印象であるが、村上訳はこなれた平易な現代語でより読みやすくなっている感じがする。

   ホリー・ゴライトリーはニューヨークのアパートに、猫だけが同居のひとり暮らしをしている。彼女をとり巻くあまたの男性のうちには、映画人とか百万長者とかブラジルの外交官とかさまざまな人間がいたが、もともと籠の鳥になることを望まない野性の女ホリーは、自分の属する住所も持たず、名刺のアドレスには「旅行中」と印刷してある。時あたかも1940年代の初め、アメリカの社会は「いやな赤」の恐怖におののいている。ダイヤモンドなど大嫌いな彼女だが、ティファニーの宝石店にはよく足をはこぶ。そこのどっしりと落ちついた雰囲気の中に立った彼女は「いやな赤」の恐怖から救われ、いつの日にかはこのような所に住んで、「朝食」を取れるようになれればよいのにと思う。

   同じアパートに無名作家のポールが住んでいて、ホリーに好意を持つようになる。ある日、二人はセントラル・パークで乗馬を楽しんでいるとき、馬があばれ出して五番街にとび出し、やっと警察官にとりおさえてもらう。ところが、ホリーがマリファナを使っていることがばれ、麻薬密輸のギャングとかかわりがあるのではないかということになって大きなスキャンダルになる。これより前、ホリーは毎週木曜日にシング・シング刑務所に収容されていたギャングの幹部を訪問し、週100ドルの報酬をもらっていたことがバレる。このスキャンダルのおかげで、結婚の相手を夢見ていたブラジル外交官ホセに逃げられ、保釈中にもかかわらずブラジルにホセを追いかけて行く。

  映画ではオードリー・ヘプバーンがジョージ・ペパードと結ばれハッピー・エンドとなっているが、原作ではホリーはブラジルに渡り、さらにアフリカまで放浪の旅を続けることになっている。

    小説にはもちろん映画主題歌「ムーン・リヴァー」は登場しないが、ホリーがギターを爪びきながら歌う場面が一箇所ある。その歌詞を紹介する。(滝口直太郎訳)

   眠りたくもなし、

   死にたくもない、

   ただ旅して行きたいだけ、

   大空の牧場通って。

    村上の新訳では「眠りたくもない、死にたくもない。空の牧場をどこまでもさすらっていたい」とある。(1月20日)

土田耕平「大寒小寒」

   「おおさむ こさむ 山から こぞうが とんでくる…」冬のさむい晩、三郎はおばあさんとこたつにあたっていた。大寒小寒の歌は、こんなさむい晩に、おばあさんが口くせのようにうたう歌だ。

   「おばあさん。こぞうが、なぜ山からとんでくるの?」と三郎がきくと、おばあさんは、「山は、さむうなっても、こたつもなければお家もない。それでとんでくるのだろうよ」という。また三郎が「こぞうって、お寺のこぞうかい?」「山のこぞうは、木のまたから生れたから、ひとりぼっちだよ」「おばあさんもないの?」「ああ、ないよ」「それで、着物は着ているかい?」「おおかた、木の葉の着物だろうよ」

   三郎には、頭を青くそりこくった赤はだしの山こぞうが、目に見えるように思われた。おおきくなって、三郎は東京で暮らすようになったが、毎年冬になると、大寒小寒の歌を思いだし、おばあさんを思いだすのであった。

バスケット・ボール

110324113611   1892年のこの日、マサチューセッツ州のYMCAトレーニングスクール(現スプリングフィールド大学)で、同校の講師ジェームズ・ネイスミス(1861-1939)が考案したバスケット・ボールの初の公式試合が行われた。日本に伝わったのは、大森兵蔵が1908年に東京YMCAで初めて紹介された。(1月20日)

白蛇姫、野溝七生子

Photo_7
若き日の野溝七生子

  大正5年、19歳の野溝七生子は同志社大学英文科専門部予科に入学した。夏ごろ、体調を崩し、比叡山で兄弟三人で療養生活を過ごしていた。そのころ、辻潤は伊藤野枝と別れて、「唯一者とその所有」を翻訳するために、友人の武林無想庵の紹介で訪れた比叡山で野溝七生子と出会った。辻は、わが心の永遠の女性として、彼女にオマージュを捧げている。

ふみにじられた雑草の

 最初の花束を

わが観自在白痴菩薩

 白蛇姫の御前にささぐ

 わがままにして従順なる汝の奴隷 風流外道跪拝

ただしこれは辻の片思いであった。辻潤の永遠の人、野溝七生子(のみぞなおこ)とはどういう女性なのだろうか。

    野溝七生子(1897-1987)。明治20年1月20日、父野溝甚四郎、母正尾の二女として、兵庫県姫路市で生まれる。野溝家は代々豊後竹田の在で、中川家に仕えた士族であった。大正12年、震災のために東洋大学が休校となり、実家に帰省。上京後の10月末頃、福岡日日新聞の懸賞小説募集広告を知り、「山梔(くちなし)」を応募し入選する。歌人の鎌田敬と同棲、戦後は東洋大学で文学を講じながら、ホテルに一人暮らす。昭和53年、瀬戸内寂聴「諧調は偽りなり」でのトラブルが話題となった。野溝は辻潤との交際に関する記載が事実でないことに激怒し、瀬戸内は謝罪した。それと前後して病気が進行しホテル滞在ができなくなり、老人専門病院に移った。昭和62年、2月12日、急逝心不全のために仁友病院で死去。90歳。

    野溝七生子にとっては辻潤との関係を取り沙汰されることは、迷惑なことであったであろう。しかし、辻にとっても七生子の影響は大きかったようだ。後年の辻の放浪生活はここから始まる。

2017年1月19日 (木)

いとしのバレンタイン

Franksinatramyfunnyvalentin408872    スーパーの棚にはチョコレートが並べられ、バレンタインデーが待ち遠しいシーズン。むかしこの時期ラジオから流れる曲はフランク・シナトラの「マイ・ファニー・バレンタイン」。ネルソン・リドルの指揮・演奏でシナトラの名唱中の名唱。シナトラとキム・ノヴァック主演の映画「夜の豹」(1957年)に挿入されていた。もともとはロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャーズ作曲による1937年の作品。同年のミュージカル「ベイブス・イン・マイ・アームズ」で使われた曲だった。このミュージカルは2年後MGMで映画化され、ジュディ・ガーランドが歌って知られるようになった。バレンタインとは男性の名前。つまり、この曲はバレンタインデーとは関係がない。「私のいとしのバレンタイン様」とあこがれの男性に思いを伝える女性が歌うべき曲ではあるが、なぜかマイルス・ディビス、チェット・ベーカー、フランク・シナトラなど男性の曲が多く、人気が高い。最近ではロレンツ・ハートの歌詞にはvalentineと小文字で、つまりバレンタインデーにカードを送る相手、つまり「恋人、特別な人」を意味するともいわれる。(MY FUNNY VALENTINE)

ロマネスク美術の「枠組みの法則」

Photo 11世紀から12世紀にかけて西欧でみられたキリスト教美術をロマネスクとよぶ。聖堂の柱や梁、壁には数々の彫刻が施されているが、身体が不自然にデフォルメされたり、変に曲がっていることがある。フランスの美術史家アンリ・フォション(1881-1943)は、この奇怪な造形の秘密を「枠の法則」というルールで説明している。つまり聖堂の浮彫などは建築の構造に支配されているので、必然的にデフォルメされることがある。画像の浮彫りはシャルトル大聖堂の枠組みの法則の実例。 Henri Focillon

スタンダード洋楽の愉しみ

   海外で大ヒットしたポピュラーソングはいまでもCMなどで耳にすることが多い。嵐のキリン一番搾りCM曲はナット・キング・コールの「L-O-V-E」は1959年に発売され、缶コーヒーBOSSやサントリーなども使用していた。ジプシー・キングス「ボラーレ」はキリンビールでお馴染みだが、1958年ドメニコ・モドゥーニョ「Nel ble dipinto di bla」(青く塗られた青の中)が原曲。ポピュラーソングは永遠である。むかし給湯器のCMで使われた「ゆ~、ゆ~、ゆ~」で始まる曲。ザ・エイムス・ブラザーズの「you you you」(1953)だった。ボビー・ダーリンの「ビヨンド・ザ・シー」(1959)。原曲はシャンソンの名曲シャルル・トレネの「ラ・メール」(1943)。

お気に入り洋楽スタンダード・ナンバー

As Time Goes By   Dooly Wilson(Casablanca)

My Funny Valentine  Frank Sinatra

Love is a many splendored thing  Matt Monro

Love Story  Andy Williams

消火器の歴史

Photo_3
龍吐水(京都市消防局)

   今日は「家庭消火器点検の日」である。「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸では大火が頻繁に発生した。記録に残るものだけでも約1800件もの火事があった。すでに江戸時代、手押しポンプ式の「龍吐水」が移動式消火器として活躍していた。二酸化炭素を使った小型の容器に詰めた携帯型消火器のルーツは、1881年にアメリカのアルモン・グランガーが発明した消火器である。(Fire extinguisher,Almon Granger値,1月19日)

6073786881_09843d3d6b_z 220pxchilds_sodaacid
  1880年代           1910年頃

   1905年のイラストをみると、消火器を逆さまに持ってホースから消火している様子がわかる。

History1

やかんの湯気

Be054900_2

    蒸気機関を改良した技術者ジェームズ・ワットは1736年のこの日、スコットランドの大工の子として生まれる。1763年グラスゴーでのこと。家族そろってのティータイム。ワット家では、食卓のヤカンが沸騰している。息子がヤカンの口をふさぐと、沸騰した蒸気の力で蓋がカタカタと音をたててもちあがった。それをみんなが楽しそうに眺めていた。だがワットはふと「蒸気の力」に気づいた。その日からワットはニューコメン機関の改良に関心を抱くようになり、新しい蒸気機関を発明したという。このワットの有名な逸話は実は、作り話である。17世紀のウスター卿が炉の上の鉄瓶の蓋が湯気で持ち上がるのをみて、蒸気ポンプを作ったという逸話をワットにすりかえたものらしい。

   スコットランド南西部のグラスゴーは産業都市。「国富論」を著わした経済学者アダム・スミス(カコーディー出身)はグラスゴー大学で学び、ジェームズ・ワット(グリーノック出身)はグラスゴー大学で機械工作の仕事に従事していた。

(James Watt,Adam Smith,Glasgow,Greenock,Kirkcaldy,1月19日)

ヴィンソン・マシフ

  ヴィンソン・マシフは南極大陸最高峰の山(標高4892m)。1991年のこの日、田部井淳子はヴィンソン・マシフ登頂に成功した。翌年、エルブルス山(ロシア)に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる。七大陸最高峰とは次のとおり。(1月19日)

アジア大陸   エベレスト   8848m
ヨーロッパ    エルブルス   5642m
北米        マッキンリー   6194m
南米       アコンカグア  6959m
アフリカ     キリマンジャロ 5895m
オーストラリア コジオスコ   2228m
南極       ヴィンソン・マシフ 4892m

森静男

C0287367_23182138   森鷗外、本名・林太郎は1862年のこの日(新暦2月7日)、石見国鹿足郡津和野町田村横堀に父静男、母峰子の長男として生れた。森静男(画像)は代々津和野藩主亀井家の典医である。(1月19日)

2017年1月18日 (水)

コーヒーの語源

Img_0013
 17世紀のロンドン・コーヒーハウス

    一杯のコーヒーなり紅茶を傍らにおいて過ごす時間は、私たちの1日の中で、特別に美しい時間といえるのではないだろうか。もともと西洋人は、水以外の非アルコール飲料は知らなかった。西洋へコーヒーを紹介したのは1295年マルコ・ポーロといわれている。コーヒーの発祥地はエチオピアのアビシニア高原といわれる。5~9世紀にアラビアにコーヒーが伝わる。少なくとも13世紀頃には、イスラム世界では今日のような焙煎した豆が用いられていたようだ。1554年にはトルコのコンスタンチノープルにコーヒー店が誕生した。16世紀後半に、トルコで愛飲されていたカフヴェ(Kahve)がヨーロッパに伝わったものである。17世紀にはヴェネチアやロンドンに広まった。1650年、オックスフォードに作られた「ジェイコブス」がイギリス最初のコーヒーハウスといわれる。その2年後、アルメニア人バスクァ・ロゼがロンドンに簡素なコーヒー・ハウスを開業して評判をとり、その後続々とコーヒー・ハウスが誕生した。30年後にはロンドン市内だけで、その数3000軒にのぼったといわれる。1763年フランスでドリップ式のコーヒーが考案された。

   今日の世界的な用語、コーヒー(coffee)やカフェー(cafe)などはトルコ語から転化したもので、トルコへはアラビア語のカフワ(qahwa)から移されたものである。コーヒーに関する世界最初の記述といわれるものは、12世紀の医者アッ・ラージー(1149-1209)によるもので、彼は胃の薬として、エチオピアに原生するブンの種実から煮出して汁液「ブンカム」を使用していた。豆をいることによって苦味や香りの豊かな飲み物としたのは13世紀中頃から、飲酒の許されないイスラーム教徒のあいだでは、日常生活に欠かせない飲み物として広まったらしい。そしてその頃には、これを「ブンカム」と呼ばず、酒の名の一つを借りて「カフワ」と呼ぶようになった。これがトルコ語の「カフウェ」になり、17世紀のヨーロッパで「カフェ」あるいは「コーヒー」と呼ばれるようになったのである。ルイ14世とナポレオンはコーヒーの愛好家で知られる。

   日本にコーヒーが伝わったのは、室町時代でキリスト教の布教で渡ってきたポルトガル人やスペイン人が携えてきたと考えられている。より確かな説では、江戸時代の1780年代にオランダ商人が長崎の出島に持ち込んだとされる。コーヒーに、「珈琲」の漢字を最初に当てたのは、儒学者の宇田川榕庵(1798-1846)である。(参考:「サロンとコーヒーハウス」成瀬治『大世界史』13)

0018_004

社会文化的進化の考え方

Ny1

   社会文化的進化とは、長期にわたってどのように文化や社会が発展したのかを究明する包括的用語である。ダニエル・ベルは、人類史を産業革命以前、産業革命、産業革命以後と大きく三区分した。(『脱工業社会の到来』1974)つまり工業社会の終焉がやってきて、産業と商品よりも、サービスと情報がいっそう重要になると指摘した。アルビン・トフラーは『第三の波』(1980)で、人類史の大きな変化を波という比喩をつかって、前8000~前1650年ごろの農耕と定住開始を「第一の波」として「農業革命」とよび、「第二の波」を18世紀後半に起こった「産業革命」、そして「第三の波」を20世紀後半に起こった「情報革命」であるとした。我が国の梅棹忠夫も農業の時代、工業の時代、情報産業の時代とすでに1960年代に三区分して、情報産業の出現を強調している。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、すべての時代において神などの「フィクションを信じる力」を重要だと考えている。

   しかし、このような単純な時代区分に対して歴史家の立場からは批判もある。産業革命と科学革命とは関係があるし、情報革命は科学革命の延長線にあるものである。むしろ現代において人類がかかえている最大の課題は環境問題であり、工業化による環境破壊が地球の危機をもたらすという点のほうが人類史の転換であろう。1900年から2000年までに世界の人口は3倍となり、エネルギーの消費は15倍、GDPは21倍となった。伊東俊太郎はこれを「文明のアヘン効果」と呼んでいる。大量生産、大量消費は人のはてしなき物欲の証拠で、まるでアヘン中毒のようなものである、という。いま人類の社会生活の全体を簡素なものに戻すシステムが必要だ。

本と読書に関する名言・ことわざ・文献集

346385602_b82b599e99   印刷術が広くゆきわたるまで、写本図書の利用は一握りの学者に限られていた。刊本の図書がその数を増すにつれて、書物は万人のためにあり、民主主義の精神にとって重要であることがわかってきた。ここでは、古今東西の本と読書に関する格言・箴言・名言・文献を集めてみる。

有益な書物とは、読者に補足を要求せずにはおかれぬような書物のことである。(ボルテール)

三日、書を読まざれば、語言味わいなし。(世説新語)

単に知るのみならず、その知識に従って行動せよ。(フィヒテ)

どの時代にもそれぞれの課題があり、それを解くことによって人類は進歩する。(ハイネ)

人生の至楽は読書にあり。(永井荷風)

書物はひもとかなければ、一片の木片にすぎない。(イギリスのことわざ)

A closed mind is like a closed book,just a block of wood.

閉じられた本は塊でしかない

A book that is shut is but a block.

