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2016年9月24日 (土)

維新の三傑、最期のことば

   「歴史には死人だけしか現れて来ない」と言ったのは小林秀雄であった。(「無常という事」) 歴史上の英雄・豪傑あまたいる中でも、とりわけ「維新の三傑」といわれる木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、かれら3人にしても、時の流れが、すべての過去を薄く刷毛をはくように消して行く。木戸・西郷・大久保、かつては明治維新のために、ともに手を結んで戦った同志であったが、最期は敵・味方に分かれて、ほとんど時を同じくして、世を去っている。彼らはどう生き、どんな言葉を遺して死んでいったのか。

   木戸孝允(1833-1877)は明治10年ころから、健康を害し、胃痛、頭痛、足の麻痺に悩まされるようになった。西郷が西南戦争を引き起こした頃、病状は、さらに悪化していく。5月26日、意識不明の状態に陥り、うわごで「西郷、もうたいていにせんか」という言葉を発して、亡くなったという。享年45歳。

  西郷隆盛(1827-1877)は、明治6年、征韓論を巡って大久保ら政府中枢と対立を深め、下野し、鹿児島に帰郷した。不平士族たちが西郷の下に集まり、明治10年、ついに西南戦争が勃発した。しかし、圧倒的な政府軍の前に敗走。明治10年9月24日、城山に立てこもって最期の時を迎える。「晋どん、もうここらでよか」という言葉は、部下の別府晋介に介錯を促した際の言葉とされる。享年51歳。

   大久保利通(1830-1878)は明治11年5月14日、太政官で行なわれる式典に出席するため、霞ヶ関の自宅を馬車で出た。紀尾井坂に差し掛かったとき、突然、島田一良他5人の賊が襲いかかってきた。大久保はなす術なく死亡する。享年49歳。暗殺される数日前、「嫌な夢を見た、西郷と崖の上で格闘して一緒に落ちるんだが、他の頭蓋骨は割れているのに中の脳髄がぴくぴく動いているんだ」と前島密に話したとされる。(参考:加来耕三「人生を見きわめた最期のことば」講談社)

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