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2016年9月27日 (火)

国号「日本」 二ホンか、ニッポンか

  壬申の乱とは大友皇子(天智天皇の子・弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟・天武天皇)との間に行なわれた皇位継承をめぐる争乱。672年、吉野宮に隠棲していた大海人皇子は、坐して死を待つよりは、東国で兵を集めて近江方と決着をつけようと、妃の讃良皇女(持統)らを伴いあわただしく吉野の宮を出ていった。

   吉野を脱出した大海人皇子は美濃に本拠をおき、大軍を近江・大和にくり入れた。1ヵ月に及ぶ決戦ののち近江朝廷方は敗退し大友皇子は山崎で自害、大海人皇子は飛鳥に帰り浄御原宮に即位し天武天皇となった。673年2月のことである。なお、「天皇」「皇后」号や「日本」という国号も、このころ定められたとする学説が有力になっている。701年に制定された大宝律令によって「日本」が明文化される。東洋史家、愛宕松男は「天皇という一見日本独自の元首号も、じつは唐の第三代皇帝たる高宗の尊称を襲用したものと推定できる」と説いている。

   このころは「日本」と書いて「やまと」とか「ひのもと」と読んでいたが、やがて漢字の知識が広がり、「にほむ」と発音するようになる。江戸時代はハヒフへホをファフィフフェフォと発音し、「ニフォン」はあるが「ニホン」という発音はなかった。「ニホン」「ニッポン」と両方の読み方が定着したが、1934年に文部省国語調査会が国号を「ニッポン」にする案を提出したが、ついに決まらなかった。その後、1970年7月14日には日本の呼称を「ニッポン」に統一することが閣議決定されている。しかし一般に浸透せずに終り、2009年麻生内閣のときは「ニッポンまたはニホンという読み方はいずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」と答弁している。つまり、どちらの読みでもよいとされる。

「ニッポン」とする例
日本橋(大阪)
日本鋼管
日本放送協会
日本銀行
日本共産党
日本教職員組合

「二ホン」とする例
日本橋(東京)
日本郵船
日本赤十字社
日本学術会議
日本棋院
日本大学

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