すべて良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話をかわすようなものである。(デカルト)

書を読みて栄える者を見たり、書を読みて落ちぶれる者を見ず。(金言童子教)

機知に富みうちとけた言葉は永久に生命を持つ。(ゲーテ)

身体には鍛錬、心には読書。(アディソン)

この世のあらゆる書物もお前に幸福をもたらしはしない。だが書物はひそかにお前自身の中にお前を立ち帰らせる。(ヘッセ)

書物なき部屋は魂なき肉体のごとし。(キケロ)

私の実際的な読書の法則は三つある。
1.一年を経過していない本はどれも読まないこと
2.有名な本のほかは読まないこと
3.好きな本のほかは読まないこと(エマーソン)

私は人生を知ったのは人と接したからではなく、本と接したからである。(アナトール・フランス)

人生は短い。この書物を読めばあの書物は読めないのである。(ラスキン)

人の品格はその読む書物によって判断できる。それはあたかも、人の品格がその交わる友によって判断できるがごときものである。(スマイルズ)

読書百遍、義自(ぎおのずから)見(あら)わる。(魏志)

万巻の書を読み万里の路を行けば自ずと胸中に自然が映し出されるようになる。(董其昌)

読書とは、著者の魂との邂逅である。(亀井勝一郎)

読書は人間としての純粋な時間である。(亀井勝一郎)

インドの全財宝をあげても、読書の楽しみには換え難い。(エドワード・ギボン)

書物は友人と同様、数多くあるべきであり、そしてよく選択すべきである。(フラア)

読書のほんとうの喜びは、なんどもそれを読み返すことにある。(ロレンス)

読書に費やしただけの時間を、考えることに費やせ。(アーノルド・ベネット)

書物は一冊一冊が一つの世界である。(ワーズワース)

用例なき辞書は骸骨である(ヴォルテール)

書物を読むということは、他人が辛苦してなしとげたことを、容易に自分に取り入れて自己改善する最良の方法である。(ソクラテス)

本は知性のさまざまな機能に働きかける(フランシス・ベーコン)

おろかな学者は、おろかな馬鹿者よりも、ずっとおろかである(モリエール)

D83be910acbe43648157569cf93eadd4

   書物に関する文献目録

図書の部
倭板書籍考 幸島宗意撰 1702
官板書籍解題略 杉山精一訳 1847
日本書籍考 林羅山撰 1850
文芸類纂 榊原芳郎 1878
古梓一覧 西村兼文 1882
本朝書籍刊考 黒川真頼 1895
日本訪書誌 楊守敬 1897
国書解題 佐村八郎 1897
日本印書考 中根粛治 1899
明治出版史話 三木佐助 1901
古文旧書考 島田翰 民友社 1905
漢籍解題 桂五十郎 明治書院 1905
近藤正斎全集 近藤守重 1907
日本古刻書史 朝倉亀三 1907
徳川幕府時代書籍考 牧野善兵衛 1912
朝鮮図書解題 朝鮮総督府 1914
江戸物語 和田維四郎 1915
慶長以来書賈集覧 井上和雄編 1916
嵯峨本考 和田維四郎 1916
訪書余禄 和田維四郎 1918
製本術 島屋政一 1918
図書学概論 田中敬 冨山房 1924
典籍叢談 新村出 岡書院 1925
敦煌石室の遺書 石浜純太郎 懐徳堂 1925
書庫之起原 植松安 間宮書店 1927
京阪書籍商史 蒔田稲城 1928
書物装釘の歴史と実際 庄司浅水 1929
思想名著解題 春秋社 1929
本邦書誌学概要 植松安 図書館研究会 1929
書物の敵 庄司浅水  1930
書誌学とは何か 寿岳文章 ぐろりあそさえて 1930
装釘の常識 三村清三郎 岡書院 1930
日本訪書志補 王重民 1930
修訂建武年中行事註解 和田英松 明治書院 1930
製本術 ブレガー著 赤坂・庄司訳 ブックドム 1931
日本蔵書印考 小野則秋 文友堂 1931
書誌学 小見山寿海 芸艸会 1931
宋元版の話 内藤虎次郎 名古屋市立図書館 1931
正徹本徒然草 川瀬一馬 文学社 1931
善本影譜 長沢・川瀬編 日本書誌学会 1931~35
好書雑載 高木文 井上書店 1932
西洋書誌学要略 橘井清五郎 図書館事業研究会 1932
粘葉考 田中敬 巌松堂 1932
成簣堂善本書目 川瀬・長沢 民友社 1932
成簣堂善本書影七十種 川瀬・長沢 民友社 1932
舊刊影譜 川瀬・長沢 日本書誌学会 1932
嵯峨本図考 川瀬・長沢 一誠堂  1932
漢籍解題1 漢文学講座2 長沢規矩也 共立社 1933
書誌学論考 長沢規矩也 松雲堂書店 1937
書誌学序説 長沢規矩也 吉川弘文館 1960
漢籍分類目録 集部東洋文庫之部 東洋学文献センター連絡協議会 東洋文庫 1967
書林清話 葉徳輝 世界書局 1968
書林掌故 葉徳輝等撰 中山図書公司 1972
書林清話・書林雑話 楊家駱主編 台湾・世界書局 1974
書誌学序説 長沢規矩也 吉川弘文館 1979
江浙蔵書家史略 呉辰伯 中華書局 1982
中国古代蔵書与近代図書館史料 春秋至五四前後 李希泌、張椒華編 中華書局 1982
書籍装幀芸術簡史 邱陵編著 黒龍江人民出版社 1984
目で見る本の歴史 庄司浅水、吉村善太郎 出版ニュース社 1984
造紙の源流 久米康生 雄松堂 1985
書物に関する名句・名言・名文 エンカイリーディオン アリグザーンダー・アイアランド編 タングラム 1986
簡明中国古籍辞典 呉楓編 吉林文史出版社 1987
中国古代図書館事業史概要 来新夏 天津古籍出版社 1987
中国図書和図書館史 謝灼華編 武漢大学出版社 1987
中国蔵書史話 焦樹安著 商務印書館 1997
図書及び図書館史 寺田光孝ほか著 樹村房 1999
図説図書館の歴史 スチュアート・A・P・マレー 原書房 2011

論文の部
写本時代と板本時代とに於ける支那書籍の存亡聚散 市村瓚次郎 史学雑誌第13編1・3号 1902
唐以前の図書 那波利貞 歴史と地理2-2  1918
支那における図書館事業 岡野一郎 支那研究5 1923
書帙の歴史 那波利貞 歴史と地理19-3・4・5 1927
支那書籍小史 1・2・3 長沢規矩也 書誌学1-4・5・6 1933
清代図書館発展史 譚卓垣著 西村捨也訳 図書館研究14(2)~(4) 1941
中国図書館の沿革及び現況 兪爽迷 書香128  1941
国立北京図書館の概況に就いて 法本義弘 支那文化雑攷 1943
毛沢東戸図書館 平和彦 読書春秋4-11 1953
中国図書館の揺籃時代 松見弘道 図書館界6-5  1954
中国の文教政策 内田幸一 日本及び日本人 1954
転期に立つ中国の図書館活動 図書館雑誌51-3  1957
記録の文化史 小倉親雄 図説世界文化史体系別巻 1961
年表図書館物語 矢島玄亮 東北地区大学図書館協議会誌13,14,15  1962-63
図書・図書館の歴史(断章) 中村初雄 早稲田大学図書館紀要4  1963
唐本の値段 餘自録 大庭脩 東洋史研究24-4  1966
洛図洛書の一考察 原田正己 早大・東洋文学研究6  1967
支那における図書館の誕生 長沢規矩也 書誌学11  1968
中国図書館学史序説 加納正巳 静岡女子大研究紀要3  1970
中国における著作意識の発達 石田公道 図書館界21-5~23・4 1970~71
香港の図書館 木村宗吉 日本歴史270  1970
古代中国図書史 木村靖 文化史学26  1971
図書館に就いて 内藤湖南 大阪朝日新聞明治33年11月29・30日 (内藤湖南全集3所収)  1971
北周の麒麟殿と北斉の文林館 山崎宏 鈴木由次郎博士古稀記念東洋学論叢所収 1972
清代の官書局の設置について 大西寛 長沢先生古稀記念図書学論集 1973
書禁と禁書 宮崎市定 アジア史研究2所収 1974
中国に於ける図書館事業史(1) 漢代の図書館事業 宮内美智子 青葉女子短期大学紀要1  1976
中国本ものがたり1~8  劉国鈞著 松見弘道訳 東海地区大学図書館協議会誌22  1977~78
中国の図書館事情 各地の図書館を参観して1 中原ますえ びぶろす29-11  1978
中国における図書分類法 井坂清信 参考書誌研究17  1979
秘閣図書の源流について 神田喜一郎 「芸林談叢」所収 1981
洛陽の紙価 小池秋羊 東西交渉1 1982
中国に於ける刻書事業 宮内美智子 青葉女子短期大学紀要7 1982
禁書に関する二三の資料 長崎聖堂文書研究1 大庭脩 史泉40 1970
篠崎小竹旧蔵の「欽定四庫全書拾遺目録」について 大庭脩 近世大阪芸文叢談 1973

ケペル先生の何でも相談室2

  「地下鉄の電車はどっから入るの?」のように、世の中にはあらゆるギモンに満ち満ちています。日々の暮らしで生じたあらゆる疑問にケペル先生がお答えします。たとえば、「あんパンはいつ頃できたの?」といったこと。あんパンは日本人の発明で明治になってからです。1874年に銀座にパン屋を創業した木村安兵衛と英三郎がパンの中に餡を入れた「あんパン」を売り出したのがはじまりです。

Q 目の見えない人のため犬が歩行の補助をする盲導犬はいつ頃できたのか?

A 盲人の歩行の補助に犬が使われた例は古代ローマやポンペイの発掘品の中に見られるが、近代になって盲導犬として訓練されるようになったのは、1819年、ウィーンの神父ヨハン・ヴィルヘルム・クライン(1765-1848)が最初である。

Q 日本プロ野球で最初の退場者は誰か?

A 「日本プロ野球事件史」(ベースボール・マガジン社)巻末の退場者一覧によると、1936年12月20日、東京セネタースの苅田久徳(1911-2001)選手が二出川延明塁審を突き飛ばしたことにより退場とある。

Q 三一書房から昭和32年に刊行された「淀川」の著者である井上俊夫の没年が知りたい。

A 図書館での参考業務でよくたずねられる調べものの1つが「著者の没年」である。今日のようなコンピュータの発達していない時代、文化人名録(著作権台帳)がたよりの参考書であった。赤色をした大部な本で、1951年から刊行され第26版(2001年)まで刊行されたが、現在は終了している。もともと著作権の保護期間を調べる目的で作られた本であるが、図書館では没年だけでなく、著者の略歴や名前の読み方を調査するために用いられていた。ところで、著者の没年を調べるには、現在は国立国会図書館のOPやウィキペディアが便利である。井上俊夫は1928年大阪生まれの詩人で、2008年に死去している。

Q フィンランドの初代首相 Pehr Evind Svinfuvud の読み方は?

A ペール・スヴィンヒュー(1861-1944)あるいはスヴィンフッヴド。

Q 英語「mebos(ミーボス)」の意味は?

A オックスフォード英語辞典によると、日本語umeboshi(梅干し)が訛って18世紀ころ英語となったらしい。

Q 「眠りが窪の伝説」という翻訳作品の作者と原題は?

A アメリカの文学者ワシントン・アーヴィング著「スケッチ・ブック」(1819-1820)の中にある短編「Sleepy Hollow」。1923年刊行の森巻吉「全訳スケッチブック」の下巻に「眠りが窪の伝説」が収録されている。

Q.最初にウェディングドレスを着て結婚式を行なった日本人女性はだれ?

A.明治6年に長崎で中国人と結婚した磯部於平(いそべおつね)といわれる。その2年後に森有礼も広瀬常と西洋式の結婚式を挙げている。

Q.昭和18年南方の海軍基地を視察中、ソロモン諸島上空で戦死した山本五十六。その時の護衛機は零戦6機であるが、うち5名はまもなく戦死している。唯一の生存者である零戦パイロットの名前が知りたい。

A.柳谷謙治(1919‐2008)。1988年4月、アメリカで開かれたシンポジウムに出席し、P38パイロットのレックス・バーバー米空軍退役大佐と面会している。(参考:高城肇「六機の護衛戦闘機」)

Q.大正の後期から昭和の初期に活躍した出版人、梅原北明が発行した「近世社会大驚異史」(白鳳社)のページ数は?

A.1864ページ。国立国会図書館サーチで調べても1冊とあるだけで、ページ数は明らかにされない。ネットには1800ページ以上という記載もあるが、鹿野政直「日本の歴史27」によれば1864ページと明記されている。内容は慶応4年から大正元年までの新聞記事から抜粋の性風俗を中心とした資料集。

Q.内山完造著「そんへえおおへえ」という本がある。その書名の意味は?

A.内山完造は戦前に上海で書店を開業していた。もともと「上海」という地名と並び「下海」地区も存在していた。上海及び下海の名称は、上海市内を流れる呉淞江の支流であった上海浦及び下海浦に由来する。「そんへえ(上海)」「おおへえ(下海)」はそれぞれ現地語の発音を表記したものである。

 

厄神詣で

Photo_6
多井畑厄神(神戸市須磨区)毎年1月18日から1月20日まで行われる厄除け祭には多くの参拝者で賑わう

    男42歳、女33歳の大厄を初め、その他の厄年にあたった人が、厄難をまぬかれるために厄払いをする。厄払いにもいろいろ方法がある。家を出て身につけたものをわざと途中で落とし、顧みず、乞食などに拾わせる。褌を落としてくるふぐりおとし。年の数だけの銭を包む厄払いの包み銭など。厄神参り、厄神詣でと呼ばれるものもある。

   「やあらめでたや、こなたの御寿命申さば、鶴は千年、亀は万年、浦島太郎が八千歳、東方朔が九千歳、三浦の大介百六つ。かかるめでたき折柄に、いかなる悪魔が来るとも、西の海へさらり」などという。

2017年1月17日 (火)

ティル(愛の誓い)

   ホテルのロビーやスーパーなどでBGMが流れていると、かならず耳をそばだてて聴く。曲のタイトルを当てるのが好きである。とても美しいバラードなのにタイトルが思い出せない。若いころラジオでよく流れていた。メロディーから曲名を検索できないので半分あきらめていた。ある日自分のレコードを聴いていたらその曲が流れていた。マントヴァーニー・オーケストラの「ティル」である。原曲はドイツのベルト・ケンプフェルト楽団の曲が有名でトランペットの響きがロマンチックだ。トニー・ベネット、トム・ジョーンズ、アンディ・ウィリアムズなどが歌いスタンダードな名曲なのだが、タイトル「Till」が素っ気なく、日本語版では「愛の誓い」というサブタイトルがつく。前置詞のtill(までの意味)。そういえば歌詞の始まりが「ティル」である。タイトルが短すぎるため日本ではポビュラーになれなかった。その2年後に公開された映画「避暑地の出来事」の主題歌「A Sammer Place」は「夏の日の恋」というタイトルで日本でも大ヒットした。パーシーフェイスやジョニー・ソマーズ、日本語歌詞でスリー・グレイセスが歌い、ムード音楽の定番となった。でも「Till」の好きな人も意外と多い。

   「Till」をいろいろなポビューラー歌手で聞き比べると、ジュリー・ベールがいちばん良い。50年代から60年代活躍したシンガーだが、日本ではトニー・ベネットやアンディ・ウィリアムに比べて知名度が低い。だが海外ではその美声はいまでも人気がある。代表曲は「ベニスの夏の日」「情熱のホムバ」「モナリザ」「アルべデルチ・ローマ」「イナモラータ」「アルディラ」「魅惑のワルツ」「愚かなり我が心」「慕情」「愛の泉」「モア」など半世紀にわたり多くの映画主題歌やスタンダード・ナンバーを吹き込んでいる。彼の声の感じは尾崎紀世彦と布施明を足して二で割ったような感じ。

悲運のスコット南極探検隊

    ロバート・ファルコン・スコット(1868-1912)。イギリス海軍士官であり、南極探検家であるスコットは、1910年、テラ・ノバ号にて第2回の南極探検に出発する。この探検は、世界初の南極点到達を目標としていた。1911年11月旧極点パーティ5名、支援隊とも11名で南進の途についた。だが寒気に強い犬より劣る橇引きの馬と自動橇は殺すか捨てるほかなかった。支援隊と別れてのち、重い橇を滑らないサストルギー雪の上を肩で引き上げ、顔も向けられない暴風雪に体力を消耗しながら、1912年1月17日辿りついた極点には、すでにノルウェーの旗が立ち、スキーと犬の足跡が残っていた。帰途は一層苦しく、隊員は倒れ、3月末にスコットとウィルソンの2人も、空しい亡き骸となり、7ヵ月後に発見された。最後まで重い採集品を手放さず、かたわらの日記には探検の詳細、イギリス国民に宛てたメッセージがしたためてあった。それを読む者には不屈の精神力と悲しい心情を訴えていて涙をさそうものである。

尾崎紅葉「金色夜叉」

Image414

    かつて1月17日は「金色夜叉」熱海の海岸だった。やがてその日は山口百恵の誕生日に代わり、平成7年からは阪神大震災の日になった。「明治は遠くなりにけり」である。

    尾崎紅葉(1867-1903)、慶応4年(明治元年)1月10日(旧暦では慶応3年12月16日)、江戸芝中門前町に生まれる。本名は徳太郎。父は尾崎惣蔵、通称を武田谷斎(こくさい)という象牙彫りの名人。母は漢方医荒木舜庵の娘庸(よう)である。谷斎は屋号を芝伊勢屋という商家の出であったが、一面に赤羽織の谷斎と呼ばれる、奇行に富む幇間でもあって、紅葉はこの実父のことは生涯秘密で通した。明治28年、山田美妙らと硯友社を結成。「二人比丘尼色懺悔」「伽羅枕」「三人妻」「金色夜叉」など主要作品のほとんどを読売新聞に発表している。出世作で好評を得た雅俗折衷の文体は苦心して創造したものであったが、明治24年の「二人女房」後半から言文一致を試み、である調を用いた。表現の技巧に苦心することを文学の第一義と考え、優れた文章を書く努力を生涯続けた。

   三島由紀夫は昭和43年に中央公論社から刊行された「日本の文学」編集委員でもあったが、シリーズ中の「尾崎紅葉・泉鏡花」の解説を書いている。三島の文学観がうかがえて面白い。依田百川(学海)の尾崎紅葉評を引用しているので紹介する。「当時の紅葉の小説は、一方では満天下の婦女子の紅涙もしぼったけれども、一方では、文章の巧妙練達と、また、その奇思湧くが如く、警語頗る多し!によって敬愛されていたのである。はじめは人も異としたであろうが、奇思や警句を喜ぶ態度は、その文章を味わう態度と共に、文学鑑賞の知的態度と云わねばならない。明治文学からこのような知的な読者のたのしみ方を除外すると、その魅力の大半が理解されなくなる惧れをなしとしない。鴎外にしても漱石にしてもそうである。小説中の客観描写の洗練と、日本的なリゴリズムを伴った人事物象風景それ自体の実在感や正確度を要求する態度は、自然主義や白樺派以後に固定した態度であり、このような鑑賞方法がその後の近代文学をがんじがらめにしたことは周知のとおりである。従って紅葉を読むときは、まず、一種観念的なたのしみ方から入ってゆくことが必要である。洒落や地口も、警句の頻出も、はなはだアレゴリカルな筋立ても、そういうたのしみ方なら許容されるばかりか、明治文学の持っているむしろ健康な観念的性格に素直に触れることができるのである。」と読者入門のガイダンスとしては親切丁寧な一文であろう。三島の勉強家で誠実な人柄があらわれている。

    最後に尾崎紅葉の文体を鑑賞するために、有名なる「間貫一、お宮の熱海の海岸の別れの場面」の一部を紹介する。

   打ち霞みたる空ながら、月の色の匂いこぼるるようにして、微白き海は縹渺として限りを知らず、たとえば無邪気な夢を敷けるに似たり。寄せては返す波の音も眠げに怠りて、吹き来る風は人を酔わしめんとす。打ち連れてこの浜辺を逍遥せるは貫一と宮となりけり。

