北野大茶湯はなぜ1日で中止になったのか?
豊臣秀吉は天正15年10月1日から10日まで北野の森で大茶会を催す計画をした。茶の湯好きの者であれば若党・町人・百姓を問わず、釜・釣瓶・呑物を一つずつ各自が用意して集まるように命じた。10月1日は秀吉みずからと千利休、津田宗及、今井宗久が茶を点じ、800人以上にふるまった、という。しかし当初10日間としていたイベントは、この1日だけで茶会は中止された。博多から代表として招かれて上洛した豪商神谷宗湛は、1日で終わったためにまにあわなかった。僧英俊の『多聞院日記』には、何か不祥事があったものか、西国で佐々成政が討ち死にしたからか、との噂を記し、「ウソ歟」と書き加えている。一般の参会者には中止の理由はわからなかったであろう。佐々成政が討ち死にしたという噂はウソであったが、肥後の国一揆が勃発したのは本当のことで、おそらく秀吉は10日間も茶会を楽しむ気持ちはなくなり、中止したものであろうか。
« 朝日平吾、安田善次郎を暗殺 | トップページ | ガンディー誕生日 »
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 大阪・関西万国博覧会は成功するのか?(2025.05.01)
- 加藤明成、堀主水を殺害(2025.03.23)
- 針供養(2025.02.08)
- 鑑真の日本渡来(2025.01.16)
- 愛と希望と勇気の日(2025.01.14)
コメント