無料ブログはココログ

« 消えていくリアル書店 | トップページ | 人名エポニム物語 »

2016年11月30日 (水)

マジノ線

  第一次世界大戦において、ドイツからほとんど敗北に近い打撃を受けたフランスは、自国の国土を、難攻不落のものにしようと決意した。1930年以来、2億ドルをこえる巨費と7年の歳月をかけて、北はロンヴィから南はフランス・イタリア国境に至るまで長さ140キロにわたる地下要塞線を彼らは構築した。

  この要塞には、計画開始時の国防大臣アンドレ・マジノ(1877-1932)の名が冠された。この要塞線は静的防備の傑作とされた。最前列に対戦車濠が掘られ、そのすぐ後ろには鉄条網と機関銃座が置かれた。つづいて口径37ミリから135ミリまでの機関銃および対戦車砲各型が、厚さ3メートルのコンクリートの防壁に囲まれた砲座の列をつくっていた。それから、5キロないし8キロの間隔をおいて、地下30メートルの深さの巨大な要塞群が位置していた。

  この要塞のなかに、1200名をこえる兵士たちが、3か月交替で生活していた。彼らは地下で太陽燈にあたったり、バラを栽培するために地上に出たりした。それでも、彼らの最大の敵は「退屈」であった。「われわれはドイツ軍と戦っているのではない」とある兵士は言った。「われわれはアンニュイ(憂鬱)と戦っているのだ」。

  しかしドイツ軍から本格的な攻撃を受けたとき、フランス軍の真の敵は、大要塞という概念そのものであることがわかってきた。静的戦闘の時代は終わったのである。最も強力な要塞といえども、ドイツ戦車隊の機動力の前では、その敵でなかったのである。 Maginot Line

« 消えていくリアル書店 | トップページ | 人名エポニム物語 »

「世界史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 消えていくリアル書店 | トップページ | 人名エポニム物語 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31