龍馬、総司の墓所
幕末青春群像のなかで圧倒的人気は坂本龍馬と沖田総司であろう。対照的な二人の青春の軌跡であるが、若くして燃え尽きた点では共通している。享年龍馬31歳、総司27歳(一説では25歳)である。坂本龍馬(1835-1867)は慶応3年12月10日京都近江屋で中岡慎太郎とともに惨殺された。墓は京都霊山護国神社。
沖田総司(1842-1868)は龍馬より7つ年下である。沖田は不幸なことに、胸を患い、千駄ヶ谷池尻橋の植木屋平五郎の離れで慶応4年7月19日に病没。享年は25歳説と27歳説がある。一般に知られている25歳説は、沖田の口碑として伝えられている。27歳説は、小島鹿之助の「両雄実録」と、文久3年の浪士組上洛時の名簿が早川文太郎、千葉弥一郎のもの、とともに22歳と記していることによる。25歳説では弘化元年(1844年)、27歳説では天保13年(1842年)の生まれということになる。東京・元麻布の専称寺に墓がある。
龍馬の妻楢崎龍、一説によると総司にも石井秩という妻がいたらしい。身長は龍馬が大柄、総司が小柄と対照的である。もし2人が明治まで生きていれば日本はどのようになっていたであろうか。
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