カミーユ・ピサロ
ピサロ 「朝のコーヒーを入れる農家の娘」1881年
シカゴ・アート・インスティテュート蔵
ピサロは、この作品と「棒切れを持って坐る農家の娘」を一時最高の出来栄えの作品と言っている。息子に宛てた手紙には次のようにある。「お前は、私がもし再び出品するなら最高の作品をロンドンに送るべきだという。…しかし最高作が何かと自問するとき、誰でも大いに困るのだということはお前にもわかるだろう。「朝のコーヒーも入れる農家の娘」と「棒切れを持って坐る農家の娘」をロンドンに送っているのかというが、もちろんこれ以上完成された会心の作品を私には送れない。けれどもこれらはロンドンでは無器用とみなされた。…私が、田舎者の気質をもち、陰気な人間で、絵が荒削りの野性味をもっていることを思い出してくれ…」
カミーユ・ピサロ(1830-1903)は西インド諸島のセント・トーマス島に生まれた。1855年、画家を志してパリに出て、アカデミー・シュイスに学ぶ。万国博覧会の美術展でコローの作品に感激してから、風景画一筋の制作を始め、サロンに出品するがいずれも落選。1863年の落選画展にはじめて並んだ。1870年の普仏戦争の時はロンドンに難を逃がれ、そこでモネとともにターナーらのイギリスの風景画を研究。戦後パリ北西郊外のポントアーズに居を構えて、ふたたび質朴な田園風景を連作。モネらと印象派グループ展に参加し、以後同派の最年長者としてただ一人毎回これに出品しつつげた。その作風は、印象派独特の技法を用いながら地味な堅実さを示し、モネやシスレーよりいっそう構成的な点に特色がある。
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