1946年のこの日、俳人・渡邊水巴が64歳で死去する。
天渺々 笑ひたくなりし 花野かな
渡辺水巴(1882-1946)は、花鳥画の大家・渡辺省亭の長男として明治15年東京浅草区(現在の台東区)で生まれた。その生い立ちゆえに洗練された江戸趣味と唯美的な情緒をもち、恵まれた環境で育ったが、父の死による経済的痛手と関東大震災に被災したことにより、関西に移住した。
作者は震災の体験を「もはや、興味中心、趣味本位の俳句は東都から亡んでしまった」といっている。この句はその時の複雑な心境が含まれている。大正12年作。(8月13日)
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はじめまして。渡辺水巴の略歴をリンクするべくトラックバックさせて頂きました。
この句は「天渺々」「花野」に痛々しい気持ちを感じます。
投稿: 土曜日の各駅停車 | 2006年12月31日 (日) 04時57分