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2016年8月18日 (木)

七卿落ちと専崎弥五平

Img鐡屋弥五郎 (専崎弥五平)

   1863年(文久3年)8月18日、松平容保、稲葉正邦、近衛忠熙、二条斉敬、徳大寺公純、近衛忠房が参内。あわせて、薩摩・会津・淀などの諸藩兵が御所の九門を固めた。開かれた朝議では、行幸の延期、尊攘派公家の参内禁止、国事参政・国事寄人の停廃止、長州藩の堺町御門警護解除、毛利慶親父子の入京・長州藩士の九門出入り禁止などを決定し、公武合体派が朝廷の主導権を握った。そのため、三条実美、三条西季知、東久世通禧、壬生基修、四条隆調、錦小路頼徳、沢宣嘉の七卿は東山の妙法院に逃れて善後策を練り、翌朝に寺を発ち、蓑笠、草で編んだ草履ばきの農民姿に身をやつし、長州藩兵らおよそ2300人に守られて一路、西国街道を西へ西へと長州藩を目指して都落ちした。七卿らは摂津国八部郡の二ツ茶屋村の「鐡屋(鉄屋)」の弥五平の屋敷で旅装を整え、楠木正成の墓に詣でた後、弁天浜(現在の神戸ハーバーランド)と兵庫の湊から小船に乗り込んで鞆浦(広島県福山市)に立ち寄り、長州藩の塩田地の三田尻へ落ち延びていった。

   七卿たちに船を提供した二ツ茶屋村の「鐡屋」弥五郎は、幕末長州藩が摂海防備に当った時の御用達商人で、元治元年の長州藩兵上洛の際、自宅を宿舎に提供し、負傷者の看護に当ったため、兵庫の大坂町奉行兵庫勤番所の幕吏の追及を受け、投獄された。維新後、神戸で旅館、廻漕業を営み、陸海軍の用達を勤めた。明治には、専崎弥五平(1831-1901)と名のり、晩年は明治天皇御用邸番であった。

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