「僕はただ胸が一杯で、何も言うことが出来ない」

Photo_2   五歩六歩行きし後、宮はようよう言い出でつ。

「堪忍して下さい」

「何もいまさら謝ることはないよ。一体今度のことはおじさんおばさんの意から出たのか、またお前さんも得心であるのか、それを聞けばいいのだから」

「…………」

「こッちへ来るまでは、僕は十分信じておった、お前さんに限ってそんな了簡のあるべきはずはないと。実は信じるも信じないもありはしない、夫婦の間で、知れきった話だ。昨夜おじさんからくわしく話しがあって、その上に頼むというおことばだ」

   差しぐむ涙に彼の声は顫いぬ。

(中略)

「ああ、宮さんこうして二人が一処にいるのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言うのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、よく覚えておおき。来年の今月今夜は、貫一はどこかでこの月を見るのだか!再来年の今月今夜……十年後の今月今夜……一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!いいか、宮さん、一月十七日だ。来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるからね、月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一はどこかでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」

(中略)

「ああ、私はどうしたらよかろう!もし私があッちへ嫁ったら、貫一さんはどうするの、それを聞かせ下さいな」

   木を裂くごとく貫一は宮を突き放して、

「それじゃいよいよお前は嫁ぐ気だね!これまでに僕が言っても聴いてくれんのだね。ちぇえ、腸の腐った女!姦婦!!」

   その声とともに貫一は脚をあげて宮の弱腰をはたとけたり。地響きして横さまにまろびしが、なかなか声をも立てず苦痛を忍びて、彼はそのまま砂の上に泣き伏したり。貫一は猛獣などを撃ちたるように、彼の身動きも得せず弱々とたおれたるを、なお憎さげに見やりつつ、

「宮、おのれ、おのれ姦婦、やい!貴様のな、心変りをしたばかりに間貫一の男一匹はな、失望の極発狂して、大事の一生を誤ってしまうのだ。学問も何ももうやめだ。この恨みのために貫一は生きながら悪魔になって、貴様のような畜生の肉を啖ってやる覚悟だ。富山の令……令夫……令夫人! もう一生お目にはかからんから、その顔をあげて、真人間でいる内の貫一の面をよく見ておかないかい。長々のご恩に預ったおじさんおばさんには一目会ってだんだんのお礼を申し上げなければ済まんのでありますけれど、仔細あって貫一はこのまま長のお暇を致しますから、随分お達者でご機嫌よろしゅう……宮さん、お前からよくそう言っておくれ、よ、もし貫一はどうしたとお訊ねなすったら、あの大馬鹿者は一月十七日の晩に気が違って、熱海の浜辺から行方知れずになってしまった……」

   宮はやにわに蹶ね起きて、立たんすれば脚の痛みに脆くも倒れて効なきを、ようやく這い寄りて貫一の脚に縋り付き、声と涙とを争いて、

「貫一さん、ま……ま……待って下さい。あなたはこれからど……どこへ行くのよ」

   貫一さすがに驚けり、宮の衣のはだけて雪羞ずかしくあらわせる膝頭は、おびただしく血に染みて顫うなりき。

(中略)

   ついに倒れし宮は再び起つべき力も失せて、ただ声を頼みに彼の名を呼ぶのみ。ようやく朧になれる貫一の影が一散に岡を登るが見えぬ。宮は身悶えしてなお呼び続けつ。やがてその黒き影の岡の頂に立てるは、こなたをまもれるならんと、宮は声の限りに呼べば、男の声もはるかに来たりぬ。

「宮さん!」

「あ、あ、あ、貫一さん!」

   首を延べてみまわせども、目をみはりて眺むれども、声せし後は黒き影の沸き消すごとく失せて、それかと思いし木立の寂しげに動かず、波は悲しき音を寄せて、一月十七日の月は白く愁いぬ。宮は再び恋しい貫一の名を呼びたりき。

天災は忘れたころにやってくる

   阪神・淡路大震災22年で追悼の集い。日本列島は地震活動期に入っている。東大地震研究所が「震災をきっかけに首都圏では地震活動が活発化してM7級直下地震が4年以内に70%の確率で来る」と発表した。東大地震研究所は大正14年、東京帝国大学付属地震研究所が設立された。初代所長は末広恭二(1877-1932)、2代目所長は石本巳四雄(1893-1940)。地震研究所の設立には寺田寅彦(1878-1935)も大きく協力していたようだ。正面玄関の壁には寺田による碑文が今も掲げられている。

明治24年濃尾地震の災害に鑑みて震災予防調査会が設立され、我邦における地震学の研究が漸く其緒に就いた。大正12年帝都並びに関東地方を脅かした大地震の災禍は更に痛切に日本に於ける地震学の基礎的研究の必要を啓示するものであった。この天啓に促されて設置されたのが当東京帝国大学付属地震研究所である。(中略)本所永遠の使命とする所は地震に関する諸現象の科学的研究と直接又は間接に地震に起因する災害の予防並びに軽減方策の探求である。この使命こそは本所の門に出入りする者の日夜心肝に銘じて忘るべからざるものである。

   有名な警句「天災は忘れたころにやってくる」は寺田寅彦全集をはじめ彼の著作物からその出所を明らかにすることはできない。だがこの言葉が寺田が地震研究所にいたころ生まれたのではないだろうか。だれかれということなく、寺田の考えを要約した警句として流布していった。英語の諺にもあるらしい。

Natural disasters comes when we've forgorten all about then.

    寺田寅彦は明治11年11月28日、寺田利正・亀の長男として東京で生まれた。明治14年、郷里の高知に転居。明治30年、熊本第五高等学校の学生だった寅彦は両親のすすめで、阪井重季の娘・阪井夏子(1883-1902)と結婚する。夏子は少女時代から目立つ美人で、松山に住んでいた頃、松山の中学生だった安倍能成(1883-1966)が憧れていたといわれる。目が大きく、「お夏さんの目が光るからランプはいらぬ」と親族の子どもから言われた。だが寅彦と夏子の幼い夫婦は熊本と高知と離れ離れの新婚であった。

    明治31年1月17日の寅彦の日記には次のようにある。「夏子より手紙きたる。先日、送りやりし泰西婦女亀鑑の礼や、夏の休暇の待たるる事やしたためたる末に、近来川田兄のしきりに伉儷を詮索される旨も書き添えたり」とある。伉儷(こうれい)とは夫婦の意。つまり寺田寅彦夫婦は両家公認ながら内密なものであった。その理由は、父親同士が陸軍仲間で夏子は不倫の子であり、祖母に育てられた夏子を幸せにしてあげたいという周囲のおもいやりからでたものという。寅彦の欠落した日記は結婚の経緯を秘密にしておくためだったと朝日新聞は推測している。明治32年東京帝国大学に入学した寅彦は夏子と東京での同居が始まり暮らし、明治34年に長女貞子も生まれるが、翌年の秋、僅か19歳で夏子は肺結核で亡くなる。(参考:牧村健一郎「愛の旅人・ハンカチ振る浜辺の妻」朝日新聞2008.1.12,寺田寅彦「天災と国防」)

2017年1月16日 (月)

斗酒百篇

   「李白」「李太白」という名の看板の居酒屋、中華料理店はよくみかける。唐の詩人李白にちなんだものだが、李白はそれほど大酒飲みだったのだろうか。一斗といえば一升瓶の10倍である。実は当時の1斗は2000ccに相当し、酒好きならばいける量である。その上、李白が飲んでいた酒は「黄酒」といって穀物醸造酒、もしくは果実酒だと思われる。アルコール分の高い蒸留酒が中国で発明されるのは宋代の初期ころである。

♪伊代はまだ16だから~

   歌手の松本伊代が1月15日、早見優と共に京都旅行をした際、鉄道の線路内の踏切から立ち入って写真撮影している画像を自身のブログに掲載していた。多くの人から非難が寄せられ謝罪した。線路立ち入りは鉄道営業法で禁止されている。「停車場其の他鉄道地内に妄りに立ち入りたる者は科料に処す」(37条)とある。科料とは千円以上1万円未満だそうである。ただし、この度の行為が、刑法125条にある往来危険罪にあるとすれば「2年以上の有期懲役」となることもある。危険なので絶対に線路内には侵入しないように!

「え」 ファースト・ネームから引く人名一覧

334427_501   エイナル・ゲルハルセン(1897-1987)はノルウェーの政治家。オスロ市長となるが、ナチスの侵略後、罷免され、強制収容所で暮らした。戦後、首相となりノルウェーの戦後改革に貢献した。▽エドワード・G・ロビンソンは戦前のギャング映画スター。ルーマニア出身のユダヤ人で、本名はエマニュエル・ゴールデンベルク。Gとはゴールデンベルクだった。▽エドワード・テラーはハンガリー出身の核物理学者で「水爆の父」と呼ばれる。▽19世紀の小説家エミール・ガボリオは「ルコック探偵」などフランス第一の大衆的人気作家となり、今日の大衆文学の源流のひとつといえる。▽エルマンノ・ヴォルフ・フェラーリはイタリアの作曲家。喜歌劇の多くは今日あまり演奏されないが、「マドンナの宝石」間奏曲はよく知られる。

エアハルト・エッツラウプ
エイヴィンド・ユーンソン
エイナル・ヘンリー・ゲルハルセン
エウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムス
エヴァ・アウリン
エヴァ・グリーン
エヴァ・メンデス
エヴァ・ロンゴリア
エヴァリスト・ガロア
エヴァン・レーチェルウッド
エヴァンジェリスタ・トリチェリ
エヴリヤ・チェレビー
エクトール・アンリ・マロ
エゴン・シーレ
エスコ・アホ
エスター・ウィリアムズ
エスター・ラルストン
エズラ・ルーミス・パウンド
エズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル
エディー・アルバート
エディー・フィッシャー
エディー・マーフィー
エディー・レッドメーン
エティエンヌ・カルジャ
エティエンヌ・ルイ・アルチュール・ファロー
エディット・ピアフ
エド・ウェストウィック
エド・サリバン
エド・ハリス
エドヴァルト・ムンク
エドウィージュ・フイエール
エドウィン・ハッブル
エドウィン・ライシャワー
エドゥアール・ダラディエ
エドゥアール・ミシュラン
エドゥワール・マネ
エドガー・アラン・ポー
エドガー・ドガ
エドガー・ライス・バローズ
エドガートン・ハーバート・ノーマン
エードリアン・ブロディー
エドアルド・キヨッソーネ
エドアルド・シェワルナゼ
エドアルト・フリードリヒ・メーリケ
エドアルト・メーリケ
エドマンド・カートライト
エドマンド・スペンサー
エドマンド・バーク
エドムンド・ウィリアム・ロス
エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール
エドモン・ロスタン
エドモント・カートライト
エドモンド・デ・アミーチス
エドワード・アップルトン
エドワード・アーノルド
エドワード・アレキサンダー・ウェスターマーク
エドワード・R・マロー
エドワード・イシンバエワ
エドワード・ウィッテン
エドワード・ウィンパー
エドワード・エルガー
エドワード・オールビー
エドワード・ギボン
エドワード・クック
エドワード・G・サイデンステッカー
エドワード・G・ロビンソン
エドワード・サイード
エドワード・ジェームス・オルモス
エドワード・ジェンナー
エドワード・シルベスター・モース
エドワード・ズウィック
エドワード・スタイケン
エドワード・スノーデン
エドワード・ソーンダイク
エドワード・デボノ
エドワード・テラー
エドワード・ドミトリク
エドワード・ノートン
エドワード・バーンズ
エドワード・ヒース
エドワード・ファーロング
エドワード・フォックス
エドワード・フォーブス
エドワード・ホッパー
エドワード・ベレゴー
エドワード・モンタギュ
エドワルド・ハーゲルーブ・グリーグ
エバ・ガードナー
エバ・マリー・セイント
エバリスト・ガロア
エフィミー・ヴァーシリエヴィチ・プチャーチン
エフィム・プチャーチン
エフゲニー・ムラヴィンスキー
F・マーレー・エイブラハム
エフレム・ジンバリスト JR
エマ・ストーン
エマ・トンプスン
エマ・ロバーツ
エマ・ワトソン
エマニュエル・ウンガロ
エマニュエル・セイナー
エマニュエル・ベアール
エマニュエル・リバ
エマヌエル・デ・ウィッテ
エーミー・アーヴィング
エーミー・アダムズ
エーミー・マディガン
エーミー・ロケイン
エミリアーノ・サパタ
エミリー・ドゥケンヌ
エミリー・ブラント
エミリー・ブロンテ
エミリー・ロイド
エミリー・ワトソン
エミリオ・アギナルド
エミリオ・エステヴェス
エミール・アドルフ・フォン・ベーリング
エミール・アントワーヌ・ブールデル
エミール・ガボリオ
エミール・ガレ
エミール・クストリッツァ
エミール・ザトペック
エミール・テオドール・コッハー
エミール・デュルケーム
エミール・ハーシュ
エミール・ブルンナー
エミール・ベーリング
エミール・ヤニングス
M・ナイト・シャマラン
エラ・フィッツジェラルド
エラリー・クイーン
エラリー・チャン
エリア・カザン
エリオ・ディルボ
エリオット・グールド
エリサ・ランディ
エリザベス・ヴァイニング
エリザベス・シュー
エリザベス・テーラー
エリザベス・パーキンス
エリザベス・バークレー
エリザベス・ハーリー
エリザベス・バンクス
エリザベス・ボウエン
エリザベス・マクガバン
エリザベス・モンゴメリー
エリシャ・オーチス
エリック・サティ
エリック・ストルツ
エリック・バーナ
エリック・ロメール
エリナー・パーカー
エーリヒ・ケストナー
エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム
エーリヒ・フォン・シュトロハイム
エーリヒ・ヘッケル
エーリヒ・ホーネッカー
エーリヒ・マリア・レマルク
エリファレット・レミントン
エル・グレコ
エル・ファニング
エルヴィス・プレスリー
エルヴィン・シュレディンガー
エルヴィン・フォン・ベルツ
エルヴィン・ロンメル
エルケ・ソマー
エルザ・スキャバレッリ
エルザ・マルティネッリ
エルズワース・ハンティントン
エルナン・コルテス
エルノー・ルービック
エルビス・プレスリー
エルマー・バーンスタイン
エルマンノ・ヴォルフ・フェラーリ
エルンスト・アッベ
エルンスト・エンゲル
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
エルンスト・ルビッチ
エレイン・ローブル・カニグズバーグ
エレオノーラ・ロッシ・ドラーゴ
エレン・バーキン
エレノア・ルーズベルト
エレン・バーンスティン
エレン・ページ
エロール・フリン
エンゲルベルト・ケンペル
エンゲルベルト・フンパーディンク
エンツォ・アンゼルモ・フェラーリ
エンリコ・カルーソ
エンリコ・ダルガス
エンリコ・フェルミ

マラッカ

   シュリ-ヴィャヤ王国の最後の王子パラメスワラは1396年マラッカ王国を建国した。マラッカ王国は1414年頃イスラム化し、香辛料貿易における重要な東西中継港として繁栄した。1511年ポルトガルのアルブケルケが征服し、ポルトガル領マラッカとなりキリスト教文化が入った。1641年オランダ領東インド会社がジョホールのスルタンの援助を得て、マラッカを占領した。1826年、イギリスのラッフルズは英領海峡植民地を成立させた。19世紀後半には中国福建省などから移民が移り住み華僑文化が根付くようになる。マレーシアのクアラルンプールの北にはイギリス人が建設した都市ジョージタウンがある。ペナン島のジョージタウンとマラッカのムラカは2008年にマラッカ海峡の歴史都市として世界遺産に登録された。Parameswara Melaka

オクタヴィアヌス

Scaugustus   紀元前27年のこの日、ローマ政界一の実力者ガイウス・オクタヴィアヌスが元老院からアウグストゥス(尊厳者)の尊称を受けた。この結果、オクタヴィアヌスが軍隊の駐屯が必要とされる属州の大半を統治することになり、事実上の専制君主、初代皇帝となり、ローマ帝政が開始されることになる。(1月16日、Augustus)

白瀬矗、南極上陸

Na1011_shir_l1     1910年11月29日、白瀬矗(しらせのぶ)陸軍中尉は26人の南極探検隊隊員と共に、開南丸で東京芝浦を出航した。すでに結氷期に入った南極海のため一度はシドニーに帰港した。ここで再出発の準備をととのえたのち翌年11月南極にむかい12年1月16日、日本人として初めて南極大陸に上陸する。1月28日、南緯80度5分に至るも、食糧・燃料などの不足から極点到達は断念、翌日、根拠地に引き返した。到達地点を「大和雪原」と命名して帰国した。

禁酒法時代の映画女優

Img

リリアン・ギッシュ(1896-1993)アメリカ映画の先駆者グリフィスに育てられた純情型の人気スター。「散り行く花」「東への道」

  アメリカの1920年代を歴史家は「ローリング・トゥウェンティーズ」と呼んでいる。景気がよく、なにかと騒々しかった時代という意味である。この他にも、ジャズ・エイジ、ナンセンス時代、迷える世代、とかあるが、やはり禁酒法時代(1920-1933)という呼び名が最も知られているだろう。1920年1月16日、国家禁酒法が施行された。しかし密造業者が横行し、ナイトクラブがニューヨークやシカゴに続々と誕生した。そうしたナイトクラブはギャングが経営する店であり、たいていジャズ・バンドと美しいコーラス・ガールが客を楽しませていた。ギャングはジャズ・バンドのパトロンであり、コーラス・ガールの愛人だった。そして、ギャングは禁制の酒を大衆に提供する「恩人」だった。アル・カポネは言った。「私はビジネス・マンだ。」  政治の世界では汚職・スキャンダルが絶えなかった。ハーディング大統領は、大統領らしい顔をしているからという理由で、大統領に選ばれ、クーリッジはホワイト・ハウスで最も多く昼寝した大統領だといわれる。 

   しかしながらこの1920年代を最も象徴する出来事は女性のファッションが激変したことではないだろうか。スカートは足首から膝まで上昇した。これはミニ・スカート以上の女性の服装の変化であった。肌の色に近いストッキングを女性がはくようになったのも1920年代である。ブラジャーの発達によって、女性たちはヴィクトリア朝の遺物と化したコルセットを棄てるようになった。しかし、女性のファッションには、1920年代のアメリカにおいて、もっと大きな変化があった。一つはスタイルの国際化である。アメリカはパリの影響をもろに受けるようになり、そして、パリ・コレクション紹介の先達となったのが、いまでもつづいている「ヴォーグ」である。もう一つの変化は既製服の大量生産であり、これによってファッショナブルな衣類が安い値段で着られるようになった。だが、1920年代に行なわれた調査によると、女がどんなものを着ているかということに大部分の男は気がついていない。とすれば、なせファッションは1920年代にこれほど大きな重要性を持っていたのか?それは女は男のために着飾るのではなく、ほかの女と競争するために着飾る、と。 

