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2016年11月29日 (火)

ナポレオンと雪合戦

Brienne_boulesdeneige 

  コルシカ島はイタリア半島の西に位置するフランス領の島である。ナポレオン(1769-1821)が生まれる1年ほど前はジェノバ領であったが、1768年5月15日、コルシカはジェノバからフランスに割譲された。(したがってナポレオンは自らをフランス人であると主張している)翌年の5月9日、パスカル・パオリ(1725-1807)を指導者とするコルシカ独立軍はポンテ・ノーヴァでフランス軍に敗れ、パオリはイギリスに亡命した。

   ナポレオンの父カルロ・ブオナパルテ(シャルル・マリ・ボナパルト)(1746-1785)は、コルシカで判事をしていたが、コルシカ島独立戦争のときはパオリの副官を務めていた。敗戦によって、幼いナポレオンは父カルロと兄ジュゼッペとともにフランスに渡った。そして1779年3月15日、プリエンヌ陸軍幼年学校に入学する。オリーブ色の顔色とコルシカ語なまり、そして奇妙な名前(当時はナブリオーネ・ブオナパルテといった)をひやかされて孤独な少年時代であった。しかし、少年時代のナポレオンを物語る有名なエピソードがある。

    1782年の冬のある日、プリエンヌ兵学校の校庭は一面に大雪が降り積った。ナポレオンは級友たちと塹壕と要塞をつくって、雪合戦を始めた。雪合戦といってもボールのなかに石をつめる激しい戦闘であった。ナポレオンは自軍を2隊に分けて、最初にその半数の部隊を攻撃させる。当然、敵軍は、いっせいに攻撃してくる。そこで先鋒隊はいったん退却して、相手を味方の陣地へおびき寄せる。相手の軍が陣地に攻めてきたとき、待ちかまえていた残りの半数の部隊が、先鋒隊と敵軍を取り囲んで、一斉に攻撃して、見事に勝利した。ボナパルトのあざやかな指揮ぶりをみて、顔色と奇妙ななまりを冷やかす者はもはや一人もなくなった。

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