川端康成と浅草
1890年のこの日、凌雲閣(浅草十二階)が竣工した。1923年9月1日の関東大震災で崩壊したから、33年の寿命であった。川端康成は戦前の浅草が好きだった。震災のとき、jまだ帝国大学国文科の学生で(当時24歳)、本郷区駒込千駄木町で被災したので、震災前後の浅草を鮮明に記憶している。震災前の浅草を象徴したのが十二階(凌雲閣)と活動、浅草オペラだった。震災後の浅草は軽演劇団カジノ・フォーリーである。川端が昭和4年12月から連載した「浅草紅団」という新聞小説は、震災後の浅草を徘徊する不良少年少女グループの話だ。ヒロイン弓子は「私は地震の娘です。地震の真中で生れ変わったのよ」と言う。そして「カジノ・フォウリイは(略)1930年代の浅草かもしれない。エロティシズムと、ナンセンスと、スピイドと、時事漫画風なユウモアと、ジャズ・ソングと、女の足と」と書いている。浅草十二階については、小説の中で次のように描いている。
古い浅草の目じるし、十二階の塔は、大正十二年の地震で首が折れた。私はそのころまだ本郷に下宿住まいの学生だった。昔から浅草好きの私は、十一時五十八分から2時間と経たぬうちに、友だちと二人で、浅草の様子を見に行った。(略)「ほら、あんなに十二階がぽっきり折れちゃってるだろう。見物が大勢登ってたんだから、たまらないや。皆振り飛ばされたさ。今見て来たんだが、瓢箪池にもその死骸が、うぼうぼ浮いてるんだぜ」
川端はその後、工兵隊が爆砕するときも、凌雲閣を野次馬見物している。(10月29日)
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