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2016年8月24日 (水)

石川五右衛門・釜ゆでの刑

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    「石川や浜の真砂はつくるとも 世に盗人の種はつきまじ」の辞世を残し、釜ゆでの刑に処せられた石川五右衛門。稗史では、伏見城の豊臣秀吉の寝所に忍び込んだが、仙石権兵衛に捕われたことになっている。江戸時代以降、浄瑠璃、歌舞伎でもてはやされた石川五右衛門であるが、歴史上では、全くその素性がわからない。当時の記録、「言経卿記」文禄3年(1594)8月24日の条には、京都三条橋南の川原で「盗人スリ、十人・子一人等釜ニテ煮ラレル」とういう記録がある。当時長崎に来ていたスペイン人のアヴィラ・ヒロンの「日本王国記」にも同様の記述がある。古浄瑠璃本「石川五右衛門」では次のような話がある。遠州浜松の真田蔵之介は石川五右衛門と名乗って進藤団右衛門らの陰謀と戦い、主家再興のために尽くす。しかし妻子もろとも捕らえられ洛中洛外を引き廻され、七条河原で釜ゆでの刑を受けることになる。五右衛門は息子五郎市とふたり釜にはいる。火を焚かれるにつれ、五右衛門は苦しむ6歳のわが子を膝の下に敷いて殺し、やがて自分も焼け死ぬ。それで民衆はみんな念仏を唱えたという。

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