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2016年8月28日 (日)

外国スターの名を拝借

   すでに戦前に羅門光三郎のようにラモン・ナヴァロから借名した先駆的な事例があるが、戦後の進駐軍時代にジャズが日本に流行したとき、日本人歌手たちは憧れの外国スターの名を拝借して芸名にすることが多かった。ナンシー梅木やペギー葉山がその例だろう。ナンシー梅木(1929-2007)は2007年8月28日、ミズーリ州オザークのリッキングにある医療保養施設で亡くなった。ナンシーは昭和32年マーロン・ブランドー主演「サヨナラ」で日本人で初めてのアカデミー助演女優賞を獲得している。授賞式のプレゼンターはアンソニー・クインだった。後輩のペギー葉山は「私のデビュー当時、ナンシー梅木さんは大スターでした。彼女が穴を開けると私に声がかかり、ナンシーが一軍、私が二軍の感じでした。ハスキーボイスで歌声はセクシー、性格もおおらかで憎めない人でした」と語る。

  ペギー葉山…ペギー・リー

  フランキー堺…フランク・シナトラ

  フランク永井…フランク・シナトラ

 ジェリー伊藤…ジェリー・ヴェール

  谷啓…ダニー・ケイ

 益田喜頓…バスター・キートン

 呉田軽穂…グレタ・ガルボ

 ココ山岡…ココ・シャネル

  以下の人たちは、関連性は希薄ながらが、むりやり当時のハリウッドスターにあてはめるとすれば、

  トニー谷…トニー・カーチス

  ジョージ島袋…ジョージ・ラフト

  ジョージ川口…ジョージ・サンダース 

  ナンシー梅木…ナンシー・オルスン

  ディック・ミネ…ディック・パウエル

  エセル中田…エセル・マーマン

  チャーリー石黒…チャーリー・パーカー

 デューク・エイセス…ザ・フォー・エイセス

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コメント

かつて赤坂山王ホテルの地下にあった米軍将校クラブFar East Roomで耳にしたトリビアですが、トニー谷は身体が小さかったので、キャンプでよくTiny Tani,と呼ばれており、それでトニー谷というステージネームにした、のだそうですよ。

面白い情報をありがとうございます。トニー谷と言えば「アベック歌合戦」の司会者のテレビ時代しか知りませんが、進駐軍のアメリカ兵相手にステージをこなしていたので、Tiny Tani説はとても信憑性が高いですね。

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