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2016年8月24日 (水)

聖バルテルミーの虐殺

Bartelemy

  フランスでは、1560年以降、新旧両教徒の対立が国民に黒い陰影を投げかけた。フランスの新教運動は、すでにカルヴァンの出現とともに本格化し、フランソア1世につづくアンリ2世時代には、ユグノーと呼ばれる信者の数も全人口の10%に達するほどの成長をしめした。かれらは王権からは依然白眼視され、たえず監視を受け、たえず迫害をこうむった。にもかかわらず、新教徒の情熱と団結はますますかたく、かれらは同志間で秘密な細胞を形づくり、互いに礼拝や教義の研究をおこなう反面、相互の連絡を緊密にし、王権と旧教徒からの攻撃に対しても、自己の信条を守りぬくため自衛手段まで講じはじめた。

   アンリ2世につづくフランソア2世(在位1559-1560)が、外戚で頑迷な旧教主義者であるギーズ公アンリ(1550-1588)の手車に乗り、さらに弾圧を強行しかねないのを見届けると、一部の新教貴族コリニ(1519-1572)らはアンボーワーズ城に参集し、国王奪還の陰謀を計画した。陰謀は不運にも中途で発覚し、事は成らなかった。が、事件を契機に、こんどはギーズ公アンリが王妃カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)と結んで攻撃に転じ、1572年8月24日の聖バルテルミーの祭日にパリで集会中の新教徒に暴圧を加えた。これは聖バルテルミー(聖バーソロミュー)の虐殺といわれる事件で、ユグノーの指導者コリニら一千人が殺された。だが新教徒も当然これに呼応して反撃を試み、紛争はたちまち動乱と化して、各地に同胞相食む惨状を描きあげた。動乱のすすむにつれ、あまりの悲惨、あまりの非情と退廃に、『随想録』の作者モンテーニュは、「人間の正と不正がこれほど混同され、人間の正義がこれほど人間を無慈悲に、不寛容に、狂信的にしむけた世紀もない」と痛憤を発した。事実、内乱は型どおり、全フランスをニ陣営に両分し、宮廷・貴族層から都市・農村の住民まで、全人民を党派の情熱に包みいれ、全国土を戦雲の渦へまきこみ、1562年以後30年にもわたって継続されたのである。ギーズ公アンリに続いてフランス王アンリ3世が暗殺されてヴァロア朝は断絶し、ナヴァル王からアンリ4世(在位1589-1610)が即位した。(ブルボン朝の始祖)新教徒から旧教に改宗して宗教内乱の平定に努めたため、アンリ4世はナントの勅令を1598年に発した。これによってユグノーに信仰の自由が認められて、半世紀にわたるフランスの宗教戦争(ユグノー戦争)が収まった。(Massacre de  la Saint Barthelemy)

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コメント

学生時代、世界史の授業で、「サン=バルテルミ虐殺」という大惨事が、自分の誕生日に起こっていたと知り、
「縁起でもねぇ!」と、もう少し、自分で調べてみたら、「ヴェスヴィオス火山の噴火でポンペイ市が壊滅した日」「石川五右衛門が釜ゆでの刑に処された日」でもあるとわかり、
落ち込んだことがあったのを思い出しました (⌒~⌒ι)
そう、今日は、私の誕生日です。(*^o^*)ゞ

「坂本龍馬は誕生日と死亡日が同じ」などと現代人は言いますが、実際には昔の人は正月で年を数えていたので、誕生日という観念は無かったらしい。また過去の出来事を新暦に換算して、現在の日と何らかの因果関係があるという調査も非科学的なもの。わかっちゃいるけど、あまりに偶然が重なるとついつい記事にしてしまいました。今日、誕生日の皆様、大変失礼をいたしました。

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