無料ブログはココログ

« 佐伯孝夫の昭和歌謡 | トップページ | 鋼鉄王カーネギー »

2016年11月23日 (水)

薄幸の女流歌人、江口きち

Kichi     「女啄木」とも言われた薄幸の歌人・江口きち(1913-1938)。大正2年11月23日、江口熊吉・いわ(ユワ)の長女として、武尊(ほたか)山の麓、群馬県利根郡川場村谷地に生まれた。昭和2年5月にはアメリカから贈られた「青い目の人形」を学校代表として受け取るほど成績優秀な少女であった。昭和5年2月、沼田郵便局に勤めるが、6月には母がなくなり、肉・うどん・菓子等を商う「栃木屋」を継ぎ、そのかたわら短歌に精進する。昭和7年から河井酔茗・島本久恵が主宰する「女性時代」に投稿する。昭和11年頃からきちは、18歳年上で妻子もある宮田弥右衛門と恋仲になるが、そのことに苦悶する。父と障害の兄・広寿の面倒をみながら店の経営は苦労が多かった。昭和13年12月2日未明、兄と共に服毒自殺する。自分で仕立てた純白のドレスを身につけ、胸には赤いバラの花がつけられていたという。享年25歳。辞世は二首ある。

睡(ね)たらひて夜は明けにけりうつそみに 聴きをさめなる雀鳴き初む

大いなるこの寂(しず)けさや天地(あめつち)の 時刻(とき)あやまたず夜は明けにけり

    きちが自殺した翌年の昭和14年、「武尊乃麓」(江口きち著)が婦女界社から刊行され、昭和14年11月には肉筆版「江口きち歌集」が書物展望社から刊行された。

« 佐伯孝夫の昭和歌謡 | トップページ | 鋼鉄王カーネギー »

女性」カテゴリの記事

コメント

薄命の歌人、詩人は、世の東西を世の東西を問わず多いですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 佐伯孝夫の昭和歌謡 | トップページ | 鋼鉄王カーネギー »

最近のトラックバック

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31