小泉八雲と富山
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)1904年の忌日。1890年来日。島根の松江中学校、熊本の第五高等学校での教師生活、神戸で英語新聞の記者などを経た後、東京大学、早稲田大学で英文学を講じ、1904年9月26日、狭心症により逝去している。ハーンの筆名「八雲」は松江に在住したため、出雲の枕詞である「八雲たつ」から号したというのが定説である。俗説には「ハーン」を漢字表記すると、「八雲」(ハウン)とシャレたのではとするものもある。
さて標題の「小泉八雲と富山」であるが、特に富山で過ごした時期があるわけではなく、ハーンの死後、関東大震災を契機として旧蔵書が旧制富山高等学校長・南日恒太郎(画像、1871-1928)によって購入された。(その莫大な資金は北前船の資産家・馬場はる子の出資だった) 大正13年にヘルン文庫が開設され、昭和2年に「ヘルン文庫目録」が作成された。ハーンの旧蔵書2,435冊を収録する。内容は英語、フランス語の文学関係図書を中心とする。他にも民俗学、歴史、宗教に関する図書や和漢書なども含む。『神国日本』の手書き原稿も同文庫で所蔵している。ハーン研究者にとって富山大学附属図書館所蔵のヘルン文庫は貴重なものとなるだろう。(参考:「富山大学附属図書館所蔵ヘルン文庫目録 改訂版」1999、富山大学ヘルン文庫所蔵小泉八雲関係文献目録 改訂版 1998)
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