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2016年11月 3日 (木)

ホラズム、ブハラ・ハン国などイスラム国家のその後

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  中央アジアに位置するホラズム(Khorazm)はアム・ダリヤ下流域の肥沃なデルタ地帯で、アラビア語ではフワーリズムという。ホラズムはその地理上の位置から東西文化の交流点となり、イランと北方遊牧民との仲介貿易の拠点となった。1077年にセルジューク朝から独立しホラズム・シャー朝を樹立したが、1219年、蒙古軍チンギス・ハーンに破れた。なかにはホラズム人で蒙古の官吏となったものもいる。最後の皇帝ジェラール・ウッディーンは抵抗したが、ディヤルバクルでクルド人に殺害され、1231年、ホラズム・シャー朝は滅びた。やがてモンゴル帝国も滅び、1505年にはウズベク族に支配され、16世紀初頭ムガール帝国の支配下にあった。ウズベク族はブハラを首都として、シャイバー朝に始まり、アストラハン朝・マンギット朝と続いた。18世紀中期は、ドゥラニー朝の成立によって近代アフガニスタンの基礎が築かれた。19世紀になって、ロシアとイギリスの勢力の接点となり、二度にわたるアフガン戦争によってイギリスの保護国となる。

19世紀ガージャール朝王名表

ムハンマド・シャー(在位1834-1848)

ナースィル・アッディーン・シャー(在位1848-1896)

ムザッファル・アッディーン・シャー(在位1896-1907)

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