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2016年11月13日 (日)

女優岡田嘉子の帰還

Okada3    岡田嘉子(1902-1992)は昭和47年11月13日、ソ連から34年ぶりに一時帰国した。メディアは往年の人気女優をこぞって紹介した。懐かしむ世代、岡田嘉子を全然知らない世代にはっきりと分かれたのも珍しい光景であった。 

    昭和12年12月30日、新劇女優・岡田嘉子と新協劇団演出家・杉本良吉は、樺太を訪れ、翌13年1月2日、気屯(けとん)に入った。そしてこの日朝9時30分に馬橇で気屯を出発し、午後3時30分に半田沢警部補派出所を慰問したのち、国境標識の見学に出かけた。二人は半田沢の地で馬橇から降りると、杉本がピストルを持っているかのように装って、御者を脅かし、ひるむすきに手をとりあって越境、午後4時すぎソ連領土内に姿を消した。杉本はプロレタリア演劇運動の旗手で、6年前にも入ソを試みたが失敗している。二人の越境はかなり前から準備されており、杉本は弾圧で壊滅状態にあった共産党再建のために、コミンテルンと連携する任務が与えられていた。入ソ後、杉本はソ連当局にスパイ容疑で不当に逮捕され、昭和14年10月20日、銃殺されていた。岡田は太平洋戦争中はハバロフスクで対日ラジオ放送のアナウンサーをする。戦後はモスクワ放送に移ったのち、演劇大学で学び卒業公演で「女の一生」を演出した。1992年、モスクワの病院で、誰にも看取られることなく亡くなった。享年89歳。

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コメント

岡田嘉子の帰国、子供でしたが記憶しています。美しい人だな、と思いましたが、その後、杉本良吉には、病床の妻がいた事、ソ連に渡ってから拘束されての、杉本の拷問による悲鳴を聞きながらの取り調べ、など岡田嘉子自身の回顧本で知り、複雑な気持ちになりました。また、懐かしい日本に帰国したものの、失望してソ連に戻ったとのこと。

ふと思ったのですが、「岡田」という姓の俳優、女優、歌手が多いですね。岡田嘉子、岡田時彦、岡田茉莉子、岡田真澄、岡田可愛、岡田有希子、岡田奈々、岡田准一…

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