   とにかく、鈍感なる男たちも女性のファッションの変化に気づくとすれば、それは映画の中で華やかに着飾った女優たちによってであろう。アメリカ映画はスター・システムによって映画の最初の黄金時代をつくり、世界の映画市場を征服した。アラ・ナジモヴァ、セダ・バラ、パール・ホワイト、ルース・チャタートン、メアリー・ピックフォード、ルース・ローランド、ノーマ・タルマッジ、リリアン・ギッシュ、ポーラ・ネグり、コンスタンス・タルマッジ、グロリア・スワンスン、ドロシー・ギッシュ、ビリー・ダヴ、マレーネ・ディートリッヒ、クララ・バウ、ジャネット・ゲイナー、グレタ・ガルボなどなど女優たちによって、1920年代がそれを知らない後世の者たちにとっても、夢のような、楽しい時代として想い描かれるのである。

 

Img_0002

  アラ・ナジモヴァ(1879-1943) ロシア出身の名女優。「人形の家」「サロメ」「椿姫」「孔雀夫人」

Img_0006
セダ・バラ(1885-1955)ヴァンプ(妖婦)の女王。「愚者ありき」「カルメン」「クレオパトラ」

Img_3
パール・ホワイト(1889-1938)連続冒険活劇の女王。「ポーリンの危難」「電光石火の侵入者」

Img_2
メアリー・ピックフォード(1893-1979)「アメリカの恋人」といわれた大スター。「小公女」「嵐の国のテス」「ロジタ」「雀」

Img_0003
ノーマ・タルマッジ(1893-1957)美貌、演技力を兼ね備えた実力スター。「久遠の微笑み」「椿姫」「秘密」

Img
ルス・ローランド(1892-1937)連続冒険活劇の女王。「赤輪」「ルスの冒険」

Img_0005
ポーラ・ネグり(1897-1987)ヴァレンチノの恋人「カルメン」「チート」「スエズの東」

Img_0007
グロリア・スワンソン(1897-1983)社交界の女王。「夫を変える勿れ」「港の女」「男性と女性」「ありし日のナポレオン」「今宵ひととき」

Img_0001_3
コンスタンス・タルマッジ(1897-1973)「イントレランス」「恋のかけひき」「桃色女白波」「金魚娘」「粋な殿様」

Img_0002_2
ドロシー・ギッシュ(1898-1968)「嵐の孤児」「ロモラ」

Img_0002
ビリー・ダヴ(1900-1998)ジークフォルド・フォリーズの踊り子からスターになった美女。「ダグラスの海賊」「アメリカ美人」

Img_0004
ララ・ボウ(1905-1965)性的魅力あふれる現代娘イット・ガール。「It(あれ)」「つばさ」「フラ」「暗黒街の女」

Img_0001
ジャネット・ゲイナー(1906-1984)純情可憐の典型的美人。栄光あるオスカー女優第1号。「第七天国」「サンライズ」「街の天使」ディズニーの長編アニメ「白雪姫」を描くときモデルとなった。

Img_0001
ルイーズ・ブルック(1906-1985)都会派、モダンガールの代表的女優。「美女競艶」「百貨店」「夜会服」「人生の乞食」

蔵書家、林若樹

  書誌学の森銑三(1895-1985)は、林若樹(1875-1938)のことを三田村鳶魚(1870-1952)、三村清三郎(三村竹清、みむらちくせい1876-1950)と並ぶ江戸通と賞賛している。

   林若樹は、本名を若吉といい、明治8年1月16日、東京麹町四番町に生まれる。父の林研海は、明治15年パリで病没し、さらに母もまもなく死亡。病弱であった林若吉は、叔父の林董(はやしただす、1850-1913)に養育されたらしい。しかし学業は中学中退で、以後趣味人としての人生を歩む。

   彼が今日その名を知られるのは「若樹文庫」という蔵書印のある貴重な古典籍のためである。その収集は、鳶魚によれば「天下の愚書をもってゐなければ、蔵書家とは云へない」といったもので広範にわたったという。また、その大半を一通りは読了していたといわれ、三村竹清は「所謂の蔵書家と伍すべき人ではない、寧ろ、読書家といふ可きである」と記している。類稀な学識の持ち主であったようだが、残念ながら林若樹自らが書き残した文章は極めて少ない。死後、若樹文庫は古書で売買され散逸した。現在「若樹文庫収得書目」(青裳堂)が刊行されている。

2017年1月15日 (日)

胡椒と大航海時代

Img_0005_3    

   中世末の地中海貿易の時代から、西ヨーロッパ人が香料(胡椒)を強く求めていたのは、肉食に原因がある。飼料作物の栽培の発達していなかった当時にあっては、家畜の飼料は自然の牧草にたよっており、冬は牧草が枯れるので、その前に多くの家畜を殺して肉として貯蔵する必要があった。大部分は塩漬けにするが、それでも冬の数ヶ月のうちには臭くなる。この臭みを消すために胡椒が調味料として用いられた。したがって胡椒は彼らにとって必需品であるが、遠い東南アジアから運ばれるためにたいへん高価であり、その取り引きによる多大な利益は、アラビア商人とイタリア商人、とくにヴェニス商人によって独占されていた。そこで新興のスペイン・ポルトガルの商人は、海路東洋に至る道を得て、直接胡椒を手に入れ、その取り引きによる利益の獲得をねらって、地理上の発見に乗り出したのである。ヨーロッパ人の世界進出、大航海時代の到来は胡椒を入手するのが一つの要因であるといえる。ちなみに「大航海時代」という言葉は日本人の造語。1962年に岩波書店から出版企画があったとき増田義郎が「大航海時代叢書」と考えた。それまでは「地理上の発見」と表現されていた。

ブラック・ダリア殺人切断事件

C54e9a92c3d68f785bcee2d660aaa030     戦争中の殺人事件の増加や、簡単に人を殺す風潮は、多くの人間が戦地で死んでいく状況で生命の価値が軽視されていたことと強く結びついている。戦争によって人間性を踏みにじられた軍人たちが、どのような精神状況で終戦直後を生き抜いたか知ることはなかなかできない。世界的にみても終戦直後の数年は犯罪は、暴力犯罪は55%、性犯罪はほぼ40%も増加した。1947年1月15日、ロサンゼルスで起きたエリザベス・ショート(1924-1947)という若い女性の迷宮入りとなった悲惨な殺人事件がよく知られている。女優志望の被害者エリザベスは売春婦・ウェイトレスなどをして稼いでいたが、いつも黒い下着を身につけていたことから、ブラック・ダリアと呼ばれている。女性の死体はウエストの下で2つに切断されていた。片方の大腿には「BV」の文字が刃物で刻まれており、一方の乳房は半ば切り取られ、口の両端は頬まで深く切り裂かれていた。そして死体からは、明らかに血液が抜かれていた。このアメリカ犯罪史上、最も有名な猟奇殺人では40人あまりの嘘の自白があった。この事件では、男性だけではなく女性からも自首してきて、虚偽の自白をした。彼女たちの告白には、べスが自分の男を盗んだので殺したというものが多かったが、自分を捨ててほかの女のもとに走ったので殺したと言った女性もいた。結局、事件から70年近くが経つが真犯人は判らず、迷宮入りとなってしまった(Black Dahlia,Elizabeth Short)

2017年1月14日 (土)

「ユ」事項索引インデックス

F0084337_17143680   「ユーカリ」オーストラリア原産の常緑高木で、幹は100mにも達する。よく枝分かれし、葉が茂る。生長がきわめて速い。葉には表と裏の区別がない。樹脂をとって薬用にする。▽「ユードリナ・イリノイセンシス」群体性プランクトンの緑藻の一種で、水田や湖沼などの淡水域に分布する。▽「ユーステノプテロン」約3億7000万年前、魚類のユーステノプテロンのなかまが地上をはいまわることに成功した。▽「ユポ紙」ふつう紙は木材パルプから作られるが、ユポ紙はポリプロピレンを主な原料とする合成紙。破れにくく、雨に強いことから、屋外に貼るポスターや地図、投票用紙などに使われる。(ゆゆゆ)

唯物史観
唯名論

郵便
遊牧民族
幽霊
ユーカリ
ユーグ・カペー
ユグノー
ユークリッド
ユーゴー
湯島聖堂
ユスティニアヌス帝
ユーステノプテロン
ユダ
ユダヤ人
ユートピア
ユトレヒト同盟
ユードリナ・イリノイセンシス
ユニオンジャック
ユネスコ
ユーフラテス川
ユポ紙
ユーモア
ユーラシア
ユリアヌス帝
ユリイカ
ユリウス暦
ユンカー

すきなことは散歩と雑学

 近所のお寺には緑が多く、お散歩コースに最適である。雑草が雨に濡れた無縁墓地など儚げで人の世のあわれを感じる。散歩という習慣は江戸時代にもあるものと考えるが、意外にも明治以降、文人の間にブームになったものらしい。実際に欧米に留学し、ステッキをついて散歩を楽しむ紳士を目の当たりにしてきた夏目漱石や森鴎外などは、東京近辺をしばし徘徊した。健康のために散歩を普及させた人物は福澤諭吉である。体を動かす三つのことを健康のために日々実践してきた、その三つとは居合いの鍛錬、米をつくこと、そして散歩をすることである。晩年になっても続いた散歩は、毎朝の習慣になっていて、広尾、目黒、芝などを巡る一里半の道のりを、1時間程かけて歩いたそうである。

   高齢になると衰えてくるのは体力だけではない。脳の働きが衰えてくる。そこで脳を活性化すめためには、つねに新しい情報(ニュース)や活字などを親しむのがよい。テレビなどを見ても新発見を自分から探すようにする。日本人が好きな歴史人物、戦国時代の三英傑のひとり徳川家康。「おんな城主 直虎」では阿部サダヲが演ずるという。これまで数々の俳優が徳川家康を演じてきたが、いちばん最初に家康を演じた俳優は誰れ?正確に記した記事は見つけられなかったが、おそらく1911年「家康公(徳川栄達物語)」の尾上松之助ではないだろうか。

地球を測る

   地球の赤道一周は約4万キロといわれている。子午線一度の長さを測ることは古く紀元前三世紀にギリシャ人のエラトステネスがかなり正確に測っているが、近代になってから南米チリで測量した学者がいる。フランス人の地理学者シャルル・マリー・ド・ラ・コンダミーヌ(1701-1775)である。日本ではほとんど知られていないが欧米では彼に関する研究書も多い。コンダミーヌは1735年、ピエール・ブーゲらとチリ測量隊に加わり、赤道付近のチリの子午線を正確に測量した。その成果は1749年に Figue de la terre determineとして発表された。

萱野三平の自決

Img_0915_2s

    大阪府箕面市萱野に「忠臣蔵」で有名な萱野三平(1675-1702)の墓がある。萱野氏は芝村(箕面市)に領地をもつ豪族であった。三平は父重利の主人大島伊勢守義全の推挙を受けて播州赤穂に仕えた。刃傷事件直後、馬廻役の三平は早水藤左衛門とともに赤穂の大石に第一報を注進している。江戸から赤穂までは155里、すなわち620キロ。旅人なら17日、飛脚で8日かかるところをわずか4日半で走破している。

   長矩刃傷事件後、三平は郷里の芝村へ戻ったが、父から大島家へ仕官を勧められる。大島家は吉良家とのゆかりの深い家柄である。旧主への忠義と父への孝行との板ばさみに悩み、1702年1月14日、28歳の若さで切腹した。萱野三平の話は、高田郡兵衛と常に比較される。高田郡兵衛が後々まで非難されるが、三平は義に生きたとして、「48番目の義士」といわれる。この話は後年脚色されて、「仮名手本忠臣蔵」では早野勘平とされ、お軽と駆け落ちをして、自害して果てる悲劇となっている。

   芝高輪の泉岳寺にも萱野三平の供養塔があるといわれている。大高源五の傍らにある「刃道喜剣信士」と刻まれた供養塔はこれまで村上剣喜のものといわれていたが、最近では萱野三平のものと考えられている。三平は涓泉の号をもつ俳人で『蟾蜍賦』があり、大高源五の傍に葬られたのかもしれない。

赤坂喰違の変、武市熊吉ら処刑

Dscn0132

    明治7年1月14日の夜、岩倉具視(1823-1883)は公務を終え、赤坂の仮皇居から退出して自宅へ帰る途中高知の征韓論派の武市熊吉ら9名に襲われた。岩倉は眉の下と左腰に軽い負傷はしたものの、皇居の四ッ谷濠へ転落し、辛うじて助かった。前年の秋に西郷隆盛らは征韓論に敗れ、征韓論に反対した岩倉への不満が暗殺の動機だった。同年7月9日、9名全員(武市熊吉、武市喜久馬、山崎則雄、島崎直方、下村義明、岩田正彦、中山泰道、中西茂樹、沢田悦弥太)は死刑に処せられた。

2017年1月13日 (金)

雑学王は日置昌一

Miscellaneous

    雑学とは「雑多な事物に関する多方面にわたる系統立っていない学問・知識」という意味として、言葉としては戦前から「雑学の大家」などの語が使われるが、雑学本が出版されるのは1960年代以降である。坂口安吾に「私の義兄紅邨もヒマにあかした雑学家で話の泉のお客ぐらいは楽につとまる物識りであるが」(新潮1951年1月号「我が人生観 安吾風流譚8」に見える。山本健吉「露伴の雑学」(文学界1969年2月号)など古い事例である。坂口がいう「話の泉」とは1946年から1964年まで続いたラジオ番組。日本人の雑学への関心を高めたといえる。現在、唐沢俊一が雑学王として活躍している。「古本マニア雑学ノート、人生に大切なことはすべて古本屋で学んだ」(1996年)など著書多数。ところで我が国の元祖雑学王は誰か?日置昌一(1904-1960)であろう。「話の大事典」(1950-1951)、「ものしり事典」(1952-1954)、「ことばの事典」(1955)を刊行している。1970年に植草甚一の「ぼくは散歩と雑学がすき」が世に出る。これから雑学本がよく売れるようになる。

ウォルター・ローリー卿とタバコ

   アンデスの高地で生育する煙草の原料となる植物ルスチカ。現在、ルスチカはニコチンの含有量が多くて大規模に栽培されていないが、最も古い時代、煙草の原料として使われていた。15~16世紀に栄えたインカ帝国の人々はルスチカを愛飲していた。このルスチカを初めて紹介したのはベルギーの植物学者ドドエンス。その著書「薬用植物学全書」(1554年)にはまだ煙草のことは触れられていない。1550年頃フランスに二コティアナ(タバコ属種)を伝えたのはジャン・ニコ(その名はニコチンの由来となっている)。1580年代になると、ルスチカのことは北米の大西洋沿岸部に拠点をもちイギリス人によって知られるようになった。サー・ウォルター・ローリーはイギリスの邸内にルスチカを栽培し、社交界に広めたといわれている。

   ある日、ウォルター・ローリーは、暖炉の前でタバコをふかしていた。今まで、タバコなるものを見たことも聞いたこともなかった召使が、部屋に入ってきて、主人の後姿から煙が上がっているのを見、これは主人の着物に火が付いたかと、バケツの水をざばっと主人に浴びせかけた。

P2_photo07

13日の金曜日

Friday13b   本日は「13日の金曜日」である。13日の金曜日が不吉だというのは英語圏の多くとドイツ、フランスなどで広まっている迷信である。起源はイエス・キリストが磔刑されたのが金曜日とされるが、聖書には13日の記述はみられない。13日の金曜日を不吉とする風習は、古文献には見られず、19世紀になってから成立したとする意見がある。13を不吉な数とするのは、キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから生じたものであろう。ホラー映画「13日の金曜日」(1980)などの影響で、この日を不吉とする考えは世界的に広まっており、交通事故などを避けるため、事故件数は通常より少なく、安全な日という報告もなされている。

2015年の11月13日の金曜日、パリで同時多発テロが発生し、120人以上が死亡した。

曲直瀬道三のキリシタン入信

Photo   NHK歴史秘話ヒストリア(2016年1月13日放送)戦国時代、医聖と称され曲直瀬道三(1507-1574)の話。1584年、イエズス会の宣教師ベルショール・デ・フィゲイレドを診察し、その縁で道三は77歳のときキリスト教の洗礼を受ける。弟子の全宗との決別、秀吉のバテレン追放令、養生俳諧など興味深い内容である。参考:「曲直瀬道三のキリシタン入信」 芳賀幸四郎 日本歴史188  1964年

万延元年遣米使節咸臨丸の真相

Photo_8   万延元年1月13日、咸臨丸は日米修好通商条約の批准書を交換するため品川を出帆、19日に浦賀を出港した。木村喜毅(1830-1901)が提督、勝海舟(1823-1899)が艦長であった。福澤諭吉やジョン万次郎らも乗船していた。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技量・経験に優れたジョン・ブルック大尉(1826-1906)他、アメリカ人乗員の助けをかりて、2月26日にサンフランシスコに入港した。勝海舟は船酔いで私室にこもつたままで、艦長らしき仕事は何一つやらなかった。ところが上陸が目前になると「俺が艦長だ」といわんばかりの態度だった。福澤は勝の態度に嫌気がさしたのか、終生、2人の仲は悪かった。晩年「痩我慢の説」を著して勝海舟を批判している。福澤と木村との交遊は明治になっても続いた。ジョン・ブルックはサンフランシスコ到着後の咸臨丸の修理や滞在費をアメリカ政府が負担するように働きかけ、歓迎準備に力を尽くしている。日本軍艦初の太平洋横断の快挙の陰にブルック大尉の援助があったのだ。(John Mercer Brooke)

2017年1月12日 (木)

乱世が生んだ故事成語「呉越同舟」「臥薪嘗胆」

Goujian33518  「呉越同舟」仲の悪い者どうしが同じ場所に居合わせること。また、敵味方が共通の困難や利害に対して協力すること。呉と越とはともに中国春秋時代の国名。春秋時代の末期、呉と越の両国が仇敵視しあい、長年にわたり戦いを繰り返した。

