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2016年11月 8日 (火)

鳴くよウグイス平安京

Student4image1   光仁天皇のあとを継いだ桓武天皇は784年、山城の長岡京に遷都した。しかし2度にわたる洪水があったため、794年10月22日、平安京に遷都し、11月8日、新京を「平安京」とする詔を発布した。桓武・嵯峨から延喜の治といわれる10世紀初めごろまでは、律令政治の再建がある程度の効果をあげ、律令国家は動揺しながらもその形態をたもっていた。律令官制の規定にない官職を令外の官という。按察使、勘解由使、蔵人頭、検非違使、押領使など。石山寺に伝わる908年の周防国玖珂郡玖珂郷の戸籍を見るとほとんどが女性ばかりである。女性は律令制では税が軽くなっている。そのためにこのような実際にはあり得ないような女性ばかりの戸籍が作られている。このような嘘の戸籍を偽籍という。このように平安時代中期には律令制が行き詰まってきた。

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コメント

質問なのですがなぜ国司、または郡司などの役人は不自然に女性の多い戸籍に疑問をもたなかったのですか?そういった直接確認も仕事の一つではないのでしょうか?

おっしゃるとおり直接確認は役人の仕事の一つだと思んですが、租税を逃れるために女子ばかりの戸籍を国司・郡司の役人も見抜けぬはずはなく、おそらく何らかのウマミがあったのではないかと推測します。たとえば、都への貢納を年々少しづつ減らし、お目こぼし料としての賄賂を着服する。戸籍はあくまで申告制なので発覚しても、役人は言い逃れできる。なにやら所在不明高齢者問題と似ていて、年金不正受給で国民は逮捕されるが、役人には杜撰な管理といわれようがお咎めは無い。偽籍が律令国家のいきづまりを示すように、後世の史家たちは、所在不明問題をどのように理解するのでしょうか。

なるほど、租税対象者は、いつの時代も搾り取られ、役人はどのような税制からくりでも懐がうるおう仕組みか・・。(◎´∀`)ノ

何やら今の世にもピッタリ当てはまる内容ですね。消えた年金やら、政治家、役人の使途不明金…。

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