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飛鳥時代、推古天皇のころの製作と考えられる。厨子は二重の基段の上にたっており、正面に階段がある。高さ23.7cm。板部は檜材、彫刻部にはクスノキがもちいられる。全面漆塗装。厨子の宮殿部台座周縁の金銅透彫金具の下に、いちめんに玉虫の羽をはりつめていたところから、玉虫厨子の名で親しまれている。しかし、いつごろからそう呼ばれていたのか、確かではない。鎌倉時代の「古今目録抄」に「玉虫の羽をもって、銅を彫り透した唐草の下に之を臥せた」と、この厨子の名の由来に結びつく記載がわかる。仏教的主題の絵画が描かれ、須弥座段には捨身飼虎の図が画かれている。
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