   伍子胥は楚の人で、父の伍奢は楚の平王の太子の守り役をしていた。平王は費無忌を秦へつかわして太子のために妃を迎えさせたところが、秦の女性がたいそう美しかったので、費無忌は王にすすめて王の夫人にしてしまい、はては太子を追い出し、伍奢と伍子胥の兄の伍尚を殺した。伍子胥は太子とともに宋に出奔した。宋へ行く道で伍子胥は親友の申包胥と出会った。伍子胥は「父母の讐はともに天を戴かず、地を履まず、兄弟の讐はともに域を同じくせず、壌を接せずという。自分はきっと楚に報復してやる」と誓った。申包胥は「君のためをはかれば国のためにならず、国のためにすれば親友を捨てねばならぬ。よかろう、君は楚を滅ぼすのに努力しろ、自分は楚を安泰にすることに努力するから」と答えた。その後、彼は各地を渡り歩き、ついに呉王闔廬に仕えた。呉王は、伍子胥・孫武らを率いてしばしば楚に侵攻し、9年が過ぎた。その間、楚では平王が死に、平王の子の昭王が即位した。やがて呉が強大となり、楚を攻めて大いにこれを破り、楚の都郢(えい)に侵入した。伍子胥は積年の大怨を晴らすべく昭王を捕らえようとしたが、すでに逃げ出しており捕らえることができなかった。そこで平王の墓を暴き、平王の屍を引き出して、300回鞭で打ちつけて仇を報いた。

   それから4年後、呉王闔廬は、越王句践と戦って破れ、そのときうけた傷が悪化して死去。その子の夫差が後を継ぐ。伍子胥はひきつづき夫差に仕えて越の動きに備えた。そして2年後、越を撃ち破って句践を降伏せしめた。このとき伍子胥は「句践を殺して禍根を絶て」と進言するが、夫差は耳をかさずに講和する。

    調子に乗った夫差は、しきりに北方の斉・魯に軍を進めて勢力の拡大をはかる。そのたびに伍子胥は、警戒すべきは越王句践の動向であることを力説し、北方への遠征を見合わせるよう進言するが、夫差はいっこうに聞き入れない。こうして、戦略方針のくいちがいをめぐって、夫差と伍子胥の仲は急速に悪化していく。そこへもってきて「伍子胥が二心を抱いている」と、伯嚭が夫差に吹き込んむ。それを真に受けた夫差は、伍子胥に属鏤の剣を与えた。これで死ね、という意味である。伍子胥は天を仰いで嘆息し、「わしの目玉をえぐり出して城門にかけておけ。この目玉で呉の滅びるのを見てやる。そしてわしの墓には檟の木を植えよ。その木が生長して棺材になるころには呉は滅びて暗君夫差の棺になるであろう」と言い残して、みずから首をはねて命を絶った。十数年ののち、夫差は越王句践に敗れて自殺した。句践はさらに軍を北に進めて、斉・晋の諸侯と徐州に会し、呉に代わって天下の覇者となった。「臥薪嘗胆」というのは、この呉王夫差と越王句践との復讐戦にもとづいた故事である。(参考:大庭脩「臥薪嘗胆」世界歴史シリーズ3 世界文化社)

総画数の最も多い名前「伊藤爆羅騎」

Photo_2 Photo_3  常用漢字瀬2136字の中で画数が最も多いのは、「鬱」で29画。すべての漢字で最も画数の多いのは?麤(ソ)、鱻(セン)、龗(レイ、リョウ)が33画。「麤」の下に「土」の字がつく漢字が「ジン」。「ちり」という意味で36画。さらに画数の多い漢字がある。「龍」を4つ並べた漢字。「テツ」「テチ」と読む。意味は「言葉の多い、多言」。64画である。「興」を4つ並べた漢字「セイ」も64画である。 

  さらに多い漢字がある。いや厳密には漢字でなく、日本国字。「雲」と「龍」とをそれぞれ3個づつ並べている。「たいと」「おとど」とも読む。84画。 

Otodo 

 

下は中国の古字「ホウ・ビョウ」(128画)。意味は「雷の声、音」 

8fc0abf5

下は陝西省の特産「ビィアン」麺の一種。ビャンビャン麺(56画) 

Fe3c1192s 

Img001

 

Pict_ayumi_koketsu_2      では徳富蘇峰(総画数56)のように画数の多い有名人は誰か?これに関する文献を未だ見たことないが、「纐纈(こうけつ)」という苗字は職人名で絞り染めのこと。44画で多そうだ。美人サックス奏者に纐纈歩美(61画)がいる。岐阜県議員の纐纈秋三郎(63画)。 

とりあえず歴代内閣総理大臣に限定して調べてみよう。1885年から2013年まで128年の間に62人いる。東久邇宮稔彦王65画でトップである。幣原喜重郎55画、橋本龍太郎50画、齋藤實49画、細川護熙47画。漢字1字では、細川護熙の「護」が20画で最多だった。SMAP草彅剛は34画。芸名ならばゴールデンボンバーの樽美酒研二と高勢實乗が46画。物理学者の嵯峨根遼吉(55画)、明治の道頓堀の役者に嵐橘喜蔵(56画)がいる。江戸後期の画家、蠣崎波響は61画。大相撲の爆羅騎源氣(四股名)の本名は、「伊藤爆羅騎(いとうばらき)」で総画数80画は最多画数保持者となる。 

   番外篇として「お早よう」などの名作に出演した設楽幸嗣(したらこうじ)は45画で最も画数の多い子役である。 

Img_1209703_35571385_0

島ではないが「桜島」

    平成25年8月18日午後4時31分、桜島で大規模な爆発的噴火が起きた。桜島は名前のとおり昔は島だった。大正3年1月12日の噴火で35人の死者が出て、島は大隅半島と陸続きになったが、観光名所の桜島の名前は変えることが出来ずそのままとなった。かつて桜島は飛び地で有名だった。東桜島地区は周囲は垂水市、鹿児島郡桜島町に囲まれていたが、2004年に桜島町が鹿児島市に編入したので、こちらのほうは解消された。

Img_0005

絵島生島事件

Photo_10    三宅島は東京から南南西175km伊豆諸島のほぼ中央で、大島、八丈島についで三番目に大きい島である。事代主命が渡島し、付近の島々を治めたという伝説があり、12の延喜式内社があることから宮家島といったのが島名の起源という。また8世紀に多治比直人三宅麿が流されたことによるとの説もある。源為朝の居住跡、竹内式部の墓などもある。江戸時代は流刑地で「絵島事件」の生島新五郎は正徳4年(1714)から寛保2年(1742)まで28年間、この島に流された。

    生島新五郎(1671-1743)は、寛文11年、大坂に生まれ、貞亨元年に野田蔵之丞の名で木挽町の芝居小屋・山村座の舞台に立つ。元禄4年、生島新五郎と改名。徳川家継の時、正徳4年1月12日、大奥御年寄の絵島(1681-1741)が寛永寺、増上寺へ参詣した帰途、当時人気絶頂の歌舞伎役者・生島新五郎の山村座に立ち寄ったことが露見し、大奥の門限に遅れ、いわゆる「絵島事件」にまで発展した。かくて絵島は1714年3月5日、信濃高遠(現・長野県伊那市)へ、生島は三宅島へ流され、そのほか処罰者は大奥・御用商人・歌舞伎界に及んで1500人にものぼった。28年間、囲屋敷幽閉の末、病に倒れた絵島は生島の名を呼びつづけて、その生涯を終わった。寛保2年2月、生島は徳川吉宗により赦免され、江戸に戻ったが翌年、小網町で没した。

   舟橋聖一の新聞小説「絵島生島」(東京新聞昭和28年9月~29年11月)を原作に淡島千景、市川海老蔵主演で「絵島生島」(大庭秀雄監督、昭和30年)が映画化されている。

2017年1月11日 (水)

キナバル山

   ボルネオ(カリマンタン)の地理・歴史は、日本ではあまり人気のある対象ではない。アメリカとかヨーロッパとか中国の地理・歴史は学校で教わるが、インドネシアやマレーシアは、ほとんど教えてくれません。キナバル山は標高4095mで、富士山より高く、マレーシアの最高峰である。

マット・モンロー「慕情」

P12383ej8ax    数多い映画音楽の中でもアルフレッド・ニューマン作曲の「慕情」は実に多くの歌手によって歌い継がれてきた名曲である。ザ・フォー・エイセス、フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、アンディ・ウィリアム、コニー・フランシスなどが一般によく知られるがサントラ盤はマット・モンローである。私が買った初めてのシングルレコードはA面が「ロシアより愛をこめて」でB面が「慕情」のマット・モンローのものだった。声量ではシナトラより劣るものの、甘いバリトンが魅力だった。映画「慕情」の主題歌は当初シナトラにオファーがあったのに、彼はなんと断ってしまった。後でたいへん後悔したという。

   日本ではマット・モンローの名はもう忘れられただろうが、イギリスではいまも愛されているという。惜しい哉、1985年、54歳の若さで癌で亡くなっている。代表曲は「さらばベルリンの灯よ」「ロシアより愛をこめて」「野生のエルザ」

   慕 情

愛は多くの輝きに満ち溢れている

美しき恋が咲く四月のバラ

人は生きる喜びを知る

恋は人を王者とし、黄金の王冠を授ける

風吹く丘の上に立ちて朝霧の中

2人は口づけを交わせば

この世の時は止まる

君の指がふれる時

歌うよろこびを私は知る

そう、真の愛は人生に多くの輝きをあたえる

素晴らしいものである

アマゾンの女戦士は実在したか?

   アマゾン河といえば、南米の大河である。この河の名の由来はギリシア神話に登場する弓矢をとり馬を乗り回す女戦士からきている。「a(否定)」+「mazos(マゾス、乳)」、つまり「乳なし」のこと。弓などの武器を使う時に右の乳房が邪魔になることから、切り落としたため「アマゾネス」と呼ばれた。1542年、インカ帝国を滅ぼしたピサロの元で新世界探検に参加したフランシスコ・デ・オレリャーナがアマゾン川の流域を探検した。途中、勇敢な女性戦士から攻撃を受けた、という記録がカルバハル神父によって残された。それがもととなってアマゾネスの伝説に因んだ地名がつけられた。しかし、現在では長髪の男戦士と間違えたと考える学者もおり、真偽は定かではない。

ボラーレ

114671138    ジプシー・キングスが歌う「ボラーレ」。ビールのCMで一度は耳にした曲で、思わずビールが飲みたくなる。1989年に情熱的なラテンでアレンジしたが、原曲はもちろんドメニコ・モドゥーニョが1958年サンレモ音楽祭で世界中にカンツォーネブームをまきおした名曲。ボラーレ(Volare)とはイタリア語で「飛ぶ」という意味だ。イタリア語には「ヴォ(vo)」が語の頭にくることが多い。地名のボローニャ、ボルツァーノ。人名ではボッカチオ、ボッティチェリ、ボニファティウス8世、チェザーレ・ボルジア、20世紀初頭の画家ウンベルト・ボッチョーニ。そしてルネサンスの巨匠ミケランジェロも正式にはミケランジェロ・ロドヴィコ・ブオナローティ・シモーニ。一般にブオナローテ・ミケランジェロという。(Domenico Modugno)

女性参政権

Photo
 ケイト・シェパード

   1918年1月11日、イギリスで30歳以上の女性に参政権を実現させた日である。ただし年間5ポンド以上の家賃を支払っている世帯主、あるいはその妻、など条件つきのものであった。イギリスで普通参政権が実施されたのは1928年のこと。世界初の女性参政権は、イギリスではなく、リチャード・セドン首相在任時のニュージーランドである。現在ニュージーランドの10ドル紙幣の肖像に使われているケイト・シェパード(1848-1934)は1893年に世界初の女性参政権実現に活躍したリーダーである。だが、日本ではそれより以前に高知県上町の女性、楠瀬喜多(1836-1928)が「戸主として納税しているのに女性だからといって選挙権がないというのはおかしい」と明治11年に県令に訴えている。明治13年、県令もその抗議に折れて、日本で初めて女性参政権を認める法令が成立している。ところが、明治政府は4年後に区町村会法を改訂して、女性を選挙から排除した法律をつくった。

   世界の主要国が女性参政権が成立した年は、1893年ニュージーランド、1908年オーストラリア、1906年フィンランド、1915年デンマーク・アイスランド、1917年ソ連、1918年カナダ・ドイツ、1919年オーストリア・オランダ・ポーランド・スウェーデン、1920年アメリカ、1928年イギリス、1945年に日本である。

    なお現在、国立国会図書館・図書課別室にはイギリスの婦人参政権運動家へレン・ブラックバーン(1842-1903)の「ヘレン・ブラックバーン・パンフレット・コレクション」のマイクロフイルムが所蔵されている。この資料の中には、選挙権実現の前年の動向を伝えるシェパードからブラックバーンに宛てた手紙もあり、女性参政権の世界的広がりを示す貴重な資料であろう。このほかアメリカのシカゴで初めてセツルメントを建設した社会事業家ジェイン・アダムス(1860-1935)、産児制限運動の指導者マーガレット・サンガー(1842-1903)関連の資料も含まれているという。

2017年1月10日 (火)

艱難辛苦、悪戦苦闘、臥薪嘗胆、危急存亡

Tsukuba20express20060   四字熟語というのは、何となく難しい感じがするが、そこがかえって格調高く、言葉が引き締まってくる。クイズ番組でも四字熟語からの出題率は高く、ちょっとした四字熟語ブームである。

   金八先生で有名な武田鉄矢が朝ドラ「純と愛」でやたら四字熟語を引用するという父親・善行の役だった。そしてかつて金八先生の薫陶の賜物か、生徒役だった三原じゅん子議員の建国の日のブログに「日本建国の理想は八紘一宇」、こんな事書いていたが、近年の予算委員会でも「八紘一宇は大切な価値観」と三原は発言している。

  知らない四字熟語もある。「蓬頭垢面(ほうとうこうめん)」という語もほとんど使われない。「君子ハ其ノ衣冠ヲ整ヘテ其ノ毀誉褒貶瞻視ヲ尊ブ。何ゾ必ズシモ蓬頭垢面ニシテ然ル後賢ト為サンヤ」(魏書)とある。ポーツマス条約に調印した小村寿太郎は蓬頭垢面の如くドラマで描かれていた。

  「唇歯輔車(しんしほしゃ)」相互が密接に助け合い、一方が亡びれば他方も危うくなるような関係のたとえ。

   「敢為邁往(かんいまいおう)」目的に向かって困難をものともせず、自ら思い切って、まっしぐらに進んでいくこと。

 「以杞包瓜(いきほうか)」高位の人がへりくだって賢者を求めること。

Batterypkg_img_1724    荷物に貼られた「天地無用」のラベル。四字熟語というよりも、四字漢語の類。「上下逆さにするな」と注意させる標示であるが、「上下関係なし」と誤解されることが多い。「天地反転無用」の省略されたものだが、反転といういちばん大事な言葉が抜けたから誤解が生ずることになった。

    以下、よく知られた四字熟語を縦横無尽、一気呵成に書く。阿鼻叫喚、暗中模索、意気軒昂、以心伝心、因果応報、慇懃無礼、温故知新、偕老洞穴、餓死病死、虚心坦懐、空前絶後、君子豹変、鶏口牛後、乾坤一擲、甲論乙駁、四面楚歌、周章狼狽、晴耕雨読、大器晩成、多岐亡羊、同床異夢、馬耳東風、貧者一灯、夫唱婦随、本末転倒、明鏡止水、優柔不断、羊頭狗肉。

クイズ番組で「十人十色のように同じ数字が2つ入る四字熟語を答えろ」という設問があった。一期一会、一木一草、一問一答、一喜一憂、一挙一動、一進一退、一世一代、一朝一夕、一言一句、遮二無二、三々五々、五分五分、九分九厘、百戦百勝、百発百中など。

「あ」 ファースト・ネームから引く人名一覧

Ina_claire_by_blood_of_the_dragond4   「広辞苑」「マイ・ペディア」などほとんどの事典の外国人名項目の配列は、ファミリー・ネーム(日本の姓にあたる)のカナ表記を本項目としているが、ファースト・ネームの50音順で配列した人名一覧が必要と思われる。「アイナ・クレア」 Ina Claire(1893-1985)はアメリカの舞台女優(右画像)。▽「アンリ・ミルヌ・エドワード」は1844年潜水服を着て探検した最初の科学者。▽「クマのプーさん」の作者はA・A・ミルン(1882-1956)。フルネームはアラン・アレクサンダー・ミルン。▽「アルドゥス・ピウス・マヌティウス」ルネサンス時代の出版人。

