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2016年11月 7日 (月)

荒木又右衛門「三十六人斬り」

Meiji_067     寛永11年(1634年)11月7日、伊賀上野で渡辺数馬が弟の源太夫の仇を討つため、河合又五郎らを討った。仇討ちは君父に限られているため、弟の仇討は違法である。そのため主君の池田忠雄の遺恨を晴らすという上意討ちの形をとった。このとき荒木又右衛門(1599-1638)は数馬の姉・みねの夫であり、義弟の助太刀をしたのである。

    鍵屋の辻(伊賀市小田町)の決闘は6時間にも及んだ。死者は敵方は河合又五郎、河合甚左衛門、桜井半兵衛、三助の4人。数馬方は河合武右衛門の1人である。このとき又右衛門は敵を36人斬ったといわれているが、それは講談の上での話。実際に又右衛門が斬ったのは河合甚左衛門、桜井半兵衛の2人。後に又右衛門は鳥取池田家に招かれ、寛永15年8月28日、41歳で急死している。墓は玄忠寺(鳥取市新品治町176)にある。

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