おなじ町でも・・・見晴らしの数だけ町がある
哲学者ライプニッツは、それ以上分割できない究極の実体として「モナド」を想定した。物質界の原子アトムではなく、精神的な単子である。原子との違いは、モナドは非空間的でその内部に多様な「表象」と、「欲求」をもつ精神的な存在である。ライプニッツの有名なことばに「おなじ町でも・・・見晴らしの数だけ町がある」がある。野球場で、座席を一つずつずらしていくと、眺めが少しずつ変わっていく。同じ試合なのに、異なる視点の数の分だけ、異なる試合を観ることができる。無数のモナドがそのようにして、たがいに他のすべてのモナドを映し出す。しかしその「無限」は、同時に「一」なのである。
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