アアウセルラー・アペピ
アアシェフイトエムワセト
アアフメス
アアヤバータ
アイヴス・マガフィー
アイザック・アシモフ
アイザック・ウォルトン
アイザック・オリヴァー
アイザック・メリット・シンガー
アイザック・スターン
アイザック・ニュートン
アイザック・メリット・シンガー
アイス・キューブ
アイスキュロス
アイソポス
アイダ・ルピーノ
アイダン・クイン
アイナ・クレア
アイナル・ハンスン
アイバン・ライトマン
アイラ・フィッシャー
アイリス・チャン
アイリーン・キャッスル
アイリーン・ダン
アイリーン・プリングル
アイリーン・リッチ
アイリン・セジヴィック
アイルトン・セナ
アウグスティン・ルイ・コーシー
アウグストー・ジェニーナ
アウグスト・ストリンドベリ
アウグスト・フォン・ワッセルマン
アウケスト・マッケ
アウド・エゲーテ・ニッセン
アウラングゼーブ
アウレリウス・アウグスティヌス
アウン・サン・スー・チー
アーガー・ムハンマド・カーン
アガサ・クリスティー
アキ・カウリスマキ
アクセリ・ガレン=カレラ
アクバル
アグネス・スメドレー
アゴスティーナ・セガトーリ
アゴスティーノ・カラッチ
アゴスティーノ・キージ
アーサー・ウェリー
アーサー・ウェルズリー(ウエリントン)
アーサー・キース
アーサー・ジョン・エバンズ
アーサー・ジョン・クロンキスト
アーサー・ケストラー
アーサー・コナン・ドイル
アーサー・コンプトン
アーサー・C・クラーク
アーサー・ストリートン
アーサー・デヴィス
アーサー・ネビル・チェンバレン
アーサー・バルフォア
アーサー・ヒュー・クラフ
アーサー・ヒラー
アーサー・ペン
アーサー・ボイド
アーサー・ホリー・コンプトン
アーサー・ミラー
アーサー・ルイス
アーシア・アルジェント
アシュトン・カッチャー
アーシュラ・ティリット
アシュリー・グリーン
アシュリー・ジャッド
アシュリー・ティスデール
アショーカ
アーシル・ゴーキー
アスガー・ヨルン
アスタ・ニールセン
アストリッド・リンドグレーン
アストル・ピアソラ
アスパシア
アダム・エルスハイマー
アダム・サンドラー
アダム・シャール
アダム・スミス
アダム・ミツキエヴィチ
アダム・ラクスマン
アーダルベルト・シュティフター
アーチボルド・コックス
アーチボルド・ジョゼフ・クローニン
アッシュル・バニパル
アッテリオ・ガッティ
アッバス・キアロスタミ
アート・カーニー
アート・ガーファンクル
アドリアーン・ファン・オスターデ
アドリアーン・ファン・デ・ヴェルデ
アドリアーン・ファン・デル・ウェルフ
アドリアーン・ファン・デ・フェンネ
アドリアーン・ブラウエル
アドルフ・アイヒマン
アドルフ・ヴァレット
アドルフ・サックス
アドルフ・ティエール
アドルフ・バスチャン
アドルフ・ヒトラー
アドルフ・フォン・バイヤー
アドルフ・フォン・ヒルデブラント
アドルフ・ブーグロー
アドルフ・ベーム
アナ・ケンドリック
アナ・パキン
アナ・ファリス
アナイス・ニン
アナス・フォー・ラスムセン
アナスタス・ミコヤン
アナソフィア・ロブ
アナトーリイ・ステッセル
アナトール・フランス
アナベラ
アナベラ・シオン
アニー・エドソン・テイラー
アニー・ジラルド
アニー・ローラック
アニエス・バルダ
アニシウス・マンリウス・セベリヌス・ポエティウス
アニセー・アルビナ
アニタ・オデイ
アニタ・エクバーグ
アニタ・ムイ(梅艶芳)
アニタ・ルイーズ
アーニョロ・ブロンズィーノ
アベ・プレヴォ
アベリー・ブランデージ
アヌーク・エーメ
アーネスト・ヴァインシェンク
アーネスト・シェードザック
アーネスト・トレンス
アーネスト・ダウソン
アーネスト・トンプソン・シートン
アーネスト・バージェス
アーネスト・フランシスコ・フェノロサ
アーネスト・ボーグナイン
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
アーネスト・メイスン・サトー
アーネスト・ラザフォード
アーネスト・ローレンス
アネット・ベニング
アーノルド・シュワルツェネッガー
アーノルド・シューンベルク
アーノルド・ジョゼフ・トインビー
アーノルド・パーマー
アーノルド・ファンク
アビー・コーニッシュ
アビゲール・ブレスリン
アビラ・ヒロン
アービン・カーシュナー
アービング・バーリン
アブデュル・ハミト2世
アブド・アル・カリーム・カーシム
アプトン・シンクレア
アフマッド・スバルジョ
アブラハム・オルテリウス
アブラハム・ブルーマールト
アブラハム・ホンディウス
アブラハム・リンカン
アベベ・ビキラ
アベラール・エリウゲナ・アンセルムス
アベリー・ブランデージ
アベル・ガンス
アベル・ヤンスゾーン・タスマン
アマル・クルーニー
アマンダ・サイフリッド
アマンダ・バインズ
アマンダ・プラマー
アーマンド・アサンテ
アーミー・ハマー
アミルカレ・ボンキエッリ
アメデオ・アボガドロ
アメデオ・モディリアーニ
アーメッド・スカルノ
アメリア・メリー・エアハート
アメリカ・フェレーラ
アメリゴ・ベスプッチ
アーヤットラー・ルーホッラー・ホメイニー
アラ・ボリソヴナ・プガチョワ
アラム・ハチャトリアン
アラルート・ファン・エーフェルディンゲン
アラン・アーキン
アラン・アレクサンダー・ミルン
アラン・J・パクラ
アラン・シェパード
アラン・タネール
アラン・チューリング
アラン・ドロン
アラン・ドワン
アラン・パーカー
アラン・ベイツ
アラン・ラッド
アラン・リックマン
アラン・レネ
アリ・マッグロー
アリー・シーディ
アリー・ラーター
アリエノール・ダキテーヌ
アリエル・ラミレス
アリギエーリ・ダンテ
アリシア・シルヴァーストーン
アリス・オシュデ=モネ
アリス・ジーン・ウェブスター
アリス・ヒリアード
アリス・フェイ
アリス・マンロー
アリスタルコス
アリスティア・マクリーン
アリスティード・ブリアン
アリストテレス
アリストファネス
アリダ・バリ
アリッサ・ミラノ
アリーナ・カバエワ
アリーヌ・ルノワール
アル・ジャザリー
アル・ジョルスン
アル・パチーノ
アルヴァ・アールト
アルヴィーゼ・ダ・カダモスト
アルカンゲロ・コレルリ
アルキメデス
アルクイン
アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン
アルチュール・ランボー
アールト・ファン・デル・ネール
アルドゥス・ピウス・マヌティウス
アルトゥル・シュニッツラー
アルトゥル・ショーペンハウアー
アルトゥル・ランボー
アルトゥル・ルービンシュタイン
アルトゥーロ・トスカニーニ
アルノルト・シェーンベルク
アルバート・アーノルド・アル・ゴア・ジュニア
アルバート・スポルディング
アルバート・セービン
アルバート・タッカー
アルバート・フィニー
アルバート・ムーア
アルバロ・オブレゴン
アルバロ・デ・メンダーニャ・デ・ネイラ
アルビン・トフラー
アルビン・ハーベイ・ハンセン
アルフィーアス・ハーディー
アルフォンス・ガブリエル・カポネ(アル・カポネ)
アルフォンス・ド・ラマルティーヌ
アルフォンス・ドーデー
アルフォンス・ミュシャ
アルフォンス・ルゲロ
アルフォンソ・ガルシア・ロブレス
アルフォンソ・デ・アルブケルケ
アルフレッド・アドラー
アルフレッド・ヴェーバー
アルフレッド・キンゼイ
アルフレッド・ジョーゼフ・ヒッチコック
アルフレッド・ド・ミュッセ
アルフレッド・ドレフュス
アルフレッド・ハウゼ
アルフレッド・ハーシェイ
アルフレッド・ヒッチコック
アルフレッド・ビネー
アルフレッド・マーシャル
アルフレッド・ラッセル・ウォーレス
アルフレッド・ワルデルゼー
アルフレート・フォン・ヴァルダーゼー
アルフレート・フォン・ティルピッツ
アルフレート・フリート
アルフレート・ロタール・ヴェーゲナー
アルフレート・ローラー
アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタイン
アルベール・カミュ
アルベール・カルメット
アルベール・マルケ
アルベール・ルーセル
アルベルト・アインシュタイン
アルベルト・カイプ
アルベルト・クラウデ
アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ
アルベルト・ザッケローニ
アルベルト・ジャコメッテ
アルベルト・シュバイツァー
アルベルト・トンバ
アルベルト・フジモリ
アルベルト・モラヴィア
アルベルヒト・コルネリウス
アルブレヒト・アルトドルファー
アルブレヒト・ケンペル
アルブレヒト・デューラー
アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン
アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク
アルフレッド・キンゼイ
アルフレッド・コルトー
アルフレッド・シスレー
アルフレッド・ブーシェー
アルフレッド・ベルンハルト・ノーベル
アルフレッド・テニソン
アルフレート・ロータル・ヴェーゲナー
アルマン・ギヨマン
アルマン・ジャン・デュ・プレシ・ド・リシュリー
アルマン・ダヴィッド
アルマン・ヒッポリト・ルイ・フィゾー
アルレッティ
アレイスター・クロウリー
アレキサンダー・アガシ
アレキサンダー・アーキペンコ
アレキサンダー・アグリコラ
アレキサンダー・セルカーク(ロビンソン・クルーソーのモデル)
アレキサンダー・ポープ
アレクサンダー・カルダー
アレクサンダー・グラハム・ベル
アレクサンダー・ハミルトン
アレクサンダー・フォン・フンボルト
アレクサンダー・フレミング
アレクサンデル6世(教皇)
アレクサンデル・ドゥプチュク
アレクサンドラ・フョードロヴナ
アレクサンドル1世
アレクサンドル3世
アレクサンドル・イサエビチ・ソルジェニツィン
アレクサンドル・イヴァノビッチ・オパーリン
アレクサンドル・イワーノフ
アレクサンドル・ウリヤノフ
アレクサンドル・ギュスタブ・エッフェル
アレクサンドル・ケレンスキー
アレクサンドル・ゲルツェン
アレクサンドル・セルゲイビーチ・プーシキン
アレクサンドル・ニコラエビチ・スクリャービン
アレクサンドル・ソクーロフ
アレクサンドル・ソルジェニーツィン
アレクサンドル・デュマ
アレクサンドル・ネフスキー
アレクサンドル・ボロディン
アレクサンドル・ヤコブレフ
アレクサンドル・ロドチェンコ
アレクサンドロス3世(大王)
アレクシス・スミス
アレクセイ・シリッチ・ノビコフプリボーイ
アレクセイ・ニコラエビチ・コスイギン
アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー
アレクセイ・ミハイロヴィチ
アレック・ギネス
アレック・コックス
アレック・ボールドウィン
アレックス・インケルス
アレッサンドル・エヴァリスト・フラゴナール
アレッサンドロ・アローリ
アレッサンドロ・ヴェルテッロ
アレッサンドロ・ディ・カリオストロ
アレッサンドロ・デル・ピエロ
アレッサンドロ・バリニャーノ
アレッサンドロ・ボルタ
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
アロイス・アルツハイマー
アロンソ・デ・オヘーダ
アン・アーチャー
アン・サリヴァン
アン・シェリンダン
アン・ドヴォラク
アン・トッド
アン・バクスター
アン・ハサウェー
アン・ハーディング
アン・バンクロフト
アン・プライス
アン・フランシス
アン・ブーリン
アン・マーグレット
アン・ミラー
アン・ラドクリフ
アン・リー
アンゲラ・ドロテア・メルケル
アンジー・ディッキンソン
アンジェー・ワイダ
アンジェイ・ズラウスキー
アンジェラ・バセット
アンジェリカ・ヒューストン
アンジェリーナ・ジョリー
アンジェロ・ベオルコ
アンジェロ・ポリツィアーノ
アンジャネット・カマー
アンソニー・アシュレー・クーパー・シャフツベリー
アンソニー・ヴァン・ダイク
アンソニー・クイン
アンソニー・ニューリー
アンソニー・パーキンス
アンソニー・バージェス
アンソニー・ハピントン
アンソニー・ホプキンス
アンソニー・マン
アンソニー・ミンゲラ
アンディー・ガルシア
アンディー・フグ
アンディー・マクダウェル
アンディー・ラウ
アンデルス・セルシウス
アントナン・アルトー
アントニ・タピエス
アントニ・フォン・ダイク
アントニ・ファン・レーウェンフック
アントニア・ブレンターノ
アントニオ・ヴィセンティーニ
アントニオ・ガウディ
アントニオ・カルロス・ジョビン
アントニオ・グテーレス
アントニオ・デル・ボッライオーロ
アントニオ・バンデラス
アントニオ・ビバルディ
アントニオ・フォンタネージ
アントニオ・ボライウォーロ
アントニオ・マリア・アッバティーニ
アントニオ・ロッセリーノ
アントニオ・ロペス
アントニヌス・ピウス
アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク
アントネッラ・ルアルディ
アントネロ・ダ・メッシーナ
アンドリュー・カーネギー
アンドリュー・カミン・アーヴィン
アンドリュー・V・マクラグレン
アンドリュー・ロイド・ウェーバー
アンドリュー・ローソン
アンドルー・ガーフィールド
アンドルー・ジャクソン
アンドルー・マーヴェル
アンドルー・マッカーシー
アンドレ・カイヤット
アンドレ・ガルメット
アンドレ・ジード
アンドレ・ジャック・ガルヌラン
アンドレ・ブルトン
アンドレ・マッソン
アンドレ・マリ・アンペール
アンドレ・ミシュラン
アンドレ・モーロワ
アンドレ・ル・ノートル
アンドレア・オルカーニャ
アンドレア・デル・ヴェロッキオ
アンドレア・デル・サルト
アンドレア・パラーディオ
アンドレア・ピサーノ
アンドレア・フルヴィオ
アンドレア・ボッツオ
アンドレア・マンテーニャ
アンドレア・リーズ
アンドレアス・ヴェサリウス
アンドレアス・ルドルフ・ボーデンシュタイン・フォン・カールシュタット
アンドレイ・アンドレーエヴィチ・グロムイコ
アンドレイ・サハロフ
アンドレイ・タルコフスキー
アンドレ・マジノ
アンドレ・ル・ノートル
アンドレス・ボニファシオ(フィリピン革命指導者)
アントワーヌ・アンリ・ベクレル
アントワーヌ・ヴァトー
アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ
アントワーヌ・フランソワ・プレヴォ
アントワーヌ・ブールデル
アントワーヌ・ラヴォアジエ
アントン・イェルチン
アントン・ヴェーベルン
アントン・カラス
アントン・コーベルガー
アントン・ドボルザーク
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ
アントン・フランチェスコ・グラッツィーニ
アントン・ブルックナー
アントン・ヘーシンク
アントン・ラファエル・メングス
アンナ・カタリーナ・エンメリヒ
アンナ・カリーナ
アンナ・ガリエナ
アンナ・クラムスキー
アンナ・シュウエル
アンナ・ステン
アンナ・パキン
アンナ・パブロワ
アンナ・マニアーニ
アンナ・メイ・ウォン
アンナトン・アルトー
アンニーバレ・カラッチ
アンヌ・パリロー
アンヌ・ビアゼムスキー
アンヌ・ブロシェ
アンネ・フランク
アンネシュ・ベーリング
アンバー・ハード
アンブロシウス・ホルバイン
アンブロージオ・ロレンツェッティ
アンブロワーズ・ヴォラール
アンリ・エミール・ブノワ・マティス
アンリ・エドモン・クロス
アンリ・シャトリエ
アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
アンリ・ド・サン・シモン
アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック
アンリ・ド・モンテルラン
アンリ・ドカエ
アンリ・ナヴィエ
アンリ・バルビュス
アンリ・バンジャマン・コンスタン・ド・ルベック
アンリ・ピレンヌ
アンリ・ファンタン=ラトゥール
アンリ・フィリップ・ペタン
アンリ・フレデリック・アミエル
アンリ・ベクレル
アンリ・ベルクソン
アンリ・ベルヌイユ
アンリ・ポアンカレ
アンリ・マティス
アンリ・マンギャン
アンリ・ミルヌ・エドワード
アンリ・モアッサン
アンリ・ルイ・ベルクソン
アンリ・ルソー
アンリ・ロート
アンワル・サダト

「リ」事項索引インデックス

Img9c7eb4b008v7g3   リカオンは中型の犬くらいの大きさで、一見ハイエナに似る。白地に黒と黄褐色が不規則に入り混じり、尾先は白い。ほぼアフリカ一帯に広く分布する。▽「リアウ諸島」スマトラ島東方にあり、シンガポール南方に位置する。主な島はビンタン島。シンガポール海峡に面する諸島でもあり、周辺海域は通航船舶量が多い。▽「リサジュー図形」互いに直交する二つの単振動を合成して得られる二次元運動の軌道が描く図形。▽「リヴィエラ」フランス・イタリアにまたがる保養地として名高い地中海沿岸の地名。▽「李定国」明末の武将。張献忠の養子で、その四部将の一人。張の死後、明の永暦帝に従い、晋王に封じられた。永暦帝の死とともに1662年病死。▽「李提摩太(りていまた)」イギリス人宣教師ティモシー・リチャード。(りりり)

リアウ諸島(インドネシア)
リア王
リアス式海岸
リヴァイアサン
リヴィエラ
リウトプランド
リエカ(クロアチア)
リエゴ革命
リェージュ(ベルギー)
リオガジェゴス(アルゼンチン)
リオグランデ
リオデジャネイロ(ブラジル)
リオムニ(赤道ギニア)
リオン湾(フランス)
リカオン
リカードの比較生産費説
力道山
陸九淵
六朝文化
リークドシクティス・プロブマティカス
リクルート事件
里甲制
リゴリズム(厳格主義)
リサジューの図形
リーグニッツの戦い
李承晩ライン
リスボン
リーゼガング現象
リソホスファチデートアシルトランスフェラーゼ
リットン調査団
律令格式
リディア
李定国
李提摩太
リトアニア
理藩院
リビア
リービヒ
リベリア共和国
リマ症候群
リマン海流
リーマンショック
リリーマルレーン
リュクルゴス制
リューリク
梁啓超
聊斎志異
両シチリア王国
梁塵秘抄
両税法
旅順
リンガジャチ協定
リンカン
リンゴの歌
リンドバーグ
リンネ

黒騎士ジョヴァンニの頭蓋骨

ザ・プロファイラー。岡田准一がフィレンツェを訪問し、イタリアの傭兵隊長ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ(1498-1526)の半生を追う。彼が極めていたというルネサンス武術が後世海を渡り、フィリピンで「カリ」に変化し戦後アメリカ人によって広まった。

賽は投げられた

Caesarcrossesrubicon    カエサルは紀元前49年1月10日、手兵を率いて、ルビコン川のほとりに着いた。この小川はカエサルが軍事指揮権を持つガリア・キサルピナとポンペイウスの支配下のイタリア本国との境界になっており、軍隊を率いてこの川を越えると、国法にそむくことになる。カエサルはしばらく向こう岸をにらんでためらっていたが、ついに決心して進軍ラッパを吹かせた。

   「賽は投げられたり」とギリシアの喜劇作家メナンドロスのせりふをさけびながらカエサルがルビコンの流れに馬をのり入れると、全軍も彼に従って、ポンペイウスを討とうと一斉に川を渡った。

   ところでアドリア海に注ぐ世界史で最も有名なルビコン川が現在、どの川であるのか、実のところあまりはっきりしない。たくさんの川の中から、どうやらウソ川がそれだというが、嘘のようなホントの話である。(Caesar,Rubicon)

メトロポリスと東和商事

Metropolis4    1927年のこの日、フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」がドイツで公開された。川喜多長政(1903-181)が外国映画輸入配給業「東和商事」(現在の東宝・東和株式会社)を設立したのは翌年のことである。第1回作品はジエンナロ・リゲルリ監督の「大統領」スタンダールの小説、第2作品は冬季オリンピックの実写映画「銀界征服」、そして第3作目がこの「メトロポリス」である。昭和4年4月3日公開で、その年のキネマ旬報ベストテン第6位に選ばれた。無声映画は名匠、名優がそろい、芸術の至高をきわめていた。1927年の代表作には「第七天国」「肉体の道」「キートン将軍」「サンライズ」「暗黒街」「決死隊」「肉体と悪魔」「つばさ」「美人国二人行脚」「帝国ホテル」「戦艦くろがね号」「栄光」などがある。(1月10日)

