日米開戦前夜
開戦・・・。昭和16年12月8日、午前3時19分(ハワイ時間12月7日午前7時49分)、日本海軍第一次攻撃隊がハワイ・オアフ島の真珠湾に集結していたアメリカ太平洋艦隊の主力部隊を攻撃開始。三分後、渕田美津雄第一次攻撃隊長は「トラ トラ トラ」と奇襲成功電報を打つ。第一次攻撃は一時間あまりつづく。奇襲攻撃は山本五十六連合艦隊司令長官の発案で、緒戦にアメリカ太平洋艦隊の主力を撃破して、南方作戦をスムースに展開させるとともに「米国の海軍および国民の士気を救うべからざる程度に阻喪させる」意図のもとに決行。つづく第二次攻撃171機の攻撃が約一時間つづく。日本海軍は、戦艦六隻(オクラホマ、アリゾナ、カリフォルニア、ウェストバージニア、ネヴァダ)、重巡1隻を撃沈、戦艦2隻(メリーランド、テネシー)、重巡1隻、軽巡6隻、駆逐艦3隻、補助艦3隻を大中破、飛行機300~400機を撃破する戦果をあげた。
この日ハワイは、日曜日で休日を楽しもうとしていた矢先であり、多くの人が初めは演習と思った。米軍は「真珠湾攻撃さる、演習にあらず」と各方面に打電。アメリカの被害は史上空前で、逆にアメリカ軍民の士気を一気に高め「リメンバー・パール・ハーバー」となる。野村・来栖両大使はハル長官に最後通牒を渡す。米英両国に対して宣戦布告。午前7時、臨時ニュース放送「大本営陸海軍十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れリ。」
あの日から77年。安倍首相はオバマ大統領とハワイで会談し、真珠湾攻撃の犠牲者を追悼する。ハワイ訪問は安倍が現職初ではなく、1951年に吉田茂が真珠湾を訪問している。
« 貧乏人は麦を食え | トップページ | ジョン・レノンの眼鏡 »
「日本史」カテゴリの記事
- 1日3食なのはなぜ?(2019.12.14)
- お蔭参り(2019.11.18)
- 明暦の大火(2019.10.17)
- 蛮社の獄(2019.02.14)
- 観応の擾乱(2019.10.26)
コメント