ビアードと関東大震災
「暗くならなければ星は見えない」
この言葉はアメリカの歴史学者・政治学者、また卓越した教育者であるチャールズ・オースチン・ビアード(1874-1948)の言葉である。ビアードは1948年9月1日に世を去ったが、日本の「防災の日」と深いかかわりがある。
ビアードは、1874年11月27日、インディアナ州ナイツタウン近くに生まれた。デ・ボー大学卒業後、オックスフォード大学に留学。法制史の大家メイトランド教授やウェッブ夫妻の知遇を受けた。メアリー・リッターと結婚し、夫婦での協同研究が始まった。専門はアメリカ憲法発達史であったが、市政学、都市学にも開拓者的研究を始めていた。ビアード夫妻による歴史の全体的把握への協同的研究は、その代表作というべき「アメリカ文明の興起」(1927)に結晶した。これに続いて「航行半途のアメリカ」(1939)と「アメリカの精神」(1942)が刊行された。このかたわら、ビアードは、アメリカ外交史の再検討を試み、過度の対外干渉がアメリカ文明を危機に陥れることを「国家的利益の観念」(1934)「国内に向けられた門戸開放主義」(1934)で明らかにした。とくにルーズベルト大統領の越権行為が三権分立をたてまえとする合衆国憲法を破壊するものであると批判した。晩年、ビアードは合衆国憲法がアメリカ文明にとっていかに貴重なものであるかを国民に周知させるために「わが共和国」(1942)「アメリカ合衆国史要」(1944)を刊行した。
また、ビアードは日本に対しておおくの愛情を注いでくれた学者である。東京市長・後藤新平は、大正11年9月4日、ニューヨーク市政調査会専務理事ビアードを招聘した。半年間、夫婦で日本に滞在し、講演と調査を精力的に行なった。翌年の関東大震災の直後、後藤新平復興院総裁の要請で再び来日し、「モータリゼーションの時代」の到来を予想して、多くの幅広い幹線道路建設を含む大規模な東京市復興計画の立案のため、寝食を忘れて想を練り、政府に提出した。しかし、彼の構想が遠大でかつ巨額の経費を必要とするため、不幸にも為政者のいれるところとはならなかった。(Charles Austin Beard)
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