薄幸の女流歌人、江口きち
「女啄木」とも言われた薄幸の歌人・江口きち(1913-1938)。大正2年11月23日、江口熊吉・いわ(ユワ)の長女として、武尊(ほたか)山の麓、群馬県利根郡川場村谷地に生まれた。昭和2年5月にはアメリカから贈られた「青い目の人形」を学校代表として受け取るほど成績優秀な少女であった。昭和5年2月、沼田郵便局に勤めるが、6月には母がなくなり、肉・うどん・菓子等を商う「栃木屋」を継ぎ、そのかたわら短歌に精進する。昭和7年から河井酔茗・島本久恵が主宰する「女性時代」に投稿する。昭和11年頃からきちは、18歳年上で妻子もある宮田弥右衛門と恋仲になるが、そのことに苦悶する。父と障害の兄・広寿の面倒をみながら店の経営は苦労が多かった。昭和13年12月2日未明、兄と共に服毒自殺する。自分で仕立てた純白のドレスを身につけ、胸には赤いバラの花がつけられていたという。享年25歳。辞世は二首ある。
睡(ね)たらひて夜は明けにけりうつそみに 聴きをさめなる雀鳴き初む
大いなるこの寂(しず)けさや天地(あめつち)の 時刻(とき)あやまたず夜は明けにけり
きちが自殺した翌年の昭和14年、「武尊乃麓」(江口きち著)が婦女界社から刊行され、昭和14年11月には肉筆版「江口きち歌集」が書物展望社から刊行された。
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薄命の歌人、詩人は、世の東西を世の東西を問わず多いですね。
投稿: | 2015年11月23日 (月) 12時37分