鋼鉄王カーネギー
本日はアメリカにおける立身出世物語の典型的な人物・鋼鉄王アンドルー・カーネギーの誕生日。作家ドス・パソスは次のような簡潔な歌で表現している。
アンドリュー・カーネギー(1835-1919)はスコットランドのダブリンで生まれ、移民船に乗って、合衆国にやってきた。紡績工場で糸巻運びの少年となって働き、ボイラーを焚き、週給二ドル半で、糸巻工場の事務員となり、ウェスタン・ユニオンの配達夫として、フィラデルフィアの町をかけまわり、モールス信号を習ってペンシルヴェニア鉄道の電信技師となり、南北戦争中には陸軍の電信技師となり、そしてつねに給料を貯え、一ドルでも手にはいると、それを投資した。アンドルー・カーネギーはアダムス・エキスプレスとプルマンの株をそれが下落したときに買いはじめた。彼は鉄道に望みをかけ、彼は通信事業に望みをかけ、彼は運輸事業に望みをかけ、彼は鉄鋼業を信じた。アンドルー・カーネギーは、鉄を信じ、鉄橋、べッセマー工場、デラスト溶鉱炉、圧延工場を信じた。アンドルー・カーネギーは石油を信じ、アンドルー・カーネギーは鋼鉄を信じ、つねに金を貯え、百ドルが手にはいれば、いつでもそれを投資した。アンドルー・カーネギーは世界一の富豪になり、そして死んだ。(ドス・パソス、並河亮訳「U・S・A」)
カーネギーは、1901年鉄鋼大合同によって資本金10億ドルのUSスチール会社が成立すると、カーネギー製鋼会社を売却して引退した。晩年は慈善王として知られ、カーネギー工科大学、カーネギー財団などを設立して社会に貢献する一方、その莫大な資産を教育研究機関・平和機関に投じるなど、慈善事業家として有名になった。(11月25日)
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