ポンテ・ヴェッキオ
ローマとミラノのほぼ中間の位置にルネサンスの発祥地フィレンツェがある。市街の中央にはアルノ川が流れ、ポル・サンタ・マリア街とグッチャルディ二街を結ぶポンテ・ヴェッキオの古橋が有名である。河川の氾濫で何度か建てなおされており、 1220年にポンテ・ヴェッキオ(新しい橋)と呼ばれるようになった。現在に残るその橋は、1345年タッデオ・ガッディまたはネリ・ディ・フィオラヴァンテ作ということであるが定かではない。橋の両岸には2階建ての貴金属商の店舗付き住居が並び、その片側はパラッツォ・ヴェッキヨからパラッツォ・ピッティに至る渡り廊下(コリドイオ)が架けられている。桂冠詩人ダンテが、この橋のたもとでべァトリーチェを見染めたという話は、よく知られているが確証はない。アルノ川の傍らには、「神曲」の一文が記された石碑がある。(タッデオ・ガッデー Taddeo Gaddi 1290-1366)
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