トマス・ペイン

Paine   1776年1月10日、トマス・ペインが「コモン・センス」を発行、アメリカ独立の気運を高め、「人間の権利」はフランス革命にも影響を与えた。ペインはイギリスのノーフォーク州セットフォードで生まれた。父はクェーカー教徒で、コルセットの製造業者であった。若いときに船員、教員、税務官吏などをして非常に苦労し、また家庭においても最初の妻とは死別し二度目の妻とはうまくいかず不幸であった。ペインは1774年アメリカへ渡った。1776年に「コモン・センス」をフィラデルフィアで刊行する。その主旨は「政府は人がつくったものであるから、これに反抗しても神を冒瀆するものではない。イギリス政府は不正にみちている。それは君主の世襲制という不合理からきている。それゆえイギリス政府から独立して独自の政府をつくるべきである。植民地は独立する力をもっているし、この機会を逃せば永久に機会は二度しはない」というもの。すでに前年からイギリスとの武力衝突が始まり、アメリカは和解か独立かの決断を迫られていた。ペインは世襲君主制の否定とイギリス本国からの独立を当然の常識(コモンセンス)であると訴え、ワシントンは「多くの人々の心中に強力な変化を引起した」と評価している。その後ペインは南部に従軍しながら「危機(クライシス)」と題するパンフレットを執筆した。それはどれも「いまや魂の試練のときである。」という感動的な一句で始まっている。「コモンセンス」がアメリカ独立戦争(1775-1783)に与えた影響はよく知られているが、彼がフランス革命(1789-1799)にも大きな関わりがあったことは意外に知られていない。1789年7月14日、フランス革命は始まったが、その後の革命が進展するなかで、イギリスの下院議員エドマンド・バークの「フランス革命についての省察」に対して、ペインは1791年から1793年までに「人間の権利」第1部、第2部をロンドンで出版した。それはフランス革命を弁護するにとどまらず、共和主義の諸原則を表明するものである。人間の権利に基づいた統治形態は、西から東に向かって拡大し、代議制は最も優れた統治形態であり、憲法がその統治に必要不可欠であるとした後で、それらをともに備えているのはアメリカ合衆国のみであることを指摘している。その後ペインはジロンド派と行動をともにしたが、ナポレオンの独裁政権が樹立されると、1802年再度アメリカに移住した。だが最後のペインのアメリカでの7年間は失意のうちにニューヨーク市で死んだ。

   ペインの立場は思想的にはデモクラシーと立憲主義とを結合したものであった。それは明らかにアメリカにおける革命の成果にほかならない。デモクラシー革命が、まずアメリカに始まり、次いでその影響のもとにフランスに起こり、やがて全ヨーロッパに波及したものであるとすれば、デモクラシー革命の時代を象徴する思想家として、ペインにまさる人物はないであろう。(参考:阿部斉「トマス・ペイン」『ブリタニカ国際大百科事典』) Thomas Paine,Common Sense 1月10日

2017年1月 9日 (月)

阿蘭徳隆とは俺のことかとドロンいい

Sasurainoookami    トランプ次期大統領は中国の表記では「特朗普」と書くそうだ。漢字大国・中国はどんな外来語だって、すべて漢字に直す。ポッキーは「百奇」だし、グリコは「格力高」だ。どんな変てこな漢字を充てられようと、文句は言えない。アラン・ドロンは「阿蘭徳隆」という。漢字で書くと天下の二枚目も、くたびれた中年男の感じがする。ちなみにオードリー・ヘプバーンは「奥黛萠・赫本」。

  アダム      亜当

  アンデルセン  安徒生

  ハイドン     海頓

  コロンブス   哥倫布

  ゲーテ      歌徳

  グリム      格林

  ニュートン    牛頓

  シェークスピア 莎士比業

  ショパン     肖邦

  モーツァルト   莫扎特

  ゴッホ       梵高

  ベートーベン   貝多芬

 プーチン     普京

 ロダン        羅丹

 ペレ         貝利

 ヘミングウェイ   海明威

 ユーゴー      雨果

 ヒットラー      希特勒 

  ガンジー   拉吉夫・甘地 

 

探検の世界史

 Trirememosaicfromcarthage 未知の地域を踏破し、調査する事業を探検というが、探検の歴史はそのまま人類の地理的な知識の発展史といえる。 NHKスペシャル「幻の山カカボラジ」2014年3人の日本人登山家の登頂ドキメンタリー。あとわずかのところまで来たものの雪山で断念する。

前1100年 アッシリアのティグラト・ピレセル1世、ティグリス川を探る
前989年、周の穆王、洛陽からウルムチ、オムスク付近までを探る
前7世紀末 フェニキア人、エジプト王ネコ(前610~595)の命により、アフリカ海岸を探検
前630年  ギリシアのコラエウス、エーゲ海から地中海を渡り、ジブラルタル海峡を通る。初めて大西洋に達したギリシア人となる
前510年  ペルシアのシラックス、インダス川より出帆、アラビア半島をまわって、エジプトに至る
前470年  カルタゴのハンノ、アフリカの西海岸をシェルブロ海峡まで探検
前401年  ペルシアのギリシア人傭兵クセノフォンの脱出行(~前400年)
前332-326年  マケドニアのアレクサンドロス大王、軍勢をひきいて、中央アジア、エジプト、ペルシアを征服、インダス川に至る
前218年 カルタゴのハンニバル、軍勢をひきいて、スペインからアルプスを越え、イタリアに侵入
前120年 ギリシアのエウドクソス、エウエルゲテス2世によって、エジプトからインドへの海のルートを見つけるため派遣される
前56年 ローマのユリウス・カエサル、フランス・ドイツ・イギリスに遠征
前20年 ローマのストラボン、地理学的な情報を求めて、ヨーロッパ・アジア・エジプト、そしてリビアを旅行した
60-70年 ディオゲネスがナイルの源を見つける
84年    ローマのユリウス・アグリコーラ、イングランドを周航
97年    後漢の班超が甘英をペルシャ湾まで派遣
114年   ローマがメソポタミアまで遠征し、この時ローマ帝国の境域が最大となる
150年   プトレマイオス、「地理学」を出版
166年   大秦王安敦の使者が中国に来る
255年   ゴート人、ギリシアを侵略する
399年   法顕のインド旅行「仏国記」が書かれる(~414年)
629年   玄奘のインド大旅行(~645年)
730年   イギリスの聖ウィリーバルドがサウザンプトンからイェルサレムに至り、イギリス人として聖地に最初の足跡を残す
1291年  マルコ・ポーロの東方旅行(~1295年)
1325年  イブン・バトゥータがアフリカ・アラビア・ペルシア・インド・中国と大旅行(~1354年)
1445年  ポルトガルのジョアン・フェルナンデス、ヴェルデ岬を発見
1488年  バーソロミュー・ディアス、喜望峰に到達
1492年  コロンブス、北米発見
1497-1499年 アメリゴ・ベスプッチの航海
1498年  バスコダ・ガマ、インド航路の発見
1498年  ジョン・カボット、北米海岸を発見
1500年  カブラル、ブラジル発見
1501-1502年 アメリゴ・ベスプッチ、ブラジル海岸踏査
1508年  カボット、北米を探検し、ハドソン湾を発見し、フロリダまで達した
1513年  バルボア、太平洋を発見
1519-1522年 マゼラン一行の世界周航
1526年  カボット、ラプラタ川流域を探検(~1527)
1567年  スペインのメンダーニャ、太平洋を航海、ソロモン諸島を発見
1648年   セミョン・デジニョフ、ロシア・チュクチ半島のデジニョフ岬に到達
1768年  イギリスのジェイムズ・クック、世界周航に成功。ニューカレドニア諸島を発見
1849年  イギリスのリヴィングストン、カラハリ砂漠を超えてアフリカ奥地を探検。ザンベジ川およびヴィクトリア湖を発見(~1973)
1858年  イギリスのバリントンがスイスのアイガーを初登頂に成功。
1858年  イギリスのジョン・スピーク、ヴィクトリア湖およびナイル川の源を発見
1878~79年 スウェーデンのノルデンショルド、北極海からベーリング海峡をぬけ、北東航路をひらいた
1880年  イギリスのウィンバー、南米のチンボラソ山に登頂
1893年  スウェーデンのスウェン・ヘディン、チベットおよびモンゴルを探検(~1907年)
1909年  アメリカのロバート・ピアリー、北極点に到達
1911年  ノルウェーのアムンゼン、南極点に到達
1912年  デンマークの貨客船セランディア号、世界初のエンジンにより航海
1926年  アメリカのバードとベネット、飛行船で北極点飛行に成功
1927年  アメリカのリンドバーグ、大西洋の横断飛行に成功
1929年  アメリカのバード、南極にリトル・アメリカ基地を設営、飛行機で南極点上を飛ぶ
1953年  イギリスのヒラリーおよびネパールのテンジン、エヴェレスト山に登頂
1961年  ソ連のガガリーン、ヴォストーク1号に乗って、人類最初の宇宙飛行に成功
1969年  アポロ11号、人類初の月世界到達成功した。全世界の何十億の人がテレビを通じて見守る中を、アームストロングが初めて月面を歩いた人間となった。

13の恐怖

Triscuits アポロ13号は1970年4月11日、13時13分に打ち上げられ、ちょうど2日後の13日に爆発事故が起きた。

  欧米では「13日の金曜日」に悪い出来事が起こるという迷信がある。起源はイエス・キリストが磔刑されたのが金曜日とされるが、聖書には13日の記述はみられない。13という数字を嫌うことを、「トリスカイデカフォビア」というが、ヨーロッパのホテルや病院には13号室とか13階がないことも多い。13が忌み嫌われるのは、「はみだした数字だから」という理由と考えられる。原始時代、ものを数えるのに手の指10本と足2本で12までは数えられるが、13となると手足だけでは数えられないために嫌われたことに由来するという。triskaidekaphobia

人は病気しなければ120歳まで生きられる?

Moses_serpent1    90歳以上を「超高齢者」と呼ぶそうだが、人はいくつまで生きられるのでしょうか? PPK運動とか、PPKの法則という言葉があります。長野県が発祥地だとか、初めに言い出したのは評論家の樋口恵子だとか言われています。死ぬ間際まで健康で充実した生活をおくり、最後は、枯木が枯れるように、誰にも迷惑をかけずに安らかにあの世にいく、つまりピンピンと健やかに老いて、コロリと死ぬという意味です。水野肇・青山英康編「PPKのすすめ」(1998年)という本もあります。元気で長生きして半年か1年ぐらいで死ぬのが理想だといっています。だいたい100歳をメドにしているようです。でも古代ユダヤ人は、人は病気しなければ120歳まで生きられると考えていたようです。当然、心臓の限界や細胞が死滅するので人には寿命はありますが、現代医学でもだいたい120歳前後が世界最高齢者ですので、古代ユダヤ人の思想は正当といえそうです。モーセも120歳で亡くなっています。また仏教の世界でも人の一生は46000日といわれています。およそ120年です。

    世界最高齢の119歳と伝えられていたタイ北部メホンソン県の寒村に住むガム・トンナムチョクディーさんが2013年7月23日、死亡した。ガムさんは1894年5月8日生まれとされ、近く世界最高齢者としてギネス世界記録に申請するところだった。ガムさんの死因は事故死と考えられている。

内村鑑三不敬事件

021893_kumamoto_03m

    明治23年10月30日に発布された教育勅語について文部省はその謄本を作成して、全国の国公私立の学校に配布した。内村鑑三が嘱託教員として勤務していた第一高等中学校では、明治24 年1月9日にその奉読式を実施した。その際、内村は、拝礼が宗教性を帯びると判断して、偶像崇拝を否定するキリスト教の信念に従い、軽く会釈する程度の敬意を表することにとどめたが、生徒および教員の一部から、この内村の行為は皇室に対する不敬であるとの非難が発生し、同年1月から、その記事・論説の数は143、掲載新聞の数は56種に達したが、そのほとんどは、「不忠の臣」「外教の奴隷不敬漢」というものであった。生徒の中には、封筒の中にカミソリを入れ、「不敬者、これで腹を切れ」という手紙を出した者もいた。新聞報道などによって「不敬事件」として一挙に社会問題となったが、内村は自分がけっして勅語の趣旨を批判するものではないと弁明し、宗教上の拝礼ではなく社会的な敬礼であればと、たまたま病床にあったために友人の教授木村駿吉に代理敬礼を委嘱した。事件後1ヵ月も経たない同年2月3日病気を理由に同校を依願退職した。全国から激しい非難を浴びた内村は、その後、病床に就く。看病した妻加寿子は、心身の疲れから、急逝した。

   しかし、この機会にキリスト教の弊害を指摘しようとする国体論者や仏教界の一部などからの画策もあって、帝国大学教授井上哲次郎が「教育と宗教の衝突」を発表するや、問題は単なる内村の一「不敬行為」への糾弾からキリスト教一般への攻撃へと展開していった。内村は井上に反論する形で「基督教徒の慰め」を出版。内村は、孤立してでも自分の信仰を守ることを主張している。のちに丸山真男は「こういう事件は、直接の被害者はひとりか数人であっても、タブーを社会的に拡大し、無数の人々の思想に目に見えない統制を加えるという点で、大きな意味をもつわけであります」と分析している。(「思想と政治」1957年8月 信濃教育第849号)

2017年1月 8日 (日)

月光院

   月光院(1685-1752)は、徳川家宣の側室で、7代将軍家継の生母。側室としての名は喜世(きよ)が知られる。NHK土曜ドラマ「忠臣蔵の恋」で武井咲がヒロインきよを演じている。この忠臣蔵、吉良邸討ち入り→切腹で話は終わらない。赤穂義士の一人、磯貝十郎左衛門と契を交わしたきよが討ち入り後、大奥に出仕し、側室となり、やがてのちの将軍を産む。だが、「忠臣蔵の恋」のように、きよと磯貝とが恋仲であったかどうかはっきりとした歴史資料は見当たらない。ドラマの原作者、諸田玲子は「四十八人目の忠臣を書くにあたって主人公を磯貝十郎左衛門にした理由について「消去法によって四十七士を絞った結果」と講演で述べている。やはり、きよと赤穂浪士の関係は小説やドラマの中の話と考えるべきである。

平成スタートの日

S64heisei

   1989年1月7日、足掛け64年にわたった「昭和」が幕を閉じた。昭和天皇は87歳と8ヵ月のご生涯だった。翌日から新しい元号「平成」がスタートした。この年、亡くなった方々には著名人が多い。2月9日に漫画家の手塚治虫、4月27日に松下幸之助、6月24日に歌手の美空ひばりが他界している。この年はまだバブル景気といわれた後半の時期にあたる。消費者は高額商品を買うこと、「生活の豊かさ」を感じ、海外の高級ブランド品や高機能の家電製品を買いあさった。しかし1990年をピークに景気は下降し、バブルは崩壊し、長い平成不況が続く。俳優の平泉征は、このころ芸名を「平泉成」と改名した。すると脇役として次々が舞い込み、「平成」期になって売れ出した。(1月8日)

2017年1月 7日 (土)

「冬のソナタ」で、愛をさけぶ

    2001年、秋。春川、南怡島ではKBS新ミニ・シリーズ・冬のソナタ(ユン・ソクホ監督)の撮影がおこなわれていた。爽やかで清純なイメージのチェ・ジウと微笑みの貴公子ペ・ヨンジュンが96年「初恋」以後初めての共演となる作品でもあった。撮影は翌年1月に放送されるのでスケジュールは強行日程だった。まさかこの一本のドラマが、社会現象として韓流ブームを日本に与えるとは誰が予想しただろうか。あれから16年。ヒョンビン、チャン・グンソクと続々韓流スターが生れた。だが共演者のパク・ヨンハは自殺し、日本では大震災もあったり、日韓関係は再び険悪なムードに冷えている。悲しみの16年ともいえるが、冬のソナタの美しい思い出は永遠に消えない。BSで冬ソナが再放送される度に見てしまう。ソウルの制作会社PANエンタテインメントでは冬のソナタの続編の企画が進行中と聞く。ドラマには「白い恋人たち」がバックに流れていた。韓国平昌(ピョンチャン)冬季五輪ころには韓国、日本、中国で同時放送されたらいいのに・・・。

ツークシュピッツェ山

   ツークシュピッツェはドイツ・バイエルン州とオーストリア・チロル州の国境にある山。高さ2962mでドイツの最高峰である。カナリア諸島のテネリフェ島にあるテイデ山(ピコ・デル・テイデ)は高さ3718mで、スペイン領内にある最高峰である。Zuqspitze  Teide

泉隆寺の七草がゆ法要

Img_355540_11327972_0

    きょうは七草粥。春の七草を刻んで食べる。万病を除くおまじないであるが、おせち料理で疲れた胃を休める効能もある。泉隆寺(神戸市中央区)は古来から水はけが良く、良質の大根を産出してきたらしい。醍醐天皇のときにこの地で栽培した若菜(七草のすずしろ=大根)を宮中へ献上したのが由来となって、毎年1月7日に若菜をそえて、食する習わしが始まった。別名「若菜寺」と呼ばれる泉隆寺では、いまでも七草がゆ法要が行われている。

2017年1月 6日 (金)

オーストラリア大陸最高峰

  オーストラリア大陸でいちばん高い山はニューサウスウェールズ州にあるコジオスコ山で標高2228m。1840年、パヴェウ・ストシェレツキが初登頂し、アメリカ独立戦争の英雄コシューシコに因んで命名した。お隣りのニュージーランドは山の国で、クック山(標高3724m)、エグモント山(標高2518m)をはじめ素晴らしい山が多い。

カナダのロンドン?

