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2016年10月 7日 (金)

ホーソンとポー

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  ナサニエル・ホーソン(1804-64)は、マサチューセッツ州セーレムの旧家に生まれた。彼の作品に色濃いニューイングランドの風土性、過去に対する意識は、その出自に由来する。21歳でボードン大学を卒業。10年余り孤独な創作三昧の生活を続けた。1842年ソファイア・ピーボディと結婚、彼女の愛情が、強烈な自我と内面を見つめるホーソンの孤独を救った。1850年「緋文字」を発表するや、たちまち名声を確立した。このころメルビルと知り合い、互いに大きな影響を受ける。

   エドガー・アラン・ポー(1809-49)は、幼くして孤児となり、リッチモンド市の商人ジョン・アランに引き取られ、イギリスで初等教育を受けたのち、1826年バージニア大学に入学するが、1年たらずで退学。1833年「瓶の中から出た手記」が懸賞に当選し、作家としての、また雑誌記者としての道が開けた。その後のポーはリッチモンド、ニューヨーク、フィラデルフィアの各地で雑誌の編集にたずさわり、数多くの評論や書評を書くかたわら、数多くの小説を発表した。1849年10月7日、40歳で亡くなった。

    ポーは人間の心にひそむ内的恐怖や無意識にみごとな形態を与えた怪奇小説や幻想小説の書き手、明敏でときには辛辣な批評家、それに今日隆盛をきわめる推理小説(「モルグ街の殺人」)やSF小説の元祖であった。しかしポーの文学は、その生存中はかれの実力にふさわしい理解と賞賛とを受けなかった。それと同じように、人間としてのポーについても、これを伝える人々のことばに大きなへだたりを残したまま今日にいたっている。ボーの誹謗者たちはかれを神経病的な酔っ払いの麻薬常用者と考え、感情生活のいつも不安定な、道徳的誠実さの欠除している男とみなした。他方、かれを弁護する人々は、かれのすべての困難を、かれを嫌悪した人々の悪意、時代がかれに加えた苛烈な仕打ち、あるいはまた、かれをなやましたさまざまな肉体的、精神的病気のためであるといっている。かれについての真実がそのどちら側にあるかは、今でさえなお不明である。ポーがアルコールや阿片に過度なまでにふけったということがあまりにも伝説的になっているが、かれの場合には、他の多くのロマン派詩人のように、多分にかれ自身の偽悪的な面がはたらき、実際のかれ自身よりも自分をそのような姿に見せようとすることばや暗示があったであろうことを考えておく必要がある。(参考:「玉川百科大辞典16 西洋文芸」) 

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コメント

私の父親は50年間ホーソンを研究しています。
ポーとの関係はとても興味深いですね!

コメントありがとうございます。ところで、谷崎潤一郎の4歳下の弟の谷崎精二は作家としては二流でしたが、翻訳家としては「ポオ小説全集」という大きな仕事をしていることを最近になって知りました。いまも文庫本で出ているようです。

知りませんでした。以外ですね
早速探してみます。

ポーは好きですね。作家らしい作家だと思います。私も新聞、雑誌記者をやり、小説、詩、短歌の分野にたずさわってますが、ポーに親近感を感ずるのも、同類項のよしみかもしれません。o(*^▽^*)o

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