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2016年11月 4日 (金)

原敬と原奎一郎

    大正10年11月4日、午後7時20分、総理大臣原敬(1856-1921)が、東京駅改札口付近で中岡艮一(1903年生まれ。当時19歳)に短刀で胸を刺された。すぐに駅長室に運び込まれたが、傷は右肺部から心臓に達し、数分後に絶命した。65歳だった。

    原敬は、京都で開かれる政友会支部大会に出席するため、東京駅に来ていたが、見送りの中橋徳五郎文相(1861-1934)と談笑していたとき、凶行にあった。暗殺犯の中岡は、国鉄大塚駅運轍手で、9月28日の安田善次郎(1838-1921)を殺害した国粋主義者・朝日平吾(1890-1921)に感激し、犯行を決意したといわれる。

    この暗殺事件で原内閣は翌日総辞職し、高橋是清(1854-1936)が政友会総裁を継ぎ、新内閣を組織した。

    敬には実子がなく、兄の二男の原貢(1902-1983)を明治44年に養子にしていた。原貢は大正10年、慶応予科を中退して、大正10年11月に英国に留学に向かう途中で養父の死を知る。11月5日夜、マラッカ海峡を航行中の船上で電報を受け取った。帰国せずにそのまま留学せよ、という命令により翌年まで英国に滞在。昭和15年から昭和21年まで同盟通信社に勤務する。戦後は原奎一郎という筆名で小説家となる。代表的なものは「原敬日記」の編集、「ふだん着の原敬」「原敬をめぐる人びと」など。ほかに「恋愛実技」「恋愛成功法」(昭和34年)という著書もある。

   ところで原敬の暗殺犯の中岡艮一は無期懲役の判決を受けたが、数度の恩赦により、昭和9年に出獄している。戦後の消息については不明である。

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