魚雷艇長ケネディ中尉
1943年8月2日、ソロモン諸島沖のブランケット海峡を14隻の魚雷艇といっしよに哨戒中の魚雷艇109号は、日本海軍の駆逐艦天霧(艦長・花見弘平)と衝突した。駆逐艦が魚雷艇を真っ二つにしたとき、やせた艇長、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ中尉(1917-1963)は、操縦席の壁にたたきつけられた。「殺されるとは、こんな感じか」と彼は思った。
燃料タンクが引火して火に包まれた魚雷艇は、沈没した。13人の乗組員のうち、2名が戦死、1名が重傷を負った。生存者たちは安全地帯へ泳いで脱出しようとした。ケネディは火傷を負った乗組員の救命胴衣のひもを、歯で噛みしめながら彼を引っぱっていった。脚を負傷したマサチュセッツ州出身の乗組員が、もうこれ以上泳げない、といったとき、ケネディはどなり返した。「ボストンっ子にしちゃ、こんなところで、まったく大した恥さらし者だよ、お前は!」その男はついに頑張り通した。4時間後、11名の乗組員はプラム・プディング島にたどり着いた。彼らにとって幸運なことには、近くのコロンバンガラ島にいたオーストラリア軍の沿岸監視隊員アーサー・レジナルド・エヴァンズ中尉が、魚雷艇が撃沈された夜、海峡に炎が上がるのを見ていた。彼が近くの島の監視隊員に無線で連絡すると、109号艇が行方不明であることが判明した。彼の部下のふたりの斥候が、島に泳ぎついた生存者たちを発見し、その救助に魚雷艇が差し向けられた。救援の157号艇が現れて、6日間死の苦しみを味わった乗組員たちを収容した。食料を与えられたケネディは、「有り難う、いまヤシの実を食べたばっかりだよ」としかめ面で答えた。結局、12人10人の命を救ったケネディは、新聞で大きく報道され、太平洋戦争の英雄となった。
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