ベトナムのチャン朝、蒙古軍を撃退
鎌倉時代、日本には2度にわたりモンゴル軍が襲来してきたが、モンゴルから国を守り退却せしめたのは日本だけではない。ベトナムは1257年、1285年、1288年の3回モンゴルの攻撃を受けたが、いずれも撃退した。13世紀のベトナムは北の陳朝と南のチャンパ王国に分かれていた。チャン(陳)朝は蒙古襲来により衰退の一途をたどり、1400年に黎季犛(れいきり)によって滅ぼされる。
1288年3月、興道王チャン・クオック・トゥアン(チャン・フン・タオ 陳国峻)が白藤江の戦いでドカン率いる元軍水軍を撃破。チャンは、内地から湾へ抜けようとする元軍を待ち受け、あらかじめ川の中に杭を打ち込み、草でおおい隠しておき、満潮時に戦闘を仕掛けて逃れるふりをして元軍をおびき寄せた。まんまと罠にはまった元の水軍は、杭に引っ掛かって壊滅的な打撃をこうむり、元の侵攻は失敗となる。
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