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2016年11月18日 (金)

油小路の決闘

Img015   慶応3年3月10日、尊攘思想を抱く伊東甲子太郎は、新選組を脱退し、御陵衛士として五条橋東詰めの長円寺に移り、そのあと東山高台寺の塔頭・月真院に移った。月真院の門前に「禁裏御陵衛士屯所」の標札をかかげた。一派は高台寺党、あるいは伊東派と呼んで、近藤らの本隊と区別している。14名の名を挙げておこう。

   鈴木三樹三郎、篠原泰之進、新井忠雄、毛内有之助、服部武雄、斉藤一、藤堂平助、加納道之助、富山弥兵衛、阿部十郎、内海二郎、中西登、橋本皆助、清原清である。

   この中で斉藤一は、近藤側の間者として送り込まれていて、内部の様子を逐一、報告していたようだ。

   11月18日、伊東は近藤、土方の饗応の帰途、油公路木津屋橋通りで、大石鍬次郎ら新選組の闇討ちによって斬殺された。土方の指図で、伊東の屍は七条油公路の四ツ辻へ放置した。必ず高台寺の一派が死体を取りにやって来ると読み、新選組の40余人の者が遠巻きにして取り囲んだ。そこに伊東の横死を聞いて駆けつけたのが、篠原、鈴木、加納、藤堂、服部、毛内、富山の7人である。40余人との斬り合いは激しく、「油公路の惨劇」として知られるところだ。藤堂、服部、毛内、藤堂の4人は斬り死にした。幸運にもこの惨劇を免れた3名の者たち、篠原泰之進(1829-1911)81歳、鈴木三樹三郎(1837-1919)83歳、加納道之助(1839-1902)62歳は、いずれも天寿を全うしている。

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切り死にした4人の名に、「藤堂」が二回書かれています。

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