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2016年8月20日 (土)

馬琴忌

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 鏑木清方「曲亭馬琴」 明治40年

  1842年のこの日、滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」を完成した。滝沢馬琴は、明和4年(1767年)、父・滝沢興義、母・吉尾門左衛門の娘お門の五男として、江戸深川に生まれた。安永5年から天明7年の間、はじめ松平、次に戸田、水谷、小笠原、有馬の各家に仕えたが持前の傲慢な性格と不遜な野望が禍をして、いずれも短期で仕を辞している。寛政元年頃、亀田鵬斎に入門、石川五老から狂歌を学ぶ。翌年山東京伝を訪ねて知遇を得、京伝から貰った大栄山人の号で「用尽二分狂言」を刊行したのが戯作生活のはじめで、旺盛な創作活動が開始された。

  「南総里見八犬伝」(1814-1842)の第1輯が刊行されたのは、馬琴が48歳の時で、最後の第9輯帙下の下編の刊行を見たときは、馬琴は78歳に達していた。つまり八犬伝は28年という長年月を費やされて完成されたものであった。

   天保4年の秋のある朝のことである。67歳の馬琴は右目が見えなくなっていることに気づいた。長年の執筆の疲労が表れたのである。それでも左目がみえるので、苦にすることもなく書き続けていると、天保9年からは左目もかすみだし、11年の夏になるとまったく朦朧たる状態になり、原稿も手探りで書くようになった。八犬伝の完成のため、息子の宗伯(天保6年死亡)の嫁お路(みち)に口述筆記させることで完成しようとした。ところが、お路は無筆に近く、まず字の書きようから教えねばならない。八犬伝は、普通の読本以上に難字僻句が多用されているから、これを教わるお路の苦労は並大抵のものではない。ついには辛さのあまり泣き出すほどである。その内にはお路も仕事になれて、八犬伝の名前くらいは空で書けるようになり、進度もはかどるようになった。そして天保13年(1842年)8月20日、「南総里見八犬伝」が完成した。日本で最も長い小説、いな、世界でも有数の長編小説である。八犬伝の完成のうらには、一人の寡婦の血のにじむような苦闘があったのである。(参考:「南総里見八犬伝」日本の古典16、世界文化社)8月20日

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コメント

もう何十年も前にNHKの人形劇、里見八犬伝が面白くて毎回楽しみに見ていたものです。あの時「我こそはタマズサが怨霊〜」と出てくる悪女が迫力あって、今思えば、声は誰が担当していたのかと思います。

阿部寿美子

阿部寿美子さんとわかり調べました。ありがとうございます。タマズサ=玉梓と書くこともわかりました。知ってスッキリです。

阿部寿美子さんとわかり調べました。ありがとうございます。タマズサ=玉梓と書くこともわかりました。知ってスッキリです。

薬師丸ひろ子主演の「里見八犬伝」で、夏木マリが玉梓を演じているので、その印象が強く、声は夏木マリだと思っていました。

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