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2016年10月28日 (金)

乃木希典と玉木正誼

   明治の陸軍大臣・乃木希典(1849-1912)の父は乃木希次(1805-1877)という。希次は、はじめ、萩藩分家長府藩の江戸詰藩医だった乃木本家の娘秀子に婿入りした。長男源太郎が生まれた。その後秀子と離別して、同藩馬廻りに取り立てられた。弘化4年、土浦藩士長谷川金太夫の娘寿子と再婚する。寿子の最初の男子は半年で早世した。嘉永2年、源太郎が23歳で死去。その年、11月11日三男、希典(幼名、無人)が生まれる。ついで長女キネ、四男真人(のち正誼)、二女イネ、五男集作。

    希典より6歳下の実弟、乃木正誼(のぎまさよし、1855-1876)はのち玉木文之進(1810-1876)の養子となり、名も玉木正誼と改め、のち萩の前原一誠の参謀格となる。

    乃木希典は若い時代、吉田松陰の叔父にして師である玉木文之進の元に寄寓して薫陶をうけ、山鹿素行と吉田松陰に私淑している。乃木希典、26歳の明治7年、陸軍卿伝令使となる。明治8年には、熊本鎮台歩兵第14連隊心得となる。

   乃木希典のもとに実弟玉木正誼が前原一誠の密命を帯びて、訪ねてきたのは明治9年2月の下旬のことであった。弟は兄を涙ながらに説得しようしたが、乃木はこれを拒否した。

    去年よりも今年の秋はものうけれ

    またくる年はいやきさるらむ

 この頃の乃木の歌である。こうして9月中旬に乃木は正誼に義絶を申し渡している。

   明治9年10月28日、前原一誠(1834-1876)を指導者とする殉国軍が萩の明倫館を拠点として挙兵した。玉木正誼は10月31日に戦死した。正誼の養父で乃木の恩師である玉木文之進は11月6日、祖父の墓前において自刃した。12月3日、前原一誠、奥平謙輔は斬首された。

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コメント

始めまして。
私は玉木正誼の実子正之から数えて3代目の者です。
若くして前原一誠の乱(萩の乱)で戦死し、祖父正之は東京に出て、乃木希典に育てられたことは知っているのですが、詳しいことがあまりよくわかりませんでした。わかりやすい本でこのあたりの下級武士の乱について書いてあるものや前原一誠の乱のことがわかる資料などありましたら教えていただけると嬉しいです。

吉川弘文館の人物叢書にも「江藤新平」はありますが、前原一誠はないですね。司馬遼太郎の「歳月」も江藤新平が中心ですね。古いものでは妻木忠太「前原一誠伝」。徳永真一郎の「明治叛臣伝」(毎日新聞社」があります。奈良本辰也の「評伝前原一誠」「ああ東方に道なきか」と古い文献が多いです。

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