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2016年9月26日 (月)

日本の古人類の謎

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    昭和6年4月18日、兵庫県の明石市大久保の西八木海岸で、直良信夫が拾い上げた腰骨を、縄文時代よりも前の原始人のものらしいと言い出したとき、人はだれも信用しなかった。出土した地層がはっきりしなかっためもあるが、世界の片隅の日本に、そんな古い時代から人類が住んでいたはずがないと信じられていたためである。昭和24年夏、群馬県桐生市の郊外岩宿で、当時無名の青年相沢忠洋がヨーロッパの旧石器時代に似た石を発見したときも、同じ運命が待っているかに見えたが、こんどは支持者があった。出土した地層が、もっとも古い縄文式土器のある地層よりも一段下の、赤土とよばれる関東ローム層であることがわかったからである。それなら直良信夫が発見した明石原人も日本人最古の化石とする可能性も捨てきれない。だが残念ながら骨自体は戦災で焼失してしまったので永遠に謎のままとなった。近年になって地層を調査したところ、更新世中期の地層は見当たらなかったことから明石原人骨が旧人であるという根拠はなくなった。ところが直良は「海岸にうちあげられた溺死者のもの」という記述があることから、瀬戸内海の海底にあった骨が打ち上げられたものであるとする可能性もないわけではない。

    現代型サピエンスの骨は昭和32年に牛川人が、昭和33年に三ヶ日人が、昭和37年に浜北人が発見された。これらの人骨は断片的で人類の全容を明らかにするには至らなかった。近年、牛川人はヒトではなくナウマン象の腓骨である可能性が指摘されている。日本列島で発見された化石の中で唯一詳しい特徴がわかるのは、昭和45年に沖縄県具志頭村で発見された港川人で、約18000年前の新人段階の人骨である。中国大陸南部で発見された柳江人やジャワ島東部で発見されたワジャク人と類似していることから、日本列島の初期の住人は東南アジアから流入したのであろうとする南方起源説が有力である。

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コメント

angry日本の古代人はどこまで遡れるか・・縄文以前は・・・これからの新しい発見が期待されますね。

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