Map_cambridgeontario    かつて宮城県仙台市と鹿児島県川内市は音は同じ「せんだい」だったが、2004年薩摩川内市に変更した。市で同名はないが、市と町、町と町では同名はある。岐阜県関市と三重県関町。太子町は大阪府と兵庫県にある。福井県小浜市と長崎県小浜町は雲仙市に編入された。富山県南栃市はフランスのナント市と音が同じ。1508年アンリ4世のナント勅令(ユグノーに信仰の自由を認めた)は世界史で重要事項。

    カナダ・オンタリオ州にはロンドン(人口35万人)という名の都市がある。tuq@カナダでは古くから学園都市として知名度があるようで、近くにはケンブリッジという町もある。もちろん英米にはボストン、ケンブリッジ、プリマス、ポーツマス、リッチモンドのように両国に同名の地名が多くある。英ハンプシャー州、米ニューハンプシャー州。クリーブランドはイギリスでは丘陵の地名だが、アメリカには4つもの都市がある。バッファローという市はアメリカ国内だけで29もある。テキサス州にはパリがあり、フロリダ州にはナポリという町がある。ジャマイカ島のキングストンは首都で有名だがカナダに同名の町がある。アナポリスはアメリカとブラジルに同名都市がある。(Plymouth,Buffalo)

イギリス面白雑話

Trivia   清教徒を乗せたメイフラワー号は、イギリスのプリマス港を出帆し、アメリカ東部マサチューセッツ州のコッド岬に到着し、翌月プリマスに上陸した。出発地と同名なのは出帆した港町にちなんで名付けたからである。▽イギリスには高い山がなく、穏やかな丘陵が延々と広がっている。最高峰はスコットランドにあるベン・ネヴィス山(天国の山の意味)で標高1343m。▽イギリス東岸から10㎞沖合いに自称国家「シーランド公国」がある。テニスコートくらいの広さで、1967年ロイ・バーツが独立宣言したが、世界中のどの国からも国家承認されていない。

Barbers_pole230 ▽理髪店の店先でぐるぐる回るサインポール。赤白青の3色が万国共通だが、なぜかイギリスだけは赤と白の2色の理髪店が多い。フランス国旗と同じ配色であるため、イギリスでは3色が普及しなかった。

オルレアンの少女

Img_0001
ロアール河に面したオルレアン大聖堂

   1412年1月6日、フランスのドムレミーという小さな村にジャンヌ・ダルクは生れた。13歳のとき「国王を助けて、祖国を救え」という神のお告げを聞いたといわれる。1428年5月、ついにジャンヌは、すべてを捨てて神のことばに従うことにした。当時のフランスは百年戦争のまっ最中である。フランス王シャルル6世の王妃イザボーとブルゴーニュ党は、イギリス王ヘンリー5世に通じフランスにイギリス軍を迎え入れ、アルマニャック党を滅ぼした。アルマニャック党の残党は、皇太子シャルルを連れて南フランスに逃れた。1420年、王妃イザボーはイギリスとトロア条約を結び、ヘンリー5世にフランスの王冠を与えた。そのため、フランスにはヘンリー5世とバロア家を継いだシャルル王のふたりが立ち、フランスは二つに分裂した。しかし質朴なフランスの農民たちは、戦争のたびに、田畑を踏みにじっていくイギリス兵をにくみ、太子シャルルに忠誠心をいだいていた。ジャンヌ・ダルクは、そういった農夫の娘の信仰だけは厚かった。ジャンヌは髪を切り、男装して、村から最も近いボークールーの町の守備隊を尋ねた。しかし、守備隊長は小娘のたわごととして相手にしなかった。1428年の秋、イギリス軍のオルレアン攻撃が始まり、敵がドムレミー村付近にも出没した。ジャンヌはあせりのうちにその年をおくり、翌年2月、敵中を11日間もくぐって、シノンにいる太子シャルルのところへたどりついた。ジャンヌは、この人こそフランスの王統を継ぐ人であり、フランスをイギリスの手から解放してくれる人だと信じていたからである。ところが、シャルルは戦意を失い、自信をなくしていた。ジャンヌが現れて、「私は神のおぼしめによって、あなたと王国を救うためにまいりました」というのを聞いても半信半疑だった。しかし、ふたりきりで話してみて、すっかり自信を得た。そして彼女に白みがきのよろいと、白い馬と、ユリの花の国旗を与えた。ジャンヌの出現を伝え聞いた農民たちは、兵糧と家畜をささげて、シノンへ集まってきた。ジャンヌは、白馬にまたがって、兵士の先頭に立った。奇跡が起こった。味方には「神の使者」とうつったジャンヌの姿は、敵には魔女に見えたのか、イギリス軍は恐れおののいてたちまち敗走してしまった。オルレアンは解放され、勝利の鐘の音が高らかに鳴り響いた。オルレアンはフランス中部、ロアール川中流の古都。オルレアン大聖堂をはじめ美しい建築が多い。(Jeanne d'Arc)

時は金なり

96ede4f38c164b34dd9d1d6b7e36d90d    本日は、1706年ベンジャミン・フランクリンの誕生日。1733年、フランクリンは格言入りのカレンダー「貧しいリチャードの暦」を出版した。

時は金なり

Time is money.

人とメロンは中味がわからぬ

Men and melons are hard to know.

生きんがために食え、されど食わんがために生くるなかれ

Eat to live,and not live to eat.

天は自ら助くる者を助く

Heaven helps those who help themselves.

早寝、早起きは、人を健康にし、金持ちにし、そして賢くする

Early to bed and early to rise,makes a man healthy,wealthy,and wise.

    いちばん有名なのは「時は金なり」だろう。すべてがフランクリンの創作というわけではないが、古いことわざにも彼の工夫が入っている。「時は金なり」の語源は複雑である。原典ははっきりとしないが、起源はかなり古く、ギリシアの哲学者ディオゲネスの文献に「時は人間が消費しうるものの中で最も貴重なものである」というのがあり、ローマの詩人ホラティウスは「その日を生きること」と言っている。そしてラテン語になって「時は高い出費」となる。16世紀フランスの作家ラブレーの文献にも見える。アメリカで最初に金言として使用したのはフランクリンだろう。フランクリンがカレンダーを出版し、勤勉に仕事にはげむことの大切さを簡潔な言葉に表したものとして、その功利精神がアメリカ人に広く受け入れられた。フランクリンの小論文「若き商人への手紙」(1748年)に次のようにみえる。「憶えておくこと。時は金なり」 (Remember,that Time is Money,1月6日)

大陸移動説

    気象学者のアルフレード・ロータル・ウェゲナー(1880-1930)は、大西洋をはさむ両大陸の海岸線の形がよく似ていることなどから、かつては一つで(パンゲアと呼んだ)それが2億年ほど前に今日のような大陸に分かれはじめ、ゆっくりといまの位置に移動してきたという学説を発表した。1912年1月6日のことだった。彼は1915年、この説をまとめて「大洋と大陸の起源」と題する著書を発表した。この本は、地質学の歴史始まって以来最大の論争と嘲笑の的になった。しかし1960年代末になって、ウェゲナーの説はプレートテクトニクス説の一部となって復活した。ウェゲナーが考えたとおり、大陸はいまも動いている。( keyword;Alfred Lothar Wegener )

Fig25globes

2017年1月 5日 (木)

松井須磨子の墓

E4c141eac3fb65f390685e698c14687e    東京都新宿区弁天町の多聞院に大正時代に一世を風靡した新劇女優松井須磨子の墓がある。長野県清野村に生れた須磨子は17歳で上京。1908年坪内逍遥が主宰する文芸協会演劇研究所第1期生になる。1913年、演出家島村抱月と芸術座を旗揚げし、トルストイ原作の「復活」のカチューチャ役が当たり人気女優になる。「カチューシャの唄」も大ヒットし、日本の流行歌第1号といわれる。しかし、1918年抱月はスペイン風邪のため急死すると、2ヵ月後の1月5日に後を追って自殺した。その遺書には抱月と同じ墓に埋めてほしいと書かれていたが、はたされなかった。

2017年1月 4日 (水)

相馬翠

    相馬翠(1911-2003)は医学校を卒業し、将来は女医をめざしていた。昭和9年、泉正雄と結婚し、神奈川県二宮町に住んだ。昭和19年に夫は出征し、その後、シベリアで抑留生活を送る。昭和22年1月4日、樺太からの引揚者1013人を乗せた間宮丸が函館港に入港。ソ連からも2500余人が舞鶴に入港するという知らせがあった。

      昭和22年1月5日

「第ニ船が明後7日に入港する」と、今ラジオが言いました。これに乗っていて下さいますように、そしたら半ばごろには帰宅できますものね。ナホトカに残っていたら大変だと心配する。零下60度とか。ペチカが焚けないとか聞いたが、生きていられなくなりはしないかと限りなく心配になる。どうかお元気であって下さい。妻子母が待っていますよ。

   夫の泉正雄はこの年の5月に無事に帰国し、のち知足寺の住職となる。神奈川県二宮の浄土宗知足寺は、正式名・塩海山花月院知足寺といい、曽我兄弟の墓で知られる(ただし曽我兄弟の墓の所在地は全国に14ヵ所あるという)。この墓は当時の浩宮殿下も参詣したこともある。(参考;「戦場は星空の彼方に 夫の生還を祈る女医の日記」 相馬翠 毎日新聞出版 1980)

2017年1月 3日 (火)

おでん種ランキング

    おでんが食べたくなる季節。高浜虚子のおでん好きはよく知られる。「志 俳諧にあり おでん食ふ」。2016年「おでん種、大人が好きなランキング」の結果は第1位は「大根」だった。

Photo_4 1位 だいこん
2位 玉子
3位 ちくわ
4位 こんにゃく
5位 餅入り巾着
6位 はんぺん
7位 しらたき
8位 牛すじ串
9位 じゃがいも
10位 さつま揚げ

年賀状の由来

Thumb5

   郵便も やや遠のきし 六日かな (蘭聚)

江戸時代には武家も町人も、年始回りで、新年の挨拶をした。江戸城には元日早朝から、将軍家に挨拶する人たちがぞくぞくと集まってきた。町人も得意先や近所に年始回り。職人は親方のところへ、子供も寺子屋のお師匠さんに挨拶に行った。ただ、年始回りに行ったが、先生も年始回りに行って留守だった、とか、あまりに年始客が多すぎていちいち顔を出していられない、という場合もあった。そういうときは、玄関に置いてある帳面に名前を書いて帰った。それでも、先生の家が遠方だったりして、どうしても回りきれないところが出てくる。そのため、松の内が終わってから、年賀状を書いて飛脚に託したり、お使いの人に持って行かせたりした。

   明治になっても、年始回りの習慣は続いた。ただ、社会的にも個人的にも人々の交際範囲は広がり、松の内の年始回りでは追いつかなくなった。いきおい、年賀状ですませるのだが、その時期に日本にも普及しだした郵便制度である。明治6年、郵便葉書の発行により、はがきで年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。もちろん、このころは年が明けてから書いた。

   ところが、知恵者がいて、正月に配達する年賀状を暮れのうちから受けつけたらどうだろう、と思いついた。明治32年、年賀郵便特別取扱制度ができた。明治38年には全国どこの郵便局でも前年のうちに年賀状を受け付けることになった。(1月1日)

鴎外、漱石の墓

    明治29年1月3日、根岸の子規庵で俳句会が催された。第1回には夏目漱石、内藤鳴雪、高浜虚子、五百木瓢亭、河東可全、第2回には森鴎外、河東碧梧桐らが加わった。つまり子規、漱石、鴎外の3人が揃ったのはこの時だけであろう。記録によれば、漱石と鴎外が会ったのはこれが初めてであり、両者は互いに言葉をかわすことはなかったという。実際に5歳の年の差があり、漱石が作家となったのも鴎外の存在があったからであるという江藤淳の指摘がある。表面冷ややかで無関心を装い、鴎外と漱石の親しい交友は生まれなかったがお互いに敬意を抱いていたと思われる。

Photo_3
三鷹禅林寺 鷗外墓 隣に後妻の志げ子の墓がある

Img_1038371_25558995_0
 雑司ヶ谷霊園 漱石、鏡子、ひな子(五女)

2017年1月 2日 (月)

妻を娶らば陰麗華

   秦滅亡後の楚漢抗争に勝利した劉邦が漢帝国を建国したが、14代孺子嬰が、重臣王莽によって帝位を簒奪され滅亡してしまう。その後、王莽が新王朝を建国するも、暴政から国内は混乱、各地で反乱がおこる。中国歴史ドラマ「秀麗伝~美しき賢后と帝の紡ぐ愛」は、時代を動かすほどの強い絆で結ばれた2人が、漢王朝の復興を目指し、後漢王朝を建国するまでを描く。陰麗華(西暦5~64)は劉秀と同じ南陽郡の新野県出身の豪族陰氏の娘で、近隣でも評判の美人。若き頃の劉秀は、「士官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」と夢を語っていた。

一富士二鷹三茄子はなぜこの順番か?

   古来から目出度い夢の順序をいったものに「一富士、二鷹、三茄子」が夢に現れれば吉兆とされているが、科学的にはなんの根拠もない。その由来についても諸説ある。「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭」で駿河国の名物をうたったものだという説がある。また曽我兄弟の富士の裾野の仇討ち、鷹の羽根のぶっちがいを紋所とする赤穂浪士の仇討ち、荒木又右エ門の伊賀上野の仇討ちを暗示しているという説もある。近頃の説では、「一富士」は「不死」に通じ、「二鷹」は「高・貴」に通じ出世栄達、「三茄子」は「成す」に通じ子孫繁栄を読み取り、人間の三大欲望が叶えられる吉兆としての初夢縁起とするものである。「扇」は末広がりで、「煙草」は煙がたち昇る、「座頭」は髪をそった盲人のことをいい、毛がない、つまり「怪我ない」に通じる。

また、単純に、富士は日本一の山であり、鷹は強い鳥、茄子は物事が「成す」にひっかけたものという説もある。ちなみに、このあと四は葬式、五は火事という説もある。一見、縁起が悪そうだが、夢で出会えば、実人生では出会わない、と解釈されている。(1月2日)

朝日・毎日の全国制覇(大正末期)

    関東大震災によって、東京を本拠とする新聞社・国民新聞、時事新報・報知新聞などは大きな打撃を被った。ところが、東京朝日・東京日日は、本社が大阪にあるので、復興もはやかった。東京朝日新聞社は、ただちに編集局を帝国ホテルに置いて発行をつづけた。朝日新聞社は、大正14年、日本ではじめての訪欧飛行を実施し、二機の朝日新聞社機が、中国・シベリアを経由してローマへ飛んだ。大阪毎日新聞は、大正13年1月1日付で、部数100万部突破の社告を出す。大阪朝日新聞も同年1月2日付で100万部突破の社告を出した。朝日・毎日は、このころから名実ともに全国紙としての地位にのし上がった。

    昭和2年、数寄屋橋に朝日新聞社が竣工した。のちに、隣に日本劇場が建ち、有楽町は銀座の中心としての地位を確立する。同じころ、大阪には朝日会館が竣工した。展示会場とホールを備え、大阪文化の中心となる。

2017年1月 1日 (日)

成島柳北「歳旦の口占(こうせん)」

婦子朝來甑塵を掃う 

蕭條たる破屋又新春 

書を売り剣を売りて家貲盡く 

幸ひに是れ先生未だ身を売らず

語釈 「歳旦」とは元旦。新年の第一日。「口占」とは詩文を作るのに、草稿を書かず口ずさんで文案を作る。通釈、朝早くから、妻や娘が台所で鍋墨を落とす音の聞こえるのは、貧乏暮らしのこの破屋にも、新年が訪れて来たのだ。思えば年々に生計は苦しくなり、書画を売り刀剣を売り払って、家財も今は尽き果てているが、幸いにこの家の主人柳北先生(私)は、まだその身を売り物にするまでにはおちぶれぬ。

ヴェッターホルン

  スイスのヴェッターホルンは、標高こそ3701mと4000mには届かないが、グリンデルワルトの町から眺められる山々のなかで「たった一人の山」(浦松佐美太郎著)の舞台として日本人が親しく感じる山の一つである。1854年、サー・アルフレッド・ウイルスがヴェッターホルンを登攀した。この登攀は「アルプス高地逍遥」という本にくわしく書かれ、イギリス人の登山に対する関心を高め、アルプス黄金時代の登山の幕開きを告げるものとして高く評価されている。Wanderings among the Hight Alps

謎の紅組勝利

   昨夜の紅白歌合戦は紅組の勝利で終った。だが中間発表では白組が圧倒的に優勢で、司会の有村架純もなんでって顔して驚いていた。つまり視聴者や会場の投票は票数に関係なく上回った方に2票入るといシステムである。10人のゲスト審査員とふるさと審査委員は9票が紅組へ、2票が白組へ投票された。その結果、紅組9票、白組6票だった。

正月に髑髏を持って「御用心」

8189bb70

   一休和尚は正月早々、竹棒の先にされこうべをさすと、洛中へと歩き出した。町中に入ると、家々の門の口にこの髑髏を差し出して、「御用心、御用心」といいながら、歩きまわる。正月気分で祝っているところへ、髑髏であるからたまったものではない。どの家も門を閉ざしてしまった。

   一休いわく「この髑髏よりめでたいものはない。目が出て、穴ばかりが残ったのを目出たしという。人間、死んでこの髑髏にならねば、めでたいことはひとつもない」一休、歌っていわく。

 門松は 冥途の旅の 一里塚

    めでたくもあり めでたくもなし

 (参考:『禅門逸話選』 禅文化研究所)

おせち料理の由来について

新しき年の始の初春の今日降る雪のいや頻(し)け寿詞(よごと)

   大伴家持

Photo_2  元日の朝、正月のお祝い膳にかかせないのが「おせち料理」である。「おせち」とは御節供(おせちく)のつまったもので、昔は五節供の節目に用いられる料理のことをいったが、次第に正月の料理だけをいうようになった。節料理の「数の子」「田作り」「黒豆」などには、多産、豊年、長寿、家内安全の祈願が込められている。

   「数の子」は、にしんの卵だが、「二親・にしん」から、たくさんの子がうまれてめでたいと、子孫繁栄の縁起をかついでいる。

 「田作り」は、ごまめともいい、かたくちいわしのの幼魚を炒って飴煮したもの。昔たんぼの肥料に使ったところ、たいへん米がとれたため、豊年万作を祝う農民が正月に田作りを食べるようになった。

   「黒豆」は、一年中の邪気を払い無病息災を願って屠蘇で祝うが、そのときに用いられる祝い肴のひとつ。黒豆(くろまめ)・まめ(丈夫)に暮らせるようにという縁起に因んだもの。 

 「昆布巻き」は、昆布と「よろコブ」をかけて幸福を願う。

 「鯛」は、鯛と「めでタイ」をかけて幸福を願う。

   「屠蘇」とは魏の名医華佗の処方という、年始に飲む薬・屠蘇散に由来する。屠蘇散を入れて、酒・みりんに浸して飲む。一年の邪気を払い、齢を延ばすという。平安時代から行われている。(1月1日)

参考:『江馬務著作集5』 中央口論社 P191~196

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

最近のトラックバック

2017年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28