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2016年8月17日 (水)

源頼朝七騎落

Photo1342_2     伊豆・蛭ヶ小島に流されていた源頼朝は、1180年(治承4年)のこの日、石橋山で平家方の大庭景親と合戦した。三百余騎の頼朝軍に対して、むかう大庭軍、三千余騎が立ちふさいでいた。24日、無勢の頼朝軍はたちまちに敗走し、平氏軍はこれを追撃した。しかし、ついに頼朝を捕えることができず、その行方を見失ってしまった。この時、大庭景親の軍勢に属していた梶原景時が、頼朝の在りかを知りながらこれを逃したという話の真偽は疑わしいものの、当時、平氏の陣中にあって頼朝に心を寄せていたのは、景時だけではなかった。飯田家義という相模国の武士も、景親の軍中にありながら頼朝を慕い、山中の隠れ家までやってきてぜひ供に加えてくれ、願ったという。

    こうして虎口を逃れた頼朝は、この付近の豪族・土肥実平に導かれて真鶴岬から小舟に乗り、海路を房総半島の南端安房国へと逃れ、次第に勢力を拡大する。ついには平家を討ち滅ぼし、武家を中心とする新しい政治体制を確立したのである。

    頼朝挙兵の頃の関東の豪族をながめておこう。挙兵時より頼朝に味方した豪族としては、北条時政、天野遠景、三浦義明、三浦義澄、和田義盛、宇佐美助茂、土肥実平、加々美長清、安田義定、武田信義、下河辺行平。

    挙兵直後頼朝に味方した豪族としては、豊島清光、葛西清重、千葉介常胤、上総介広常、小山朝光、安西景盛。

    挙兵時頼朝に敵対しのち従った豪族としては、梶原景時、江戸重長、河村義秀、渋谷重国、河越重頼、熊谷直実、畠山重忠、新田義重、足利俊綱。

    頼朝に敵対し討たれた豪族は、大庭景親、波多野義常、山本兼隆、伊東祐親、志田義広、萩野俊重、佐竹秀義らがいる。(8月17日)

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