真田丸よもやま話
第26回「瓜売」。加藤清正が源三郎(信幸)、源次郎(信繁)の兄弟の名前について疑問を持ちだす。「なんで兄が源三郎で弟が源次郎なの?おかしくねぇ!?」と突っ込む。昌幸は「あまり深く考えずに名付けた」と面倒くさそうに答えた。ちょっと笑えるシーンだ。
信繁をめぐる女性たちにも目がはなせない。すでに最初の妻である堀田作兵衛の妹梅(うめ)役の黒木華は戦死している。第二の信繁の正室春(竹林院)役の松岡茉優や側室・豊臣秀次の娘たか役の岸井ゆきのが登場した。これからドラマは高梨内記の娘きり役の長澤まさみとの三角関係が展開されそうだ。きりはその後、信繁の側室となり、次女お市(早逝)、三女お梅(阿梅)を生んだ。きりは、九度山に残り、大坂の陣で戦死した。阿梅(1599-1682)は大坂城落城に際し、片倉重長に保護され、継室となっている。
真田家の家臣団のなかに出浦盛清(いでうらもりきよ)という人物がいる。ドラマでは寺島進が演じているが、この人物を知っている人は少ないのではないだろうか?またの名前を出浦昌相(いでうらまさすけ)といい、真田家を陰から支える忍びの頭領。村上義清の一族。村上氏は清和源氏の支流で、平安時代末期以降、埴科郡坂木(坂城町)を本拠地として勢力を奮った武将である。出浦は坂城町大字上平出浦の士で、更科郡上平の城主(出浦城)となり、この頃は上総守を名乗ったが、やがて対馬守に改めた。武田信玄の配下となり、透破(すっぱ)の頭領となって働いた。武田家が滅びると海津城主森武蔵森長可(ながよし)に仕え信望を得た。天正11年9月真田昌幸の麾下となり、小県郡武石村にて30貫文を領した。同年以降は上野国吾妻郡の岩櫃城に居住し、岩櫃城代や吾妻郡奉行の要職に就いた。忍者としての逸話も多く、配下の者より先に城内に忍び込み、情報を探りだしたという。このためか、吾妻郡では嶽山城を中心に忍者が多かった。(参考:「別冊歴史読本 真田一族のすべて」1996年)
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