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2016年11月 9日 (水)

葉山日陰茶屋事件

    新らしき女の道      伊藤野枝

 新らしい女は今までの女の歩み古した足跡を何時までもさがして歩いては行かない。新らしい女には新らしい女の道がある。新らしい女は多くの人々の行止まった處より更に進んで新らしい道を先導者として行く。新らしい道は古き道を辿る人々若しくは古き道を行き詰めた人々に未だ知られざる道である。又辿らうとする先導者にも初めての道である。新らしき道は何處から何處に到る道なのか分からない。従って未知に伴ふ危険と恐怖がある。(「青鞜」大正2年1月号)

20121106223903   伊藤野枝(1895-1923)は、明治28年1月21日、福岡県糸島郡今宿村で、瓦職人の父伊藤亀吉、母ウメとの長女として生まれた。明治43年4月、上野女学校に入学する。上野女学校は、私立の5年生で、当時としては自由主義的な気風に満ちた学校だった。教頭の佐藤正次郎は、女性の地位向上を教育方針に掲げ、バーナード・リーチや英語教師の辻潤がいた。野枝は親からしいられた結婚に反発して、辻潤と結ばれた。野枝は青鞜の平塚らいてうに宛てて身の上相談の手紙を出している。数日後らいてうを訪ね、強制されている結婚を破棄する決意を述べ、助言を求めている。らいてうは野枝を励まし、援助を約束した。大正元年、野枝は青鞜社の編集員として働くようになる。野枝は、「新しき女の道」「この頃の感想」「染井より、あるいは中篇「動揺」などをつぎつぎに発表している。この年、野枝は18歳である。大正2年、木村荘太(1889-1950)は青鞜に発表した野枝の詩が気に入り、ラブレターを出した。野枝は木村の求愛をことわった。このころ社会主義者の大杉栄が「近代思想」に平塚らいてうと伊藤野枝とを比較した時評を書いている。

    こういっては甚だ失礼であるかも知れないが、(野枝が)あの暮らしでしかも女という永い間無知に育てられたものの間に生まれて、あれ程の明晰な文章と思想とを持ちえたことは、実に敬服に堪えない。

    辻潤は野枝にとってはシュティルナーなどの思想で近代的自我をめざめさせてくれた師ではあるが、しょせんは書斎と放浪のニヒリストにすぎなかった。そうした点で野枝は大杉栄の革命的理論と行動力につよくひかれるようになっていく。

   大杉栄には妻の安子(旧姓・堀安子)と「東京日日新聞」記者だった愛人の神近市子がいた。ここに伊藤野枝が現れたわけであるが、自由恋愛論者であった大杉は、三人に、経済的におたがいに自立すること、同棲せずに別居生活を送ること、たがいの自由を完全に尊重すること、三条を示して同意をとりつけ、大杉は保子と別れて麹町の福四万館に移り住んだ。

    大正5年4月、長男の一(まこと)を残し、二男の流二を背負って辻家を出た野枝は、千葉県御宿の上野屋旅館に移り、小説を書きはじめる。そこに腰を据えたのは、大阪毎日新聞の菊池幽芳から、野枝の作品を採用するという言質を得ていたからであった。しかし、執筆生活への野枝の期待は裏切られた。幽芳に送った原稿が、称賛の辞とともに送り返されてきたのである。大杉も原稿依頼がとだえるようになった。金がなくなったため二人は、本郷の菊富士ホテルに同棲するようになる。その年11月9日の夜、いわゆる日陰茶屋事件が起こった。神奈川県葉山の旅館「日陰茶屋」で神近市子(1888-1981)は伊藤野枝の出現による嫉妬から大杉栄の喉部を刺したという事件である。この刺傷事件が、主義者の堕落と乱脈を象徴する大スキャンダルとして、ジャーナリズムの好餌となったことはいうまでもない。

    しかし、この無残な結末は、大杉と三人の女たちの四角関係に決着をつけた。翌年、市子は4年の刑に服して下獄し、保子は大杉と正式に離婚した。結果、伊藤は愛の勝利者となったが、そのために、彼女はいっそう社会からも友人からも孤立しなければならなかった。しかし、彼女に後悔はなかった。大杉とともに歩く将来をかたく信じていたからである。その死が訪れるまでの6年間に、大杉との間に、野枝は一男四女をもうけている。野枝は「愛の夫婦生活」という記事で「私共を結びつけるもの」として大杉を「寛大な愛人であり、思いやり深い友人であり、信頼すべき先輩であり、同志」であると評している。

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コメント

伊藤野枝は日本女性の近代精神史を開拓した偉大な女性でしたね。
女性登用を標榜する安部晋三総理も野枝を鏡にかかげてもらいたい。

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