士農工商は無かった!?
「士農工商」近世、とくに江戸時代封建社会の基本的階級。この身分制の基礎となったものは、検地、兵農の分離という近世初頭の政治的、社会的諸現象である。すなわち天正年間豊臣秀吉が四民の身分を分離固定することを企てたのに始まる。武士の封建支配を維持するためには職業により社会的身分秩序を定めることが必要であったので、徳川氏がこれを継承、はっきりしたものにした。士は武士で、将軍から足軽などの軽輩まで、領地、知行、扶持を受け、封建社会の支柱として最上位に立ち、苗字、帯刀などあらゆる特権をもつ。農は農民、郷村生活者、すなわち村役人、小作人、庭子、家抱までの総称で、離農転職や土地の処分は禁ぜられ、日常生活にも強い制限を受けた。工は職人、商は商人で、工商は一括して町人とも呼ばれ下位に置かれた。これには両替屋、掛屋、札差のような高利貸し資本家から小売人および小職人、その他日雇人夫、棒手振りの類までが含められており、みな都市居住者であったが、生活上きびしい制限を受けていた。この身分制は幕末に近づくにつれ動揺し、武士の没落、町人の抬頭によってしだいに崩れていった。明治新政権下で四民平等が実現したかのようにみえたが、華族・士族・平民という新しい身分差別が成立した。しかしこのよく知られた歴史用語「士農工商」は、近年の研究では、江戸時代、明確な身分制度が存在しなかったという観点から、殆どの教科書から「士農工商」や「四民平等」は消えている。
« スワードの冷蔵庫 | トップページ | 歌われなくなった「星落秋風五丈原」 »
「日本史」カテゴリの記事
- 蛮社の獄(2019.02.14)
- 鷹見泉石(2012.11.12)
- 直江兼続具足名品と漢詩(2008.08.31)
- 神武天皇と金鵄(2019.02.11)
- 漱石が見つめた近代(2017.02.08)
コメント