近代スポーツのはじまり(明治事物起源)
アメリカで生まれた野球がいつ日本に紹介されたかは諸説ある。一番よく知られるのは、明治6年、開成学校の生徒が、アメリカ人教師ホーレス・ウィルソン、同校予備門のイギリス人教師ストレンジドらに教えられて行ったのが最初とされる。野球は明治18年、19年ごろから学生野球を中心として発展、普及し、明治36年には早慶戦が始まり、今日の六大学リーグに発達した。なおベースボールを初めて野球と訳したのは、中馬庚(画像)である。
サッカーは明治6年、工学寮教師イギリス人のライメル・ジョーンズが紹介した。
テニス競技が日本に導入されたのもいつかはっきりとわからない。明治11年ごろ、アメリカの宣教師によってもたらされたといわれる。
ラグビーは明治32年慶応義塾に赴任したエドワード・プラムウェル・クラークとケンブリッジ大学の留学から帰国した田中銀之助により慶応の学生に対して初めて指導が行われた。
ゴルフは、明治34年に神戸在住のイギリス人アーサー・グルームによって導入された。神戸ゴルフ倶楽部としてオープンした。
バスケットボールは、明治41年スプリングフィールドYMCA体育学校を卒業し帰国した大森兵蔵が日本に初めて紹介した。
マラソンは、明治42年、大阪毎日新聞社主催で神戸~大阪間の阪神国道で行われた。ただし距離は20マイル(32㎞)だった。
スキーは明治44年軍事研究のため来日していたオーストリアのテオドール・フォン・レルヒ少佐が高田連隊の青年将校のスキー専修員に技術を教授したことに始まる。
陸上競技は明治7年に東京築地の海軍兵学寮で開催された「生徒競走遊戯会」が、日本で最初の運動会であるといわれている。明治16年にイギリス人教師ストレンジの指導によって東京大学で運動会が行われる。陸上種目は100ヤード、200ヤード、440ヤード、880ヤード、120ヤードハードル、クリケットボール投げ、走り高跳び、走り幅跳び、砲丸投げ、ハンマー投げ、棒高跳び、慰め競走の12種目が行われた。(参考:宮本孝「わが国における陸上競技の導入について」 彦根論叢人文科学特集35、1976年)
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