無料ブログはココログ

« スーラとマリア・カラス | トップページ | メルカトル図法 »

2016年12月 2日 (金)

龍田丸、最期の航海

Img_0005_2
 海の女王・龍田丸

Tattamaru
 司厨長・板倉作次郎による料理は評判だった

   日米開戦が噂される中、昭和16年12月2日、日本郵船の豪華客船龍田丸(16955トン)が静かに横浜港を出航した。行く先はロサンゼルス経由バルボア(パナマ)である。大本営は龍田丸の出航停止を検討していた。しかし、それでは日米開戦を知らせることになってしまう。そこで当初11月20日であった出航日を、12月2日に変更させることにした。11月20日の場合、ロス着12月3日、バルボア着17日、18日ごろになる。真珠湾攻撃日が決定されている以上、バルボアでは確実にアメリカ軍に拿捕されることが明らかである。そこで、日程をずらした。12月2日に出航した龍田丸は、12月8日は、まだ180度あたり(日付変更線)なので、敵に拿捕されないギリギリの地域でUターンし、全速力で横浜に向かい、12月14日横浜に寄港した。この計画を知っていたのは、乗船した海軍軍務局の市川少佐と本村船長だけだった。

    龍田丸は航海運航終了後は海軍に徴用された。昭和18年2月8日、風速20mの暴風雨の中、トラック島に向けて横浜港を出航した龍田丸は、米潜水艦ターホンの雷撃を受け、御蔵島近海で沈没した。乗組員198名、乗船員1283名、全員死亡、生存者は一人もいないという悲劇的な最期を遂げた。太平洋横断を100回以上を超えた龍田丸Ⅰ世(1930-1943)は今も東京湾から南西約200㎞の御蔵島沖に静かに眠っている。

« スーラとマリア・カラス | トップページ | メルカトル図法 »

「日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« スーラとマリア・カラス | トップページ | メルカトル図法 »

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31