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2016年11月28日 (月)

太平洋記念日 マゼランとエルカノ

103   1520年のこの日、マゼランが南米最南端の海峡を通過して、この海をPacific Ocean(平和な,穏かな大洋)から「太平洋」と命名した。ただし、西洋人として太平洋を初めて見たのは、1513年スペインの探検家バルボアである。

    1519年9月20日、マゼランはスペイン南西部の港町サン・ルーカル・デ・パラメダから世界周航に向けて5隻の船で出航した。「世界を一周した最初の人は?」と問えば、おそらく誰でも「マゼラン」あるいは「ポルトガル人のフェルナン・デ・マガリャンイス(マゼランは英語名)」と答えるだろう。しかし実際はマゼランはフィリピン諸島のマクタン島(セブ島附近)で住民に殺されてスペインには帰還していない。わずかの部下たちが2隻の船で帰路についたが、途中1隻は難破してビクトリア号だけが1522年9月6日、3年ぶりにスペインのセビリャのサンルカル・デ・バラメダ港に到着した。船長はスペイン人で、名前はフアン・セバスティアン・エルカノ(?-1526)という。(カノともデル・カーノ、エルカーノとも表記される)

   この世界周航により、地球が球形であることは実証された。探検者はエルカノであるが、その栄誉はすべてマゼランに与えられることになっている。だがエルカノの航海術がなければこの壮挙は達成できなかったであろう。思えばエルカノは世界史上で偉大な功績を残しながら、あまり知られていない人物かもしれない。二、三の注目すべき点をあげてみる。エルカノはもともとビクトリア号の船長ではなく、最初の5隻のうちの1隻コンセプシオン号の船長で、セント・ジュリアン港では叛乱の一味だった。マゼランの戦死により、航海の跡を継いで偉業を達成したのである。帰還コースは東周りのマゼラン海峡を通らず、西廻りを選んだ。このことはポルトガルの支配領域であるインド洋を通ることであり、拿捕されるリスクもあるが、途中寄航せずに喜望峰を通過した。エルカノとロードスの騎士アントニオ・ビガフェッタが帰還したおかげでマゼランの航海の記録が残されることになった。帰還者はわずか18名で(出発時は総勢265名)、飢えと壊血病のため半死半病であった。エルカノは4年後、2度目の世界一周の航海の途中に太平洋上で栄養失調で亡くなっている。( マガリャエンシュ,Magellan,Juan Sebastian Elcano,Sanlucar,11月28日 )

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