ローランサンとアポリネール
マリー・ローランサンは、1883年10月31日、パリで生まれた。私立の画塾で学び、キュビズムの仲間たちと出会い人気者となる。1907年、ローランサンはピカソを介して詩人のギョーム・アポリネール(1880-1918)と知りあい、ふたりは熱い仲となる。
しかし、この恋は実らなかった。アポリネールはモナリザ盗難事件への関与を疑われてサンテ監獄に入ることとなった。ローランサンの母は、「そんな男に娘はやれない」と反対し、5年に及んだ恋は消えた。アポリネールはこのときのつらい別れの思いを詩「ミラボー橋」にうたった。
ミラボー橋のしたセーヌは流れ
わたしたちの恋も
せめて思い出そうか
悩みのあとには喜びが来ると
アポリネールと別れ、母の死を看取ったローランサンは、1914年、男爵で画家のドイツ人ヴェッチェンと結婚する。だが、第一次大戦が勃発し、敵国人となった夫妻は中立国スペインに亡命する。夫はやがてアルコール依存症でローランサンを悩ませ、7年後に離婚する。
アポリネールは第一次大戦に志願して、1916年に頭部を負傷、3度の手術を受けるが完治しないままスペイン風邪で1918年38歳で死亡する。1921年、パリに戻ったローランサンは、気品のある高級感でパリで売れっ子の画家となり成功をおさめた。絵画をはじめ版画、詩、舞台美術など多くの分野で活躍した。1956年6月8日、パリで心臓発作で死去、享年72歳。(Marie Laurencin,Guillaume Apolinaire)
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