法隆寺エンタシスのギリシア起源説の謎
円柱の中央部に膨らみをつけて立体感を付ける建築技法はエンタシスと呼ばれ、ギリシアのパルテノン神殿の柱にみられる。法隆寺の柱にも同様のエンタシスがみられることを最初に指摘したのは伊東忠太といわれる。(近年の研究では石井敬吉が伊東より先に指摘しているという)ギリシアの技法がシルクロードをへて中国、朝鮮をへて法隆寺に伝わったとする「エンタシスのギリシア起源説」は和辻哲郎によって広く知られるようになった。しかし学術的には、かならずしも定説と認められていない。これを裏付ける実証的な論文はいまだなく、あくまで仮説にすぎない。中国では「梭柱」といい、韓国では「胴張り」といい、古い仏教社寺に見られる東アジアの建築技法とみなされている。法隆寺に六朝様式の影響は明らかであるが、仏像の「古拙の微笑」と同様に、それをギリシアの様式にまで広げるのは学術的にはかなり困難がともなうらしい。
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